空間亀裂 (創元SF文庫)

  • 東京創元社
3.24
  • (6)
  • (6)
  • (19)
  • (3)
  • (3)
本棚登録 : 185
感想 : 20
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488696207

作品紹介・あらすじ

時間理論を応用してつくられた超高速移動機の内部に亀裂が発見された。そこからは別の時間、別の世界が覗き見られるという…。ときに西暦2080年、世界は人口爆発に苦しめられていた。避妊薬は無料となり、売春も法的に認可されている。史上初の黒人大統領候補ブリスキンは、かつて夢見られ今は放棄された惑星殖民計画の再開を宣言するが…。ディック中期の長編、本邦初訳。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 作者PKディックは1960年、民主党ケネディと共和党ニクソン(のちに当選)の大統領選、投票用紙に「マーチン・ルーサー・キング」と書いた!その彼が21世紀末の「黒人大統領誕生」をメインテーマに書いた怪作
    「SFは未来を描くようなふりをして、過去を書く」と言われる(平岡正明?)。“science fiction ”は、コペルニクス的転換/植民地支配/帝国主義的軍事力対決/東洋的アンチヒューマニズム/社会学的帰結/心理学的(対大衆宣伝戦)帰結などの《過去》を、再演/記述してきたが、(1982年の没後いまもカルト的崇拝を集める)PKディックは「価値観の対立/混乱」という《現在》を描く。

    処女長編『偶然世界』(1955年)(早川SFシリーズでは『太陽クイズ』)では、太陽系の支配者=クイズマスターがランダムなロトシステムで選出される、という非凡な発想であったが(無力な者はクイズマスターとなってもあっさり暗殺されるからたいてい自分のチャンスカードをそれなりの組織に売り渡している)(無茶だと思う者は被告の命を左右する裁判員が抽選で選ばれることを思うべき)状況説明がほとんどなくいきなり物語に投げ込まれ、感情移入が追いつかない感があった。

    ヒューゴー賞を受けた『高い城の男』’63年は、テーマは「第二次大戦に枢軸側が勝利した世界」で、意外にも慈悲深い政府の下に従順な国民が暮らす統制のとれた社会である。一口に言えないほど、複雑なプロット、曖昧な結末であった。

    本作発表は’66年(解説によると脱稿64年3月)。’60年ケネディ当選、’63年暗殺後のこの作品では、作者の「民主主義は最悪、ただし他のすべての政治システムよりはマシ」という民主主義オマージュが見て取れる(アメリカ人にありがちだが世界がアメリカだけのように振る舞っているのはどうもだが)。それでもディックの描くだけに(《現代》を反映しているだけに)ディストピアである。

    アメリカ人にとって大統領は「天皇」の役割も兼ねた国家統合のシンボルであるから、不可侵だが、その候補は《資質》(=持って生まれた幸運も含め)を証明するために草の根運動もし危険も危機もみごとに処理せねばならない。初代ワシントン以来、軍人出身が多いのも宜なるかな。
     



    extrapolation =外挿法、とSFの基本的手法を言うが、「ある条件を加味して、社会の変化を考える」ときに、この小説の一番のテーマは「黒人大統領が生まれるとすればどんな状況か?」ということだろう。逆に有色人種が白色人種より多くなって文化が分裂するアメリカは出生率の違いからすれば必然と思われるのになぜSFなのか?(たしか『ザ・マン』と言って大統領、副大統領、上院議長が相次いで亡くなって下院議長の黒人が大統領になるという小説があった。上院議長には先日亡くなった日系人のダニエル・イノウエも就いていたことがある。)(町田智浩の本に、「なぜ黒人は副大統領になれないか?大統領がたちまち暗殺されるから」というジョーク?があった)

    宗教的問題に妥協は難しい。現時点で同性婚とならび、ある人たちが(オバマに対し)「絶対に許せない」とする人工妊娠中絶問題が、とっくに解禁されているように記述されている。ショッキングなシーンを冒頭に置きたい作者の意図もあろうが胎児に人権を認めない文化に百年ぐらいで変わるとは思えない、(「自殺の代替手段の提供」として非現実感を匂わせているが)冷凍睡眠に入って景気の良くなるのを待つという人々がもう1億人というのだから、赤ん坊も産んでから冷凍保存しておくことにしてはどうだろうか(たとえばハインライン『ポディの宇宙旅行』でも若いうちに産んで中年になってから余裕を持って育てるシステム)。もちろんアフターピルとか、強制的に避妊薬を飲ませておいて産みたくて許可の出た者だけ解除薬とか与えるというシステムもSFではよくあるが、それよりも「養子に寛容な社会である」「人種に関係なくアメリカ文化に包摂する」ことはアメリカの誇りであろう。(ベトナム戦争後、多くのベトナム人戦争孤児の子供がアメリカで養子になった)
    と思ったが、解説を読むとディックの辛い実体験が背景にあるとは。女性が「中絶コンサルタント」というのもありそうで怖い。

