フランス組曲

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (566ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560082454

作品紹介・あらすじ

20世紀が遺した最大の奇跡アウシュヴィッツに散った作家のトランクに眠っていた、美しき旋律-1940年初夏、ドイツ軍の進撃を控えて南へと避難するパリの人々。占領下、征服者たちとの緊迫した日々を送る田舎町の住人たち。それぞれの極限状態で露わとなる市井の人々の性を、透徹した筆で描いた傑作長篇。'04年ルノードー賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • <私はもう絶対に人間の集団に対して怨恨を募らせたりはしまいと心に誓う。たとえその怨恨がいかに正当なものであろうとも、また、相手の人種、宗教、信念、偏見、過失がいかなるものであろうとも。(中略)ただし一人ひとりの人間となると話は別で、私を突き放したあの者たち、私達を平然と見捨てたあの者たちを許せはしない。あれはいつでも仲間を裏切る用意のできた連中だ。P480>

    作者のイレーヌ・ネミロフスキーはロシア帝国内のウクライナの首都キエフに生まれた。家はかなり裕福な銀行家だったが、ユダヤ人暴行によりほぼすべての財産を放棄してフランスに逃げた。
    だがフランスはドイツが侵攻してきたときに、親独派のヴィシー政権となり、ユダヤ人迫害法も制定された。
    これにより、正式なフランス国籍を持っていなったイレーヌ・ネミロフスキーはフランス内で逮捕され、アウシュヴィッツへと送られて帰ってこなかった。
    イレーヌの行方を必死で探して助けようとした夫のミシェル・エプスタインもアウシュヴィッツに送られてそこで死んだ。
    イレーヌは自分が捕まる際に原稿の入ったトランクを娘たちに遺していた。そこにはびっしりと書き込まれたノートがありそれがこの小説だ。娘たちは国内を隠れ暮らしながらもずっとトランク持ち続けた。小説として出版されたのはイレーヌが逮捕されてから40年後だった。

    ===
    1940年5月にナチスドイツ軍がフランス国境を進攻した。
    ラジオでニュースを聞いたパリの人々は急いでパリからフランス各地へと避難を開始する。

    第一部『六月の嵐』
    ブルジョア階級で、国立美術館員のアドリヤン・ペリカン氏は美術品を戦火から守るために地方美術館に移送させる任務に就く。妻のシャルロット・ペリカン夫人は、次男ユベール、長女ジャクリーヌ、三男ベルナール、四男エマニュエルと召使いたち、老齢で資産家の義父ルイ=オーギュスト・ペリカン氏と連れて非占領地区の親族の屋敷を目指す。避難にあたってもブルジョワらしき態度を保とうとするが、道中の品不足や爆撃で着の身着のまま逃げることになる。そしてシャルロット夫人は混乱のさなかに義理の父のペリカン氏を置き去りにしてしまうのだった。

    ペリカン夫妻の長男のフィリップは神父としてスイスに派遣されていた。家族の出発に立ち会うためパリに戻っていたフィリップは、「十六区青少年矯正施設」の少年たちを疎開先である田舎町まで引率することになった。少年院も経験したことのある少年たちは最初は妙におとなしい。だが道中の町の地主の屋敷に立ち寄った際に、彼らの純粋な悪意が爆発する。

    ペリカン夫妻の次男のユベールはまだ徴兵される年齢ではないが、国の危機を憂い自分たちのような健康でやる気のある青少年による義勇団を作りたいと言う気持ちを抑えきれない。そして家族が寝静まった夜にフランス軍に合流するために宿泊地を抜け出す。だがユベール少年が見たのは、何もできない味方の兵と自分自身だった。ドイツ軍の攻撃から逃れたユベール少年は家族の元へ戻ろうとする。空腹で倒れた彼を拾ったのは、銀行家コルバン氏の愛人のダンサーのアルレット・コライユだった。

    モーリスとジャンヌのミショー夫妻は、コルバン銀行で働いていた。銀行は俗物のボスのコルバン氏と、アドバイザーのフェリエール伯爵がまとめていたが、伯爵は出征していた。ナチスのパリ侵攻により銀行はトゥールの支店に機能避難させることになり、ミショー夫妻はボスのコルバン氏とともに出発する事になった。だが出発当日夫妻が乗るはずだった車はボスの愛人でダンサーのアルレット・コライユに取られた。一人息子のジャン=マリ・ミショーは戦地で行方不明でまったく蓄えのない夫妻は、首になりたくなければ歩いてトゥールまで辿り着かなければいけなくなった。

    有名作家のガブリエル・コルトの愛人のフロランスは、コルトの後ろ盾である政治家ジュール・ブランからの警告によりパリを離れる準備をする。避難にあたってもコルトは有名人である自分の特権を使おうとする。自分は大作家なのだ。他の人達は苦しんでも自分は優遇されて当然なのだ。だがとの特権で手に入れた食料を三人組の男女に奪われる。

