- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784487798490
感想・レビュー・書評
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この本を読んで、死んだ人に手をあわせる意味を理解しました。
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何も願わない、ただ祈る...それができたら世界はもっと良くなるはず。
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死者を想うこととは「私の心の中に居残っている死者への想い」でありそれこそが「死者の魂」だというのに共感。
かりそめとしての「この世」とはある意味死者を想う場なのかもしれないし、地蔵に死者の平安に満ちた顔を見出し安らぐこともまた、この世を生きるための、必要な一つの浄化なのかも。「生きる」こととは何かしら罪を重ねることでもあるようだし。
「誰にも迷惑かけることなく、きれいさっぱりあの世に行く」のが老人の務め、という、93歳の歩き遍路のおばあさんの言葉にも考えさせられるし、身に染みる。
藤原新也の場合、兄はガンとの苦しい闘病の末に死に、母は尿毒症に、水分が体内に導入されど排出できないという状態を目にしてチューブを抜いてもらったことで苦痛の表情が消え安らかに逝った、、という体験が、多くを考えさせたよう。
あるいは、愛犬の死と形見の毛、さらに兄の最後の晩餐となったイカ刺しのこと、、そういう原体験が、死やこの世についての考えを形成したのだろう。そうだとすると、自分はこれからどう先を生きるのだろう、とかとも思ってしまう。
見ず知らずの彫刻家とその妻とのやりとりにも、あるいは房総の別荘の後片付けをしに来る未亡人らの姿に見る無常にも、心を打たれるし、やはり自分は老後どうなるのだろうとも考えずにいられない。
とはいえ、祈ることで心救われる世の中なのだとすれば、何かを願うのでなく祈ることは大切にしたいし、それは結局自分自身のためということでもあろうし、富士山や大木といった祈るための心のよりどころ・きっかけにもこの世は事欠かない。
そうして、死者を想い、死を受容するというのは、人のもつ一つの本質的な技でもあるように思った。 -
数年ぶりの再読.
30過ぎの出会いと別れの時期に読んだときにもシンクロするところがあったけど,自分の父親が藤原氏の兄と同じ末期がんで数年前に他界して,あらためて本書を読むと,テキストよりも荒い印刷の写真のほうに感じ入るところが大きくなってあるような気がする.
特別な風景は一つもないが,その写真を写した時の藤原氏の心象がたしかに写真のフレームに写り込んでいる.この感覚は最初に読んだときはあまりなかった気がする. -
何気なく図書館で手に取りました。ページをめくってみて、写真に目が止まりました。立ち読みで、興味が湧き借りて読みました。一つ一つのエッセイに泣きそうになったり頷いたり。購入して手元に置いておきたい一冊です。
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写真も文章もお上手で…。多才なおかた
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家族の死の弔いのために四国遍路に。その道中を綴った本。恥ずかしながら実家近くが写真に納められていたりするので、とても感慨深く読みました。まさしくタイトル通り、穏やかな気持ちになれる1冊。