    「臓器移植」もテーマの一つとなっている。「脳死」が絶対条件の心臓移植はとりわけ倫理的に問題が多いが、南アフリカのバーナード博士が始めて白人男性に交通事故死した黒人女性から移植した(ついでだが、白人から遺族への「お礼」は「ケーキ一個」であったという)のは本書翌年の1967年で、本書は移植臓器の不足を扱っている点で画期的と言えるのかも知れない。(心臓移植の先進国、南アフリカでは交通事故の歩行被害者が提供者になることが多く、レシピエントとドナーとの階層格差が目立った)。臓器移植法以前、日本の宗教団体各位にこの問題についてアンケートした雑誌記事があったが日本人の生死感を反映してほとんどの団体が否定的であったが創価学会だけが(米国信者が多いことからか)肯定的であったと記憶にある。この作品でも移植自体はアメリカ人の倫理では問題ないが、臓器は不足し(医療保険が無い国柄)高価につくらしい。

    それよりも軽い問題の売春は、軌道上の衛星でだけ行われることになっている(エドモンド・ハミルトン『透明惑星危機一髪』でも人工惑星が賭博などあらゆる非合法ビジネスの安全地帯になっている)。実はその経営者、奇怪なシャム双生児の怪人物が《第二地球》の原住民と結託して騒ぎを大きくしていたという図式が結末に明らかになるのだが。その宣伝電波はなんと大統領選にまで影響力がある、という設定。すなわちエンタテイントメント業界を通じ、メディアを支配し、世論を左右する力を持つらしい。
    ウーマンリブ以前とは言え、そんなことが、と調べてみるとアメリカの婦人参政権、根拠となる憲法修正19条は1920年に批准されているが「有権者が男女同数」となるのは1957年にまで下る(「選挙人登録」しない女性が多かった故であろう)、「初の女性下院議員」は有名なジャネット・ランキンで、1916年に当選しているが、第一次世界大戦参戦に反対し1918年上院選に出馬して落選、次の当選がなんと1941年で日本の真珠湾攻撃に際して開戦に「反対」1票を投じたのである。政治=投票は男のすることという通念が、例外によって証明された(と思われた)のではないだろうか?

    日本でだが戦前に外地生まれの女優が、「内地(=本州)に来たときに、人力車を日本人が曵いているのに違和感があった」と言っていた。下層な肉体労働は中国人か朝鮮人がやるものと思っていたというのである。黒人のことを、そういうように思っている人もまだまだ居るだろうと思うと、アメリカの人種意識フラット化完了は容易ではない。
    ただしアメリカ合衆国は(悪名高い禁酒法を13年間も施行したように)建前と本音を一致させようとする社会であるという。作品では100歳の長命も普通になっているようであるが、それでも21世紀生まれが大半になってしかも白人人口よりも有色人種人口が多くなっている2080年の大統領選まで黒人が大統領候補になったことさえ無い、と作者は想定した。
    1920年当選ハーディング大統領は選挙期間中「あいつには黒人の血が混じっている」という噂で悩まされたという。
    オバマは「奴隷の子孫」ではないが「オバマは黒人だよ、一滴でも黒人の血が混じっていれば」と2008年の選挙では差別された者の子孫から言われた。経済危機をいちおう克服し、懸案の国民皆保険、イラク撤退に前進し、(ノーベル平和賞も受賞して)ふたたび白人男性と戦った2012年再選は選挙人数で見ると大差のようでも総投票数では6057万対5774万、総数1億2000万について200万票という現役大統領としては薄氷の僅差だった。

    大統領の実弟エドワード・ケネディもキング牧師も’68年あいついで暗殺された。「暗殺」は国の評価を暴落させる、民主主義の敵である。’66年南アフリカ共和国フルウート首相が議場で暗殺されて国内外は騒然となり政治は劣化した。怨念で政治は進まない。だからオバマも人種差別への怨念は口にしない。(暗殺は無意味というより逆効果のことが多い。韓国のように暗殺者=安重根を偉人とするのは理解できない)。この作品では娼婦衛星の経営者、結合双生児のウォルト兄弟(一体で二つの人格を持つ)への暴力行為で話が進むが少し安易。復讐でこじらせようという子分が居ないほど人心を失っていたのか?

