ミラノ霧の風景: 須賀敦子コレクション (白水Uブックス 1057 エッセイの小径 須賀敦子コレクション)
- 白水社 (2001年11月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560073575
作品紹介・あらすじ
記憶の中のミラノには、いまもあの霧が静かに流れている-。ミラノをはじめ、各地で出会った多くの人々を通して、イタリアで暮した遠い日々を追想し、人、町、文学とのふれあいと、言葉にならぬため息をつづる追憶のエッセイ。講談社エッセイ賞、女流文学賞受賞。
感想・レビュー・書評
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イタリアで暮らした日々の追憶のエッセイ。あとがきに、「いまはもう霧の向こうの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる」とある。
ぼんやりと浮かぶ記憶の断片を垣間見るような印象だった。その感受性の豊かさや芯の強さを理解できたとはいえない。
ヴェネツィアの運河の水が岸の煉瓦にチャポチャポと当たっている音、小舟の舳先が岸辺の石にこすれる音が聞こえてくるようだった。聞いたことはないのに、なつかしいような。
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ミヒャエル・エンデ『ものがたりの余白』でドイツ人のイタリアに対する憧憬に触れて、イタリアに接したくなった。それで『世界は文学でできている』で一読み惚れ(?)した須賀敦子さんの本を手に取ってみた。
読み始めは、正直少し遠く感じた。自分をさらけだすことを好まない著者が控えめに紡ぎ出す文章に距離感を感じたのか、はたまた彼女の教養の深さへの気後れ、生きた時代の違い、イタリアの理解度の低さが原因なのか。
でも読み進むにつれてぐんぐん引き込まれ、後半は感動で胸が締め付けられた。知性に富む美しい文体にうっとり。こんな文章書けたら素敵だな…
遠い国の遠い時間の人になってしまった友人たちについて綴っているので、全体に寂しさが漂う。でもその寂しさは、イタリアの生活を目一杯愛したからこその寂しさなんだと、温もりも同時に感じた。霧に包まれたイタリアの情景が幻想的で「遠い国と遠い時間」をまた別の角度から想起させる。
…言葉を尽くして感動を説明しようとすると野暮になってしまいそう。今日は余韻に浸って幸せな眠りにつけそうです。 -
『いまは霧の向こうの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる。』
あとがきの最後に書かれた須賀敦子さんの言葉です。
須賀さんの文章には、いつも濃い霧がかかっているようでした。
それは灰色に濡れた、重たい霧。哀しみと優しさを知っている霧……
霧は貧富の差や生まれ、つまらない噂話によって傷ついた心、自分の知らない友人の背中にうちのめされる感情、夫を亡くした喪失感。そんなものを、あるがままに静かに包み込んでくれるようでした。
遠い日々の記憶。彼女がミラノの霧を思い浮かべる度に、懐かしい笑顔が霧の中からたくさん現れたことでしょう。-
地球っこさん、こんばんは(^^♪
この本を読まれたのですね。
須賀敦子さんの作品の中では一番好きです。
あ、ヴェネチアの宿もいいかな。...地球っこさん、こんばんは(^^♪
この本を読まれたのですね。
須賀敦子さんの作品の中では一番好きです。
あ、ヴェネチアの宿もいいかな。
でも私、本棚に登録もしてないのですよね。
あまりに好きで、ひとに言いたくないのです。笑・笑
端正で品のある文章って、いいですよねぇ。
たぶん地球っこさんはお好きなんじゃないかと思ったこともありました。
予想が当たって嬉しいです。
須賀さんのエッセイのレビューが何だか嬉しくてついコメントしました。
お時間があれば、ぜひ他の作品もお読みになってみてくださいませ(^^♪
2018/10/10 -
nejidonさん、こんばんは♪
コメントありがとうございます(o^^o)
静謐な心持ちにさせてくれる素敵な作品でした。
nejido...nejidonさん、こんばんは♪
コメントありがとうございます(o^^o)
静謐な心持ちにさせてくれる素敵な作品でした。
nejidonさんが、わたしの好みかもと思って
くださったことがあるとは、何だか嬉しいです(*^^*)
この前読んだ『インド夜想曲』の翻訳が、
須賀敦子さんでした。
とても読みやすく、ストンと心に落ち着く
素敵な文章だったので、よし今度は須賀さん自身の作品を読んでみようと、
手に取りました。
彼女の作品は、これからの長くなる夜に
