西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム

制作 : 中野 剛志 
  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (526ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492444504

作品紹介・あらすじ

英国で10万部超、世界23ヵ国で翻訳、英国のアマゾンレビュー700件超!
「サンデー・タイムズ」紙のナンバーワンブック、「イブニング・スタンダード」紙のブックオブザイヤーに輝いたベストセラー!

英国で数々の賞を受賞した若きジャーナリストが欧州の移民問題を徹底ルポ。
移民受け入れをめぐる「罪悪感」と「疲れ」がもたらした
欧州リベラリズムの死に方を克明に描く。

中野剛志氏絶賛!
「本書の著者マレーに匹敵するような優れた書き手が、残念ながら日本にはいない。
われわれ日本人は、本書を日本のとして読み換えなければならなくなった」


【内容紹介】

出生率の低下、移民問題、増幅する社会への不信感、自己嫌悪感など、今日の欧州大陸を覆う閉塞感は、人々が自身の社会について議論したり社会変化に対抗する力を弱体化させ、欧州は自壊への道を進んでいる。

著者は、シリア難民や移民問題をめぐって、ベルリンからパリ、ギリシャなど欧州を横断し、難民、歓迎側、拒否側など、様々な立場の人々を取材しながら、独自の視点で、今日の欧州が自らを追い詰めていく人口的・政治的現実を分析。

欧州各国がどのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか。

マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れへの懸念の表明がどのようにしてタブー視されるように至ったのか。

エリートたちは、どのような論法で、一般庶民から生じる大規模な移民政策への疑問や懸念を脇にそらしてきたのか。

欧州が前提としてきた「人権、法の支配、言論の自由」をコアとする啓蒙主義以降の西洋近代が潰えていく様を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 西洋の自死 移民・アイデンティティ・イスラム ダグラス・マレー著…東洋経済新報社 2800円 : 書評 : 本よみうり堂 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン(2019/2/17)
    https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20190216-OYT8T50103/

    今週の本棚:岩間陽子・評 『西洋の自死…』『アフター・ヨーロッパ…』 | 毎日新聞(2019/1/13 有料記事)
    https://mainichi.jp/articles/20190113/ddm/015/070/010000c

    移民という「自死を選んだ」欧州から学ぶこと | 国内政治 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース(2018/12/14)
    https://toyokeizai.net/articles/-/254395

    西洋の自死 | 東洋経済STORE
    https://str.toyokeizai.net/books/9784492444504/

  • 知ってるつもりではいたが、深刻だ。

    日本のウォーギルドインフォメーションプログラムのように、自虐史観を植え付けなくても、西洋に蔓延る贖罪の意識。帝国主義における加害者としての過去。それに加えて、ポリティカルコレクトネス等に代表されるような、差別意識の積極的抑止ムード。そうした、ちょっと大人な態度の欧州に対し、移民たちがやりたい放題だ。日本も決して人ごとではない。

    古代ギリシャの哲学者はテセウスの船と言う有名な逆説をまとめあげた。英雄テセウスが航海に使った船はアテネの市民の手で保存されていた。市民は船の部材が朽ちると新たな木材で置き換えた。さて、テセウスが航海に使った部材が全て置き換えられたとしまっても、それはまだテセウスの船なのだろうか。こんな語り口で本著はスタートとする。そう、大量移民により変わり果てた国は、かつてと同じキリスト教の白人国家と言えるだろうか。

    一例を挙げる。ソマリア人男性は、デンマーク人男性の約26倍もレイプをした。しかしスウェーデンであれ他のどの国であれ、メディアがこの話題に触れる事はなかった。2015年の大晦日にケルンで大勢の女性が襲われ、ようやくスウェーデンのメディアも事件のことを伝え始めた。ケルンの事件が有名だが、それは氷山の一角なのだ。

    考えさせられる。民度の低い移民を差別せずにいかに教育するか、受け入れるべきなのか。少子高齢化による税金、労働者不足の対策として、安易に移民を受け入れてはならない、対策を講じて慎重に対処すべきだという事はよく分かった。

  • 西洋といっているが、欧州。あるべき姿がどのようなものかはとてもとても共有しづらいものなのだろう。書いてあることの裏をとる気力が今のところないので、感想がかきづらい。読むのに体力がいるが、読む価値はあった気がする。トランプの評価ができるかどうか。イスラムに、ローマに対するキリスト教を見るように思う。

  • 欧州で右派が台頭する状況の背景がこの本を読むとわかった。少なくとも欧州で極右政党が一定の支持を集めるのを一部の経済的に恵まれず、情報が限られた人たちが煽られた反動だと感じていたことが、それほど単純ではないことがわかった。この本が欧州を含めて世界中でも比較的売れていて、トンデモ本のような扱いではないことから、ここに書かれた数字や発生した事件などの事実についてはおおよそ正しいことが書かれているのだろう。おそらくは著者も強くそして感情的でもある反論にさらされる可能性を強く感じていたからであろうか、事実については非常によく調査をされているし、現地にも足を運び実情を捉えようとしている。日本を含む海外にも比較的広く報道された2015年大晦日のケルンでのイスラム系移民による集団性犯罪事件が実際に起きていることを考えると、多くの小規模だが類似する事件が起きていると想像するのは、スウェーデンなど実際にいくつか事件が報告されていることと併せても間違いではないだろう。

