やんちゃな独創: 糸川英夫伝 (B&Tブックス)

著者 :
  • 日刊工業新聞社
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784526052521

作品紹介・あらすじ

「国産ロケットの父」は何を考え、何を成したのか、最後の弟子が綴る「逆転発想」の生涯。

感想・レビュー・書評

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  • 幼少期のエピソードが先日読んだ自伝と大きく被っているが、そりゃそうか。寧ろ最晩年の話はなかったので初見だったわ。
    当時の飛行機会社として「中島飛行機」の名ばかりをよく耳にするが(ジブリのせいか?)、実際には川崎や三菱と競合してたのね。
    ペンシルロケットの公開試射が国分寺駅脇の早稲田実業のグラウンドで行なわれてた…ってビックリ。だって中央線のすぐ側よ!

    ところで、ISASニュース掲載の岡野澄の文章や「秋田ロケット実験場」のwikiからの引用は、引用元を明記しなくていいものなのかしら。
    取り敢えず「糸川英夫 生誕百年記念サイト」は現在でも閲覧可能です。

  • 糸川氏本人の著書も、発想が独特で、エッジが立っていて、とても面白いというか、虚を突かれるのだけれど、

    ・「獲得された自覚は、生まれつき備わった能力よりも遥かに価値が高い」
    とあるように、本人の談と、時代の中での本人の行動、成果というものはやはり別の著者でないと丁寧にまとめられないのだろうと思う(なんせ面倒だろうし)。だから、とても興味深く読んだ。

    ・「システムとは何のことか君は判るか」
    と糸川氏が言うような時代から、発想、組織工学研究なんてやっていたんだ。

    ・敵を打ち落とす戦闘機は、一体どんな性能を備えておけばいいのだろう。あれこれ考えて一向に実感のある考えが浮かばない。こんな時、戦闘経験のない身であれこれ頭をひねる愚をおかさないのが、糸川の糸川たる所以である。イメージが湧くのをじっと待ったり、きちんとした展望もなしにやみくもに設計を開始したりしない。彼が最初に試みたのは、設計現場の先輩のありがたい教えを乞うことでも、工場の現場に足を運ぶことでもなかった。まず飛行学校を訪れて、実戦経験の豊富なパイロットに会ったのである。

    ローマ・クラブの批判、イスラエルとの友好、1999年の死が惜しまれる。偉大な賢人。こういう人の記を読むと、科学の叡智を集めてこの人がもう千年生きたら、一体何を考えるようになるんだろう、と思いを馳せる。

  • 面白いと感じた箇所は、次のとおり。

    1)「航空機設計で最も重要なことは、テストパイロットといかにして仲良くなるかということです。」(p.74)
    2)ロケットの発射場は、常識的には平地であることを求めていたが、平地の少ない内之浦を選んだ。レーダーの台地やコントロールセンターの建設場所として山や丘の頂を使おうとした。(p.137)
    3)「『源内は多分野の科学技術を研究したが、ほとんどが失敗に終わっている。それは、人間の情緒に対する理解がなかったからだ』と喝破し、日本で作られた組織工学の体系の中では、情緒を論理と同じように重視しなければならない、という大きな主張をした。」(p.192)
    4)糸川さんは、いい音の出るバイオリンを作ろうとした。戦後すぐから研究を始め、1952年にいい音が出るものができた。しかし、バイオリニストが扱うには50g重かった。50gの減量に成功したのは、1990年であった。(第9章)

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著者プロフィール

■的川 泰宣(マトガワ ヤスノリ)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授、はまぎんこども宇宙科学館館長、日本宇宙少年団顧問、国際宇宙教育会議日本代表。東京大学大学院博士課程修了。東京大学宇宙航空研究所、宇宙科学研究所教授・対外協力・連携推進室長、鹿児島宇宙空間観測所所長、JAXA執行役などを経て現職。国際宇宙航行連盟副会長、日本航空宇宙学会会長などを歴任。工学博士。2005年にはJAXA宇宙教育センターを先導して設立、初代センター長を務め、「宇宙教育の父」とも呼ばれる。

「2021年 『地球を飛び出せ! 宇宙探査』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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