梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)

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著者 : 小山修三
制作 : 小山 修三 
  • 日本経済新聞出版社 (2010年9月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532260972

梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)の感想・レビュー・書評

  • 近代インテリを武士道と結びつけるなど、やはり、一代の人物であろう。インドと中国の比較など、ところどころ興味深い語りがある。梅棹の思想は著書よりもこのような談話こそが、という思い。

  •  小山修三先生による故梅棹忠夫氏へのインタビューをまとめた本。梅棹氏がまだお元気だったころの対談本は何冊か読んだことがあるが、この本を読むと亡くなられる直前まで歯切れの物言いでかくしゃくとされていた様子が目に浮かぶ。梅棹氏の思想にふれるという点では物足りなさはあるが、人となりに触れたい人には好適。
     梅棹氏の著作を全く知らない人は、小山先生があとがきで記しているように、「文明の生態史観」「情報の文明学」「知的生産の技術」の3冊と国立民族博物館の見学をお薦めしたい。

  • 時間つぶしによった書店で、ぶらぶらながめていて見つけた。やはりとりつかれている。帯にはこうある。「死の直前まで語り通した、自らの生きざまと哲学」。「文章は誰が読んでもわかるように書く。複文はイカン。」「情報は分類せずに配列せよ。検索が大事。」「梅棹の言うことは単なる思いつきやと言われる。だったら思いついてみろと反論する。思いつきとはひらめきであり、オリジナルの発想をひらめくことこそ独創である。」「博士号は足の裏についた飯粒や。取らな気持ち悪いし、取っても食えん。」「小山・・・『武士道』という本なんかどう思うんですか? 梅棹・・・読んでへん」一言ですますところがかっこいい。「日本の先生は権威主義、権威を守ろうとして居直る。」1976年の話、「コンピュータは、そろばんと鉛筆や。供給してみい、そうしたら需要がでてくる。」梅棹先生に現在のITについて語ってほしかったのだけれど、「ITは信用しない。自分で見たもの意外は信用できない。」「梅棹忠夫の人生は挫折の連続」「困難は克服されるためにあるんや。」「みなさん、あきらめたらあかんのですよ。」

  • 自分の好きな事に対して活動し、ぶれない自分をつくりたい

    知的生産の技術の作者としてあまりにも有名な、梅棹忠夫氏。
    そんな梅棹さんの最後の語りを収録した本。

    自由闊達。
    偉ぶるな、権威的になるな。
    自分の足で、目で確かめたものが真実。
    そんな梅棹さんの言葉に勇気づけられました。

    好きなものごとに対して、
    現場に行って、歩いて、見る。
    そうやって見識を深めていく。
    自分の好きな事に対して活動し、軸が出来ていけば、
    その信じるものに対して、批判されてもぶれない自分が
    出来ていくのかな、

    というように捉え、自分の活動にうまく転化させていきたいと
    思った一冊です。

    自分に自信がないから、人は卑屈になるのかな、ということを
    最近考えているので、
    自分の好きな事に対して力を注ぎ、いつか
    「人間としての自信」を持てる自分になれたら幸せだなと感じました。

  • 梅棹忠夫に興味があるなら、読むべき一冊。
    示唆深い言葉が多々出てき、考え方に一端を垣間見せてもらえました。

  • 90才まで自分の目、耳、足を使い頭を使って考える。他人のまね、同調をしない考え方に、私の「理想のひと」にするゆえんがあります。By たけちゃん

  • 内容はいいが、いちいち大きな文字が入っていて読みづらい。

  • 「情報産業」という言葉を創造した学者の本。「京大式カード」が流行らせたのもこの人ですね。行き詰まった時は原点に帰るのが◎。
    読んでいると「書を閉じよ、野に出でよ」に感じられるのは偏見かな?
    座談なので話は飛びまくってますが、印象深いフレーズを引用。前後を補っている箇所ありますので悪しからず。
    「(情報は)分類するな、配列せよ」
    「知的生産というのを評価できていない〜〜「日本政府は唯物論政府や」
    「みんなは、学問といえば、ひとが書いたものを読むことだと思っている。」
    「フォロワーシップとは、盲従でない。自分の意志や判断はもつけれども、隊長にはしたがう。」