    大衆の感覚もそれに合っているにも関わらず(67%の英国人が過去10年間の移民を「英国にとって悪いこと」だったとみている)、政治的には移民の流れを阻止する方向には動くことができなかった。なぜなら、それは現在の欧州の分化によって倫理的にはそうすべきではないということになっているからだ。そして、著者に言わせると「現状を維持して、それに不平を言っている方が、短期的な批判を甘受して社会の長期的な幸福を測るよりも楽なのである」ということだ。いずれにせよ、欧州の政治家は、自らを反移民とし、政治的に反動的であると見られたくないという思いが強かった。
    それほど遠くはない昔は、人種は違うものであった。その上で、いかにその差を埋めるのかを考えた。今は人種の差はまずないことが前提となり、その差が表れているところは正しくない状態であるとして放置することは許されないようになった。それは、性差でも同じことであり、男女は同じであることが一切の前提となった。さらにはその性差にはLGBTも包含されるようになった。それが、正しいことであるとする前に、その考えを適用し、移民を同じ権利を持つものであるという前提に立って政治を行うことが、逆説的に欧州の社会で維持することが難しくなりつつあるということだ。少なくとも欧州の文化というものがそれによって大きく変わりつつあり、そのことに対して打つ手さえ失いつつあるというのが、本書に書かれていることだ。

    欧州の移民問題は、2011年の「アラブの春」やシリア問題が深刻化し、周辺地域の政情が悪化してから大幅に深刻になった。地中海の小さな島に来たアフリカから難民が押し寄せる事態になった状況や、小型船の難破による死を避けるという人道的な理由により、船舶の救助のための監視が行われて、「難民」たちは欧州に連れていかれることになった状況などがつぶさに描かれる。難民申請の数はドイツでは2010年で約5万人だったものが、2015年には150万人にも急増した。この流れをとどめるための政治的言葉を人道主義のもとで持たず、一方でこの変化に対して実際的に打たなければなかった対策はほとんど打たれなかった。

    こと欧州において、本書で問題にされている移民に関しては、政治家やリベラルな経済学者は、最終的には経済的利益をもたらすものとして正当化しようとした。しかし、それはもはや現実的なものではないということが示される。端的に労働力の問題で言えば、スペイン、ポルトガル、イタリア、ギリシャの失業率を見れば、移民による労働力人口の増加は欧州全体で見るとおそらくは必要ではないことがわかる。
    そもそも治安の問題は少なくとも控え目に言っても短期的には大きく悪化した。その上で、経済的利益を得られるのは移民のみで、以前から住んでいる欧州人にとっては移民は彼らの生活を豊かにするものではない、そう欧州の大衆は感じつつあり、そして行動にも表しつつある。

    ここで根深く大きな問題となるのが宗教の問題だ。自らはたいして宗教など信じていないのに、相手の宗教は尊重しなくてはならない。その宗教はある意味では欧州の社会に対して敵対的ですらあるにも関わらず。欧州で宗教が再び政治的な問題となるとはしばらく前には思ってもいなかったのではなかったか。『シャルリー・エブド』の襲撃殺害事件の前、すでに『悪魔の詩』が出版されたとき、翻訳者も含めて関与した人々は暗殺の対象になり、そして複数の方が実際に殺害された。その後、パリで何度も死傷事件は起こり、コペンハーゲンを含めて欧州各所で同様の事件は起こった。リベラルな「正しき」人々は、彼らは真のイスラム教徒ではないのだという論理を用いる。本来、イスラム教は平和を希求し、暴力を否定すると。それは正しいかもしれないが、事件を起こした多くのものはイスラム教徒を自認し、イスラム教を主な宗教とする国から来たのだ。彼らはテロを信奉するものではないにしても、イスラム教徒ではあるのだ。そして、彼らを受け入れる側は宗教的な支えを失いつつあるコミュニティであり、そこが問題の核心となっている。欧州は、宗教を手放す代わりに多様性を受け入れることで穴埋めにしようとした。一方の側は、その多様性には価値を置かない。ここに埋め難い対立がある。

    「戦後の文化となった人権思想は、まるで信仰のように自らを主張し、あるいは信奉者によって語られる。人権思想はそれ自体がキリスト教的良心の世俗版を根付かせようとする試みなのだ。それは部分的には成功しているかもしれない。だが必然的に自信を欠いた宗教にならざるをえない。なぜなら、そのよりどころに確信が持てないからだ。言葉は隠れた秘密を明かす。人権を語る言葉が立派になり、その主張が執拗になるにつれて、このシステムにその大志を果たす能力のないことが誰の目にも明らかになっていく」

    彼らは人権思想がこのような形で脅かされるなどとは思わなかったのではないだろうか。
    それでも欧州は難民を受け入れ続ける。そこには欧州人が犯した過去の原罪が影響しているのではないのかというのが著者の見解だ。東欧と西欧の難民施策に対するあからさまな違いは、その国の経済力の差だけで説明できるものではなく、過去の行動に対する罪悪感ともいうべきものが影響をしていると言ってよいだろう。世界を武力によって征服し、原住民を制圧し、奴隷制度を作り上げ、ホロコーストを実行した、様々な過去の欧州の歴史を原罪として西欧の大国は刻み込まれているのだ。そして、一方では自分自身ではない誰かが犯した罪に対する謝罪的行動が甘い自己陶酔となっているのではないかとも問われる -「つまらない人間が、いっぱしの人間になるわけだ」。日本でも一時期、自虐史観としてレッテルを貼られて批判もされたものと似ている。しかし、それは似てはいるが、決して同じではない。欧州のそれは、より深く、そして抗いがたい。
    欧州が20世紀前半に自らの行動の結果から受けたものは、自分たちが想像するよりも深く広く染み至るものなのかもしれない。その態度は先進的であると見做され、自負されながらも、その特性のゆえに脆さを孕むものであったのだ。