よく似合いそうです。
他の作品も読んでみますね。
ありがとうございました♪
2018/10/10
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須賀敦子さんの文章はゆったりした時の流れを感じさせてくれる。かつ登場人物の意思の強さが描かれ、その雰囲気がとても心地よい。この本も然り。
この本は、霧の向こうにいったかつての友人たちについてのエピソードを綴っている。ミラノ以外にもヴェネツィアやローマなども描かれており、感情移入しながら小旅行気分にもなれる。人間の理想を追う美しさと脆さ、現実に向き合い生きていく強かさと葛藤も感じることができた。鉄道員だった夫の父のエピソードは特に印象的。
ただ、霧の多くは故人でもある。須賀さんがイタリアを離れたのは1970年代。グローバリズムの並みはイタリア人の生活と社会を大きく変えてきた面もあるだろう。この本で描かれた美しいイタリア人の心と街並みの現在地を確かめてみたいとも感じた。 -
先日参加した本好きの集まりでいただいた一冊。印象的なのは美しさと強さ。
まず、美しさ。何よりも文章が美しい。著者が住んだミラノやナポリなどの街の情景、そこで出会った人々や文学。1950年代末から70年代初めのことなのに、どれもこれもこの著者の手にかかると、美しく瑞々しくよみがえってしまう。
そして、強さ。30歳目前の1958年に40日間の船旅を経て単身イタリアに渡り、勉学・翻訳に励み、そして結婚・死別。あの時代に女性が単身海外に渡ることだけでも相当ハードルが高いことだっただろうに、その後に体験する様々なことに対して自分の中できちんと折り合いをつけて受け容れる。著者のそんな強さを随所に感じた。しかも、その強さは美しい文章を決して損なわないしなやかな強さ。
これは良書だ。 -
知人に勧められて読んだ。
神戸出身ですよと。
こんなすごい方を全く知らなかった自分に(ノ∀`*)ペチ
文章が美しい。
自分を押し出すのではなく霧に隠れているような
しっとりとした美しさ。
翻訳で鍛えられたものなのでしょうね。
そして凛としたしなやかな前を向く姿勢
デビュー作だそうですが
遅きに失しましたがまた読んでいきたいです。
≪ ひそやかな ため息の灰 その中に ≫ -
米原真理の推薦本である。ミラノの塔が最初と最後に出てくる。ミラノだけではなく、ローマ、ヴェニス、などイタリアの多くを文学の人間関係だけでなく知り合いを通して説明している。1985年と40年以上前の出版であるが、イタリアという国を十分に説明している。観光のイメージばかりを考えている観光局は猛省すべき本としてあげられる。
イタリアに行く前にこの本を読むべしであろう。 -
大学時代、比較文化論の教授か、感度の高い友人に勧められて読んだのが最初だったように思う。当時はイタリアの地名にも人名にも馴染めず、理解の助けとなるはずの歴史や文学の教養もなく、かろうじて頭に残ったのは、「サバ」という詩人の名前くらいだった。
今回再読してみて、この美しい小説のような、映画のような物語が、ひとりの女性の人生の追憶だということに改めて驚く。須賀敦子さんがイタリアで暮らし始めた年齢は、いまの私の年齢とそう変わらない。30歳前後という、「大人」になることを否が応でも覚悟していく年代から、意を決して異国に移住し、新しい言語や街の空気を飲み込んで自分のものにして、身体ごと異文化に馴染んでいく経験ができることがとても羨ましく、同時に、どれだけ不安だったのだろうか、どれだけわくわくしたのだろうかーと、同年代の友人の生き方を見るように、思いを馳せることができた。
もちろん楽しいことばかりではなくてーご主人が若くして急逝されたことは言うまでもなくーかつての友人や心を捧げた活動もゆっくりとかたちを変え、衰退し、いつのまにか人生から姿を消してしまう。もし、須賀さんが30代、40代でイタリアについて書いていたら、全く違う作品になっていたのではないだろうか。もしかしたら瑞々しい別の魅力があったのかもしれない。しかし、全てが夢のように通り過ぎて、生々しい喜びも痛みも自分自身の「物語」として受け入れ、隠されていた「運命」に気づき、日本で霧を見ながら思いを馳せるイタリアだからこそ、こんなにも美しく、哀しいのだと思う。円熟、というのは、まさにこの人のためにある言葉なのだな、と思った。 -
「小説の技法」内で、柴田元幸教授の本と並んで、見本となる現代文の書き手として、翻訳家の故・須賀敦子さんの文章を上げました。是非、御一読下さい。文章のリズム、イメージ喚起力について学ぶところが多くあります。
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/758698