  •  小山修三による梅棹忠夫の聞き書き。と書くとミもフタもないが、フィールドワーカー、民俗学者梅棹忠夫の最後の声だと思って読むと非常に感慨深いものがある。なにしろフィールドワークを根っこにいろいろな仕事のある方で、その集大成、最終的なエッセンスがきゅきゅっと読めるのがこの本、だと云える。

     「供給すれば需要が出来る」「自分の足と目で確かめる」「まずはやってみる」というイケイケドンドンなおっちゃんが、学生時代の挫折やら、敗戦によるモンゴルからの脱出やら、突然の失明やらで挫折を覚えてくとこうもバランスのとれた好人物が出来るのか、といった具合で、えーと、結局は読んでると元気になるよ、という風に捉えていただければいいかと思う。

     困難を克服すると人は強くなるし、克服できた自分に自信を持たんとやってけんで、と書いてあったのである。
     こういう体のイケイケドンドンなら歓迎である。

  • 糸井重里さんの文に梅棹さんが「1960年代にすでに情報産業 という
    概念を作った人」としてあったので。 

    梅棹さんとはどんな人か 何をした人かという取っ掛かりの本としては
    いいと思います。 私はこれから「文明の生態史観」に行きます。

    岡本太郎の「太陽の塔」だけを見に東京から大阪万博公園に行った
    時に民博だけは気になったのだけどスルーしてしまった。。 
    次回は民博を見るだけに大阪に行こうかな。 

  • 面白かったです。

  • 「知の巨人」である梅棹忠夫先生の対談内容を編集している。「自分で見たことしか信じない。」、「情報は分類せずに配置せよ」、「思いつきこそ独創である」、「困難は克服されるためにある」、「いいリーダーはフォロワーシップを経験し理解することやな」など、メッセージが記されている。梅棹先生の「人間としてかなりの自信がある」と言い切る部分に、私は特に魅力を感じた。

  •  友人が「これは面白かった!」と太鼓判を押して紹介してくれた本。
     本書は知の巨人・梅棹忠夫へのインタビュー本で、そのテーマ・内容は多岐にわたります。特筆すべきは、梅棹氏が関西弁で語るそのまんまで収録されていて、梅棹のざっくばらんな人柄がリアルに伝わってくることでしょう。時に本質を直言しすぎて身も蓋もない部分もありますが、それが笑いに昇華されて嫌みを感じないのは、関西弁と関西的なノリゆえでしょう。愛嬌という奴でしょうか、和辻哲郎の『風土』について、「和辻っていう人は、ほんまに大スカタン」(117頁)という下りには思わず爆笑してしまいました。

     梅棹氏は、権威主義や教条主義的な態度というものに否定的でした。エラそうぶってるものも大嫌いで、それらを「近代武士道」の文脈から批判しています。
     梅棹氏のスタイルは、自分の足で調べに行き、見たもの・感じたものから学問を構築するというもの。自分の目で見たものがのこすべきものであり、自分がやったことに価値があり、それを残すことこそが学者冥利に尽きると言います。
     そんな梅棹氏にとって不満なのが、学問を他人の本を読んで理解することだと思っている連中。梅棹氏について、京大の中で「あいつらは足で学問ができると思っとる。学問は頭でするものである」と言われたそうですが、それに対して梅棹氏は「では、頭でやるというのは、どういうことか。ひとの本を読むということなのか。ひとの本読んで、ひとの本のことを書いてどうするというのか」と手厳しい反論を加えています。