    コルトとフロランスから食料を奪ったのは、オンタンス・ガイヤールと、その弟で健康上の理由から兵役を逃れたジュールと、ジュールの妻で乳飲み子を抱えるアリーヌだった。オンタンスは以前は女伯爵の女中頭をしていたしっかり者の女性だが、出兵中の夫ルイ・ガイヤールが消息不明のため、弟家族のために仕事を見つけなければいけなかった。

    60歳のシャルル・ランジュレは、吝嗇と言われる美術収集家だが、愛着のある家具や工芸品と別れて田舎に避難せざるを得なくなった。道はどこも大混乱。食料も宿泊地もない。避難する人々はランジュレ氏には耐え難い労働者階級者たち。途中でガソリンが無くなったランジェリ氏は、片腕に障害があるため兵役を逃れた22歳のボブと婚約者で20歳のソランジュという育ちの良さそうな若いカップルからガソリンを盗む。

    ミショー夫妻の一人息子のジャン=マリ・ミショーは、大怪我を負い田舎町のビュシーの農家のラバリ家で介護されていた。若い娘のセシルと、彼女と姉妹も同然に育ったマドレーヌとの間で穏やかな日々が訪れる。ジャン=マリとマドレーヌは心惹かれ合うが、マドレーヌはドイツ軍の捕虜となっているセシルノアにのブノア・ラバリとは婚約者も同然だった。

    ラバリ家の隣人のルイーズには四人の子供がいた。夫はドイツ軍の捕虜となっている彼女は必死で子供を育てていたが疲れ果てていた。隣人のブノア・ラバリがドイツの収容所から脱走してきたという話は彼女の心を乱す。ラバリ家は恵まれているではないか。それなのに自分は?自分の夫は?

    こうしてドイツの占領を恐れて逃れる人々は群れとなり、道に、駅に、町や村に殺到して大混乱となる。
    それは汽車の事故やドイツ軍の空爆による大被害、味方の軍人の怪我人輸送、略奪に近い行為が行われ、やっと辿り着いた先でも空爆が起きたり居場所がなかったりする混乱の道筋だった。
    ドイツ軍がパリに侵攻すると、フランス議会はドイツと休戦を結ぶ。フランスを支配に置くドイツ軍は、家から逃げ出した人々へ、自分のいたところに戻るようにと命令を出す。

    奪い、奪われ、そして死んだ者もいる。その死を悪意の中で迎えた者、または穏やかに迎えた者。
    またパリに戻った人々は、以前の家には戻ったが以前とは少し違う日々を始めることになる。

    第二部『ドルチェ』
    田舎町のビュシーにドイツ軍が駐在することになった。ドイツ軍将校たちはそれぞれビュシーの家に住むことになる。
    ビュシーのフルジョワであるアンジェリエ家の現当主のガストンはドイツ軍の捕虜となっていた。アンジェリエ家にいるのは、ガストンの母アンジェリエ夫人と、妻のリュシルだった。二人は同階級の親同士が決めた結婚であり愛はない。ガストンは別の町に恋人と彼女の産んだ子供がいる。
    そして家に遺された誇り高いアンジェリエ夫人と、おとなしいリュシルは、間に茨が生えているかのような関係だった。
    このアンジェリエ家には、第一部でミショー夫妻が途中で宿を求めた家でもある。リュシルは、無事にパリに帰って息子のジャン=マリ・ミショーとも再会できた夫妻からのお礼の手紙を受け取っていた。

    そのジャン=マリ・ミショーが療養中に惹かれ合ったマドレーヌは、ドイツの収容所を脱走してきたブノア・ラバリと結婚して男児がいる。
    マドレーヌとブノワの妹のセシルは以前は姉妹も同然だったのに、最近はどうもうまく行かない。
    ラバリ家に宿泊することになったのは、通訳担当のクルト・ボネという19歳の中尉だった。
    そしてブノアは、ボネ中尉がマドレーヌに言い寄っていると警戒するのだった。

    アンジェリエ家に宿泊することになったドイツ将校は、かつて音楽家を目指していたブルーノ・フォン・ファルクだった。
    リュシルとブルーノは、一人の人間同士として心の中では相手を親密に思うようになる。だが狭い村ではなんでも噂になり、そしてただただドイツ兵を憎悪の対象としか思わないアンジェリエ夫人はことにつれてリュシルに辛く当たるのだった。

    ビュシーの市長はモンモール子爵が努めている。モンモール子爵夫人は、ドイツに抑留されているフランス人捕虜に慰問品を送る事業を行っている。
    ビュシーは、代々領主だったが財産を減らしているモンモール子爵家と、私財を増やしつつあるアンジェリエ家のようなブルジョワと、さらに市民たちや小作人達が牽制しあっている。ドイツ兵が駐屯したときは、お互いを中傷し密告する手紙がドイツ軍駐屯地に届いたくらいだ。
    だが憎み合うだけではない。ドイツ兵若者とビュシーの娘の間で親密な関係が生まれることもある。

