- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560049884
作品紹介・あらすじ
母語である第1言語の土台が貧弱であやふやなものであれば、その上にのる第2言語つまり外国語は、母語の程度に見合ったものにしかならない。外国語の学習の基本は母語にあり。まず日本語を鍛えよう!
感想・レビュー・書評
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2008年か2009年ごろに当時の会社の先輩から紹介されて購入した本。その後海外への引越し等で紛失。どこに行ったのかと思ったら、偶然発見。
現在、海外で生活し、英語を日常的に使う環境にある。著者の指摘する日本語と外国語の違いを感じていたが、それを見事に言い当ててくれている。
ナンバリング、ラベリングはビジネスの現場で言語に関係なく重要なものである。その他第3章、4章は外国語習得だけでなく、正しくコミュニケーションを日本語で行うためにも必要最低限なスキルである。
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日本語で、外国語に翻訳しやすくするために、どのように日本語を書いたらいいのかについてのレッスン。日本語に慣れ親しみ過ぎていると、会話が成立していなくても気にせず進めることができるが、他言語ではそうはいかない。
日本語は相手の返してきた言葉が、直接の回答でなくても、ついかで質問をしたりするなど、「空気」を読んで会話が成立したっぽいことにしてしまう。
この本のなかで、「最近どう?」とっていう切り出しが、相手に回答を委ねるために、本来聞きたいことが聞けない可能性や、理由をしつこく聞かないことが、日本語の特質とあって、人によるが、まあ、そういうこともあるな。とは思った。
外国語を学んでも、日本語感覚でしゃべると、たしかに、詰問されている感じになってしまうかもしれないが、それは単に明解にしゃべっていないからなのだという話。すごい。というと、何がどうすごいのか。と分解して具体的な数値やテクニックなどのディテールについてしゃべることができるか否か。という練習がいるよね
ってはなし。 -
外国語を話そうとするとき、ふと自分が話している日本語そのものに欠陥があることに気付くことがある。「あれ」や「なんとなく」などという曖昧な言葉を使ったり、とりあえず思いついたことを思うままに喋ったり。母国語だからこそそれでなんとかごまかせるが、外国語という自分では不自由な道具を使うときにはそれらが障害となってしまう。
本書は外国語を話すためにはまずは日本語そのもの(話の構成の仕方や問いに対する答え方など)を立て直さなくてはならない、という考え方が根底にある。つまり、外国語を身につけるための「日本語」レッスンなのであって、この本には外国語そのものは出てこない。そのかわり、欧米人が当たり前に身につけるとされる言語技術についてが、日本語でふんだんに記されている。
外国語に関する本は数多あれど、日本語そのものに着目した本も少なかっただろう。そしてこの着眼点は自分もなんとなく大事だと思っていたことなので、とても興味深く読むことができた。良著。
◼️p26-27 「おめでとうございます。今日のジャンプはどうでしたか?」すると、さすがベテラン通訳は冷静なもので、「おめでとうございます。今日のジャンプは、素晴らしい大ジャンプでしたね。このジャンプについて、あなたはどう考えていますか?」と、即座に言葉を補って、具体的な質問に変化させていたのです。そして、選手が長々と「今日のジャンプ」についての自分の考えを披瀝すると、通訳は再びすました顔で、「自分でも会心の出来だったと思っています。最高の舞台でベストを尽くせたことを嬉しく思います」などと、かなりはしょって「どうでしたか?」でアナウンサーが求めていたと思われる言葉のみを部分的に取り上げて通訳していたのです。
外国語を単に使うだけじゃなくて、それで「コミュニケーションをする」というのなら、上記のように日本語の使い方についてももっと省みる必要があるだろう。この本はそのきっかけと多くの役に立つヒントを与えてくれるはずだ。 -
英語という外国語を日本語から翻訳するとき、肝要なのは言うべきこと、言わんとしていることが明確になっているかどうかだ。「察し」の文化である日本語話者はこの点をついついないがしろにしてしまう。
主語と述語。指示代名詞が何を指すのか。
日本語は主客同一の世界である(例:川端康成「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった(雪国)」)。そのために主語を明確にする英語・独語・仏語へ翻訳するときに齟齬が出てきてしまう。
例えば先の『雪国』冒頭を日文研究科のサイデン・ハッカーが訳すとこうなる。
THE TRAIN came out of the long tunnel into the snow country.
