- Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560071908
感想・レビュー・書評
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プラハのユダヤ人街に暮らす宝石細工師
アタナージウスの部屋を奇妙な客が訪れ、
表紙が金属で出来た本を差し出して姿を消す。
それを補修すればいいのだろうと考える
アタナージウスだったが、やって来たのは
三十三年毎に街に現れるゴーレムらしい……。
ゴーレム(golem)はユダヤ教の伝承に登場する
自力で動く泥人形で「胎児」の意。
作者グスタフ・マイリンク(1868-1932)は
ウィーン生まれで、
当時はオーストリア=ハンガリー帝国(1867-1918)の
時代なので、
プラハ(現チェコ共和国)を舞台にした小説が
ドイツ語で書かれたと想像される。
ユダヤ人居住区を指す言葉として「ユダヤ人街」と
「ゲットー」が混在しているのが気になったので
後者について調べてみた。
ghettoはそもそも、ヨーロッパの諸地域で
ユダヤ人が強制的に住まわされた地区(1)のこと。
キリスト教の支配が及ばないエリアとして
宗教弾圧の意味で隔離されたという。
時代が下ると、
当事者たちの自由意思で形成されたコミュニティ(2)が
同じ名で呼ばれるようになったり、
逆に悪名高い例では、第二次世界大戦中、
ナチスの暴虐的措置の産物(3)として現れたりもした。
ここでは時代背景から見て(1)と捉えればよいと思う。
アタナージウスが困難や苦しみに直面し、
関門を突破していく流れからは、
タイトルによって受けるイメージ=
ユダヤの伝承云々よりも
錬金術(化金石の錬成)の雰囲気が強く感じられる。
アタナージウスの失われた記憶・過去の詳細など、
宙吊りにされたままの謎が残るものの、
消化不良といった印象はない。
序盤に味わった「違和感」の正体が判明し、
叙述の仕掛けを悟った瞬間、
得も言われぬ満足感を覚えた。
もしかしたら、
自分も分身と呼ぶべき別の誰かと帽子を取り違えて、
頭痛を抱えたまま生きているのかもしれない――。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
20世紀初めのこの小説が、これほどまでに面白いとは思わなかった!
ホフマンやポーの流れを汲んだウイーンの作家グスタフ・マイリンクが1915年に発表した幻想文学の傑作「ゴーレム」。とんでもなく私好みではないか!世紀末から精神世界にのめり込み表現主義が進む当時のウイーンの香り漂うカバラ、錬金術、占星術、神智学など神秘主義の影響を受けたマイリンクが、ユダヤのゴーレム伝説をもとに書き上げ、第一次大戦の最中に大ベストセラーになったという。
ゴーレムといえば1920年の名作映画「巨人ゴーレム」がある。監督はパウルヴェゲナー。ドイツ表現主義の無声映画だ。土塊から作った泥人形にカバラの秘術で命を与え、肉体労働をさせる。その泥人形をゴーレムという。フランケンシュタインや大魔神に影響を与えたと言われている。
しかし、この小説はゴーレムが暴れるような類の話ではない。話は少し複雑だ。プラハのユダヤ人街に住む宝石細工師の「ぼく」は、ある日、謎の人物の訪問を受ける。しかし客の帰ったあと、彼について何も思い出せないことに気づく。男は33年ごとにこの街に出現するゴーレムらしいのだ。「ぼく」の名はアタナージウス・ペルナート。宝石細工師であるが、それはどこかで間違えた誰かの帽子の裏に刺繍された名前のような気もする。やがて「ぼく」の周辺では、ゴーレムの出現に導かれるように奇怪な出来事が次々に起き始める。分身、タロット、地下迷宮、両性具有、至高の愛とグロテスクな淫欲、血の復讐、殺人事件……。数々の不思議な事件に巻き込まれ殺人犯として逮捕された「ぼく」は監獄の中で、様々な人の意識の中を〈彷徨う〉男に出会う。そして身の回りに起きている謎が明らかになっていく。
話の構成が見事だ!最後の最後にすべてが明らかになり、ハッピーエンドである一方で読者を不安にさせる。これ以上は調子に乗って内容を言わない方が良いだろう。神秘主義思想を背景に夢と現実が、虚構と真実が絡み合って幻想的な世界を構築している。タイトルであるゴーレムは人形の外見と命ある内面を象徴している。 -
タイトルは「ゴーレム」だけれど、いわゆるユダヤ教のゴーレムの伝説は、少し登場するだけで本筋とはほとんど関係なかったかも。もちろんそれが象徴しているのは別のものなのだろうけど。どちらかというとドッペルゲンガー的なものが多用されていた印象。
序盤のエピソードはどれも断片的で前後の脈絡がなく、唐突に挿入されて唐突に終わるので、現実におこっていることなのか夢の中の記憶なのかさだかではなく、だんだん物語りが進み、登場人物が定着してゆくにつれて、一応「現実に起こっていること」とようやく読者側にも認識されてゆきます。最初は違和感があったのだけれど、最後の章を読んでなぜそのような印象を持ってしまったのか納得。
個人的には前半の、人形つかい、記憶障害、両性具有、タロック(タロット)その他ゴシック系モチーフ満載で、一体何が起こっているのだろうという謎めいた、そわそわする不穏な展開や空気がとても好きでした。後半主人公が突然投獄されたあたりから、神秘主義思想の理屈っぽい対話が多くなってちょっと困惑したのだけれど、終盤の急展開の鮮やかさで上書きされます。
記憶を失っている主人公を導くものがすべて彼自身の死への啓示のようでもあり、同じ人生を何度もループしているような不安もあり、枕元にこの本を置いているだけで悪夢にうなされました・・・。フーゴー・シュタイナー・プラーク の挿絵も不気味で良かった。-
2014/03/26
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2014/03/26
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文学
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幻想小説はよく「夢」がでてくる。構造としては夢の夢の夢の夢の・・話とかね(笑)主人公の追う幻はヘルアフロディーテを創造しフィナーレを迎える。
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こんなのが出てしまったら古書業界はお手上げである。が、読書としては嬉しいような。特に訳が変わったわけでもないらしく、コンパクトにお求めやすくなりました…
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怪奇幻想小説の古典。
タイトルから想像するほどホラーではない。 -
ゴーレムと聞いて、もっとおどろおどろしい物語なのかと思っていましたが、主人公の思索の旅というか成長過程をたどる物語のようでした。舞台は暗くジメジメとしたプラハで、プラハってこういう街なのでしょうか? 途中から主人公は何者なのか、といったネタばらし的な感じが見えてきます。ありがちな二重人格、多重人格もののようなストーリーです。が、それらとはちょっと異なり、邯鄲一炊の夢、といったオチになっていましたが、これもさらに無限に続きそうな結末だと思います。