勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

著者 :
  • 日本評論社
4.14
  • (68)
  • (74)
  • (26)
  • (6)
  • (2)
本棚登録 : 1022
感想 : 83
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784535563292

作品紹介・あらすじ

「なんで勉強しなきゃいけないの?」──誰もが一度は考える、でも誰も答えられないこの疑問に、哲学を使って「納得解」を出す!

【目次】
はじめに


第1章 「一般化のワナ」と「問い方のマジック」

  1 落とし穴その1:一般化のワナ

    「経験」は人それぞれ/学校の先生と塾の先生、どっちがいい?/先生だってひっかかる/少年少女は凶悪化した?/みんなが納得できるだろうか?

  2 落とし穴その2:問い方のマジック

    二者択一のワナ/一〇人乗りの救命ボートに、一一人が乗り込んだ……/第三のアイデアを

コラム1 超ディベートについて


第2章 なんで勉強しなきゃいけないの?

  1 どうして答えが出ないのか?

    「納得解」を見つけよう/ニヒリズムという〝どん詰まり〟/「神は死んだ」

  2 「答え」を出すにはこう考える

    ニヒリズムを乗り越える/「問いの立て方」を変える/自分にとっての正解を/条件を整える

  3 〈自由〉になる――だれもに共通する「答え」

    「生きたいように生きる」には/〈自由〉になるため/この章のまとめ

コラム2 「唯一絶対の正解」ってほんとにないの?


第3章 なんで学校に行かなきゃいけないの?

  1 なんで勉強を強制されるの?

    二つの〝正論〟/やっぱり勉強なんて役に立たない?/学力=とどのつまりは「学ぶ力」/探求型の学び/「学び」のこれから

  2 学校に行くのは何のため?

    どうすれば〈自由〉になれる?/〈自由〉をめぐる戦争の歴史/戦争がなくならない理由/〈自由の相互承認〉の原理/〝感度〟をはぐくむ

  3 学校に必要なこと

    がんばってきた日本の学校/日本の教育は悪平等?/何が必要な「平等」か?/いじめ、体罰、そして教育の未来……

コラム3 道徳教育のジレンマ


第4章 いじめはなくせるの?

  1 いじめはどうして起こるのか?

    いじめの根源/厳罰主義か、更生主義か/自己不十全感/逃げ場のない教室空間

  2 いじめのなくし方

    人間関係の流動性/信頼と承認/教師の多様性/教師への信頼/なぜ体罰はダメなのか?



コラム4 「コミュニケーション力」は一つじゃない



第5章 これから学校はどうなるの?

  変わりゆく学校/学校に代わるもの?/教育の未来のために


ブックガイド・参考文献


あとがき

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 学校教育の最上位の目的は自由の相互承認の感度を高めること。
    そのために学校として何ができるのか示唆に富んだ本だった。

    自由の相互承認というとちょっと難しいが
    幸せとか、なりたい自分になるとか、そんなことだと思う。

    学校としての制度の限界もあるが、
    今、自分にできる、アプローチできることは何かを考える。
    現状に満足せずに、現状を問い直す。
    このスタンスが大切だと思った。

    例えば、自由進度の学習や、探求型の学習は
    取り組めること。
    ただ自分が良い、惹かれた、から
    取り組むのではなく、なぜ取り組むのか。
    そこを自分が納得していることが大切だと思う。

    上滑りの言葉でなく、腹落ちした自分の言葉で
    語ることは必ず聞いてる人には伝わるものだ。

  • 小学生が読むならいいかもしれないが…
    うーん…

    一般化のワナ、問い方のマジック

  • 孫を育てる子どもたちに、読んでもらいたい内容だ。
     わたし自身も初めて知った根本的な勉強することの意味。学校に行く意味。こういうことを分かった上で、あるいは見つめたうえで、学ぶことができたら(もちろんそういったことを実現しょうとする環境も必要)きっと子どもたちは、もっと多様な姿勢で意欲的に学ぶことに向かっていける。

     中学生向けに書かれているので、子どもに直接読ませたいが、彼らの生きる環境をになっている親にまず読んでもらいたいと思った一冊。

  • これは良書だと思います。タイトル通り、子ども達に読んでもらいたいのはもちろん、子を持つ親も一読する価値がある本です。

    「人間」として「自由に生きる」ために学ぶ。
    「社会」の中で「自由に生きる」ために、世界を学ぶ場として学校に行く。

    二者択一を迫る問いには注意しなくてはいけない、唯一の答えなんてないのが普通、だから「その時の自分にとっての答え」を他の人にも納得できる形で考え続ける必要がある、という自分にとっての哲学を教えてくれる本です。大人も学びを得られる本です。

