先生も知らない世界史

著者 :
  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784532263232

作品紹介・あらすじ

「なぜ人類は定住生活を開始したのか」「イギリスはなぜ繁栄したのか」「海運業と貿易の違いは」--。テレビで人気のものしり予備校教師も知っている範囲は、大学入試で出題される可能性がある小ネタの集積。研究者ではないのでこの十年で明らかになった新事実は知りませんし、時代遅れになった学説やイメージに縛られています。本書は、興味深い新情報を取り上げ、歴史の新しい見方を読者に示します。

感想・レビュー・書評

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  • 西洋経済史を専攻研究する大学教授が、視点を変えて視た歴史(人と経済)の動きを考察した新書版。覇権国家(ヘゲモニ-)としての存在感は、経済力と軍事力を前提として世界の頂点を目指してきた。近代世界は「未開拓の土地」が消失し、新しいマ-ケットでの利潤追求による経済成長が望めない。さらにデジタル・メディアによる経済戦略と市場支配が、世界の経済システムを崩壊させつつある。もはや「ポスト・アメリカ」に代わる中核的国家は存在しないと、著者は結んでいる。

  • どの辺りかよくわからない!

  • 近代西欧史の専門家による、世界史トピック集。時代の順で述べられているため、近代世界史について新たな研究成果を含めて学習できるようになっている。著者の作品は今までにも何冊か読んだことがあるので既知の内容もあったが、理系の私にも興味深い項目が多かった。論理的で説得力があり、かつ読みやすかった。簡易に述べているようで内容は深く、勉強になった。
    「地中海は、まずフェニキア人によって、ついでローマ人によって開発されました。私は、ローマ人よりもフェニキア人のほうが重要だったと考えています」p39
    「(アッバース革命)アッバース朝になって、イスラーム王朝はさらなる飛躍を遂げます。正統カリフ時代とウマイヤ朝は、アラブ人のイスラーム王朝でしたが、アッバース朝は、アラブ人の王朝からイスラーム教徒による王朝へと変貌しました。アッバース朝の領土は、最盛期には、イベリア半島から中央アジアまで及ぶほど広大でした」p45
    「(アッバース朝時代)ヨーロッパは、長期間にわたり、イスラーム勢力に対抗することができなかったのです」p46
    「ヨーロッパがアジアよりも経済的に優位に立ったと言ってもよい時期は、おそらく18世紀後半のことでした」p54
    「「アジアはヨーロッパよりも、有史以来ずっと遅れていた」それが長い間、歴史家に根ざした考え方でした。たとえばカール・マルクスは「アジア的生産様式」と言い、ヨーロッパが進歩するのに対し、アジアは全く変わらないという考えを表明しました。私たちは、このような考え方が、現在では時代遅れになっていると感じています」p73
    「(欧米の比較による研究方式)かなり恣意的な比較にならざるを得ないように思われます」p77
    「(欧米の比較による研究方式)欧米の歴史家は、比較というものが簡単にできると思いがちです。それは、彼らの歴史研究の大きな問題点だと考えます」p80
    「重商主義時代(17世紀)とは、圧倒的に経済力があったオランダに対して、各国が保護政策をとった時代だとみなせるのです」p109
    「オスマン帝国が、16世紀のスレイマン一世の治世下で最盛期を迎えたことはよく知られています。1529年にはオーストリアのウィーンを包囲して、もう少しで陥落させるところまで追い詰めました。この頃は、どう考えてもヨーロッパよりオスマン帝国の方が軍事的には強かったのです。おそらく、経済的にもそうだったでしょう」p122
    「近代世界システムの特徴は、ウォーラーステインのいう「飽くなき利潤追求」にあります。しかし、持続的経済成長が可能であった時代は、もう終わりつつあるのです。近代世界システムは、終焉を迎えつつあるといってよいと思います」p222
    「(貧富の格差)近代世界システムが、新しい利潤の源泉を、本来ならば労働者の手に入るはずの賃金に見いだしているからにほかならないように思われます」p225
    「ときおり「ポスト・アメリカ」はどこかということが議論の対象となります。それは、近代世界システムが今後も存在するという前提での議論です。中核のない時代には、近代世界システムは存在できません。したがって「ポスト・アメリカ」はない、というのが、私の考えです」p227

  • 高校二年生の時に世界史の授業が週に2回程度あったのは覚えていますが、分厚い教科書であり、おまけに理系だった私は内職をしていたせいもあって、どのような世界史の授業がなされていたか、恥ずかしながら覚えておりません。

    社会人になって、日本史は興味をもち、歴史小説・歴史事件を解説したものを読み始めましたが、範囲の広い世界史を最初からやり始める気力の無い、でもなにか知ってみたいという私の興味を満たしてくれるのが、ここで取り上げるような本になります。

    通史の感覚で、全体の流れを解説してくれるものや、あるテーマ(この本の3章では、なぜイギリスがトップになれたのか)に絞って解説してくれるのは、興味深く読めます。このような本は今後も読み続けたいですね~