    そんななか、ブノア・ラバリがボネ中尉を射殺する事件が起きる。
    妻のマドレーヌは、リュシルに夫を匿ってくれるようにと頼む。

    やがてドイツ軍のロシア出兵が決まり、ブルーノもアンジェリエ家を離れることになる。
    リュシルとブルーノは、男女の情愛を超えた人と人としての深い愛情を持ち、互いの無事を祈る。
    だが駐屯ドイツ軍交代の隙きを突いてリュシルはブノアをパリに逃がそうと計画していたのだった。

    ===
    作者が5部構成で考えていたこの小説は、彼女がアウシュヴィッツに送られたためにここで終わっている。
    話は今後、第三部「捕囚」、第四部「戦闘(仮)」、第五部「平和(仮)」と続き、第一部出でてきた人々と、第二部の人々とが出会い交差し、1,000ページ以上の壮大な楽章となる予定だったのだ。

    「第二部 ドルチェ」の部分を映画化したものがあり「一番美しい戦争恋愛物語」と言われていた。
    ただし戦争恋愛映画としてはまあ普通…?と思っていたのだが、小説の恋愛まで行かない人間愛のようなものは確かに美しいと思った。
    なお、映画ではリュシルが弾く曲がバッハの「フランス組曲」であり、ラストも小説より少し続き、リュシルがブノアをパリに逃がそうとするがドイツ憲兵に呼び止められてピンチとなるが、ブルーノが現れ…という感じのオリジナルが付け加えられている。


    小説の後には、全体の小説の考案メモが紹介されている。これは作家がどのように作品を考えているのかというメモとして非常に興味深かった。
    すでに書いた部分への構成案(あの部分は削ったほうが良いか?など)、これからの構想、現実の状況と小説への反映について、登場人物を今後どのように動かすか、人の心をどのように変えるか。
    この話は、著者にとっての現在進行系の時代を書いているので、書きながらも続きがどうなるのかは作者にもわからない、現実次第と言うわけだ。
    フランスはこの後親独のヴィシー政権となり、ドイツからも「フランスがこんなにもナチスドイツに協力的なら攻撃しなくても良かった」と言われるくらいだったという。そしてフランスでもユダヤ人迫害法も制定される。
    この本を読んでいる私のような読者には、ドイツは戦争に負け、ドイツに協力した政治家達が裁判にかけられたり、ドイツ兵と親しかった女性たちが収容所に送られたとわかっている。そのため、小説でドイツに協力する嫌なブルジョワたちは戦後はそれなりの仕返しが来るのだろうと想像するけれど、実際に作者がこれを描いているときには、今後ドイツが戦争に大勝利して、協力したフランスのブルジョワたちがさらに財産を溜め込む事になることもあり得た。
    しかしこの後の現実がどうなるか、登場人物がどのようになるかわからないにしろ、ドイツの侵攻によりフランスの人々がパニックになり、大脱出を試みたり、フランス人同士が対立したり、人間性が顕になったりする。その人間の根本を見つめてそれを書き記そうとしたのだ。
    フランス人の一部は、自分にひどいことをしない相手としてドイツへの協力を選んだ。小説内で書かれているモンモール子爵夫人などは、身分が下で無礼なフランス人小作人たちよりも、そんな小作人たちを抑えて秩序をもたらせるドイツ人将校たちの方が良い相手だとして、むしろドイツ軍の駐在を歓迎するかのような心境になる。
    小説内の一部の娘はドイツ兵と情を交わすし、第二部は夫をドイツ軍に捕らえられているリュシルとドイツ軍人の間の、当時はタブーとされた心の交流を書いている。
    実際に第二次世界大戦下のフランスを描いた映画やドキュメンタリー番組でも、パリのレジスタンスたちの苦難と勝利や、ドイツ人と仲良くなったふしだらな女性たちへの処罰は描かれるけれど、国を上げて親ドイツ政権でユダヤ人逮捕を行っていたとかはなかなかかれてないような気がする(そんなもんだろうけど)。それをユダヤ人で、フランスにより逮捕された著者が書き残しているのだ。

    最後に収録されているのは、1936年から1945年に交わされたイレーヌに関する往復書簡だ。
    フランスの法律でユダヤ人は公職につけなくなり、出版も禁じられた。最初は経済的に困窮するイレーヌに、出版社のアルバン・ミシェル氏が計った支援とそれに対するお礼、そして今フランスではどのくらい自分たちが危険なのかを必死で探ろうとしている。
    1942年7月13日は夫のミシェル・エプスタインが知人に送った電報だ。<今日、突然イレーヌ発つ。すぐに介入されたし。電話不通。P516>往復書簡は、突然の逮捕でそのまま連れ去られた妻を必死で探し助け出そうとするミシェルと協力者とのやり取りになる。だがイレーヌはフランスからポーランド(アウシュヴィッツ)に送られていたのだ。
    刻々と迫る危機、突然家族が連れ去られてどうなっているかわからない…。
    この往復書簡は、当時の生きた声としてかなり衝撃だ。そしてこの状況でありながら、パニックになったフランス人たちを見つめて、自分の危険ななかでも高貴な人々を書こうとしたイレーヌの声はしっかりと聞こえてくる。