     この梅棹氏の、自分の感覚や着想を大事にする発想には、とても共感を覚えます。
     以前紹介したちきりん『自分のアタマで考えよう』(http://booklog.jp/users/tomiyadaisuke/archives/1/4478017034)でも「知っていることと考えることは全く別物」という指摘がありました。この「知っていると考えるの違い」というモデルは、実はそこかしこで見られることでもあります。
     例えば将棋。将棋の場合は、考えない棋士というのはまずありえません(そんな人はプロとして勝ち残れない)が、「知っている/考える」的な傾向がほの見える話があります。渡辺明『頭脳勝負』(http://booklog.jp/users/tomiyadaisuke/archives/1/4480063927)から引用します。

    《 棋士は、関東所属と関西所属とにわかれます。関西では、関東ほど研究会が盛んではないと聞きます。これには昔からの伝統があるのかもしれませんが、人数の違いという理由も考えられます。関東所属が一一二人に対して関西所属は四四人。タイトル戦はもちろんのこと、本戦や決勝リーグになれば関係ないのですが、予選では遠征費の節約のために関東同士、関西同士で対局が組まれることがほとんど。よって、関西で歯同じ人と対局する確率が高いのです。頻繁に公式戦で当たる人と同じ研究会に所属するのは、味が悪いでしょう。「今度、公式戦で当たるから今日は探りの手で行こう」ということになっては、研究会の意味が薄れてしまいます。
     研究会が流行っている関東とそうでない関西。若干ではありますが、指す将棋に違いが現れます。関東の若手同士が対局すると最新流行形になることが多いのですが、同じ若手でも関西の棋士ですとそうはなりません。関西棋士には、「力で勝負」タイプが多いように思います。序盤の早い段階で変化球を投げ、知識が生きない展開に持ち込んで勝負するという指し方です。
     肝心の成績ですが、関東対関西はほぼ互角。最新流行形の知識を持っているからといって勝てるほど、将棋は単純なゲームではないということです。》(35-36頁)

     実はこの関西・関東の傾向って、私の知り合いで... 続きを読む

  • 知的な対話は行間すら無駄にしない。

  • 言うことの、言葉の中身だけを考えるのも良いのですが、その言葉を発する人の、人となりを知ることもすごく大事だと僕は考えています。ましてや、巨人と評されるような人はどういう人で、どういう思考をして、どういう経験をして、どう生きてきたか。そう言うのを知ることは、生きていくうえでの参考にもなりますし、人間理解に役立つこともありますし、場合によっては、他人へのアドバイスの源泉となったりもするでしょう。つまり、見識が深まります。「わたしには理解できないわ、あの人」という機会が減ります、いろいろな人を知っておくことは。そうして、なかなか現実に出会いが少なく、立派な人と接することがないという人にとって、こういう本という媒体が役に立つんですよね。僕は常々、読書は対話だ、と思っています。

    --日本人は批判に弱い、批判は非難とは違う--

    --現象論ではなく、若い人は本質論をやれ--

    など、90歳を間近にした梅棹さんの口から、今あげた言葉の前後をまじえるとやはり老いたためか柔らかくなったと感じる言葉が飛び出します。しかし、そんな柔らかな言葉は本質を突いていたりします。

  • 梅棹ファン向けの本です。これから梅棹のことを知りたい、ちゃんと理解したいという方、特に若い方は、この本は読まない方がいいです。手放しで梅棹の言葉を賞賛してるだけなので、興醒めしてしまいます。

  • 昨今、梅棹忠夫の言葉を多くの識者が引用・抜書している。ただそれらが直ちに万人に"響く"とは限らない。本書を読んで、やはり1つの著書や「全集」を読まないと、その被引用フレーズの意味の前後関係までを理解することが難しいと感じた。
    梅棹忠夫との対談類書は多くあるが、章(情報)・言葉の配列順と、インタビュアーの手腕により、本の性格が大きく異なると実感した。

