トポスの知 新装版: 箱庭療法の世界

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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784484922287

作品紹介・あらすじ

限定された砂箱という「場」(トポス)に、人間存在の在り様が示される-。二人の叡知が語り合う新しいへの誘い。

感想・レビュー・書評

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  • ・「日本人は葛藤を美的に解決する手段を持っている。西洋人の場合は葛藤の解決といったら、もうロジックしか考えられない。ところが日本人はロジックを使わずにちゃんと美的に解決している」
    中村:ヒルマンが日本人のことを美的と言われたのは、一応それでいいけれど、ちょっといかにも西洋人的だという気がして、もう少し突っ込んでほしい感じですね。日本人というとすぐ美的ということを重視するのは、まあ、もののわかる西洋人ではあるんですが。
    私がフランスで講演したときにも質問を受けて感じたんですが、早わかりして美的と言われ、それで特殊なものとしてくくられても困るわけですね。それで私の考えでは、美的と言われているのを言い換えて、共通感覚的だといったほうがいいと思うし、西洋人にとっても彼らの伝統とつながって好都合だと思うんです。共通感覚は、分析的な論理に比べてもともと美的という一面を持っていますしね。

    ・河合:それからもう一つ印象を受けるのは、箱庭の「分割」の問題がありますね。その分割が二分割というのは非常にわかりやすい。たとえば一番初めに触れました日常と非日常の対立とかね。それに対して心身症の人の治療で、領域の三分割というのがわりあい出てくるわけですね。三分割をどう考えたらいいか、われわれとしても困るんですが。

  • 箱庭療法についての対談を収録した本。後半は哲学の専門用語が多くとっつきにくいが、前半の対談は素人でも読みやすい。

    箱庭を作ると言っても、一定のサイズの枠の中に砂が敷いてあり、そこに市販のおもちゃなどを置いていくだけのことなのだが、人によって全く違った作品ができ、それぞれの抱えている問題が表れてくるのが面白い。

    箱庭作りは誰にでもできるが、クライアントが箱庭に興味を示さないと意味がなく、どんな心の問題も治せるというような治療法ではない。また、治療者との深い信頼があってこそクライアントも内面を箱庭に反映できるという。治療者は作品を細かく分析せず、むしろ「鑑賞」する。うまく行けば、それを続けることでクライアントが良くなっていくケースがあるようだ。

    実際にクライアントが作った箱庭の写真が多数紹介されており、見応えがある。対人恐怖症や登校拒否、うつなどの問題を抱えた人が作った作品は独特な雰囲気がある。意味が分からないのにゾッとする作品もあり、写真だけでもインパクトがある。

  • どうにも、雄二郎は彼の著作全般にわたって、近代哲学の主知主体主義へと反駁しているわけだけれども、その基軸として、場所論と共通感覚論(体性感覚論)が用いられている気がする。そして、場所(=トポス)と体性感覚両方を用いたものが、「箱庭」なのである。箱庭は、具体的に限定されたその場所の中へ、触覚などの感覚を用いて、表現しうるもの、なのである。そして、この表現によって、クライエントは自分の内的な葛藤を表出させることができ、結果として救われる、あるいは、掬われる。これは「臨床の知」である。この反対が一般的な医学であり、客観的や普遍的といった観念の元に行われる治療である。箱庭においては、大森の言葉を用いるならば、「活動的な略画的世界観が展開される」のだろう。逆に、客観普遍医学においては、「密画的な世界観が展開される」。確かに精密ではあるが、しかし、そこには、死物とされた身体の各部位があるだけである。これは、ドゥルーズの言葉を借りれば、「器官に縛られた身体」となるし、非常に実体にとらわれすぎているのである。他方、箱庭とは、非常に略画的であろう。早い話が一つの絵が出来上がるようなわけであるのだから。そこには、ダイナミックに力動が表現されている。どーんとね。もちろん、その箱庭がつくられる過程や、たいていは連作するらしいので、その連作まで見据えれば、「活動的な密画」に到達しうるかもしれないが。大森はここを目指すべきだと考えているが、それはいい。

    ともかく、箱庭が雄二郎の求めているものとうまく合致したことは間違いない。ちなみに、ここで言う場所は、箱庭のような具体的な場所でもあるし、主語が収まるべき場所でもある。例えば、Aという人間がいる。そして、Aはかっこいい。Aは頭がいい。Aは走るのが速い。という言葉があるとする。このとき、<A>という主語が最初にあると考えるのが近代までの哲学観である。しかし、逆に、かっこいい、頭がいい、走るのが速い、というものが収まった枠組み=場所=トポスがあって、その一般的な枠組みの中に、特殊な存在=Aが入りこみ、Aはかっこいい、という言葉が出来上がるとするのが、現代的哲学観だと雄二郎は考えるのである。で、箱庭療法の場合はこれが箱庭になる。箱庭は作り手によっていくらでも顔をかえうる可能性をあらかじめ持っているのである。つまり、場所なのだ。そこにクライエント=特殊的な存在がやってきて、自分の無意識的な内的なイメージをつくりあげる。そして、自分の内的イメージをある意味客観視することで、主観と客観の両方を経験し、自分の内部の檻などが掬い出されることで結果として自分自身が救われるのである。こうしてみてくると、雄二郎はなかなかの哲学者である。完全に自分の哲学観を築いているし、そのわりには河合、木村以外では彼の名前があまり見られないのが残念である。

  •  日本の箱庭療法の第一人者河合隼雄と「臨床の知」などの著作を持つ哲学者の中村雄二郎が箱庭療法について対談する。

     理論よりも体験や感覚を大事にするという点でとても共通している二人。意外にもこの対談本は他のどの箱庭療法の入門書や解説書よりも箱庭療法を理解するのに適している。箱庭療法自体が理論より感覚と経験という”臨床の知”によってなされるからなのだろう。
     いくつか箱庭療法を語る上で忘れられない河合隼雄の言葉があった。
     「普通の人の人形は用意するべきではない」 「箱庭の人形は専門の業者をつくるべきではない」 「箱庭療法は学会をつくるべきではない」
     これらの言葉はその理由と共に記憶に留めておきたい。

     「箱庭療法についてお勧めの本は何か?」と聞かれたら私は迷わずこの本を勧める。この対談はどんな箱庭療法の専門書よりも専門書として優れていると思う。

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