    <1942年6月2日。決して忘れてはならないのは、5日戦争は終わり、歴史的な箇所のすべてが色褪せる、ということだ。1952年の読者も2052年(←いま2021年、今からより30年も後!)の読者も同じように惹きつけることのできるできごとや争点をなるたけふんだんに盛り込まないといけない。(…中略…)歴史的ではない描写。私がとうに力を入れるべきなのはそこだ。P492>

    <後世に伝えるべき場面とはどのようなものだろう。テロや銃殺される捕虜よりもはるかに重要なのは、人々の徹底的名無関心。読者に衝撃を与えたければ、悲惨さを書くよりも悲惨な人々のすぐ脇で花を咲かせる繁栄を描くべきだ。P484〜抜粋>


    作者ノートに遺されていた小説のこの後の構想
     ペリカン家の次男ユベールは、ブルジョワで親独派のペリカン家から離れて政治活動を行う。
     ブノアはミショー家に匿われるが、ジャン=マリは投獄されてしまう。
     牢で出会ったユベールとジャン=マリは、ブノアたちの協力により脱獄する。
     そしてリュシルとジャン=マリが愛し合うことになる。だがジャン=マリは英雄的な死を遂げる。<強調すべきなのは、リュシルとジャン=マリの愛、そして永遠の生だ。あのドイツ人の素晴らしい楽曲。P499>
     ブノアはレジスタンス活動で死ぬ。
     ドイツ将校のブルーノはロシアで死ぬ。おそらく英雄的行為。
     高慢な作家のコルトは、最初は親独派政権に近づくが、突如協賛主義になり若者たちの愛国心を鼓舞する。(作者は、「登場人物を変化させなければならない」と考えていた)
     フィリップ神父が引き連れていた更生施設の少年たちが再登場する予定?
    このような、今後の構成は、一部二部読むとちょっと印象が違うのだが、完結して読んでみたら納得できる流れだったのかな。

    ミショー家の人々について、<いつもとばっちりを食ってばかりだが、ほんとうの意味で高貴な唯一の人々>と書いている。現実と当てはめて<面白いのは、大衆ーこの憎むべき大衆ーの大部分が、実はこうした善良な人々で構成されているということ。P484>としている。

    読書会に参加しました。
    ・作者はブルジョワなので、ブルジョは分かったのかもしれない。小作人や更生施設の少年達の野蛮で教養のない様子が怖い。戦争という状態でそのような人たちの野性的な面が爆発しそうな怖さ。実際にナチス崩壊後はそのような残虐性が現れることもあった。作者はその前に死んだが、もしかしたら戦争後に起こる残酷を察していたのか。
    ・歴史に飲み込まれた作者が、そうとは感じられないこんな話を書けるというのが強い人だと思った。作者がユダヤ人迫害の嵐の渦中にいるのに、嵐の外から書けるこの技量が素晴らしい。どういう心理状況だったのだろう?物語ることにより嵐の外に自分を置くという自分自身への救済でもあったのか。
    ・色や風景描写が絵画的というか色彩的。はっとする描写があった。月の色が緑、冬は鉄の色。フランスの空気の色を感じる。作者がロシアから来たからかな?
    ・ユダヤ人として迫害されているのだが、ユダヤ人問題は作品には現れていない。むしろナチスドイツがユダヤ人へのホロコーストの情報を入手できていなかったのではないか?同時代だからこそ限られた情報しかなかったり、書けなかったこともあったのだろう。
    ・フランス人は戦争に向いていないという割れている。フランス人は個人が大事で国のためとかにはならないので。
    ・パリから脱出するのに猫を連れてゆくのが良い。その猫が窮屈な旅の夜に宿を抜け出して夜遊びを満喫する場面が良い。作者きっと猫が好きだ!
    ・後書きでユダヤ人の迫害の様子が身に迫るようにわかる。自分たちの状況を分かっている面と分かっていない面がある。
    ・一部「春の嵐」も本当はもっと書きたいことがあったのかなと思った。完全な善良な人はいないので、人間のきれいじゃない分を書いているのか。作り込み過ぎたメロドラマ的なところ、荒削りなところもあるが、それがこの作品の力でもある。
    ・作者がどうなるか分かって読んだので、読みながら緊迫感があった。先入観を持ったこともあったかも。何も知らずに読むとどうだったのだろう。この本が、作者の人生込みで読まれているのはもったいないような気もする。

  • ネミロフスキーはユダヤ系のウクライナ人でキエフ生まれ。

    ロシア革命の折、コミュニストから祖国を追われ、たどり着いたのがフランスであった。

    異国での様々な体験とそんな生い立ちからか、小説で描かれるあらゆる階層の人たちが多様で、登場人物への眼差しにも情が通っている。

    小説は5部構成の予定ながら第2部で絶筆、未完である。永遠に物語は終わらない。未完故に、第1部で細かく描き込まれた人々を、読み手は空想の世界で、自由に動かすことができる。空想すると、あの群像が、あの人々が交わり合い、頭の中で世界が動き出す。