  • 「知の巨人」が関西弁で本質論を語る痛快な対話本である。
    目新しいものはないが、心に留めておきたいフレーズに溢れており、是非一読をお勧めしたい一冊である。
    梅棹忠夫氏について初めて読む人は、第五章から第九章を先に読み、その後第一章に戻るとよいかと思う。

  • 梅棹氏の『知的生産の技術』を読みたくなりました。

    「梅棹の言うことは単なる思いつきにすぎない」と言われる。私に言わせたら、「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとのまねということやないか」
    「学問とは、ひとの本を読んで引用することだと思っている人が多い」
    「できない人間ほど権威をかざす」
    「生きることは挫折の連続である」
    「困難は克服されるためにあるんや。」

  • 梅棹忠夫、わたしは人類全体の一固体にすぎない。小山ー梅棹さんは基本的にはニヒリストなんでしょうな。陽気なニヒリスト。
    梅棹ー明るいペシミストや。生きることは挫折の連続である。人生に目的なんかあるわけがない。山では、計画を立てた人がリーダー、それに合意しつフオロワーとなる。

  • 012014.

    登山や植物、昆虫採集を愛した人柄から、自分の目で確かめるという研究姿勢が伝わってくる。

    (目次より)文章は誰が読んでもわかるように書く/スケッチと写真を使い分ける/情報は分類せずに配列せよetc

  • こんなに破天荒で面白い人だったのか。

  • 梅棹先生が亡くなる直前の最後の聞き書き.梅棹先生に話を聞いた小山先生との掛け合いが漫才のようで笑わせてくれるところも多いが内容は深い.キーワードだけで両先生が納得して次に進んでいるところもたくさんあるので,そこをきちんと理解しようとするとキーワードや参考文献をもとに原著にあたる必要がある.梅棹先生の膨大な著作集という広大な森にどこから分け入るのが面白そうか,さまざまな入り口を提示してくれる一冊.

    つねに未知なるものにあこがれ新しいことを知って「なるほど」と知的興奮を経験することが学問のたのしみであるとか,これから大学で研究をしようとする学生さんぐらいが読むと元気が出る話も多い.「梅棹の言うことは単なる思いつきにすぎないと言われる.わたしに言わせたら,思いつきこそ独創や.思いつきがないものは,要するに本の引用,ひとのまねということやないか」「請われれば一差し舞える人物になれ」「博士号は足の裏についた飯粒や.取らな気持ち悪いし,取っても食えん」「最近は打たれ弱い.みんな,批判されるのを嫌がる.批判されると,非難されたように思ってしまう」などなどきっと学生さんには響くところがあるはず.

    また民博をつくるとき梅棹先生は,一人ひとりの論文を読んで,学会に行って発表を聞いて,これはいいだろうと思う人材を採用したという.それで「諸君を選んだのは僕や.自由にやりたい仕事をやれ.研究者は一年中いつも研究者や.休みを取ることなんか考えるな.税金を使う国家公務員である自覚を持て」と訓辞を受けたら背筋が伸びるとともに奮い立つに違いない.

    私にとっては「写真では細部の構造がわからない.目で見てたしかめて図に描く.急ぐときとおおまかな印象をつかむのは写真.細部を見るのはスケッチ」「写真は撮ってきた順番に並べる,記録だから分類はしない.自分の記憶ノートと同じ」「分類するな,配列せよ.そして検索が大事」といったあたりが響いてくる.そう思って自分が撮った写真を見直してみるとそう感じるものがかなりある.きちんと構造を把握して撮った一連の写真とそうでないものは明らかに情報量が違う.