  • 大学の卒業制作のときに参考文献として読んだ本。
    教育の道に進もうとしたとき、「そもそもなんのために学校に通うのか、なんのために人は学ぶのか」を知っていなければ、本当の意味で子どもたちのためになる教育はできないと考えて「学ぶとは何か」をテーマに研究をした。
    理科のゼミに所属していたのに、最終的には教育哲学的な卒業制作が完成した。笑

    とてもわかりやすく簡単な表現で書かれているため、教育哲学について興味がない教育学部生さんでもサラッと読める!
    学ぶ側はもちろんのこと、教える側になる人にも是非読んでもらいたいおすすめの本♪

  • 著者の答えは
    「なんで勉強しなきゃいけないの?」→自由になるため
    「なんで学校に行かなきゃいけないの?」→「自由の相互承認」を身に付けるため

    いじめやこれからの学校についても語られています。

    「一般化のワナ(自分だけの限られた経験を、ほかの人にも
    あてはまるものとして考えてしまうこと)」と
    「問い方のマジック(二者択一問題を提示されると、
    思わずどちらかが正しいんじゃないかと思ってしまう)」に
    引っかかってはいけない、肝に命じたいと思います。

  •  なぜ勉強するのか。
     誰もが子供時代に一度は疑問を抱き、大人になって子供を持ったら「自分は息子・娘に絶対に勉強しろと言わないでおこう」と誓っておきながら、いざ実際に子供を持つと、われわれは納得できる理由も言わずに念仏のように「勉強しなさい」と彼らに言い続けているのではないでしょうか。
     本書の著者である苫野さんは教育学と哲学の専門家であり、通常は交わることのない学問分野を同時に修めている片です。ですが、教育のありかたを突き詰めて考えるという教育学者がやっていることは教育を哲学するというなので、改めて考えてみれば教育学と哲学は理にかなった組み合わせではないでしょうか。
     この本で語られている「なぜ勉強するのか」に対する答えは「自由になるため」。この答えは個人的には非常に腑に落ちるものでした。この短い答えだけでは理解しにくいと思いますが、これはこれまでに目にしたこの問いに対するどの答えよりも納得できるものでした。
     なお、本書にはなぜ勉強するのかという問いだけでなく、なぜ学校に行くのか、なぜいじめはなくならないのかという、教育や教育の現場で必ず出てくる問いも扱っています。これらの問いが相互に関係し合い、教育に対する著者の考え方に収斂していきます。
     中高生を読者と想定して書かれた本書ですが、万人にお勧めします。面白いです。"

  •  誰もが一度は疑問に思うことで、子どもから聞かれたらどう答えたらいいだろうと思っていたこと。答えではなく納得解が提示されていたが、なるほど納得できた。個人の経験を世間一般論に置き換える「一般化のワナ」と、二者択一でどちらが正しいかを対立させる「問い方のマジック」で語られがちだが、絶対的な正解は存在しないと認めることが大事らしい。自らが自由に生きるため、他者の自由も尊重するために、その子なりの答えを見つけられるよう手助けできたらいいな。読みものとして面白い本だった。

  • 勉強に対する考え方をわかりやすく教えてくれる本

    勉強するのは自由になるため
    めちゃくちゃしっくりくる(^^)

    だからこそ、勉強って本来楽しいもののはずなのに、なんで勉強嫌いがおおいんだろう

    勉強して自由が得られた経験が少ないから?
    そもそも身になる勉強をする機会がないから?

    私は生涯勉強だと思っているので、死ぬまで自由を追求する\( ˆoˆ )/

  • 腹落ちしました。
    苫野さんの本は2冊目ですが、考え方の大切なところに深く入ってくるように思います。

    私たち人類は1万年以上もの間「自由になりたい」という欲望を達成するために相手の自由を奪い合って来た。
    しかし二百数十年ほど前にようやく争いをできるだけ無くすことのできる考え方を掴み取った。発見したのはヨーロッパの哲学者たち。とりわけルソーやヘーゲルであった。

    ひとはなぜ戦争を止めることができないのか?
    それは
    「人間がそもそも自由になりたいという欲望を持っているから」

    相互自由承認の感度を身につけるために
    わたしたちは学校に行く。
    みんなが自由になるために
    平等に感度を育てる機会を与えられるべきである。またそのかたちは多様にある。


    納得のできる内容でした。

全83件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

哲学者・教育学者。1980年生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了。専攻は哲学・教育学。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか、全国の多くの自治体・学校等のアドバイザーを歴任。著書に『学問としての教育学』(日本評論社)、『「自由」はいかに可能か』(NHK出版)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマ―新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『教育の力』(講談社現代新書)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)など多数。

「2022年 『子どもたちに民主主義を教えよう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

苫野一徳の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三浦 しをん
三浦 しをん
西 加奈子
ヴィクトール・E...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×