    小説が未完である理由は悲惨だ。著者がアウシュビッツで絶命した為である。
    最後に書いた終章は、戦時下のドイツ兵とフランス人女性の恋の物語。そこに介在するのはピアノ。戦火の中、著者自身が迫害を受けつつも気高い文章をしたためた。この終わらぬ物語が連綿と心に残る。

    各章の終わりが、圧倒的な幕切れやシニカルな一文で結ばれる。ブルックナーの曲にある休符のようで、実に効果的。その休符がある時は余韻をもたらし、ある時は次の章に移る一拍だったりもする。なのでタイトルは「組曲」。

    巻末に5部構成の構想メモが付属する。作家の頭の中での、先々の構想、作家自身の迷い、第2部までで描いた中でも大切にしている登場人物等々。更にト書き的な記載によって、読み手に対して狙っている心象効果もわかる。読むと、この作品がもし完成していたら、との想像を掻き立てる。

    小説内では微笑ましい場面もある。「フランスパンは軽くて、胃にたまらない」と不平を言うドイツ人。「こんなおいしいものを」とこれを信じられないフランス人。隣国にして、こんなものなのかなぁ、と感じた。

    <ウクライナ関係書籍紹介>
    https://jtaniguchi.com/books-recommended-ukraine/
    <その他の書籍紹介>
    https://jtaniguchi.com/tag/%e6%9b%b8%e7%b1%8d%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

  • 何という美しい戦争文学。

    「読者に衝撃を与えたければ、悲惨さを描くよりも、
    悲惨な人々のすぐ脇で花を咲かせる繁栄を描くべきだ。」

    これは本編二部に加えて収録された
    イレーヌ・ネミロフスキーの構想ノートからの一説です。

    「戦争」と「美しい」という言葉をを結び付けるのは
    普通ならば余りにも不相応だと思います。
    しかし、とてもとてもどこまでも美しい。

    戦争という異常と、
    生活という日常の対比、
    都市と田舎の対比、
    絶望と希望の対比。
    それら対立するものが色鮮やかに表現され、
    そのコントラストに息を飲んでしまう。

    これは正に、戦争という巨大な手の上で
    否応なく躍らされた人々が奏でる壮大な交響曲です。

    本著は著者と同じくアウシュヴィッツで散った最愛の夫が
    幼き長女に託した著者の遺品のトランクに収蔵されていた
    遺作で、「二十世紀フランス文学の最も優れた作品の一つ」と讃えられ
    2004年に死後受賞は初となるルノードー賞を受賞し、
    フランスで70万部、全米で100万部、世界でおよそ350万部の
    売上げを記録した作品だそうです。

    独軍の進軍を控えた1940年6月、
    仏政府のパリの無防備都市化宣言を受け、
    一斉脱出を余儀なくされた
    パリ市民の模様を重層的に描いた群像劇「六月の嵐」。

    ドイツ占領下のブルゴーニュの田舎町を舞台に、
    留守を守る女たちと独軍人たちの交流を描く
    「ドルチェ」の中篇(ほとんど長篇)ニ篇に加え、

    本来5部作となったはずの本著の構想を記したノートと
    著者にまつわる個人的な書簡が後書きで収録されています。

    構想ノートには未完に終わった3部以降の考察も記されており、登場人物達の先々を想像する楽しみに耽るのもまた一興です。
    そして最後の悲壮な書簡には強く胸を締め付けられます。

    本著を刊行された出版社様及び翻訳者様には
    最大の感謝と敬意を表明したい。

  • 思いがけなく骨太でダイナミック。そして柔らかな切なさも。

    とりわけ「ドルチェ」のピアノのシーンがいい。
    とても画になるから、映画にするといいのに…と思って読んだが、やはり映画化の話が進んでいるらしい。

    5章の構想だったという。読んでみたかった、と思う。

    ロシアからフランスに移住したユダヤ人である作者が、1940年代という不穏な時代に、悪い予感と書く紙がなくなることとを恐れながら、薄い紙に極度に小さなな文字でびっしり紡いだこの物語は、「〈巣箱の精神〉の不条理と、それにあらがう個人の姿」をくっきりと呈示する。
    それは、「1952年の読者も2052年の読者も同じように引きつける」と作者が意図した以上に、今も色褪せていかぬテーマであることは、歓迎せざることではあるけれど。

  • 「決して忘れてならないのは、いつか戦争は終り、歴史的な箇所のすべてが色褪せるということだ。1952年の読者も2052年の読者も同じように引きつけることのできる出来事や争点をなるだけふんだんに盛りこまないといけない」と1942年6月2日に記した作家は、一月後、連行され、同年にアウシュビッツ収容所で逝去した。

    この小説は、五部構成となる予定であった。二部まで完結をみた原稿と執筆計画に関するメモや他の原稿、書簡等は家族の元に残され、同じくユダヤ人で妻と同じ運命を辿って亡くなった著者の夫から娘に託された。
    これらの入ったトランクは長女が保管していたが、中は長期間開けられず、2004年にやっと世に出た。作品はたちまち大きな反響を引き起こし、各国語への翻訳も行われ、日本でも2012年、野崎さんと平岡さんの翻訳により刊行された。

