30の都市からよむ日本史

  • 日経BPM(日本経済新聞出版本部)
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532198084

作品紹介・あらすじ

人の集うところ、知られざる歴史あり

◎好評の「書き下ろし歴史シリーズ」第5弾。
城下町、港町、宿場町、寺内町、商業都市、工業都市--日本史を形づくった30の都市の歴史を、
地図とともに8-10頁で解説。

◎日本史教科書の記述は各時代の中央政権の歴史を中心に展開することが多いですが、
古今東西の都市という視点から歴史を捉えると、全く違う世界が見えてきます。

◎本書は歴史地理学専門の金田京都大学名誉教授の監修のもと、
(1)歴史として面白い (2)都市としての魅力が際立っている、という観点から、
30の街の歴史を紹介します。

◎取り上げる都市は以下の30
札幌 函館 十三湊 仙台 会津若松 平泉 宇都宮 東京 横浜 鎌倉
小田原 諏訪 新潟 金沢 名古屋 伊勢 奈良 今井 大阪 堺
京都 神戸 広島 鞆の浦 松山 山口 福岡 長崎 鹿児島 那覇

感想・レビュー・書評

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  •  著書のタイトルのとおり、日本の都市のうち30都市をピックアップして、都市の観点から日本史においてどのように関わったのか、成立や発展の過程はどうだったのかを考察する、非常に興味をそそる一冊、
     都市の歴史は千差万別でいろいろな歴史がある。それを踏まえて見ることができれば、その都市を訪れる際、また違った見方ができると思います。現在でも大都市である市もあれば、初めて名前を聞くものもあり、非常に楽しく読めました。ぜひ続編も期待したいところです。

    <目次>
    はじめに 都市の成立と発展から日本史をみる
    札幌―京都にならった基盤目状の計画都市
    函館―本州との交易を担った北海道の玄関口
    十三湊―安藤氏のもとで栄えた中世の交易都市
    平泉―東北を席巻した奥州藤原氏が築いた理想郷
    仙台―伊達政宗の願いが込められた「杜の都」
    会津若松―名城と謳われた若松城を中心に広がる城下町
    宇都宮―3つの顔をもっていた北関東の要衝
    東京―「大江戸八百八町」と称された世界有数の大都市
    横浜―欧米の近代文化を受容・発信した港町
    鎌倉―天然の要害に築かれた東国武士の拠点
    小田原―100年にわたる戦国北条家の拠点
    諏訪―信仰とハイテク産業が同居する門前町
    新潟―西廻り航路で栄えた日本海岸屈指の港町
    金沢―寺内町から発展した加賀百万石の城下町
    名古屋―徳川家の肝入りで建設されたニュータウン
    伊勢―神宮のお膝元として発展した門前町
    奈良―1300年の歴史が息づく、いにしえの都
    今井―陸の中継貿易で繁栄した自治都市
    大阪―添加人が礎を築いた日本有数の経済都市
    堺―「東洋のベニス」と称された承認の自治都市
    京都―日本の中心であり続けた千年の都
    神戸―古代から外国に開かれていた山麓の港町
    広島―河口の砂州から発展した瀬戸内海の要衝
    鞆の浦―潮の境目として栄えた小さな港湾都市
    山口―「西の京」と謳われた大内家の都
    松山―多くの文化人が愛した四国の温泉街
    福岡―商人の町と武士の町を内包した城下町
    長崎―出島から海外文化を伝えた港湾都市
    鹿児島―島津氏が切り開いた南九州の開拓都市
    那覇―中継貿易によって栄えた琉球王朝の都
    主要参考文献

  • 日本史の好きな私ですが、最近では何かに焦点をあてた解説に興味があります。この本は、現代の日本を代表すると思われる「30の都市」から見た日本史が書かれています。

    現在の日本は、何やかんやと言いましても首都・東京や関東地方が中心のような感じはありますが、江戸時代になるまでは、ずっと日本の中心は関西地方でした、その時の関東地方は、東京エリア以外の方が栄えて様な気もします。

    それらの状況も含めて、現代の日本を代表する都市から読む日本史、楽しみながら読ませていただきました。

    以下は気になったポイントです。

    ・明治14年の政変により大隈重信が政敵である伊藤博文によって国会から追放、事件に巻き込まれた開拓使は翌年に廃止、北海道は札幌・函館・根室県に分割、明治19年には北海道庁設置されて統合(p14、15)

    ・松前藩は、松前・江差・箱館を交易港に指定、この3港以外での交易を禁止した、ロシアの南下を警戒した幕府は箱館を含む蝦夷地の大部分を松前藩から取り上げて、1802年には直轄市として箱館奉行所を設置(p20)