    「もしまだすべてに優先する思想というものが残っているとしたら、それは「思想は問題だ」という思想である。もし何らかの価値判断がいまだ共有されているとしたら、それは「価値判断は誤りである」という価値判断である。もし何らかの確信がいまだ残されているとしたら、それは「確信への不信」という確信である。これは哲学にはつながらないかもしれないが、間違いなく一つの態度にはつながっていく。浅薄で、執拗な攻撃を受けたら生き残れそうにないが、取り入れるのはたやすいという、そんな態度である」

    こうした価値観を持つ欧州の社会の中で、その文化には同化することのない移民が大量に入ってきた後に何が起きるのだろうか、というのがこの本を貫く問いとなる。

    「結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人はホームと呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう」ー この本で語られたこの予言を、数十年後読んだときにわれわれはどう感じるのだろうか。

    原題は、”The Strange Death of Europe”。「自死」は本書の内容からして意訳的に誤りではない。しかし、原題に現る”Strange”という形容に著者が込める意図には深い意味があるのである。


    イスラム教とイスラム教社会は、最終的にはキリスト教がそうなったように、世俗化されることになるのだろうか。現状において、イスラム教の存在が彼らイスラム教徒のレゾン・ド・エートルとなり、対抗すべき非イスラム社会に対する心理上での絶対的優位を支えるものとなっているように思われる中では、その信教としての位置づけは過去のキリスト教社会におけるキリスト教の存在とは異なる意味を持っていると考えるべきなのかもしれない。そうだとすると、この根深き問題は欧州を、引いては世界をどのように行く先に導くものなのだろうか。その問いは、21世紀において目をそらさずに考えるべき問いのひとつであることは間違いない。本書は、この問いは語られるべき問いである、と語ることができる状況を作ることに貢献するという意味で重要性を持つと言ってよいかもしれない。

    リベラルと自らを任じている人にこそ読まれるべき本である。



    ------
    (以下、蛇足)
    一方で、中野剛志氏が書いた序文の内容はおよそ望まれるものではないと感じる。中野氏のマレー氏への称賛については賛同するところである。また、移民問題が日本でも重要な問題であり、新しい入国管理法や移民政策が大きな議論がなく進められることに対して問題であるということには同意できる。しかし、この序文は、まず移民の恐怖をいたずらに煽るようなものであってはならないはずだ。

    まずこの本は、いわゆる移民排斥を進めようとする右派が書いたものではなく、自身の主張はそうではないにも関わらず事実こうなっているという所作が非常に重要なものとなっている。著者は、いわゆる極右勢力に与するものではないことを再三表明している。本書を通して、この本が届けられるべきリベラルなエスタブリッシュメント層を意識し、彼らに対して受け入れられるようにとても繊細に筆を進めている。

    なによりも、日本の状況は欧州とは類似よりも異なる点の方が目立つ。単純労働移民を受け入れる法案を通したことに対して先見の明なき愚かな策であると鬼の首を取ったかのように批判をするが、そもそも入管法の対照は移民労働者であって、難民ではない。これはおそらくは大きな違いで、移民労働者であれば問題を起こしたものに対しては強制退去を命じることができるが、難民はそうではない。もちろん制度の抜け穴となってしまうリスクもあろうが、実のところこの違いは大きい。欧州でも問題になっているのは(自称も大量に含むが)難民の話であることは読めばわかる。また、安倍政権が人道主義の立場から受け入れを決めたわけでも、拒否することが政治的に危険であるからやむなくそうしたわけでもない。さらには宗教の問題も欧州とは大きく異なる。

    「そして日本もまた、欧州の後を追うかのように、自死への道を歩んでいる。もっとも、一人のマレーも出さぬままにだが…」と自らの筆に酔ったように書いて序文を締めくくる。それは当然だ。欧州ほど日本は状況がひどくないからだ。なんとなれば、中野氏がそう言うのであれば、中野氏が日本のマレーになればよいではないかと。

    なお、本書の中では「日本は移民をせき止め、居残りを思いとどまらせ、外国人が日本国籍を取ることを難しくする政策を実行することで、大量移民を防止してきた。日本の政策に賛成するかどうかは別にして、この高度につながり合った時代においても、現代の経済国家が大量移民を防止することは可能であること、またそれが「不可避」なプロセスでないことを日本は示した」とその政策を紹介されている。冷静には、この問題に関しては、まず欧州と日本の類似ではなく、その相違に注目して論じるべき問題であるように思う。