    この小説は、さまざまな意味で奇跡である。
    著者の悲劇的な数奇な運命と甦るように閉じられたトランクから出てきた作品度はすばらしいものであった。

    イレーヌ・ネミロフスキーは、ロシアでもっとも有名な銀行家の一人娘として1903年にキエフで生まれた。ユダヤ人であった両親はロシア革命によりフランスに亡命した。イレーヌもソルボンヌで学んでいる。
    同じくロシアより逃れてきた裕福な銀行家の息子のミシェル・エプタンと結婚し、パリに新居を構えたのちフランス国籍となる娘を二人産んだ。

    1929年彼女の処女作『ダヴィッド・ゴルデル』はベストセラーになり、舞台化、映画化され、数ヶ国語にも翻訳された。
    その後も精力的に執筆を行い、中篇の『舞踏会』も映画化されたという。
    本作『フランス組曲』は彼女の遺作になるが、天性の才能のうえに作家としてより油ののっている年齢や時期に時代の凄まじいうねりのなか著された未完の珠玉の作品である。

    著者がバッハのフランス組曲を頭の中にいれてこの小説を構想していることは明らかである。
    第一部の「六月の嵐」と第二部の「ドルチェ」はそれぞれに単独としても十分に重厚な完成度のある作品であるが、第一部と第二部に関連性を持たせ、バルザックの人物再生法を緩やかなかたちで取り入れている。

    「六月の嵐」では、ドイツ軍が侵攻し、とにかく南へ南へと逃れていく人々のさまを中心に描く。
    実に多くの人々が登場し、尚且つ複数の視点を映画の鮮やかなカッティングのようにどんどん繰り出すも読者を混乱させないのはひとえに作家の筆力である。

    第二部の「ドルチェ」に舞台はフランスの田舎町。駐留するドイツ軍兵士は民家で寝起きしている。
    一つ屋根の下に暮らすのは、息子を夫を家族を殺し、傷つけ、捕らえている男たち。
    憎悪と恐怖のみであるはずであったフランスの人たちに芽生えてくる別の感情の機微を抒情豊かに描きあげる。

    この書物には「六月の嵐」と「ドルチェ」のほかに資料として、『フランス組曲』執筆計画に関するメモと著者夫婦関連の書簡が掲載されている。
    執筆計画のメモには、執筆経過や第三部以後のプロット等が記され、二部まででは想像できない著者しか知りえないその後が書かれている。それらはより作家の早逝に愛惜の念を抱くものである。

    書簡には彼女の人柄が感じられ、収容所に連行されてからは、夫が妻を救うための懸命な努力の記録でもあり、夫が妻と同じようにアウシュビッツに収容されてからは、残された二人の娘を助けようとする人々の軌跡でもある。

    まぎれもなく稀有な才能を持った埋もれた宝石のようなこの作家に、価値に似合った光が当たることを願ってやまない。

    翻訳は第一部「六月の嵐」を野崎さん。「ドルチェ」を平岡さんが担当され、それぞれすばらしい翻訳でイレーヌ・ネミロフスキーを私たちに出会わせてくれた。
    尚、本作は、どのような形だかはわからないが(「ドルチェ」を悲恋として?)ハリウッドで映画化の話も進んでいるとのこと。期待を込めて見守りたい。

  • 映画(未見)の予告だとメロドラマの印象だったけれど、全く違った。
    ドイツ軍侵攻、統治下のフランスの様々な階級の人々の群像劇。
    順を追って浮き上がる毎に、彼らはまるで目の前で生きているよう。
    生活や情景の描写も見事、極力直接は書かれずあぶり出しのように心理が伝わるのもまた見事。
    骨太、肉厚の作品だが、収録されている作者のメモに目を剥いた。
    「たとえ何人かの登場人物についてはその行き着く先をはっきり示さざるを得ないとしても、作品そのものは「これはひとつのエピソードに過ぎない」という印象を与えなければならない」
    それぞれの登場人物についてではなく、この作品自体がほんの一エピソード!
    全てを描けないのは当然としても、このように謙虚な意識で書かれたことで、細密画のような作品が成立したのだろう。
    第二幕まででもかなりのボリュームだけれど、本当はもう数幕の構想があったことが作者のメモで明かされている。
    作者がアウシュビッツで亡くなり、完成に至れなかったことが口惜しい。
    更に素晴らしい作品になっただろうに…。
    巻末の作者のメモと拘束された作者を追う周囲の人々の書簡に、胸が痛くなった。

