暴走する資本主義

  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492443514

作品紹介・あらすじ

私たちは「消費者」や「投資家」だけでいられるのではない。日々の生活の糧を得るために汗する「労働者」でもあり、そして、よりよき社会を作っていく責務を担う「市民」でもある。現在進行している超資本主義では、市民が労働者がないがしろにされ、民主主義が機能しなくなっていることが問題である。私たちは、この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義をより強いものにしていかなければならない。個別の企業をやり玉に上げるような運動で満足するのではなく、現在の資本主義のルールそのものを変えていく必要がある。そして「消費者としての私たち」、「投資家としての私たち」の利益が減ずることになろうとも、それを決断していかなければならない。その方法でしか、真の一歩を踏み出すことはできない。

感想・レビュー・書評

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  • 全体主義、共産主義に比べ、優れたシステムであった、民主的資本主義。それが、市民を置き去りにした、投資家と消費者のための超資本主義に変容し社会的な利益が失われているとの主張

    1 資本主義から超資本主義へ変容した理由
    ①グローバル化 
    ②新しい生産形態 多量生産→個別生産  
    ③規制緩和

    2 現象
    ①長期雇用などの福利制度の破壊
    ②社会的誠実さが失われ富がトップに遍在
    ③労働組合など民主主義を擁護する組織の壊滅

    3 影響
    ①CSR(企業の社会的責任)を利益を放棄して実現する企業はいない、所詮宣伝
    ②企業はロビイストを送りこんで、政治を優位に
    ③企業の主張に裏の意図あり。IT企業が中国に進出しようとするため、不可解な動きをしている等の例

    4 防止策
    ①競合相手が政治的支出を放棄するなら、自社も追随する
    ②企業を属人化するのをやめる。人はあくまでも人だけだ
    ③人のみが市民になるのだから、人間のみが民主的な意思決定プロセスに参加できるように限定する

  • 1980年代以降、消費者/投資家としての市民の権限は強くなり、多くの利益を得るようになった。一方、企業は強い競争圧力のもと利益/株価を上げることへのプレッシャーから、労働者や公共の利益を守るための多くの施策を放棄した。労働者や公共の利益を守るための民主主義政治も、競争優位を求める企業のロビー活動などによって歪められ、民意の喚起/反映の役割を果たせていない。
    この動き(資本主義的利潤追求の行き過ぎ)=Super Capitalismと民主主義の機能不全によって、貧富格差の拡大、環境破壊、地場産業や中小商店街の衰退などの弊害が生じている。
    これらの問題を解決するためには、企業の行動を批判したり、社会的責任を果たすよう求めることでは不可能で、制度的に現在の資本主義と民主主義のバランスを変える施策が必要である。
    という主張。
    2008年の本で、ずいぶん時間が経っているが、社会の分断や、資本主義の過熱についての議論は、十分傾聴に値する。トランプを巡る騒動を見ても、民主主義の危機は深まっていると思わざるを得ない。
    そこで著者が主張する処方箋は、企業法人格の否定、企業の政治活動の禁止、法人税の廃止などで、これはちょっと突飛というか難しそう。
    説明を聞くと確かに、理屈はわかる。だが、現実的にそんなことできるか?
    企業は意思を持たず、判断することもないというのは、確かにそうなんだが、企業の犯罪(例えば公害訴訟などを考えた場合)、企業の行為を認定せず、それを導いた経営者の責任に還元していったら、立証も、賠償もほぼ不可能だと思うが。
    頭の体操としては良い。
    資本主義の行き過ぎを抑制するには、企業がそうせざるを得ない制度が必要であるという意見には同意。

  • 資本主義の高度発達が、社会を蝕んでいるという主張
    多分当たっているけれど、代替案は見つけにくいんだ。

  • 暴走は良くない。単車から降りなさい。

  • 何故かamazonにレビューがかけなかったのでメディアマーカーやブログなどを利用して本書の感想分?所感?を記載します。

    「グローバル経済は資本主義の純粋化の実験であった」として、「その実験が破綻した」と書いている。

    資本主義化で株主は利益を追求する。

    しかし、その株主は消費者でも有り、低価格を求める。その狭間で、企業は絶え間ないコストカットを強いられている。労働者の賃金は抑えられ、格差は拡大する。しかし、この労働者もまた消費者である。つまり企業も従業員も「みんながハッピー」という時代は終わった。

     企業が業務外の投資にのめりこんでいったのだが、、それがサブプライム危機で破綻した。ここでも、資本主義の限界にぶち当たった。

    大国の大企業の今後は、悲惨だ。消費者はより安いものを求めるし、株主の要求は、強い。

    しかし、先進国は、人件費がかかりすぎて、コストダウンにも限界がある。

    市場も成熟しているから、売り上げは伸びない。新たなパイは新興国に求めるしかないが、新興国では更なる低価格とコストカットが求められる。

     今の資本主義は、コストカットとコストカットによるしわ寄せを受けて購買力が落ちる、更に株式デイトレードゲームなどには増すことで更に自分が株式を買いながらコストカットに追いやられるという負の循環にはまっているということを感じました。

  • 原題は、Supercapitalism。グローバル化した今日の企業行動を批判している。キーワードは、民主主義と資本主義。
    安易に民主主義を語るところが、どうもあわない。

  • 著者は、クリントン政権で労働長官を務め、オバマ次期大統領の政策ブレーンでもある人物。
    その経歴や、日本語タイトルからは、共和党の金持ち優遇政策で暴走を続け一気に崩壊したアメリカ流金融資本主義を批判した本であるかのように思えてしまいますが、内容は全く違う。
    まず、原題"Supercapitalism"を「暴走する資本主義」という邦題にしたのがミスリーディングで、本の中では「超資本主義」と直訳されています。
    米国において戦後長らく続いた、古き良き「民主的資本主義」の社会が1970年代を境に変容し、企業はグローバルなサプライチェーンを展開し、生産性は急激に向上し、株価の爆発的な上昇を描く経済成長の時代、それが「超資本主義」の時代と呼ばれています。