    主人公「自由共和党」大統領候補ブリスキンが軽はずみな行動をしたり後悔したり、《もう一つの地球》との全面対決(そこに先住者=人間型住民)になるかも知れないのに、アクションヒーローとして独断で行動している。かりに戦争になり、新地球を植民地に出来れば「良い戦争」なのか? 
    「民主主義」が積極的価値とされたのはウィドロー・ウィルソン大統領が(帝政ドイツを敵として)第一次大戦に参戦の大義名分にしてからだという。SFにそこまで考えなくてもいいと言うかも知れないが、第二次大戦後アメリカの占領政策は日本で成功しただけで、朝鮮では失敗して分断国家となり台湾に蒋介石が送り込んだ陳儀将軍は苛政で人心を失い大陸失陥の一因となりベトナムでも…それでも2002年イラク攻撃の際には「独裁者を倒し日本のように民主化しよう」というお節介な題目が唱えられた。《民主主義》は第一次大戦後、帝政ドイツに苛烈な戦後処理で結局第二次大戦の原因になったこととイラク戦争の死者(戦闘で5万?間接的に65万?)について責任があるのではないか?あわてて行動してゆっくり後悔というのも民主主義の通例ではある。

    主人公ブリスキンは黒人大統領候補、娼婦衛星にも行けば、超高速移動機=「どこでもドア」で偶然見出され正体がわからない新世界にも行く。「事故対策」とか大丈夫か、あまりにも危険と思うのだが、その《新地球》の正体もわからないうちから植民地にしようと捕らぬ狸の皮算用で、大統領選の公約にしてしまう。「どこでもドア」があるなら人口爆発など怖くないだろうと思うのだが、「価値ある仕事」が無いオートメーション社会で失業は怖いだろう。「フロンティアが無くなれば資本主義は成立しない」の法則か。決断を「先延ばし」にして「時間を稼ぐ」のが、政治家の基本的な力量とされている如くながら、コールドスリープされている人々は一日も早く解凍されねばならない。アメリカがフロンティアを求めるのは必然である。 (「アフリカの労働力が市場化されるまでは賃金のフラット化は続く」と言われている。本書にアフリカの記述は無いが「21世紀はアフリカの世紀」といった人もあったようだし、全世界が現在のアフリカ並みに失業と社会不安に直面しているのかも知れない。アメリカには選挙←公正を疑われない、があるだけマシだ)

    デッィクといえば《現実崩壊》だが、本書では新地球との対決がそれにあたる。木造の内燃機エンジン(?)など現人類のテクノロジー的優位を疑わせる物体が出現して、それを制作した住民はなかなか姿を見せない(地面を掘り返すのはタブーとされることなど『パパラギ』を思わせる)。なんと、究極の《侵略の被害者》ネアンデルタール様(by呉智英)がその正体で、新地球はクロマニヨンが劣位でネアンデルタールが文明を築いた世界であった(ネタバレしてすまん)。彼等と「自動翻訳機」でさっさと会話できるのは安易だが、彼等は高い精神能力を持っているが軍事力につながる金属文明を軽蔑しているらしい。(『オバケのQ太郎』に、P子「むかし、オバケ族と人間とは共存していたが、やがてオバケ族は追われて雲の上に住むようになったのよ」「人間が優秀だからだね」「オバケは嘘をついたり人をだましたりしなかったからよ」〈正ちゃん赤面する〉というのを思いだした)

    当時のアメリカ人なら「邪魔になる奴が居るなら、おとなしく引っ込まないと原子爆弾水素爆弾で一掃だ」と言いそうだが、なんと筋書きを端折って言えば、異世界への抜け道を拡張しようと電圧をあげたところ、なんと、百年後に通じてしかも相手から固定されてしまった。現時点でも負けそうなのに、百年も準備しているのでは勝てる筈が無い…(以下略)。

    無理にディックを持ち上げて、崇拝者以外を辟易させようとは思わない。が、本作は末尾の解説にもあるように「SFファンなら読んで損は無い」と断言できる魅力がある。
    将棋の米長邦夫名人が「悪手とは個性が強すぎる手(損得が犠牲になるほど好みに叶う手)」と言っているように、失敗作とは作者の個性が、構成に破綻をきたすほど、はっきり表れる作品であろう。いかにもディックらしい、スピーディーな展開、得体の知れぬキャラクター、結末が唐突と言えば唐突だが(エースブックスはページ数制限で悪名高い)、SFとは話が広がり過ぎるのをまとめなければならないもので、続編を書かないのがディックの良いところとも言える。彼はカネのために単発作品を書き飛ばしているつもりであったかも知れないが、パルプSFといういかにもアメリカな文化のうちに、全作品を通してみたときアメリカ人気質をあらわにするメタSFを書いていたのである(誉め過ぎ?)。
      

