王とサーカス

著者 :
  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488027513

感想・レビュー・書評

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  • 古典部シリーズやその他数点、著者の作品は読んできたけど、登場人物を一にする(らしい)「さよなら妖精」は未読。そんな背景を持つ自分が、本最新作を読んだ感想を書いてみます。
    まず最初に、主人公らの視線を通し、ネパールという国家の現状が示されていく。21世紀を迎える直前に、ようやく導入された民主制。とても整っているとはいえないインフラ環境。裏通りの退廃ぶりなどなど。でも一番気を引かれるのは、そういう生活環境の中を生き抜く上で、幼くして既に、狡猾さや穿った物の見方をするようになっている子供の存在。ほとんど知らないかの国のことを、少しずつ理解してきたところで、王宮で大事件が勃発する。記者である主人公は、事件の取材を進めていく中で、現場で働く軍人とつながる。
    その軍人との接触場面が、タイトルにもなっている「王とサーカス」という章で描かれているんだけど、この章のインパクトは強く、本書が何を論じたいのか、その核となる部分が提示される。記事は何のために、誰のために書くのか。当事者にとっての悲劇が、第三者の目に晒されたとき、興味を引くための見世物になってしまっているのではないか。
    巷間に溢れる写真や記事を、取り上げて議論して、は我々が日常的に行っていること。当たり前に享受している「知る権利」だけど、それって本当に当たり前?「知られない権利」も含めて言論の自由のはずなのに、数の暴力の前に少数意見が掻き消される場面は、きっと少なからずある。受け取る側も真剣に考えて、賢くならないといけない。そんなことも改めて考えさせられた。
    とまあつい鯱ばった事を書き連ねてはみたけど、同時にミステリーとしても十分楽しめたし、構えずに読める極上の娯楽作品だと思う。

  • 『さよなら妖精』で登場した太刀洗万智が本作の主人公となるが、10年後のその舞台は前作を知らずとも問題ないので、真っ白な状態でもぜひ手に取って戴きたい。

    フリーの記者としての第一報を慣れぬ海外の地、ネパールで書くことになった太刀洗。そこへナラヤンヒティ王宮事件と共に直後に殺人事件も起き、太刀洗は記者としての選択を迫られる。

    本書はもちろんミステリとしての楽しみもある。実際の事件を扱っていると知ればなおさらだ。
    だがこのなかで幾度となく問われていることはただひとつ。
    なんのために伝えるのか。
    太刀洗はフリーの記者として、何度も問われることになる。
    それは私たちにも問われる。記者ではない、ただの群衆である、サーカスの観覧者である私たちは、なんのために何を知るのか。
    報道は毎日めまぐるしく情報を垂れ流していく。取捨選択は自由だ。サーカスの演目から、好き勝手眺めることができる。一時酷い事件だと心惹かれても、次にセンセーショナルなことが起こればすぐに忘れてしまう。「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽」であり「悲劇は消費」されている。心当たりがまったくない人も少なくはないだろう。
    私が今ここにこうして書いていることも、レベルは違えど同じである。

    フリー記者太刀洗万智として、どんな答えを出すのか、また太刀洗が記者として現れたことによって動き出す人々の信念はどんなものか。人の行動は、だいたい理由がある。彼らの事情を含め、ミステリとしてもおもしろい。

    またここで群衆の恐ろしさというものを改めて思い知らされた。
    昨日までは「怒りを街で見かけることはほとんどなかった」というのに、たった一つの事件でそれらは街の中に伝播していく。だがたった数日でそれらは「見えなくなっ」ていくのだ。そんな街の中で見つけた答えに正解はやはりないのだろう。しかし太刀洗は記者として、自分なりの答えを出す。

    余談としてひとつ、10年の経験を積んだ太刀洗は、嫌いだった自分の名をきちんと名乗り、相当魅力的な女性になっていると期待したのだが、あまり太刀洗らしさが感じられなかったのは、私だけだろうか。少し残念だったため、欠けた部分とした。
    「手の届かない場所のことを知ろうとする意味について」考えるという、前作の登場人物とは真逆を行った太刀洗の未来を見たところで、そんな彼らの後も追いかけたいと思った。

