トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫) (創元SF文庫 ウ 7-1)
- 東京創元社 (1963年12月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (414ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488610012
作品紹介・あらすじ
原タイトル: The day the triffids
感想・レビュー・書評
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最初に覚えているのはTV映画「人類SOS」の「殺人植物だ」というセリフ。
次は筒井康隆の「私設博物誌」で、原作が本格的な小説だと知った。最初の方だけ読んだ記憶がある。
少し前に筋肉少女帯の「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」でまた思い出して読んでみた。
実はトリフィドが登場しなくても成立する話で、人類の大半が行動できなくなったときに「長期的に」何が起きるのかというシミュレーションだともいえる。
人口は激減するが食糧は缶詰とかの保存食が「当面は」ある。
燃料や住宅も「当面は」保つ。
農地は残っているので、食糧の生産はできる。
では農業用の機械や化学肥料が使えなくなったら?
製品が残っていれば、まだしばらくは調達できるが、それが尽きると、鉄鉱石や原油を掘り出し、製錬するところからやり直さなければならなくなる。
そのノウハウは誰が保持しているのか?
高度に分業化された社会で第一次産業の従事者が失われることの恐ろしさが見えてくる。
たしかに人間が失われても、ノウハウは「図書」という形で残っている。しかし、そのノウハウを新しい人間(つまり子供)に教育するためには、「自分では直接的な生産活動に従事していない」つまり「人に食べさせてもらう」人間が必要になる。
では誰がその役割を決めるのか...
人間が共同体を形成してから連綿と続いてきた「支配と被支配」「権利と義務」「敵対勢力との対決」といった難題が生き残った「普通の」人々に突き付けられる。
追い打ちをかけるように、人間の天敵としてトリフィドが勢力を伸ばしており、人類は文明の再建をしつつ、トリフィド対策の二正面作戦を強いられる。
様々な価値観の指導者候補が登場し、旧来の文明的な道徳観念が揺さぶられるが、過酷な環境の中で「愛」「協力」「自由」を残そうと苦心する主人公達の姿に共感した。
最終章のタイトル「戦略的後退」に、絶望の中でも諦めない人間の希望が込められている。
50年代の作品だからなのだろうか、読後感は明るい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本屋に大量に平積みされていて、思わず手に取ってみたけど、字が小さく、訳に慣れるのにも時間がかかり、読み終わるまで長かった。
でも、面白かった。急に目が見えなくなって、歩く植物に襲われる。50年も前の作品だけど、全く違和感なく読み応え十分だった。
これから流星群を見るのが怖くなりそう・・・ -
古典SFマイブームから数回目の再読。1951年に発表された人類壊滅をテーマにしたSF小説。
地球に接近した流星群を見た世界中の人々は、その《後遺症》によって失明、盲目化してしまう。時を同じくして良質の植物油を抽出できる事から遺伝子操作れて生み出され、栽培されていた肉食植物「トリフィド」が氾濫、繁殖し盲目となった人々を襲い始め、謎の疫病も発生し人類は緩やかに、しかし確実に絶滅へと進んでゆく。
“三本足”の歩行可能な食肉植物が人を襲うプロットはH・G・ウェルズ著『宇宙戦争』へのオマージュであり、1962年にSFホラー映画『人類SOS』として映像化された。この映画を観て感銘を受けた映画監督ジョージ・A・ロメロはゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を撮り、さらに本小説のテーマをプロットアイディアにして『ゾンビ』を撮ったのは有名な逸話。
東西冷戦のさなかに多くの人々の心に影を落としていた「侵略核戦争と人類絶滅」という恐怖を根底に置いたストーリーは人類の殆どが「失明」する事で機能を失う日常社会、そして時間と共にゆっくり崩壊(風化)して行く現代文明の壊滅描写は非常にリアル。 -
小学生の頃、図書館の『少年向けSF全集』で読んだ。
ある夜を境に、地球上の人間の大半が失明。
阿鼻叫喚の混乱を見透かしたように、
“歩く植物”トリフィドが人間を襲い始める…!
ワクワクして、何度も借りて読み返した。
それから20年。
なんとなく「あの本って、今も入手できるのかなぁ」と
アマゾンで検索したら…………
うわ!あった!購入だ購入クリッククリックゥぅぅ!
というわけで再会です。ひさしぶりトリフィド君。
昔も今も怖いねえキミは。
でも、混乱と私利私欲でグッチャグチャな人間は、
君よかずっと怖い。
と、中学生の頃とあんま変わらない感想を抱いてみる。 -
小学校の時に図書館の片隅にあった、誰も読まないSF小説の山の中の一冊にして、一番のお気に入り。
小学生3~4年で読んだと思うけど、俺が小説にはまるきっかけになった本です。
しばらく経つと中身を忘れちゃう本がほとんどだけど、これは10何年経っても覚えてるって事が、その時の入れ込みっぷりがわかります。
突然起こった非日常。
残された人間と、それを襲う怪奇植物。
当たり前に思ってた事が、
なくなってしまう事もあるんだっていうのがショックだったんだろうな。
今でも思い出す、心がゾクゾクする感覚。
やっぱりこれが始まりなんだろう。 -
動かないはずの植物が襲ってくるというテーマ。怖いね。子供の頃に読んだこれのジュブナイル版のイメージが、ずっと心の片隅にあったんだ。
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中学生くらいのときに読んで、頭にこびりついていたSF古典の復古版。やっぱ面白かった。これのおかげで、「しし座流星群」が話題になったときも、怖くて見る気になれなかったのだ。
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緑色の大流星群が素晴らしい天体ショーを繰り広げた翌日。それを目にした人だけが、ことごとく盲目になってしまった。パニックに陥る社会の中で、その流星を目にしなかった幸運な人たちはなんとか自らの社会を立て直そうとするが、そこに襲い来るトリフィドたち。なんとも恐ろしい破滅SFです。
自立歩行し、毒で人を襲って自らの栄養として取り込むトリフィド。まさしく食人植物で恐ろしいのだけれど。それほど動きが速いわけではないし所詮植物でしょ? たいしたことなさそう、と思ってしまうところがさらに恐ろしさを増長します。囲まれて、いっせいにぱたぱたという音が聞こえてくるのを想像してぞっとしました。植物だから知能なんてないだろう、と登場人物たちも言っているけれど。いや、これだけのことやってたらもう動物ですよそれは!
そしてそういった脅威のみならず、人間たちの争いもまた恐ろしいところ。こういう事態になるとどうしても集団で対立してしまうのは仕方のないことなのでしょうが。ある意味人間の醜さ恐ろしさが前面に押し出されてきて。嫌だなあ、という気になります。本当にこういう事態に陥るのは嫌だ……。 -
宇宙戦争よりこちら。
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心地よい破滅。植物に侵略されていく地球を舞台に、滅んでいく文明の中で生きていく人々の話。幻想的な風景と押し寄る恐怖、その中で生きる人の心情がグッとくる作品でした。 見たものの視力を奪う緑の流星群。ほとんどの人物が視力を失った中で、奇跡的に無事だった主人公。しかし社会を維持できなくなった人類たちに、栽培していた歩く植物が遅い始めるのです。 流星と歩く植物。無関係な二つが繋がり終末に向かう作品です。その中で生きる人類は美しく、中でも崩壊した世界で食事をするシーンは目に焼き付いて離れませんでした。