    ・十三湊(津軽半島北西部)は、安藤氏のもとで栄えた中世の交易都市で、日本有数の国際貿易港が13-15世紀前半にかけて存在していた、「とさみなと」と読むのは、アイヌ語の「トーサム:湖のほとり」に由来する(p25、27)

    ・15世紀半ばに八戸方面から南部氏が進行し、安藤氏は蝦夷地へ逃亡、南部氏が手を付けなかった「十三湊」は衰退し、野辺地湊や大浜に移った(p31)

    ・藤原清衡が中尊寺を建てることができたのは、領内で金が豊富に産出したから(p35)


    ・平安時代の会津若松は、京都・奈良・鎌倉・平泉と並ぶ、仏都であり、磐梯山麓には会津仏教の中心として巨刹「恵日寺」が建立された(p52)

    ・会津若松に入ったのは、3代将軍家光の異母兄弟でもある、保科正之である。これ以降、松平姓と葵紋の使用が許され、会津藩は幕末まで存続した(p57)

    ・小田原合戦に参戦した宇都宮氏は、領地安堵されたが、7年後の太閤検地の際に不正が見つかり没収された。会津の蒲生秀行が入った(p62)

    ・第二次世界大戦中に中国満州へ進駐した、第14師団はそこで餃子の製法を知り、終戦を迎えて帰還した彼らによって宇都宮で製法が広まった(p66)

    ・平安末期、桓武平氏の流れを汲む、秩父重綱の子・重継は武蔵の江戸郷(入り江の入り口、という意味)に移り住み、江戸氏を名乗った、居館はのちの江戸城本丸、皇居の東御苑にあった。江戸家は鎌倉幕府滅亡後に衰退し、江戸郷を離れた。その後は関東管領・扇谷上杉家の家宰である太田道灌が武蔵に進出し、1457年に江戸城を建造した(p70)

    ・明暦大火では本丸が焼失、4代将軍家綱の輔弼役の保科正之は天守不要と断じ、その再建費用を市街地復興に充てた、それ以降江戸城天守は再建されていない(p76)

    ・幕府が江戸の範囲を公式に定めたのは、1818年のこと、現在の江戸川区・葛飾区・足立区・練馬区・中野区・杉並区・世田谷区・大田区は江戸に含まれない(p77)

    ・大江戸八百八町という言葉は、家綱時代に、ひとつの街(家屋敷20-30)につき、一人だけ営業された髪結い職人が808人いたことに由来する。19世紀には1700もの町があった(p79)

    ・日米修好通商条規が結ばれた後、人の出入りの多い神奈川宿の近くを開港するよりも、神奈川湊の対岸にあった横浜村に新たな港をつくることにした、開港場の範囲は、大岡川・中村川に挟まれた地域内を「関内」外側は「関外」と言われた、1887年頃から横浜にあった領事館は東京へ移転した、1899年に居留地は正式に日本へ返還された(p85、86、90)

    ・北条早雲は1519年に死去した後、家督は嫡男の氏綱へ引き継がれ、本城を韮山から小田原に移し、伊勢から北条に苗字を改めた。(p105)

    ・1899年には新津油田で機械を使っての石油掘削が始まり、大正時代には日本最大の油田となり、新潟は石油産業で潤った(p129)

    ・軍部及び学都となった金沢には人が移り住み、江戸時代には、江戸・大坂・京都に次ぐ、約12万人であったが、明治30年には8万人に減少、大正9年に回復(p139)

    ・1610年に、名古屋城が築かれ、清州の町を丸ごと名古屋へ移動させる、「清州越し」が家康の命令で断行された(p141)

    ・那古野城は、北西の清州を拠点とした、京都に近い近江に安土城を建てると、重要性が低くなり1582年には廃城となった(p145)

    ・名古屋は、江戸とも大坂とも異なる独自性を持った都市に成長した、4代藩主となった徳川吉通は将軍職につくよりも、藩主の職務を重視する方針を定めて、家訓となった。このため、7代将軍・家継の後継者争いには消極的であった(p148)

    ・伊勢神宮は、天皇家の先祖とされる天照大神を祀る「内宮」と、五穀を司る豊受大神を祀る「外宮」を中心に、125もの神社がある巨大な宗教施設で、伊勢市の4分の1以上を占める(p153)

    ・呉服屋から発展した三越百貨店、明治時代に大財閥となった三井家は、伊勢商人を源流としている(p157)

    ・東西方向の道を「通」、南北方向の道を「筋」と呼んでいる。道幅の広い幹線道路(通)と、それと直交する狭い生活道路(筋)を区別したから(p187)