  • 【感想】
    ・Douglas Murrayの書いた内容は星4個:
      (1) ヨーロッパ各国で(右派からだけでなく)移民制限・排斥の声があがる背景を、多くの事例で説明している。おそらく「物量で殴る」とはこのことだと思う。
     政治家・マスコミが移民政策・難民政策への疑義の声に目をつむっていたことを厳しく指摘している。この意義は大きい。
      (2) 文明/アイデンティティなどについての考察が不十分
     メインテーマに関連して、著者が危機意識をもつことを抽象的に「文明が死ぬ」と表現されているが、それが実際に何を指すのかを、これだけ厚い本で最初に語られていないのでやや不満。はっきり言うと、著者が消化せずに借り物の概念のまま本の核に据えてしまっている。
     「文明が死ぬ」とは何か具体的ではない。治安悪化なのか、経済なのか、政治面でのイスラム教の影響の増加なのか。かりに文化の変容であれば、それはどの国も経験していることだし、移住者との摩擦であれば、別の表現の方が適切だろう。仮に「キリスト教の求心力低下がオチ」とするなら、おそらく2000ページでもって読者を殴る必要がある。あと、イスラム教徒がいなければヨーロッパが一枚岩だと言うような書き方はまずい。
     またそれが、イスラム教の過激派の台頭なのであれば、本書には関係のない記述が多すぎることになる。(これに関連して)第8章で著者は、別のジャーナリストの汚い言葉を数ページ分引用することで、イスラム教(徒)への危機感を煽っていることには眉を顰めるしかない。この悪口を載せたいがために、このジャーナリストを引用したのではないかと思う(特定の人物の発言としては本書でダントツに多い)(著者はこのジャーナリストの伝記への好意的書評も書いているくらいので、評論界隈である程度の繋がりがあるのだろう)。
     ついでに言うと、この本の後半部では著者流の分析の中で何かを「疲れ」と比喩的に表現している。これも……。
      (3) 「文明の死(が指すもの)」を一旦脇に置いても、そもそもそれが善いことか悪いことかについても論じていない。怪しい健康食品の宣伝文句のように、はっきり書かずに読み手に補わせている。
     かりに「過去の時代における文化・宗教の趨勢が変わってきたことはよいが、私の生きる時代における変化だけは私は認めない」という主張であれば、本書にはそれを支える部分がなく説得力が弱い。そんな単純なことは言わないと思うが。
     個人的にはここが薄いと、この本が移民政策の副作用を集めただけの本のように感じてしまう(勿論それを取材するだけでも大きな労力が投入されているが)。「現在の欧州の文化・価値観は、どういったものだったか」を吟味してほしい。
     なお、「文明の死(が指すもの)」が実際におとずれるかはどうでもいいと思う。はなから未来予測はほとんどの本に期待していないので。
      (4) 政治素人目にも解釈や分析が甘い部分が見つかる。例えば「治安」(※統計として悪化したのかは示さずに、悪化したと感じている人々の声を集めていることに注意)。
     また、大多数のイスラム教徒と、イスラム教過激派やイスラム教徒内の陰謀論者を同一視するような書き方は駄目だ(意図的に読者を誤解へ誘導しているのか、著者が本気でそう思ってるのか、本文だけでは確定できない)。仮にここを誤解しているなら、著者による治安についての分析は怪しくなる。
     別の例では、政策に影響を当たるエリートの心中に「(歴史における)罪の意識」はあったとする点。個人レベルでは勿論あったかもしれない。
     が、労働力の移動はあくまで経済のメカニズム(例えば、人件費や労働需要の地域差に各主体が反応していく機構)にしたがうと思う。政治的・経済的に合理的でない移民政策が行われたのは事実だが、最善の移民政策が行われていたとしてもそこそこの規模の移動は発生していただろう(※これも数値にもとづかない主張)。
     もちろん難民・偽装難民の大規模な受け入れは、著者の指摘の通りかなり無理があったと思う。
     なにより政策決定は、選挙を通して支持者・支持団体たち声をいくらか反映したものだろう。エリートのあたまの中「罪の意識」が、それらを抑えて、いくつもの議論をすりぬけ、政策決定の場を支配していた……というストーリーは単純すぎる。
      (5) これは今回の評価に関係しないが、終始一貫して西欧視点の本。旧植民地国の視点から書けば、また大きく(とくに日本から見た)印象が変わる本ができると思う。
      (6) 内容以外だと、スタイルには改善の余地あり。
     全体的に冗長で、繰り返しも多いので、厚さ以上に疲れるのは覚悟した方がいい。例えば「メルケルは過ちを認めた」という文言を、私が覚えてる限りで五、六回は書いている。
     本書には欧州で移民・外国人テロリストが起こした事件・テロの報告が大量に載せられている。しかし全体に散らばっており、追いにくい。また一つの事件について章をまたいで言及することすらあったが、私の目では分けて書く必然性は無かったと思う。
     また、それら移民・外国人の関与した事件が、他の事件・テロとの比較がされているわけではない。まとまったかたちで犯罪の統計が示されることもない(地の文で「▲▲年の□□は〇〇万人」と列挙することは何度もある)。つまり、個々の事件がポツポツと陳列され、「あれも移民が起こした、これも外国人の仕業だ」と読者に印象付ける用途で留まっている。もったいない。著者のためにも(そして批判的読者のためにも)、「表」数枚にまとめる書き方にすべき。
     ヨーロッパ以外の地域でもテロがどの程度発生しているか、著者は触れていない。

    ・町田敦夫の日本語訳は無問題:
      (1) 元々のタイトルの'Strange Death' を、変死ではなく自死としたのは編集部の判断だろうか。
      (2) じつは原文も冗長だが読みやすい。

    ・中野剛志の書いた「解説」はマイナス1・5個:
      (1) 「解説」を本の冒頭に置いて読者の解釈を誘導しようとしている。この手法は政治系の翻訳書でたまにある。
      (2) 欧州における移民政策・難民政策(とくにイスラム系移民との摩擦)についての話を、日本における移民の話にまで、無理に敷衍している。
      (3) そもそも本の解説になっていない。どちらかというと、解説者が昔から抱いているアンチ・グローバリズムの信条をもとにした自分の「意見」を、この本をダシに語っているだけのように思えた。
      (4) 解説者は「解説」末尾にて、日本に移民について真剣に警鐘を鳴らしている書き手がいないとのたまっているがそんなことはない。経済学でも政治評論でも入管関係でも、人口や移民は頻出のテーマだ。
     例えば、元・外務省の墓田桂が2016年に『難民問題』(中公新書)で、日本の難民政策について詳しく論じている。
     ほかには、ライターなら安田峰俊は書籍・記事・SNSにおいて、移民をテーマにしたしっかりした取材を発表している。
     保守派の書き手なら櫻井よしこ、川口マーン惠美が(憑かれたように)「移民は避けられない。きっとアジア系外国人が犯罪が増えるぞ」的な警鐘(または草の根プロパガンダ)を書き続けてきた。
      (5) この「解説」だけを読む限り、解説者が「日本で移民を受け入れないとどうなるか」を真剣に考えているとは思えない。往年の本気を出せばもっといいのを書けたと思う。