    この超資本主義の時代における勝者は、消費者であり投資家である国民ひとりひとりである、と論じられます。
    消費者としての我々は、以前に比べて格段に選択肢の増えたモノやサービスを安価に手に入れることができるようになり、投資家としての我々は個人投資家として、或いは年金基金などを通じて株価上昇の果実を得ることができるようになった。
    超資本主義による恩恵の最大の受益者は、強力な力を与えられた、消費者そして投資家としての我々である、と。
    が、一方で消費者・投資家であると同時に「市民」であるところの我々国民は、超資本主義の弊害に苦しめられる存在でもあります。
    上がらない賃金、不安定な雇用、崩壊する地域コミュニティ、環境破壊、莫大な報酬を得る大企業CEOやウォール街の金融マンとの格差感・不平等感。
    政治にも商業主義が入り込み、企業ロビイストや弁護士、広報専門家が幅を利かせる。
    民主主義が機能しなくなっているという問題が生じている、と。

    超資本主義が生まれた要因として、一般的にはレーガノミックスによる減税や規制緩和が挙げられますが、著者の見方は異なります。
    冷戦が生み出した、輸送や通信に関する技術革新が実用化され、国境を越えたサプライチェーン構築が可能になった企業間に激しい競争が生まれたことが、その要因である、と。
    大企業CEOの莫大な報酬も、優秀な経営者を獲得するための企業間の熾烈な競争の当然の帰結であり、それを金満主義と批判・糾弾したところで溜飲を下げられるかもしれないが根本的な解決にはなりはしない。
    それよりも、消費者・投資家である我々が利益を求めれば求めるほど、市民としての我々の不利益や不満は溜まっていくという二面性の構造を自覚することが本質だ、と論じられます。

    著者の主張は、簡単にまとめれば上のような内容で、このことが豊富な実例の紹介をもって丹念に解説されていきます。
    きわめて客観的でバランスのとれた議論で、特に、我々のなかにあるアンビバレンスについては、自分も常々感じていたことなので、このように明解に説かれると嬉しくなってきます。

    米国を題材に議論が進められていますが、超資本主義の現象は、先進国では共通に見られるものであることは著者も指摘しています。
    日本においても、格差社会論や市場原理主義批判などが盛んに語られるなど、米国ほどではないまでも、同様の傾向を感じることができます。
    著者は、超資本主義への処方箋として、法人税を廃止する代わりに企業の(法)人格を否定し、人間のみが市民としての権利・義務を保有し、民主主義を個人に取り戻すことを唱えます。
    やはりポイントになるのは、我々国民ひとりひとりに政治の主体となる覚悟がちゃんと備わっているか否かなのでしょう。
    いくら政治家や官僚や大企業の振る舞いが酷いとしても、それをただ批判するだけで、我々自身が受け身の姿勢を脱することを心がけなければ、社会は変わらないのでしょう。
    自戒を込めて。

  • ・結果として、消費者と投資家は、より多くの選択肢とより良い条件を得た。しかし、富の分配を調整したり、市民たちの共通の価値観を守っていた制度は崩壊し始めた
    ・第二次大戦後、米国巨大企業のCEOは自らを「企業ステーツマン」と見なし、その責務を株主や従業員、一般市民の主張をバランスさせることだと考えるようになった
    ・規模の経済と20世紀半ばに栄えた民主的資本主義の終焉を急がせたもの(①グローバル化 と呼ばれるようになったもの、新しい生産方式の到来、規制緩和、②これに、金融の緩和が重なることで投資家は巨大投信や年金へ。これらの主体が企業への高収益圧力を高め、激しい競争を生み、その結果として人件費が削られる)
    ・新技術の興隆によって、安定的な生産システム⇒動きの早い多数の売り手が台頭
    ・ウェルチ就任前はほとんどのGE従業員は終身雇用
    ・消費者や投資家としてのすばらしい取引の一部は低い賃金・福利厚生水準に拠る
    ・我々は共犯者。市民としての私たちは相対的に力が衰えている
    ・我々は伝統的な地域社会が衰退するのに力を貸しながら、昔ながらの時代を懐かしむ
    ・カリフォルニアの心優しい公務員は、旧いヨーロッパに超資本主義を持ち込んでいる
    ・内なる市民が、内なる消費者・投資家に打ち勝つには、購入や投資を個人的な選択ではなく、社会的な選択にする法律や規制を作ること
    ・結局は、経済が構造的に変化して1970年代に始まった消費者や投資家獲得のための競争が激しくなっているということ
    ・競争がエスカレートした結果、政治的争いに参入するコストは上がり続けている
    ・投資家の圧力によりボディショップ創立者は顧問に追いやられ、ベン&ジェリーズはユニリーバに買収されてしまった
    ・企業が擬人化された特質を持つことにすると、人々は企業を人間のような存在と勘違いしてしまう。その結果人間に帰属している義務と権利が企業にも与えられている(納税の義務、政治のプロセスへの参加資格)
    ・解決策=政治の意思決定プロセスを巨大企業から市民に取り戻すこと → 企業献金の規制、ロビー活動などへの企業支出の規制

  • 思索

  • ●技術革新により資本主義は暴走するに至り、公共の利益を追求する市民としての私たちの力は格段に弱まってしまった。この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義をより強いものにするにはどうすべきかを論じている。

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