  • ユダヤ人の作家が執筆途中でドイツ軍に連行されアウシュヴィッツで死去した、奇跡的に原稿が保管され出版に至った、というドラマチックすぎる経緯がある作品だが、先入観なく読んでも名著だ。
    まずは、巻末に作家の構想メモと、連行後夫が必死に妻を救い出そうとする手紙が資料として付けられている、この本の構成・編集が素晴らしい。大変参考になり、感動が深まった。
    5部のうち2部が残ったが、ドイツ軍の侵攻とパリ占領に騒然となる「六月の嵐」、占領下でのドイツ軍との関係を描く「ドルチェ」、いずれも生き生きとした人間描写と巧みなプロットの運びに引き込まれた。作家自身が経験した時代の大きなうねりがリアルに描かれている点でも興味深い。
    大勢の人物が少しずつ重なり合う。「読者はブルジョワを喜ぶ」と言い、鋭い観察眼によってケチなペリカン家などは皮肉に描くが、つつましく穏やかなミショー夫婦には作家自身の心情が投影されているのだろう。構想通り5部作の大著が完成していれば、バルザックのように壮大で複雑な人間模様が見事に描かれていたに違いない。差し挟まれる美しい自然描写(馬だったり、桜の花だったり)にも感嘆する。
    映画化されるが、おそらくドルチェを悲恋ものとしてフォーカスするのだろう。「ドイツ兵も同じ人間だ」といい極めてフェアな視線で魅力的なドイツ兵を書いた作家が、そのドイツ軍によってアウシュヴィッツに送られたという皮肉と悲劇に、読み終えて改めて衝撃を受けた。

  • 4.51/259
    『アウシュヴィッツに散った作家のトランクに眠っていた遺作長編。戦時下の人間の心理を鮮やかに描き出す、世界350万部のベストセラー。

    一九四〇年初夏、ドイツ軍による首都陥落を目前に、パリの人々は大挙して南へと脱出した。その極限状態で露わとなる市井の人々の性を複線的かつ重層的に描いた第一部「六月の嵐」と、ドイツ占領下のブルゴーニュの田舎町を舞台に、留守を守る女たちと魅惑的な征服者たちの緊迫した危うい交流を描く第二部「ドルチェ」。動と静、都会と地方、対照的な枠組みの中で展開する珠玉の群像劇が、たがいに響き合い絡み合う―。
    著者は一九〇三年キエフ生まれ、ロシア革命後に一家でフランスに移住したユダヤ人。四二年アウシュヴィッツで亡くなった。娘が形見として保管していたトランクには、小さな文字でびっしりと書き込まれた著者のノートが長い間眠っていた。連行の直前まで書き綴られたこの小説が六十年以上の時を経て世に出るや、たちまち話題を集め、二〇〇四年にルノードー賞を受賞(創設以来初めての死後授賞)、フランスで七五万部、全米で百万部、世界で三五〇万部の売上げを記録した(二〇一四年に映画化)。巻末に収められた約八〇ページに及ぶ著者のメモや書簡からは、この奇跡的な傑作のもう一つのドラマが生々しく立ち上がる。カバー写真は名匠ロベール・ドワノー。』(「白水社」サイトより▽)
    https://www.hakusuisha.co.jp/book/b529158.html

    冒頭
    『暖かい、とパリに住む人々は思った。春のような陽気だった。戦時下の夜、警戒警報が鳴った。とはいえ夜は明けようとしているし、戦争は遠くの話でしかない。眠れずにいた者たち、ベッドで寝たきりの病人や、息子が前線にいる母親、泣きはらした目をした恋する女たちがサイレンを最初に聞きつけた。その音はまだ、息苦しい胸からもれるため息にも似た、深い吐息でしかなかった。』


    原書名:『Suite Française』
    著者:イレーヌ・ネミロフスキー (Irène Némirovsky)
    訳者:野崎 歓、平岡 敦
    出版社 ‏: ‎白水社
    単行本 ‏: ‎566ページ
    受賞:ルノードー賞


    メモ:
    ・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」

  • 『四つの楽章で十分だ。第三楽章、つまり「捕囚」においては、共同体の運命と個人の運命は緊密に結びついている。第四楽章においては、結果がどうあれ(この断り書きの意味は自分でよく分かっている!)、個人の運命は共同体の運命から解き放たれる』―『資料Ⅰ著者のノートから』

    大部な二つの物語を組み合わせたものを組曲と呼んでいるのかと思いながら読み始めるが、二部の終わりになっても全体を束ねるような大きな主題に焦点が当たったような気にならない。それはこの組曲が未完の組曲であるからだと、巻末の資料から知って納得する。

    五部構成と四部構成との間に迷う様子が著者のノートに記されている。作家は明らかに交響曲やソナタのような音楽的な構成を意識している。第二部の「ドルチェ」の中でも音楽についての文章が数多く見受けられるが、自分たちを二度目のエクソダスに追い込んだドイツ人の音楽への純粋な傾倒が認められるのが、何とも言えずアイロニカルな印象を残す。