    以下は気になったポイントです。

    ・狩猟採集民の方が、農民と比較して栄養状態が良かったと思われる、農業が誕生する前の平均寿命26歳に対して、農業が登場してからは19歳へと下がっていることから(p15)

    ・農民は狩猟採集民族以上に勤勉に働かなければならない、人類が勤勉になるために農耕生活へ移行したのかもしれない、そうとしか考えられない、これは最大の謎である(p19)

    ・アケメネス朝ペルシアは、新バビロニアを滅ぼし、ユダヤ人を解放、前525年にはエジプト併合してオリエントを統一するような大帝国であった。(p24)

    ・イタリアの銀行では、為替・貸付・投資機能が大きく発展したものの、銀行の貸し出しによって通貨供給量が増えるという信用創造制度は発展しなかった。海上保険業が発展したが、確率論を欠いていたので保険料率を計算できなかった(p31)

    ・地中海では、1570年頃から北ヨーロッパからの穀物輸入を余儀なくされた、オランダのアムステルダム、ポーランドのダンツィヒ、ハンブルクからの船舶数が上昇している、イタリアの船舶は活躍できなかった(p35)

    ・アッバース朝は、アラビア人の王朝からイスラム教徒による王朝へと変貌(アッバース革命)した、この領土は最盛期には、イベリア半島から中央アジアまで及んだ、この王朝によりイスラム教は、アラブ人の宗教ではなく民族とは関係ない世界宗教になった(p45)

    ・ハンザ同盟は、ヴァイキングの商業ネットワークを引き継いだと思われる(p50)

    ・ポルトガルは1444年に海路サハラ砂漠の南に位置するギニアに達した、このためイスラム教徒によるさっはら砂漠縦断航路に依存することなく、直接アフリカ南部の金を入手できるようになった(p58)

    ・奴隷上陸数は、16世紀はスペイン領アメリカ、17世紀まではブラジル、18世紀はイギリス領カリブ海であった、イギリスの奴隷貿易が他国より多かったのは18世紀のことで、ほとんどの期間においては、ポルトガルがどの国よりも多くの奴隷を輸送、ブラジルに上陸していた(p64)

    ・イギリス南海泡沫事件の以前にはオランダはイギリスやフランスに投資していたが、それ以降はイギリスにのみ向かうようになった、イギリス国債を購入した(p68)

    ・ポルトガル海洋帝国は国家の力弱く、商人の帝国であったので、海外領土が征服されてもポルトガル商人の影響力は残った、18世紀末までポルトガル語は欧州言語では、アジアで最もよく話された(p70)

    ・イギリスはポルトガル海洋帝国のいくつかの領土を自国領にした、ポルトガルが開拓した航路を使用しイギリス船を航海させた、イギリスが金本位制を採用したのは、1703年にポルトガルと結んだメシュエン条約の結果、ブラジルの金がイギリスに流入したから(p71)

    ・オランダがイギリスに投資したからこそ、イギリスはヘゲモニー国家になれた、ポルトガルがいたからこそイギリスはアジアに進出、新世界で砂糖の生産に成功した、オランダとポルトガルのお陰(p72)

    ・近世の欧州では、アムステルダムを中心として、価格表・商業新聞などにより、市場の情報がかなり出回るようになり情報の非対称性が少なくなった、その結果、多くの商人の取引リスクが低下した、これは世界ではこの地域だけ、これが欧州の強味(p84)

    ・フランスの税制は直接税である地租が中心、奢侈品に対する消費税が中心のイギリスと異なり、経済成長により税収は伸びない、フランス革命が起きたのはフランス税制では税収が増えず、国庫がひっ迫したから(p96)

    ・イギリス東インド会社が長続きしたが、1877年にはインドは直接本国が統治するようになった、東インド会社がなくてもイギリス本国はアジアを直接統治できた、情報のやりとりの時間が短縮されたので(p111)

    ・日本は中国に銀を輸出したが、輸送において、ポルトガル人、オランダ人、中国人が活躍していて、日本の商人ではない(p117)

    ・1620年代になると、中東ではキャラバン隊による陸路ではなく、イギリス・オランダの東インド会社の喜望峰ルートの輸送が多くなった、これはオスマン帝国経済にマイナスとなった、胡椒と反対に価格が上昇したのは、綿織物、インドキャラコを輸入するようになったから(p124,125)

    ・イスラム商業の衰退は、アジアからヨーロッパに輸出される商品が香辛料から茶に変わったことと、欧州の船舶を使うようになったこと(p128)

    ・1013年にデンマークのカヌート王により、イングランドはデンマークの一部となり1042年まで続く、そして1066年にはフランスのノルマンディー公によるノルマン征服があった、1154年にはフランス貴族のアンジュー伯がイングランド王となり、アンジュー帝国(ブランタジネット朝:1154-1399)となる。イギリスの公用語はフランス語となり、英語は土着の言葉となる、英仏で行われた百年戦争の間の1362年に、イギリスで英語が公用語として認められる(p136、138)