    ・まとめ:
     問題提起として、警鐘を鳴らす本として重要だと思う(人権がキリスト教的(?)か、等の分析はさておき)。富裕国が国境をむやみに緩めたときにおこる現象をある角度から記録した本。排斥派に迎合した書き方が玉に瑕だが、読者側が装飾を剥がせばいいと思う。
     解説担当者には、さきほど著者(2)(4)で私が指摘した部分を補完する、という大変な作業を担ってほしかった。その場合は、西欧の宗教に詳しい人か、アラブの地域研究者か、労経に詳しいエコノミストを当てることになる。一応中野剛志も経済学で学位を持っていたはずだが、今回は移民反対派の書き手としてピックアップされたらしい。


    【書誌情報】
    『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』
    原題:The Strange Death of Europe: Immigration, Identity, Islam.
    著者:Douglas Murray(1979-) 評論家。ジャーナリスト。
    訳者:町田 敦夫 翻訳者。
    解説:中野 剛志 評論家。
    出版社:東洋経済新報社
    ISBN:9784492444504
    サイズ:四六/上/528
    https://str.toyokeizai.net/books/9784492444504/

    【簡易目次】
    解説 日本の「自死」を予言する書(中野剛志) 
    第1章 移民受け入れ論議の始まり 
    第2章 いかにして我々は移民にとりつかれたのか 
    第3章 移民大量受入れ正統化の「言い訳」 
    第4章 欧州に居残る方法 
    第5章 水葬の墓場と化した地中海  
    第6章 「多文化主義」の失敗 
    第7章 「多信仰主義」の時代へ 
    第8章 栄誉なき予言者たち 
    第9章 「早期警戒警報」を鳴らした者たちへの攻撃 
    第10章 西洋の道徳的麻薬と化した罪悪感 
    第11章 見せかけの送還と国民のガス抜き 
    第12章 過激化するコミュニティと欧州の「狂気」 
    第13章 精神的・哲学的な疲れ 
    第14章 エリートと大衆の乖離 
    第15章 バックラッシュとしての「第二の問題」攻撃 
    第16章 「世俗後の時代」の実存的ニヒリズム 
    第17章 西洋の終わり 
    第18章 ありえたかもしれない欧州 
    第19章 人口学的予想が示す欧州の未来像 

  • ゲイのジャーナリストであるのに、現代の正義、あるいはポリコレに意義を呈する作家の、欧州移民問題(偽装難民による欧州占拠)の書。内容はどれも解決策の無い欧州の状況が書かれいる。
    この問題の起きた原因として著者はつぎのことを挙げている。
    ・戦前のファシズム台頭の記憶・トラウマ・反省と、キリスト教に由来する人権、人道主義の発露による他者への救済思想の過剰とゆがみ。
    ・その人権思想の政治利用及び、「人種差別主義者認定」への恐れ。
    ・為政者の国民感情、生活への無関心。社会予測の失敗(難民ではなく低リスクで手に入れられる「良い生活」を求めた人々が多量に押し寄せた/難民はしばらくしたら母国に帰ると思っていた)。
    ・杜撰な実行プランとプロセス(欧州の国境に入ってからの「難民審査」、さらには「難民審査」そのものの免除)。
    ・そのほとんどがイスラム教徒で、イスラム教という宗教が抱える根本的な問題を考えなかった(キリスト教社会欧州に同化することはない。むしろその社会を分断する)。

    アメリカやカナダ、オーストラリアを含め先進国はことごとく欧州と同様の状況にあるともされているので、日本もこの問題が起きないか心配になる。
    但し、日本は他の先進国と違う部分もあるとも考えられる。ひとつは、法律上移民がかなり限定的なので、イスラム教徒移民の数、割合が相当少ない。また、移民と難民受け入れというのはキリスト教由来の人権思想がそもそもの由来と(本書では)されている(イスラム教及びイスラム教徒を否定してはならない)が、日本は人権思想はあってもキリスト教そのものの影響力は相当限定的だ。さらにそのキリスト教も欧州では信仰が薄くなり、それに伴った所謂「生きる意味の喪失/ニヒリズム」が醸成されイスラム教に改宗するものも出てきたと本書て示されている。が、対して日本人はそもそもキリスト教以外でも信仰心が相当薄く、「生きる意味」についてもそれほど深刻に考えない国民性がある(もしかするとそこには仏教的な考えが後押ししているかも知れない)。それでいて多くの新興宗教事件の影響もあって「宗教」に対しては相当な警戒心を伏せもっている。とはいえ欧州はじめ他の先進国からの影響や政治圧力という部分で言うと、日本はかなり抵抗力が無いため、「移民受け入れ」や「ポリコレ」などのトレンドの影響が今後も限定されるとは限らない。
    各国でベストセラーになった本書が執筆されたのは2017年であり、現在はそれから6年もの歳月が流れた。その後の世界では、移民政策の議論と欧州各地での散発的な凶悪事件(テロと認定されるものも)が起きた。しかし本著者でもおそらく想定出来なかった大事件、世界的パンデミックとウクライナ戦争が数年の間に世界に大異変を起こした。国境問題はあっという間に各国に前代未聞の「壁」を作り、全く別の次元の話になり、移民(難民)問題はイスラム教徒ではなくウクライナ人の話になった。この二つは「国境の意義」というものを人々に考えさせる「天啓」になり、おそらく「後に母国に帰って行く難民」という本来の姿の実例となるであろう。これは本書が示した難問へのヒントとなるかもしれない。