    この度は発売前に貴重な作品を読ませて戴き、ありがとうございました。サーカスの準備から、太刀洗はどのような演目を選んだのか、ぜひ一読して戴きたいと思う。

  • 少しずつ読み進めようと思っていたのに、結局一気に読み終えてしまった。
    それもこれも、最初に扉の一言に打ちのめされてしまったせいだ。
    本作は、前作『さよなら妖精』の10年後。
    フリーの記者となった太刀洗万智が、ネパールで遭遇した事件についての話だ。
    とはいえ、はっきり言って、本作の中で前作の『さよなら妖精』との直接的な関わりはそこまで明言されていない。
    マーヤの事を匂わす話でさえ、片手で足りるほどしか出てこなかったのでのはないだろうか。
    けれど、万智がネパールで遭遇した事件、そこで出会った人々を通して出した「なぜ伝えるのか」に対する答えを思い返すほどに、言葉にはならないあらゆる所にマーヤの残したものを感じずにはいられない。
    深読みのしすぎかもしれないが、前作で知ってしまっていたゆえに「忘れたい」と繰り返していた万智だからこそ今の職業を選んだのだという気がするし、そう考えれば、たどりつく答えも最初から一つしかなかったような気がする。
    だからこその、扉の言葉なんじゃないだろうか。
    くよくよとその人との思い出を語るだけが、その人を想うことではない。
    いつまでもその人のことを思い出すことだけが、その人が大事だった証ではない。
    多分、そういうことなのだろう。

    ところで、改めて『王とサーカス』というタイトルを見ていて、ふと、ゴダールの『気狂いピエロ』を思い出した。
    サーカスにはピエロがつきもの、というせいもあるが、あの映画のヒロインが車の中で口にしていた台詞が、今回の話とリンクしたせいだ。
    「“その他大勢”って、悲しいわ」から始まる、あのセリフ。
    “ベトコン115名”から何も分からないのと同じで、ニュースは当事者たちの人生を、日常を語ってはくれない。
    そんな中、上っ面だけで言う「真実を伝えなければならない」「同じ悲しみを繰り返さないために」はパフォーマンスにすぎないんじゃないだろうか。
    記者はもちろん、そうして発信された情報を受け取る側の私たちも、誰かのかなしみをサーカスにしないように、万智のように考え続けなければならない。

  • 『熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、真実は正義で、嘘は悪?』

    はじめに、今回発売前の貴重な作品を預けて頂き、本当に有難うございます。とても楽しく読ませて頂きました。

    正義とは、なにを指すのだろうか。私たち人類は何度も手を替え品を替え、それを明確にしようとしてきた。曇りなき正しさを求めれば求めるほど、正義の後ろで悪は蔓延り。それは、表と裏、光と影、切っても切り離せないものであるかのように、強い正義の前に悪は等しく強く立ちはだかった。誰に対しても正しくあること、なににでも正しく居ることは不可能に思えてくるほど、私たちは答えがわからず、ただ一途に悩まされてきた。

    誰かのための正義が誰かを傷つけ、傷ついた人が持った正義がまた違う誰かを傷つけてしまう。その呪いのような炎は、つねに拠り所を変え移り渡り、如何なる時でも誰かの心を醜く燃やし続けている。

    私は毎日ニュースを見る。テレビでも雑誌でもニュースサイトでも。今日もまたどこかで誰かが死んだ。当たり前のことだ。人が一人も死なない日があったのなら、それこそ重大ニュースになってしまう。私たちは誰かの死のすぐそばで、毎日を笑ったり泣いたりして生きている。そして、わたしたちは時に事件の目撃者になり、稀に当事者になり、そしてほとんどが傍観者になる。小さくて大きなその事件はマスコミに知られ夕方のニュースになり、あっという間に当事者達の手を離れ、知らない人達へと知らされていく。

    沢山の物知り顔の関係のない人たちが、時に悲しみ同情し、時に怒り反論を述べる。しかしどちらも精々5分程度で、押し流されてくる情報を右から左に押し出すだけの瞬きをするような時間だけ。そしてそれを私たちは当然のように毎日消費していた。起こったことよりも、出された結果だけを撫でる毎日だ。