    著者のノートには、ミサ・ソレムニスやソナタ等への言及もあるが、特にベートーヴェンの作品のイメージを重ねていた様子が記されている。そうなると、やはり第九の各楽章と対比してみる誘惑には逆らえない。「六月の嵐」で語られるドイツ軍のフランス進行で湧き起こる嵐は第一楽章の始まりの展開そのものだし、続く「ドルチェ」で村から大急ぎで出立するドイツ兵たちの様子は第二楽章の緊張しつつも浮かれたような動きのある音階と慌ただしさも感じる終盤と呼応する。そうであれば、第三楽章は悲劇的でかつ耽美的で、緊張感に満ちたものになっただろう。第四楽章の主題がシラーの言葉と正反対なのは意図的だったのだろう、という想像も掻き立てられる。

    『一九四一年六月三十日。ミショー家の人々を入念に描くこと。いつもとばっちりを食ってばかりだが、ほんとうの意味で高貴な唯一の人々。面白いのは、大衆――この憎むべき大衆――の大部分が、実はこうした善良な人々で構成されているということ。だからといって大衆が少しでもましな存在になるわけではないし、善良な人々が悪人になるというわけでもないのだが』―『資料Ⅰ著者のノートから』

    二つのテーマ。現在進行形の戦争下での人々を模写して作品に昇華させたいという渇望と、左右問わず全体主義に対する嫌悪感。登場人物の間を移り変わりながら、多面的な視点で進行形の歴史を、そして図らずも露呈する人間性を、つぶさに写し取ろうとする作家の執念。強制収容所にて没した作家の原稿が奇跡的に残された経緯など知らずとも、この作品に注がれている作家の執念はひしひしと文章から伝わってくる。そしてやはり、体制の中の地位を利して欲望を満たそうとする人への嫌悪感。恐らく作家イレーヌ・ネミロフスキーは、全体主義がそういう個人の欲望を統制するどころか火に油を注ぐ様に燃え上がらせることをよく理解していたのだろう。

    『ああ! 一九四〇年の戦争というこの厳しい母胎、青銅の鋳型から出てくる世界がどのような形になるかなど、だれに予見できるだろう。世界は巨大化して出てくるのか、それとも歪んで出てくるのか(あるいは両方か)。ともあれ、その最初の痙攣は伝わってきていた。そこにかがみ込んで、視線を注いでみても……何も理解できないのは恐ろしいことだった』―『六月の嵐』

    ロシア革命で一度祖国を追われた作家が、群衆の熱気に支えられた動乱をどう見ていたのか。それは登場人物たちの言葉の端々に表現されているが、作家の慈愛はともすれば困難を自らの力で生き抜こうとするものに注がれている。ミショー家の人々に対する愛情は著者のノートからも明らかだが、ビュシー村で事あるごとに問題を起こし周りに迷惑をかける破天荒なブノワも、ボルシェビキ的性格付けをしつつも見捨てられない様子が伝わる。軍規や同国人として連帯を越えた愛情の交換の様子はひょっとすると作家の儚い理想の世界を投影したものなのかも知れないが、自由ということへの強い自覚がその根底にあったであろうことは想像に難くない。

    『要するに、個人の運命と共同体の運命の闘いだ。結局、強調すべきなのはリュシルとジャン=マリ の愛、そして永遠の生だ。あのドイツ人のすばらしい楽曲。 おそらくフィリップの姿を思い起こさせる必要もある。要するに、こうしたことが私の深い確信に適うのだろう。消滅せずにとどまるのは、一、われわれの慎ましい日常生活。二、芸術。三、神。』―『資料Ⅰ著者のノートから』

    描かれなかった残りの楽章を夢想する。

  • 戦時下のフランスを背景に、人びとの不安や諦めが切々と伝わってくる。
    パリから逃げだす避難民たちの混乱の群像劇、占領するドイツ兵を受け入れる地方の緊迫感。
    敗北者と侵略者を超えて、少しずつ交流を深める人びとが、切なく美しい。

    著者は、アウシュビッツへ送られるまでに、困難な状況でここまで書き上げ、続きも構想していたという。
    フランス、ドイツやロシアがどうなるわからないまま。
    胸が締めつけられる思いがした。

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著者プロフィール

1903-1942年。キエフ生まれ。ロシア革命後に一家でフランスに移住したユダヤ人。1929年、長篇第一作『ダヴィッド・ゴルデル』で成功を収め(31年J・デュヴィヴィエ監督が映画化)、一躍人気作家に。第二次大戦が勃発すると、夫と娘二人とともにブルゴーニュ地方の田舎町イシー=レヴェックに避難、やがてフランス憲兵によって捕えられ、42年アウシュヴィッツで亡くなった。娘が形見として保管していたトランクには、小さな文字でびっしりと書き込まれた著者のノートが長い間眠っていた。命がけで書き綴られたこの原稿が60年以上の時を経て奇跡的に世に出るや、たちまち話題を集め、本書は「20世紀フランス文学の最も優れた作品の一つ」と讃えられて2004年にルノードー賞を受賞(死後授賞は創設以来初めて)。フランスで70万部、全米で100万部、世界で約350万部の驚異的な売上げを記録し(現在40カ国以上で翻訳刊行)、映画化された。

「2020年 『フランス組曲[新装版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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