    現在大量に移民を受け入れるEU。EU発足時、ローマ法王は憲章にキリスト教についての文言を入れてほしいと提案したが、これは拒否された。憲章には権利、法、制度が明記された。しかし移民問題が増えるこの共同体の憲章にキリスト教についての文言が無いのは良いのか。「人権」という概念を生み出したのはキリスト教なのだ。『鳩が空気の無い場所で飛べば、風の抵抗が無くもっと良く飛べるのではないか?しかし実は風があるから鳩は飛べるのだ(カントの鳩)』←キリスト教の文言を入れないEUはこれなのではないか。そしてこの問題は未解決の状態で棚上げされている(議論されていない)19

    欧州の移民は戦後、その都度の予想をことごとく大幅に裏切る形で増大し、現在に至る。英国の保革両政党は互いに政権交代を繰り返しつつも、移民問題を根本的に議論しなかった。そこには政治家たちが移民問題を議場に乗せると自らの政治生命、キャリア、日々の生活が窮地に陥ると考えたから。保守党のボリス・ジョンソンも「(移民は)もはや止められない事態」と発言し「受け入れて、ただこれを乗り切れ」と提案した(これはつまり、我々は無策で、この問題の解決策は無いと言っていること)。60

    移民制作のデメリットを語ることがタブー化し、移民問題により文化の破壊が起こることについての議論はされてこなかった。この問題はさらに尖鋭化して、「これは英国が過去に植民地を作り、住民を搾取し、その地の文化をことごとく破壊したことのカルマだ」とすら主張する元植民地移民の子孫までが出はじめてきた。68

    「移民は経済成長に必要だ」⇒現実は、移民による経済的利益はほとんど移民自身に還元される。過去の税負担無しにいきなり移民先で生活し、公共施設の利用と福祉を享受、出身国よりも高い賃金の恩恵を受け、稼ぐ金のほとんどほ移民先ではなく家族のいる出身国へ勧げされる。労働人口が増えるので当然「国のGDP」は成長するが、個々人の豊かさの指針「国民1人当たりのGDP」が改善される証拠は一つも無い84

    「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」⇒それより、本来の国民の出生率低下を対策すべき。それより、若者失業者が多いのにブルシットジョブを嫌う社会を対策すべき。それより、高齢者の就業を斡旋すべき。移民もいずれ高齢化して現在の問題がさらに大きくなる93

    「多様性は良いものだ」⇒まず多様性を得たいなら移民が特定の国に片寄っている(例えば旧植民地住民)ことに矛盾がある。多様性のメリット(多く語られるのは料理のことばかり)だけでなくデメリットも検討すべき。欧州ではイスラム教徒移民による白人少女への集団レイプが複数起こっている。これは移民(女性に価値を見出ださない文化の住民)の文化デメリットの関係が明らかであった。しかし警察、マスコミは「人種差別主義者レッテル」を恐れ公表が忖度規制されていた。このことから多様性デメリットは表に出づらい、または判明まで時間がかかる。「斬首やレイプは少し増えるかもしれないが外食の選択肢はずっと広がるぞ」102

    「グローバル化が進む以上、移民は止められない」⇒その原因は入国が容易で、入国すれば保護され厚い福祉と安全(少なくとも出身国よりはるかに)が保証されているのが移民希望者に知られているからだ。これはキリスト教文化の福音精神が由来している。だが規制は可能だ、現に日本は成功している。ただそのためには自国文化精神の一部(福音主義)の変革が必要かもしれない。また、欧州では「移民問題」が長年国民の政治的感心の第一位になっている。この状況で「打てる政策は何も無い」という政治姿勢は危険だ。これでは極右政党の躍進、ひどければ街頭での暴動などが起きかねない。実際、移民政策を推し進めた政府アドバイザーのサラ・スペンサーは最終的に「同化のための政策は存在しなかった。私たちはただ移民が同化するものと信じていた」と認めた107

    2000年代ヨーロッパで移民政策の混乱から、多文化主義批判が徐々に出始める。最初の発言は、その国の少数コミュニティ出身の議員から(このデリケートな問題を発言しやすい)。「名誉殺人」と「女性器切除」の二つのワードが、受け入れがたい文化の象徴として取り上げられた168

    20世紀後半欧州では移民たちは同化せず同族コミュニティで暮し、その国の文化に馴染まず、また欧州人も気にも止めなかった。9.11が起きると欧州人から移民への不安が湧いたが、政治家は「差別主義者」の汚名を恐れ、移民祖国の文化・歴史を改竄して「多文化主義」を誉めそやした。例えばスペインコルドバのイスラム統治やイスラム教国で発明されたものを称賛。しかしイスラム教はそれらを背負いきれずにすぐに破綻した。また、移民祖国への称賛が無いか足りない場合、ヨーロッパ自国の文化が無いか貧弱だとうそぶいて、相対性に移民祖国の文化の素晴らしさを強調した。
    これらの事案に常につきまとう問題は、政治家の考えと、一般市民の感情・心配事が解離しているということ。政治家の行う対処両方的な政策は常に効果を出さず、その傍らでイスラム教徒の移民数は予想(これも政治家の見解)を遥かに越える増幅をする。このため解離は益々進み、大きな政治的混乱が今起こっている172