    ・1603年にエリザベス一世がなくなると、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王1世として即位する、これがイングランドとスコットランドの合同の開始、正式に合同するのは1707年のこと(p140)

    ・スペイン継承戦争によってイギリスの債務は1600→5300万ポンドとなる、その返済のために南海会社が設立される、1720年にはその会社がイギリス公債を引き受けることになった。南海泡沫事件以降に、イギリスの金融政策は1649年設立のイングランド銀行に集中される(p142)

    ・イギリスは、まず帝国内部の海運業を自国船で行い、ついてイギリス勢力下にあった帝国内部でもイギリス船を使用するようにした、これがオランダとの違い(p145)

    ・茶の減税法が施行される以前は、イギリスへの最大の茶の密輸国はフランス(高級茶)、ついでスウェーデン(低級茶)であった(p165)

    ・イギリスの経済成長率は、産業革命と呼ばれる1760-1830年においては決して高くない。戦争が民間部門の活動を抑圧したため、産業革命を成功させたのは、国境を越えた国際貿易商人の非合法貿易(密輸)ネットワークであった(p167、174)

    ・重要なこととして、イギリスは1790-1815年の間に、債務国から債権国、外国からの借金ではなく自国の税金で戦争を遂行できるようになった(p172)

    ・ブラジルーイギリス間の情報伝達は、1820年には62日(帆船)であったが、1851年には30日(蒸気船)、1872年には18日、1875年には1日(電信)となった(p179)

    ・ニューヨークーサンフランシスコの情報伝達は、1840年の段階では、3か月であった。パナマ地峡ルートにより1858年には46日間、更に大陸横断鉄道により1週間となった(p180)

    ・イギリスの綿は、北米大陸からイギリスを経てアジアまでほとんどすべてイギリス人によって運ばれた、これによる利益は極めて大きい、海上保険会社としてロイズを使用、これにより益々利益が流入する、これが世界支配につながった(p188)

    ・世界中が電信でつながれたため、国際貿易の決済のほとんどがロンドンで行われた、イギリス経済の多くが電信で支えられていた、なので工業生産でアメリカやドイツに負けても、電信によりロンドン金融市場で国際貿易決済が行われている限り、問題なかった(p200、201)

    ・アメリカでは電話が発達してビジネス界で使われていたが、電話では決済ができないのが弱点であった(p201)

    2018年6月18日作成

  • イギリスは何故紅茶を好むのか。
    興味があり手に取った。
    東インド会社からの正規輸入品紅茶葉は高関税で、庶民には手に入らない。で、スウェーデン東インド会社や、フランスから密輸入された、安い茶葉を庶民は飲むことが出来た、とのこと。(スウェーデンもフランスもコーヒーを飲む国)
    しかしこれはイギリス人の紅茶好きが、招いた結果に過ぎないのではないだろうか。

  • なるほどと思わせる記述がけっこうあって、そして他の学説への批判も面白く、良書。

    ソフトな語り口で基本的には易しいのだけど、なんだろうなあ、ちょっと情報を詰め込みすぎの感があって、ところどころわかりにくかった。

  • 会社の近くの書店に平積みにしてあった本を手に取ったのだけど、ちょっと失敗だったかもしれない。

    まず、誤植の放置。英ファルマス-ニューヨーク間の帆船航海が1817年に107~122日であったと述べたのに続き、1825年にロンドン-リヴァプール間が55~65日と大幅に短縮したとある。多分、リヴァプールではなくてニューヨークとかボストンとかの間違いなのだろうけど、明らかな校閲不足だ。

    他にも、例えば、イギリスが1784年の減税法までは茶葉に高関税を課していた時代、インドの中国の茶葉はフランスやスウェーデンを経由して密輸されていた、というくだりでも、この主張の論拠となるブルターニュやアムステルダムの貿易計数が延々と出てくるのだけど、専門書ではないのだから文章は簡潔な方が良いし、計数は図表化した方がわかりやすい。

    「先生も知らない」とトリビアを狙うあまり、強引に誰かの説を引いて批判を加えてたりするのだが、ロビンソン・クルーソーが奴隷貿易を背景にしているというのはどの本にも書いてあることだし、そもそも彼が無人島に漂着した黒人に対して自らを「マスター」と定義するところにその片鱗が現れている。

    せめて、ちゃんと校閲してから出して欲しかった。

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著者プロフィール

玉木俊明(たまき・としあき)
1964年生まれ。京都産業大学経済学部教授。著書に『近代ヨーロッパの誕生』『海洋帝国興隆史』(講談社選書メチエ)、『金融課の世界史』『ヨーロッパ覇権史』(ちくま新書)などが、訳書にパトリック・オブライエン『帝国主義と工業化 1414~1974』(共訳、ミネルヴァ書房)などがある。

「2022年 『世界をつくった貿易商人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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