    ・明治時代になり、大坂は、「大阪」に生まれ変わる。株仲間など江戸時代に認められていた特権はく奪、藩の解体にともなう大名蔵屋敷の廃止により、豪商の倒産が相次いだが、紡績業が盛んになり日本一の繊維の町となった(p191)

    ・応仁の乱のときに、西軍の大内家が幕府の外交である「兵庫津」を占領、このことは室町幕府や東軍の細川家にとって、瀬戸内海から玄界灘へ抜ける航路が封鎖されたことを意味した、以降、幕府が推進する日明貿易は、堺が拠点となり、高知・鹿児島周りの航路となった(p198)

    ・秀吉は石田三成を堺奉行に任じて、町人による自治は名実ともに終焉を迎えた(p199)

    ・京都の町は「四神相応」という思想が取り入れられている、青龍・川(東:鴨川)、白虎・道(西:山陰道)、朱雀・開かれた土地(南:巨椋池)、玄武・山(北:船岡山)、左京は「洛陽城」右京は「長安城」と呼ばれたが、低湿地である右京は廃れた(p202、204)

    ・兵庫津の東にあった人口の少ない神戸村に新たな港と外国人居留地が築かれた、1868年の兵庫開港は実質神戸開港であった、湊川を境にして西を「兵庫港」東を「神戸港」と定めたが、後年にはひとまとめに神戸港となった(p220)

    ・居留地の西側にも外国人の居住が許された雑居地が築かれる、これが横浜などの他の開港地にはない神戸特有のもの、居留地からあふれた外国人と日本人が混在する地域となった、修好条規の対象外となった中国の清王朝の人々は雑居地に集まって中華街を形成した(p222)

    ・日清戦争中は、広島城に大本営がおかれ、明治天皇をはじめとする政府要人が集まり、臨時帝国議会が開かれるなど、実質的に臨時の首都になった(p232)

    ・道後には日本最古の温泉と呼ばれる、道後温泉があり多くの天皇が訪れた(p254)

    ・福岡城下町の成立後は、那珂川の東が古くからの商業の町「博多」、西が武士の町「福岡」という二重構造を持つ都市となり、それぞれに町奉行がおかれた(p270)

    ・1889年には自治体名称は福岡市となったが、翌年には名称変更が市議会で討議された、投票の結果同数であったが議長判断で「福岡市」しかし、博多の名への愛着は強く、空港名は「福岡空港」だが、JRは「博多駅」港湾は「博多港」となっている(p272)

    ・1854年7月に結ばれた、琉米修好条約は、日米和親条約とは別のものであり、当時の沖縄が欧米諸国からは江戸幕府からは独立した政権と見なされていたことを示す(p299)