    そのほか,
    「学問は経営,「研究経営論」や」
    「情報産業論の議論はしてくれても,みんな情報論だったな.そんなん,つまらん.わたしが言ってたのは産業論なんです.それなのになんで,あんなふうになるのかな.それくらい情報というものに,みんな興味があるということなのかな.結局,ひとつは,その前にあったコミュニケーション論にひきずられてるんだと思う.これは工業時代に対する情報産業,産業時代論であって,わたしが言っているのは文明論だった.だから,情報論とちがうんですよ.文明論というのは現象論です.文明というのは,人間がつくり出した環境,人工的環境のすべてなんです」
    「フォロワーシップを経験して,はじめていいリーダーになれる.フォロワーシップとは盲従ではない.自分の意志や判断は持つけれども,隊長にはしたがう.わたしたちは今西さんに育成されたのではなく,推戴したのや.弟子ではなく契約,ゲマインシャフトではなくゲゼルシャフト集団です」
    「できない人間ほど権威をかざす.権威でのぞんでくるのが一番嫌いや」
    など,現役の研究者でも自分の姿勢を顧みるきっかけになる言葉がきっとある.

    最後は,
    「当初は,いわゆる図書館で扱えるものは梅棹文庫ということで,どんどん機械的に入れていった.それから映像記録とかを入れ,最後にはファイル類,フィールド・ノート,地図,その他業績,すべてをいずれ館が管理するということで,梅棹アーカイブズというかたちになるよう了解はとってあります」
    という言葉.梅棹先生が残したものはすべてアーカイブとなる.その了承を梅棹先生自身が民博から取りつけてあるのだ.その公開を... 続きを読む

  • 本書は、国立民族学博物館の初代館長で文化勲章受章者である梅棹忠夫氏に、梅棹氏が国立民族学博物館館長時代に同館教員であった小山修三氏が、梅棹氏の経験や業績についてインタビューしたものをまとめた1冊である。

    全編対談形式の記述となっており、また口語での記述となっているので、非常に読みやすい。ただ、晩年の梅棹氏へのインタビューということで、全体的に、徹底的に聞き出すというよりも、梅棹氏に気持ちよく話してもらう、という点に重点がおかれているような印象を受ける。

    しかし、タイトルが示すとおり、梅棹氏が、氏の人生において培った教訓や、今感じていることを、非常に平易で、かつ非常に強い言葉で語ってくれている。

    ぼくが、最も強く印象に残っているのは、日本の放送産業・電波産業が勃興してきた時代に、「情報」という目に見えないものを提供する放送各社が「放送おめかけ論」という自己卑下に陥る中で、梅棹氏が放送局に対して語った「何を言うてる、情報をつくっているのに」という発言である。

    放送業界を目指したことがある、または現在身をおいている方なら、当然のように思われることかもしれないが、「情報をつくる」というのは、ぼくにとって非常に新鮮な響きを持った言葉だ。

    その回想の直後に、梅棹氏が「情報が勝手にあるもんだと思っとる」と発言しているが、ぼく自身、テレビが発する情報についてそうした認識であったように思う。

    ニュース一つを考えてみても、ただ現実に起こっている出来事をそのまま伝えるために、事件を取材し、必要部分を切り取り、内容を文章化し、放送に乗せているのであって、勝手にあるものを流しているわけではなく、「作る」という行為が伴っている。
    場合によっては、さらにそこに、過去とのつながりや、環境とのつながりを加えた内容にすることによって、現実に起こっている出来事の情報を、さらに付加価値を与えた情報へと作り上げることも可能になる。
    こうしてレビューを書くことも、もしかしたら情報を作っているのかもしれないし、あらゆる表現行為が、情報を作るという行為に繋がっているのかもしれない。

    そうした、日常の様々な状況、その時々の考え方について、違った視点から見る、考えるきっかけを与えてくれるメッセージが本書には散りばめられているように思う。

  • 語られている内容については、よく理解出来る。しかし、実際に自分で実践するとなると、こうは出来ないなと感じた。
    自分の足で歩いて確かめ、自分の目で見て観察し、自分の頭で考える。
    確かに、このスタンスは重要だ。頭で学問しても仕方ない。共感出来るが、そう言わせるだけのバックボーンを備えられていない自分には、こんなにだいそれた事は言えない。これだけの事を言うには、やはりそれなりの知識が必要なのではないだろうか。

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