- Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560047347
作品紹介・あらすじ
チターを弾く大みみず、仔牛の肺臓製のレールの上をすべる奴隷の彫像…熱帯アフリカを舞台に繰り広げられる奇想の数々。
感想・レビュー・書評
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面白かったー これは星五つじゃ足りない。
前半の意味を剥ぎ取られた事象だけが淡々と進む場面はまさにシュールリアリズム。後半でそれぞれの事象の隠された意味が語られるんだけど、これがまた見事。
原文で味わえないのがとても残念だけれど、解説でその一部をうかがうことが出来、今度はその作法に驚かされる。
まさに天才の手による作品だと思う。
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銃撃で卵の殻をむく狙撃主。甘美なハンガリアン舞踊を奏でカデンツァまで披露する大みみず。しゃべる馬。アクロバット兄弟。水中花火大会・・・。
出し抜けにはじまり次々と披露されるアフリカ・ポニュケレ国での「奇想天外の演芸大会」(解説より)においてきぼり。
が、読み進めるにつれ、奇天烈なイメージの奔流に流されることに愉しみを見出し、そのアリス的な狂騒とでも言うべきシュールレアリステックな奇譚に魅入られる。(デュシャン・ブルトン・ピカビアらダダ・シュルレアリストらの熱狂)
そしてそれらは、単に奇譚集として散りばめられるのみならず、作品の後段において個々の奇譚を奇譚たらしめた背景が再び物語られる。
ルーセルはこの作品を次のように記した。
<blockquote>“それ(≒ひとつの文:引用者)を音声上の要素に分解し、その要素から他の単語を再構成して、話の横糸にするのである。『アフリカの印象』と『ロクス・ソルス』に現れる顕微鏡レベルの奇跡や無益な機械仕掛けは、すべて言語的素材の解体と再構成の産物でしかないのであり、その素材は、空中に投げ出され、霧のように飛び散った後、厳密な意味で「種種雑多」と形容し得る様々な形象に沿って、降り積もるのである。”</blockquote>(フーコー『なぜレーモン・ルーセルの作品が再刊されるのか』)
物語を形作る言葉は現実との関係を取り結ばない。言葉は「種種雑多」に異なる形で言葉に再帰し反復する。そこにフーコーはルーセルのアクチュアリティを見出す。