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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
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考えるという言葉はそもそも、考えているということを自分が意識している場合にのみ用いられる。僕はどうだったろう。たしかにファンショーは僕の頭から一時も離れなかった。何か月ものあいだ、昼も夜も、彼は僕の中にいた。でもそのことは僕にはわからなかった。とすれば、自分が考えているということを意識していなかったわけだから、これは「考えていた」とは言えないのではあるまいか?むしろ、僕は憑かれていた、と言うべきかもしれない。
― 86ページ -
たいていの場合、人生というものは、一つの地点から出し抜けに別の地点へ移行することの連続ではないだろうか。押しあったり、ぶつかったり、身をくねらせたりのくり返し。ある方向に進んでいたと思ったら、途中でぐいと進路が変わり、立ち往生し、流され、またはじめからやり直す。結局何ひとつわかりはしない。いかなる場合にも、必然的に、はじめにめざした所とはまったく違った場所にわれわれは行きついてしまうのだ。
― 104ページ
みんなの感想・レビュー・書評
ニューヨーク三部作の一つだが、他二作が
「何者なのかわからないヤツ」を追いかける話だったのに対して、
これは「失踪した親友」を捜す物語で、
三作中、一番読み応えがあった。
鍵のかかった部屋の扉は
「僕」と「彼」を隔てる壁だったのか……。
ニューヨーク三部作の中でいちばん好き。三作目にして、なにかオースターの中に解決の糸口が見えたのかなと思わせる感があった。
『リヴァイアサン』でもそうだが、面白いのは、失踪した友人を探したり、探さなかったり、友人のことを考えなくなる時期があると思えば、頭の中が友人のことでいっぱいになったりする、物語の波がある点。不在の友人とは別に日常ではいろいろな事件(仕事や家庭で)が起こるわけで。本作の場合、探している友人が自分自身の写し鏡でもあったりするんだけど、人間関係ってこういう、っていうリアリティ・・・。
『トゥルー・ストーリーズ』にオースターの実体験として登場する逸話が、フィクションとして登場したりもする。わかりやすく代表作だと思う。
ポール・オースターのファンなら必読。そうでなければ、最初の数ベージを試し読みしてビビっとくれば、買うべし。好き嫌いが別れる小説。
こういうの読むと、自分や他人の存在の危うさにひやひやする。そういうのももう飽和してるよお腹いっぱいだなぁ、と思いつつふと思い出してしまう時がある、そんな小説です。
これでNY三部作を読破した。本作は一作目のシティオブグラスで登場した人物がちょくちょく登場していた。物や人の名前は全て人間が決めたもの。三作を通じて私のラベリング理論に対する見解を深める事ができた。とにかく言えるのが、一貫して三作どの作品を読み終えても不思議な感覚にったということ。
ファンショーの存在がもっとぼかされてるほうがのめり込めた気がする。
トントンと物語進むけど、訥々としすぎてるかんじで普通。
途中まではすっごく面白かったんだけど、終盤ちょっと緊張感が切れて来た。オースター作品はラストに向かう展開の仕方が本当に上手だと思う。ラストがどうなるか、というよりもその瞬間瞬間の現在を楽しめる。十年くらい前に初めて読んだ時は全く印象に残らなかったけれど、二度目読み返してみたら地味に良かった。この人の描写の独自さは本当すごい。
大学の授業で原著を読んで以来だと思う(その前は一度翻訳を読んだだけだったかな)。こんなにおもしろい小説だったっけ、というのが素直な感想。記憶には閉じたドア越しに話をするシーンくらいしか残っていなかったけど、最後の最後に出てくるシーンだったのですね。前半忘れすぎ。
見る者と見られる者、探す者と探される者、自分と他者、自己の存在と喪失、そのような相反する立場が視点を変えるだけで簡単に入れ替わってしまうということ。そのような魅力的なテーマを3部作を通してそれぞれの語り方で語ってみせた中で、『鍵のかかった部屋』が良かったのは、やはりそこには救いがあるということに尽きる。それほど重要なシーンでもないのに、子供との会話には胸が打たれるものがあった(それ故に僕にとっては重要なシーンなのだ)。
オースターのニューヨーク三部作と呼ばれるものの三作目(他2作は『ガラスの街』『幽霊たち』)
さて、感想はというと、どうにも完結に言えない作品だった。訳者あとがきはとてもよく書かれていて分かりやすいのだけど、ここでそれをすべて引用するわけにもいかないし、どこかだけを抜粋しても筋が通らないので困ってしまう。あえて抜粋するならば、「書くことを通し、読むことを通して、人はたえず自らの幽霊を産出し、自らを他者の幽霊に仕立て上げている。1はつねに2であり、2はつねに1である。」ということがこの作品の核になっている。(いきなりこの部分だけ読んでも何のことだか分からないと思うが、作品を読んだ後にこの部分を読むととても的確かつ端的に言い得ていると感じる)
名前とアイデンティティを結びつけてしまうこと。
一人でいると同時に一人でいないこと。
ここにいると同時にここにいないこと。
自分が崩壊しつつある、ということ。
オースターを読むときは
いつも自分のあやうさにどきどきします。
「ニューヨーク三部作」のラストを飾る作品。
個人的には三部作の中で一番面白かった。
「シティ・オブ・グラス」や「幽霊たち」そしてポール・オースター本人ともリンクするという重層的な内容でもあり、またそんなことを気にする必要もないくらいに密度が濃い。
もっと早く読んでおくべきだった。
NY三部作第三弾。小道具や登場人物の名がこれまでの二作とリンクしてはいるが、物語的には連作ではない。“非在”の存在を追う構成は前二作と重なるものの、完全に主人公自らも失われる一作目、漠然とした出口は見えるがやはり主人公が消えて終わる二作目に比べると、三作目はもっと積極的な事態の解決が図られている。さらに非在のはずの人物が立ち現れる展開、そして非在者が主人公にとって赤の他人ではないということも前二作... 続きを読む »
■後半の失速がもったいない 主人公の「僕」が、疎遠になっていた旧友ファンショーの妻、ソフィーから突然、呼び出されるところから物語は始まる。ファンショーは失踪し、生死も分からないという。「僕」はソフィーからファンショーが残していった「遺作」ともいうべき原稿を預かり、その後の処理を任されることに……。 ある日届いた、ファンショーからと思われる、差出人不明の手紙がきっかけとなり、「僕」は彼... 続きを読む »
何とも不安定な読後感を残す作品。
何年も音沙汰のなかった友人ファンショーが、ある傑作小説を託して失踪する。作者行方不明のまま出版された本は評判を呼び、主人公と残された家族は不思議な縁で結ばれていく。
しかし、失踪した友人を執拗に追ううちに主人公の精神世界が徐々にバランスを崩し始める。
ファンショーは、ジョナサン・キャロルの『死者の書』のマーシャル・フランスと同様、架空の作家だが、その著作を一冊でも読んでみたいと思った。

これは、「トゥルー・ストーリーズ」を読む前に読んだらどんなふうに読めたんだろうなぁ、って思う。