    1973年にジャン・ラスパイユによって書かれた『キャンプオブザセイント(日本未訳)』は、欧州でベストセラーになるとともに多くの批判(人種差別主義者)を浴びた。しかしこのデストピア小説は現代の欧州移民問題についての"特別な不安"の黙示録的内容となっている。内容は、ベルギー政府が「アフリカアジアの難民の子供を受け入れる」と発表したあと、とんでもない移民が船で欧州に押し寄せ、欧州が崩壊するというもの。この小説は各地で有害図書扱いを受けたが、発表から数十年経ち、リバイバルし、再版し始める。そして、現在現実に起こった様々な移民による事件は、数十年前この小説て書かれた「最も誇張された過激な表現」を上回る内容になってしまった185

    2000年代初頭まで、移民問題は人種の問題とされてきた。しかし最近になって、実は移民問題は宗教の問題だということが浮き彫りになってきた201

    他国にかなり先駆けてオランダでは、1997年評論家ピム・フォルタイン(リベラル派)がイスラム教徒とオランダ人(ヨーロッパあるいは自由主義国)が根本的に融合出来ないと著書で語った。理由は大きく二つ。一つはイスラム教が政教分離出来ないこと。もうひとつはイスラム教の性差に対する姿勢が相容れないこと。その後フォルタインは政党を作り躍進して、「自分が殺されれば、その責任は私の理論に反対したものたちだ」と言って、そのとおり暗殺された214

    フォルタインの友人で映画監督のゴッホ(テオの曾孫)は彼の意を汲み、イスラム教世界で虐待された女性たちのドキュメンタリーを作り社会に衝撃を与えた。そして次にフォルタインの映画を作ろうとしたが、彼も暗殺される。ドキュメンタリーの脚本を書いたのは、自身も虐待に合った(世紀切除・強制結婚)アヤーン・ヒルシ・アリというモロッコから亡命した女性。秀才だった彼女は彼ら二人の意志を継ぎ、イスラム教の問題を命を張って訴え続ける政治家になった。221

    1999年バチカンで行われた会議でイスラム教学者が言った言葉「我々はあなた方の民主主義を用いてあなた方を侵略しよう。我々の宗教を用いてあなた方を支配しよう」229

    「カートゥーンクライシス」イスラム教(とりわけアラーを描いた)を題材にマンガ・風刺画を描くと死刑宣告対象になるあの一連の事件を社会問題としてこう呼ぶ。デンマークでは幼児向け「世界の宗教」の絵本を描いたら、大使館焼き討ちと画家の住居侵入、殺人未遂が起こった235

    イスラム教における「神への冒涜(アラーを絵に描くこと・同性愛者が存在すること)」が21世紀のヨーロッパの主要な文化問題と治安問題になった。これは20世紀末に人権のために移民政策を進めたリベラリストや政治家が全く予測出来ないことだった238

    イスラム教での「(穏健派やリベラルな)改革」は10世紀のムータジラ派から、20世紀のアリ・ダシュティまで、ことごとく原理主義者の実力行使や論争や権威への訴えで打ち負かされた。
    ムータジラ派は、コーランが無くとも絶対神が存在するので、コーランに頼らず信仰すべきというもの。数世紀後には無くなった。
    アリ・ダシュティはイラン革命直前までのイランの学者・政治家。やはりコーラン否定派で、コーランはそもそも正確ではない(ムハンマドの言葉を正確に伝えてない部分がある)し、その内容は主にユダヤ教を元に仏教、キリスト教をも参考にして作られたもの、との見解を持つ。コーランだけに頼らず、真に神と向き合い真実を追及すべきと考えていた。そして「イギリスのスパイ」認定された242

    欧州へのイスラム教徒移民は、出身国で明示的、暗示的に聞かされた「欧州にとどまれ。そして欧州人になるな」の助言を心に留めていた243

    シリア難民を欧州は無限に柔軟な態度で大量に受け入れてきた。しかし同じイスラム共同体(ウンマ)のクウェート、バーレーン、カタール、UAE、サウジアラビア、オマーンの湾岸6ヵ国(石油算出富裕国)は2016年まで、ただの1人も難民を受け入れなかった。「わが国は物価が高く難民向きじゃない」との理由をつけて、自国で起こる問題や混乱を避けるために249

    ヨーロッパ(オーストラリア、アメリカ、カナダ含む)は植民地やナチスのことで国家を挙げて罪悪感を背負っている。これはその国々の国民のあらゆる行動を締め付けている。彼らは当時それらに加担してないし、イギリスなどはむしろナチスと戦ったにも拘らずだ。対して、オスマン帝国はヨーロッパで侵略と大量虐殺を行った。しかしトルコ共和国はそれを謝罪しないし、トルコ国民はそれを罪悪感として背負っていない。しかもキプロス島を未だに占領していて、苦しむアルメニア人がいるが、その事を国内で語ると反逆罪で逮捕される。欧州は「この普通のこと」に並外れた罪悪感を持った奇妙な場所だ269

    イギリスの舞台監督アンドリュー・ホーキンスは2006年、自分が奴隷商人の末裔だと知り、他の末裔たちとともにガンビアを手枷と鎖に繋がれて「本当にごめんなさい」というプレートを下げて練り歩き、最後はガンビア国民がいるスタジアムに入り、当国大統領から恩赦と鎖解除のパフォーマンスをした。
    先祖の植民地政策や奴隷制度についての罪悪感は、現代欧米人にとって「麻薬」である。みなこの罪悪感が好きで耽っている。272