  • 2013年4月7日のブログより。  
    http://jqut.blog98.fc2.com/blog-entry-1770.html

    フィリップ・K・ディックは、1982年、私が大学生の時に亡くなりました。社会学部を卒業する際の卒論のタイトルが「日本SF史」であるくらいSF好きで、SF小説を読み漁っていた頃です。ディック作品は、ハヤカワSF文庫、創元SF文庫からも多数発刊されていましたが、1987年に幕を下ろしたサンリオSF文庫から21冊と大量発刊されています。なかなか新刊本で購入る資金力がなかった高校生・大学生時代は、古本屋を歩いて、見つけ次第、購入していました。

    既に30年以上前に亡くなった作家ですから、新刊本というものを読むことはできません。でも、海外作家については未訳本というものが少なからずあり、ディック本も没後に細々と未訳本が発刊されています。そして、ごくわずかですが未だに未訳のままの作品が残っています。

    長らく未訳本でいたということですから、必ずしも評価が高くなかった作品なのだろうと想像が容易につきます。しかし、ディック作品には強烈な固定客が多数いますから、出せば出したでそこそこは売れるだろうとも想像がつきます。そんなこともあり、忘れかけた頃に、新たな未訳本が世の中に出て、私たちファンを楽しませてくれるというのが、もう30年間も続いています。

    未訳本だけでなく、ディックの短編が没後に次々と映画化されています。
    「マイノリティ・レポート」「ペイチェック 消された記憶」「スキャナーダークリー」「NEXT」「アジャストメント」「クローン」「スクリーマーズ」、そして昨年リメイクされた「トータルリコール」。まだまだ私たちはディックの新しい世界を味わうことができるのです。

    さて、本作品ですが、人口爆発に悩む近未来の世界。生活ができない人々はコールド・スリープを選択して凍民となり、いずれくる他惑星への移住が叶う世界を待っています。そんな中で、異世界との時空の切れ目が見つかります。まさにタイトルとおりの「空間亀裂」が現れるわけです。アメリカ大統領選におけるメディア戦略合戦、著名医師のスキャンダル、未だ残る人種差別、人工冬眠と臓器移植、売春人工衛星、北京原人とのコンタクト、惑星のテラフォーミング、といった具合に、あれやこれやとエピソードやSF的ガジェットが投げ込まれます。チープ感に溢れ、箱庭的ご都合主義が満載ではありますが、久しぶりに読む「新作」、いにしえのSFのテイストに満ち溢れ、けして駄作でも問題作でもありません。1ページ1ページを愛おしく読み終えることができました。

  • ディック自身で駄作認定してる作品ほぼ好みな人向け

  • とにかくなんかもうめちゃくちゃ色々な要素が詰め込まれているなと感じました笑 ところどころ不気味な雰囲気で、楽しかったです。

  • 図書館で借りた。作者も認める失敗作らしいが、難しいことを考えずに心地よく読み飛ばせるから、これはこれでおもしろい。牧眞司が解説で「とびきりの怪作」と評していて、まったくそのとおりだと思った。

  • なかなか読みやすく仕上がっているが内容はかなりぶっとびである!人口過密の地球、凍民、平行世界への移住、娼館衛生、魔法の使える北京原人(!)なんかのパロかいなと思えるような悪ふざけと、色濃く残る人種差別。しかし原人さんはそんなに恐怖なのかしら。そこが解せなかったわ。王道コミックSFという感じ。ディックこれで何作目になるかよく覚えてないけど、うーんやっぱり最初に薦める一冊は電気羊になるのかなぁ。。毎回良くも悪くも期待を裏切ってくれるんでまた他も読む。

  • 異次元世界に移民することで人口問題を解決するっていうのは何ともご都合主義だと思ったが、そこそこ面白かった。凍民、修理屋や娼婦が出てきたりするところがブレードランナーの世界観に似ているとも思った。パルプフィクションで全体的に読みやすい文章だったので気軽に読める小説です。

  • 2016年11月18日読了。転送マシンの不具合から空間に発生した亀裂の先に地球と同等の広大な空間があることを発見されたことにより、初の黒人大統領候補ジムや機器製造会社、娼館経営者らの思惑が入り乱れる…。ディックの長編SF、既読感があったのは短編を拡張した長編だからのよう。後書きにある通り多数の人物が入り乱れとっちらかった印象のある作品だが、登場人物の妙なあきらめムードや異常に強引な展開など、突っ込みどころ溢れるというか、決して傑作ではないが何となく心に残る。コルズ、コナプトなど当たり前のように繰り出されるディックの造語もいつも通りで楽しい。

  • 2015/10/12購入

  • まさにアイディア勝負な作品。ディックらしさが出てるといえば出てる。

    でもやっぱり個人的には、ディックは短編の方が面白いな、とw

全20件中 1 - 10件を表示

フィリップ・K・ディックの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×