- Amazon.co.jp ・本 (409ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488131043
感想・レビュー・書評
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元祖はーどぼいるどということで、一度読んでみたかった。
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東京創元社によるオリジナル短編集第2集。
収録作は「事件屋稼業」、「ネヴァダ・ガス」、「指さす男」、「黄色いキング」の短編4編にエッセイ「簡単な殺人法」。ベストは「ネヴァダ・ガス」、「簡単な殺人法」。以下、かいつまんで感想を述べる。
「事件屋稼業」はけっこう散文的な内容で、犯人はチャンドラーの定番ともいうべき人物。しかし、依頼を受けて最初に訪れたところに死体があるっていうのはもはやチャンドラーの物語のセオリーのようになってきている。殺す対象が違うような感じもし、犯人の動機もちょっと説得力に欠ける。ただ出てくる登場人物が全て特徴的。最初のアンナからジーター、アーボガスト、ハリエットにフリスキーとワックスノーズの悪党コンビ。そしてマーティー・エステルと、一癖も二癖もある人物が勢ぞろいだ。この作品からプロットよりも雰囲気を重視しだしたのかもしれない。
「ネヴァダ・ガス」は他の短編に比べ、いきなり毒ガス車で人が処刑されるシーンという読者を惹きつける場面から幕が開けるのがまず印象深い。この導入部はハリウッド・ムービーを想起させる。この時既にチャンドラーはハリウッドの脚本家として働いていたのだろう。
「黄色いキング」のレオパーディ殺害の真相は、ちょっとアンフェア。もうちょっと何かがほしかった。レオパーディの造形は良かったが、ちょっと物足りない。
ただ1つ印象に残った文章があった。
「(スパニッシュ・バンドが低く奏でる蠱惑的なメロディは、)音楽というより、思い出に近い」
音楽に関して時折感じる感傷的なムードをこれほど的確に表した表現を私は知らない。どう逆立ちしても思いつかない文章だ。
歴史に残る名エッセイは何かと問われれば私はこの「簡単な殺人法」を挙げる。これはチャンドラーが探偵小説に関する自らの考察を述べた一種の評論。論中で古典的名作を評されているA・A・ミルンの『赤い館の秘密』、ベントリーの『トレント最後の事件』、その他作家名のみ挙げた諸作についてリアリティに欠けるという痛烈な批判をかましている。
その前段に書かれている「厳しい言葉をならべるが、ぎくりとしないでほしい。たかが言葉なのだから。」という一文はあまりにも有名。
本論では探偵(推理)小説とよく比較される純文学・普通小説を本格小説と表現している。そしてこの時代においては探偵小説は出版社としてはあまり売れない商品だと述べられており、ミステリの諸作がベストセラーランキングに上がる昨今の状況を鑑みると隔世の感がある。
チャンドラーはこの論の中で、フォーマットも変わらぬ、毎度同じような内容でタイトルと探偵のキャラクターである一定の売り上げを出す凡作について嘆かわしいと語っている。しかし私にしてみれば、チャンドラーの作品もフォーマットは変わらず、探偵や設定、そして微妙に犯行内容が違うだけと感じるので、あまり人のことは云えないのでは?と思ってしまう。
またセイヤーズの意見に関して同意を示しているのが興味深い。その中でチャンドラーは傑作という物は決して奇を衒ったもの、人智を超えたアイデアであるとは限らず、同じような題材・設定をどのように書くかによると述べている。これは私も最近、しばしば感じることで、ミステリとはアイデアではなく、書き方なのだと考えが一致していることが興味深かった。
最後に締めくくられるのは魅力のある主人公を設定すれば、それは芸術足りえる物になるという主張だ。そこに書かれる魅力ある主人公の設定はフィリップ・マーロウその人を表している。その是非については異論があろうが、間違いなくチャンドラーはアメリカ文学において偉大なる功績を残し、彼の作品が聖典の1つとなっていることから、これも文学の高みを目指した1人の作家の主義だと受け入れられる。つまり本作は最終的にはチャンドラーの小説作法について述べられているというわけだ。
本書はこの「簡単な殺人法」を読むだけでも一読の価値がある。世のハードボイルド作家はこのエッセイを読み、気持ちを奮い立たせたに違いない。卑しい街を行く騎士など男の女々しいロマンシズムが生んだ虚像だと云い捨てる作家もいるが、こんな現代だからこそ、こういう男が必要なのだ。LAに失望し、LAに希望を見出そうとした作家チャンドラーの慟哭と断固たる決意をこのエッセイと収録作を読んで感じて欲しい。 -
20110109 前にも読んでるはずだが、内容は覚えていなかった。パターンが同じなのが気になってしまった。次は長編を読み直しするか。
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短編集。
『事件屋稼業』
『ネヴァダ・ガス』
『指さす男』
『黄色いキング』
『簡単な殺人法』