    わたしたちには「知る権利」があると憲法がいう。知りたいと思ったことに対してその開示を要求することができる。そして、わたしたちには表現の自由も与えられている。知ったことに対して、自分の意見述べることは憲法によって守られ、誰からも妨害されてはいけない。だから報道はまさしくまともで正義であるといえるだろう。しかし、釈然としない。

    なぜ真実は、正義と呼ぶことができないのだろうか。

    原点に立ち返ろう。わたしたちはなぜ、知りたいのか。知ったことに対して酷く無関心であるのに。なぜ、真実を求めるのか。それに対して向き合う勇気もないのに。私たちは本当に知りたいのか。作品はさらに問いかける。光が増せばまた闇も深くなると。そして主人公の大刀洗は何度も自身に問う。

    『なぜ、知りたいのか、誰のために調べるのか、報道とはなんなのだ、真実は正義なのかと』

    私も幾度も思う。私は今まで液晶画面越しにサーカスを見ていたのだろうかと。私の悲しみや喜びは、仮初めで上っ面で、酷く薄く、軽蔑されるべきものだったのだろうか。

    この作品を読み終わった時に、私は気がついてしまった。ああ、そうだったのかと。そんなことは最初からわかっていたじゃないか。私は私のためにわからないということをわからないふりをして生きてきたのだ。それは、自分が綺麗でいるのにとても都合がよく、それこそ簡単な目眩ましだった。本当はという前置きの目眩ましだった。

    この作品は報道に対しての警鐘であり、叱咤激励であると思います。なにより私たちの貪欲なまでの知りたいと思う気持ちに対して、一つの答えをきちんと用意してくれています。受け取り手次第で、色や表情を変える作品です。是非読んで確かめてみてください。

    あとがきを読ませていただいて初めてこの作品がシリーズであることを知りました。シリーズものが苦手な方でも安心して読んでいただけると思います。原稿が届いて、一息もせずに読み切ってしまいました。とても面白かったです。この感想もまたすぐに消費されてしまうとおもいます。そうだったとしても、わたしがこの本を読んで、とても充実した休日を過ごしたという事実はいつまでも消費されないと祈ります。

  • 殺人事件が起きて、それを主人公である記者が解決するミステリー作品なんだけど、ニュースになるような事件が起きた時に、何をどう報道するのかしないのか、誰のために何のために報道するのかという主人公の悩みが大きなテーマとなっていて、その悩みが殺人事件自体にも繋がる構成となっている。
    殺人の被害者についての詳細な情報とか芸能人の不倫とか、普段たくさん接する報道の中で本当に必要なものってどのくらいあるんだろう。

  • 護衛の警官と3人で真相に近づいていく場面のスピード感が心地よかったです。
    割と静かに物事が進んでいった印象ですが、そこでグッと盛り上がりました。

  • 米澤穂信。フリーの記者の太刀洗がネパール滞在中に王族の殺人事件か起こる。国内が荒れ、太刀洗が取材を始めたところ死体があらわれる。この死体は王族の殺人事件と関係があるのかその裏を調べに調査を始める。       実際の事件を下地にしたフィクションであり、異国情緒を堪能でき、ジャーナリズムについて考えさせる、贅沢な一冊です。とても読みやすいので誰にでもおすすめできる

  • 面白かったです。
    タイトルのサーカスの意味が分かった時、とても考えさせられました。
    物語も動き出すのは中盤以降ですが、登場人物が個性的で、またネパールの描写も綺麗で面白く飽きずに読めました。

    終盤の真実が分かるところは切なかったです。

  • 上質な娯楽作品なお話し

  • なんかこう暗くて、重苦しい。
    マスコミの嫌な面がたんたんと語られ疲れた…

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著者プロフィール

1978年岐阜県生まれ。2001年『氷菓』で「角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞」(ヤングミステリー&ホラー部門)を受賞し、デビュー。11年『折れた竜骨』で「日本推理作家協会賞」(長編及び連作短編集部門)、14年『満願』で「山本周五郎賞」を受賞。21年『黒牢城』で「山田風太郎賞」、22年に「直木賞」を受賞する。23年『可燃物』で、「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」でそれぞれ国内部門1位を獲得し、ミステリーランキング三冠を達成する。

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