日本語が明確でない理由は主語が明確で無いことに起因することが多い。
英語は結論が先に来る(SVO構造)のに対し、日本語は文末に来る。
著者はこのような日本語の特性を「羅列型レトリック」と呼び、対して欧米は「問答型レトリック」であるという。
いわれてみれば、日本語で会話するときに自分が思っていることをただ羅列して対話にならない人、ことが多い。事象を説明して、「どうですか?」という抽象的な問い。
本書の題名に「レッスン」とあるように、そのような日本語から外国語(欧米語)を身に付けるために対話力をつけるトレーニング方法が紹介されている。
このトレーニングをするにあたって、以下の4つを意識して、下記6つのトレーニングを行うとよい。
【意識】
1.主語を入れる。目的語を入れる。
2.結論とその理由を述べる。印象から分析へ。
3.ナンバリングを用いる。
4.結論を限定する。
【トレーニング】
1.好きか嫌いかを問う。
2.どちらが好きかを問う。
3.〜はどうでしたか?と問う。
4.それは事実か意見かを問う。
5.賛成であるか反対であるかを問う。
6.たしかに〜でも、…と相手の意見を受けて、自分の意見を問う。 -
英語を身につけるための本ではなくて、英語でもコミュニケーションを取れるようにするために日本語のコミュニケーションスキルを身につけるのが目的。
僕が高校までの国語教育に対して抱いていた疑念に見事に応えてくれていて、英語スキルの肥やしにしようと思っていたが、なぜか国語教育の改革の必要性を確信してしまった。 -
この年で外国語を身につけたいというよりは、自分は日本語もまんざらにできないのでは?という危惧と猪瀬さんの「言葉の力」、田嶋さんの「「言語技術」が日本のサッカーを変える」で引用されていて、ぜひ勉強しなくてはと手にした一冊でした。
内容は「目からうろこ」の記事がいっぱいで、このような教育を小さいうちからできていれば、私の「国語嫌い」もかなり、違った方向に進んだのではないかと思います。
日本文化を客観的に見直すとともに、言語技術を身につけるために、多くの日本人に読んでいただきたいですね。 -
母語以上の能力を外国語で発揮することはできない。
気づいてはいたものの、痛いところをつかれた。
ある程度のレベルまでは外国語が日本語を引っ張っていってくれることもあるが、
そこからさらにレベルをあげるためには、その外国語にまつわる文化と歴史を理解するとともに、母語のレベルもあげなくてはいけない。
ただ、この本に書かれていることは、日本語のレベルを挙げるためのテクニックではなくて、
より外国語を通してのコミュニケーションを円滑にする為のスキル。
日本語を鍛えるというのとは少し違う。
とはいえ、いまの世の中で学ぶにせよビジネスシーンにせよ、曖昧さを潰してコミュニケーションを円滑にするスキルは必要不可欠。
その為には具体的でわかりやすい方法が書かれている。-
英語をナチュラルに話したいと勉強中ですが、レビューを読んでとってもこの本、気になりました!英語をナチュラルに話したいと勉強中ですが、レビューを読んでとってもこの本、気になりました!2010/10/25
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日本語の言語の構造と様々な外国語の構造を比較しつつ語学学習について語る的な本かな?と思って読んだら方向性が違った。
外国語の文法や単語や発音を学んだとしても、言語技術、つまり思考と表現の方法論も学ばなければその言語を使う人々と対等に意見を交わすことは難しい。自分の意見を適切に主張できるようになるために、まずは母国語である日本語で言語技術を身に付けるべき、というような本。
筆者の主張には概ね賛成だけど、タイトルと本書の内容は少しズレている気がする。どちらかというと「(外国語を身につける前にやっておくべき日本語での)言語技術レッスン」ぽいイメージ。
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日本人の文化として曖昧さや、察するという物があります。高コンテクストのため言語よりもニュアンスや共通の認識で会話がすすむため、そのまま外国語に翻訳しても何が言いたいのかが分からない、ということになります。それを無くすため、まずは言語化、明文化する方法について書かれた本です。外国の人と話す機会が多い人はもちろん、わかりやすく話すためにも大切な考え方だと思います。語学学習のためには良い本だと思います。日本語の良さも大切にはしてほしいです。
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母国語でできないことは、外国語でできない。当たり前のことが理解されずに、小学校での英語必修化となった今、読むべき本の一つだ。まずは、母国語で伝える技術を身につける必要があると再認識した。そうした力を身につけるための術が、とても分かりやすく書かれている。外国語学習をしている大人にもお勧めの本である。