    2018年6月18日作成

  • ・札幌 佐賀鍋島直正が開拓使初代長官、すすきのは開拓者が冬に逃げ出すのを防ぐための歓楽街。
    ・函館 江戸末期の商人 高田屋嘉兵衛
    ・十三湊 安藤氏による支配。室町時代に最盛期、博多や堺とならび日本十大港である三津七湊
    ・平泉 北に衣川の関(義経自刃の地)のある交通の要衝、中尊寺は天台宗、毛越寺も同じく天台宗
    ・仙台 芭蕉の辻の芭蕉は松尾芭蕉ではない。
    ・会津若松 恵日寺は真言宗、秀吉の奥羽平定で伊達氏は北に追放され蒲生氏郷が着任。その後は加藤嘉明を経て、秀忠の子でもある保科正之が着任し、以後松平の姓を受け幕末の松平容保まで幕府に忠義
    ・宇都宮 二荒山神社の門前町、江戸時代は本多正純が着任、日本初の駅弁、明治時代は陸軍第14師団が駐屯し、満州から餃子が伝達、中島飛行機の工場もある軍都、戦後は清原工業団地などで復興。
    ・江戸 江戸城下と千葉行徳を結ぶ道三堀(医者曲直瀬道三)が現在の日本橋川、江戸六上水
    ・横浜 外国人の居住地は関の中=関内のみ、関内は山手の英仏とその下=山下の中国人、またその横には元々居留地にいた人々が住んだ元町がある。
    ・鎌倉 朝比奈切通しは港である六浦と鎌倉を結ぶ塩の道、昭和は文人が集まり川端康成や小林秀雄らによる鎌倉文庫設立
    ・小田原 北条早雲による開発、箱根の関手前の東海道最大規模の宿場町
    ・諏訪 東西の中央構造線と南北の糸魚川静岡構造線の交点、諏訪大社の門前町で6年に一度の御柱祭、塩尻は北の糸魚川からと南の三河からのそれぞれの塩の道の終点、明治以後の生糸と疎開による精密機械工業
    ・新潟 人口80万の日本海側唯一の政令指定都市、信濃川と阿賀野川の河口、1858に開国、萬代橋は1886当時日本最長
    ・金沢 一向宗の寺内町(金沢御堂、本願寺派)、戦争で空襲を受けず古い町並みが残る
    ・名古屋 元は清洲が中心だが水害が多く、江戸時代に入り那古野が整備、大商人(染物紺屋の小坂井家、呉服屋の茶屋家、同じく呉服屋の伊藤家はやがて松坂屋買収)、ういろうは江戸時代に明から伝わる、戦後田淵寿郎が100m道路を整備(東西の若宮大通、南北の久屋大通)
    ・伊勢 天照大神を祀る内宮は宇治、豊受大神を祀る外宮は山田がそれぞれ門前町、伊勢の家屋は妻入(伊勢神宮が一般的な平入だからそれと同じを避けた)、参拝で商業発達、三越(三井越後屋)は伊勢商人にルーツ
    ・奈良 奈良の語源は「平城」と書いて「ならす」の意、奈良では鹿が神聖で死骸があると3文の罰金→朝早く起きて片付ける→早起きは三文の徳、棚田嘉十郎は平城京保存の父
    ・今井 現在の橿原市の一部で旧家が大量に残る、元は奈良興福寺の荘園で後に一向宗の寺内町、堺と奈良を結ぶ街道の物流拠点で海の堺、陸の今井と呼ばれた、環濠都市で自治
    ・大阪 かつては河内湖という湖のほとりに難波宮、その後蓮如に代表される一向宗が山科から移った本願寺の寺内町、水運の街大阪では商人は橋を架けるのがステータス→金かけて破産→杭倒れ→食い倒れの説がある
    ・堺 仁徳天皇陵、日明貿易で発展、1556宣教師ガスパルヴィレラ「東洋のベニス」、今井宗久や千利休らの会合衆、現在人口は80万人以上
    ・京都 四神相応=東の青龍(川)、西の白虎(道)、南の朱雀(開けた土地)、北の玄武(山)、条坊制、江戸時代は角倉了以による高瀬川開削で伏見と繋がる
    ・神戸 平清盛による福原京、日明貿易で栄えるが細川勝元vs山名宗全の応仁の乱で荒廃し中心は堺へ、江戸時代は北風家らによる灘の下り酒(江戸へ出荷)、開港後は上海、シンガポールと並ぶ東洋最大級の貿易港、1945年神戸大空襲→火垂るの墓、1995阪神大震災
    ・広島 戦国時代は毛利家、毛利輝元が関ヶ原の西軍大将で転封、福島正則着任、干拓を進め◯◯新開地区が増える、明治維新後は鎮台、日清戦争では大本営が置かれ天皇も滞在し実質的な首都の役割へ、その後江田島に海軍兵学校が出来、対岸の呉とともに一大軍事都市へ。1945年8月6日に原爆投下。
    ・鞆の浦 瀬戸内海の潮目にあたる海路の要衝。古事記、日本書紀、万葉集にも登場、空也が創建した福禅寺は朝鮮通信使が日東第一景勝と賞賛。中村家の保命酒が有名。ポニョ。
    ・山口 大内文化、一ノ坂川はゲンジボタルの群生地、大内義興が日明貿易を独占、陶晴賢の謀反、長州藩の反幕拠点
    ・松山 正岡子規、高浜虚子、夏目漱石、秋山好古、秋山真之、1888年伊予鉄道は日本2番目
    ・福岡 承天寺はうどん・そば発祥の地、福岡城は舞鶴城、那珂川の東が博多、西が福岡
    ・長崎 1587バテレン追放令、出島、1945年8月9日
    ・鹿児島 城の南北を上方限(ほうぎり)、下方限と呼ぶ、シラス台地、島津斉彬、1863年薩英戦争
    ・那覇 首里城は戦争で崩壊、アーニーパイル国際劇場のあった国際通り、2003年にゆいレール開業。

  • 日本の30都市について、歴史だけではなく地形など地理的な視点なども加えながら書かれている本。

    このような本をもとに、それぞれの街の歴史などを押さえていくことにより、訪問した街を楽しめるようになるような気がする。

    青森の十三湊、奈良県の今井は、私としてもきちんと押さえていなかった都市。再読をして、もっと深めていかないといけないな。

  • 20170323読了

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著者プロフィール

造事務所(ぞうじむしょ)
1985年設立の書籍の編集・制作会社。雑学をはじめ、生活実用まで幅広いジャンルの単行本の編集などを行う。編著となる単行本等は年間30冊にのぼる。主な制作物に『絶滅事典 20世紀末モノ&コトカタログ』(小社)、『競馬あるある』(同)など。

「2023年 『社畜語辞典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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