    移民問題からパリ同時多発テロを経て、欧州で(特に移民の多いドイツで)多数の移民によるレイプ事件が過去おもてざたにならないよう図られていたことが発覚した。そのなかノルウェーでは『移民のための女性への接し方講座』が開かれ話題となった。「女性が微笑んだり、スカートをはいているだからといってレイプして良いわけではない」という内容303

    戦後欧州では反ファシズムが社会のあらゆる基盤だった。しかし数十年が過ぎると欧州の社会にはファシズム的なものがほとんど無くなってしまった。これに一番困ったのは反ファシズム運動の人々だった。そこで反ファシストたちは、少しでもファシズム的なもの(人種差別に抵触しそうなもの)をどんどんファシズム認定していき、ついにはファシズムでも何でもないものをファシズム認定することになった。これは議論や検証がほぼ必要ないので非常にコスパの良い政治社会活動だった。370

    イスラム教徒移民を見過ごせないのは、不可知論者が増えた欧州で、全く人生観が違う人ーそれどころかぶつかり合う人が大量にやってくるという危険があるからだ398

    不可知論者と、人生について心の拠り所を求めてしまう欧州人が増える中、イスラム教に行き着く者が現れるのは必然的。それはイスラム教は他の宗教と違い、その内容の検証と分析において「威嚇と殺人の世界的キャンペーン」を行っている効果による。その結果、ムハンマドの教えというものは本当に神聖化され、嘲りや批判を一切受け付けない「現代社会で唯一のもの」になったからだ。405

    芸術が宗教に代わる可能性については、ほぼ無くなった。ジャネット・カーディフもアントニー・ゴームリーもゲルハルト・リヒターも過去の芸術の模倣(剽窃)でしかない。そこにはアートの終焉、あるいは結果的に我々人類が求めて、依り代にしてきた「あらゆる文化」というものは終わって、無意味なものと結論された。417

    そのなかで著者が唯一芸術的に評価しているがウエルベックの『服従』。ある意味この作品が評価され、ベストセラーになったことを希望の萌芽と見ているよう。429

    欧州が大量の難民受け入れを決めた大きな理由は、シリアの内戦だったが、押し寄せる難民のほとんどがイラン、パキスタン、北アフリカあたりからの移民である。シリア人はほとんどいない。これは人道上パスポートや身分証の提示が否定されたため、誰でもが欧州に入れる環境になっているため。それと、自分たちには理解不能だがなぜか「欧州の人道主義」というものがあり、他人で異教徒の自分たちにも手厚い福祉が与えられる、という情報を移民たちが得ているから435

    自分も「子供たち」と主張する、「キリスト教徒に改宗した」という詭弁を使う、これらを行えば保護と福祉を受けられやすいことは移民たちに知られているテクニックだ。「子供たち」の中には30才の人間が含まれている445

    リベラルな移民政策を追及すれば、リベラルな社会が失われる450

    本書執筆時(2017くらい)でイギリスの新生児の名前ランキング1位は「モハメッド」476

    ペイパーバック版あとがき(2018/03)
    欧州でバックラッシュも起き始めていて、その中心はオーストリアなどの旧東側諸国506

  • 「大衆の狂気」を読んで、著者に興味を持ちました。最近の世界の論調からは受け入れられにくい論考でしょう。膨大な事例がやや冗長に感じるところもありますが、現実に何が起きているかを知るには良い一冊だと感じました。日本も例外ではないと思います。

  • 西洋の移民政策の現実を書いた本。
    この本の論点
    ①移民の受け入れは悪くないが受け入れすぎることによって、西洋的な価値観や文化の破壊に繋がる

    ②移民受け入れは人口の減少の歯止めになるが、出生率を上げるなどの対策をまずやるべき

    ③移民政策への提言は全て人種差別と捉えられてしまうため、適切な議論ができない。

    ④寛容な多文化主義を容認した結果、宗教原理主義に敗北してしまう。
    (その人たちの声は大きく、批判すると殺されかねない)

    ⑤欧州は植民地政策の過去を原罪と捉えており、メディアや政治家によって、今でもその罪を背負わされている

  • この本の後に水島治郎「ポピュリズムとは何か」(中公新書)の併読を勧める。移民に対する市民感情がどう右派の台頭を招き、またポピュリズムに繋がったのか、立体的に理解できる。

  • ヨーロッパにおける移民/難民問題を理解するために必須の書です。

    多角的な論点から考察されているため、一言では語り尽くせないですが、是非読んでいただきたいです。

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著者プロフィール

1979年生まれ。英国人ジャーナリスト、政治・社会評論家。英国の代表的雑誌の一つ《スペクテイター》誌の共同編集者。《タイムズ》紙、《ウォール・ストリート・ジャーナル》紙などへ多数寄稿し、英国議会、欧州議会、ホワイトハウスでの講演実績もある、いま世界がもっとも注目する知性の一人。前作『西洋の自死』(邦訳は東洋経済新報社)は世界的ベストセラーとなったが、本作も26カ国語で翻訳され、英語版のセールスだけでも28万部を超えており、前作同様、《サンデー・タイムズ》紙のベストセラーリストにランクインした。前作と本作の2作はオーディオブックとしても提供されており、その売り上げは7万ダウンロード以上。これまでの著書は30カ国語に翻訳され、世界中の政治家やジャーナリスト、著作家に引用されている。ツイッターのフォロワー数は42万人以上。

「2022年 『大衆の狂気』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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