キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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制作 : J.D. Salinger  村上 春樹 
  • 白水社 (2006年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560090008

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)の感想・レビュー・書評

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  • 大人になんてなりたくない。

    そう思っていても、いつの間にか大人になってしまっていて、大人のような振る舞いをしている自分がいる。その姿を子供の目線でみたら、とんでもなく滑稽なものに見えるのだろう。

    だけど、その子供の目線のまま大人として生きていると、今度は大人からの奇異の目にさらされてしまう。

    世の中とは不思議なものだ。

    そんな大人になりきれず、どこか子供のままのホールデンという一見、変わりものが皮肉って世の中を風刺する作品。つまり、わたしたちの代弁者をになってくれている人物がホールデンといことになる。この作品でしか味わえない独特の後読感がクセになる。

    今回、野崎孝訳と村上春樹訳を同時に読んでみた。それぞれに訳に異なる部分はあるのだけど、さほど気になるほどのものではない。村上春樹訳のほうが後からの出版されたものなので、現代風の言い回しなので読みやすいことは確かだと思う。

  • この作品を読んだのは初めて。
    なので原作との違い、野崎訳との違いについては分からない。
    ただ感じたのは「ずいぶんと春樹用語が散りばめられているなぁ」
    ということくらい。
    それがいいか悪いかは分からないが、読みやすいのは確かだ。

    さて、訳については置いておいて、内容の話。
    非常に面白かった。
    ホールデンの痛いほどの葛藤が、自分と重なってくる。
    まず、重要なのは一人称だという事。
    一人称の小説には、「客観的視点」など必要ではない。
    だからこそいくらでも断定が、偏見ができる。
    別に、読者全員にホールデンになれ、と言っているわけじゃない。
    だから、「ホールデンのこの行為は許せない」
    「この主張には納得できない」というのが当たり前。
    それは、作品に対する批判には全くなり得ない。
    主人公の理屈を支持し、無条件で助けてしまうような、
    という「機械仕掛けの神」がいるなら反発はあるかもしれないが、
    この作品にはそんなものはない。
    ホールデンは、受け入れられない。
    彼の周りの社会は、現実の社会と同じように、
    ホールデンの生など、取るに足らぬものとして見向きもしない。

    ホールデンは「反社会的」であると言われる事が多いらしい。
    この作品自体が、そういうものだと思われているとも。
    しかし僕はそうは思わない。
    ホールデンは「無条件に社会や大人全てに反発」なんてしていない。
    「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」
    と妹のフィービーに言われると、彼はそれを激しく否定する。
    「そうじゃない。そういうんじゃないんだ。絶対にちがう」
    彼はただ、まだ本当に好きなものだと胸を張って言える事を、
    この世界の中から見つけ出せていないだけだ。
    抱けど彼はそれが、きっと見つけ出せるはずだと信じている。
    そういう意味で彼は、社会の肯定者だ。
    何も考えずに「社会は辛く厳しくみじめなものだ。仕方ない」と、
    嘆いてばかりいながら日々を暮らしている人間よりもずっと。
    彼が受け入れられないのは、インチキくさいものだ。
    もしも彼の言動を持って、「反社会的だ!」と思う人がいるなら、
    その人の方こそ「社会は全部インチキくさい」と、
    心のどこかで思っているんじゃないだろうか?

    僕がすごく印象的だったのは、
    ホールデンが作品中で最初から最後まで求めていたもの、
    それが「話を聞いてくれる人」であったことだ。
    そして、両親をふくめ、まともな大人とされる人々には、
    それを求める事ができなかった、ということ。
    ホールデンは大人たちから、「言うことを聞かない子ども」だと、
    思われているのだろう。
    だけど自分で思考停止して「話を聞かない」人間になったのは、
    大人たちの方ではないか?
    「ライ麦畑で崖から落ちる子どもをキャッチする人になりたい」
    と言ったホールデンは、「話を聞く人」になりたかったのだろう。

    僕がなりたいものもおそらくは、それに近いのかもしれない。

  • 正直に言うと評価に戸惑っている。期待に反して胸が熱くなるような場面も言葉もこれといってあまりなかったからだ。でもこれが実際の高校生くらいの捻くれた少年の考えや行動をかなり等身大に描き出していることは分かる。特に思春期の情動的で刹那的な心の動きをよく表現していると思う。成熟した大人がこれを読めば、「ああ、あの頃は自分も多感だったなあ」としんみり思うのだろうか。僕はまだそういった懐かしさは感じなかった。僕がまだ精神的に主人公とあまり変わらないからだろう。おそらくこういった物語は、その只中にある人よりもその時期を過ぎた人の方が大きく感動できるのだと思う。

    周囲の世界に感じている不満の種類が彼と僕とでは少し違うような気もした。彼は世界はインチキ野郎に溢れていて自分は正しいと思っているようだが、僕は世界は正しさで溢れていて自分だけがインチキ野郎に思える。(まぁ紙一重で表裏一体の同じものと言えるのかもしれないが。)そんなわけで、彼の感じ方は僕にとってかなり新鮮ではあった。悩みの種は同じなのに思考の方向が全然違う感じがした。

    とはいえ、最後の土砂降りのメリーゴーランドのシーンはやはり印象的だった。かなりグッときた。虚勢を張っていても本当は寂しいんだよな。それで心を交わしている人に「本当にどこにも行かないでいてくれる?」なんて言われたらどうしようもなく嬉しくなっちゃうよな。誰かに本心から自分の存在を求められることがこの世の最上の喜びなんだとはっきり分かる。そして、この妹との一悶着から彼は、気に入らない世界を拒否しているだけではいけないのだということを体感しただろう。どこかで世界と折り合いをつけなければ現実には生きていけない。でもこの本が言いたいのは迎合して大人になれということではなく、インチキを許さない気持ちをいつまでも忘れるなということなのだと思う。2016/06/03

  • サリンジャー版「人間失格」ですね。

    自分は特別で周りはどうかしてる、っていう感覚ってやっぱりあるものです。だから、このホールデンくんもさして特別でも、変でもない。でもそんなことって当時はわからないものです。

    読んでて苛立つし、恥ずかしいし、懐かしいし、分からんでもないから、
    結局惹きつけられていました。

  • 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ジェローム・デビッド・サリンジャー。1951年発表の小説。アメリカ。村上春樹さん訳。白水社。
    (「ライ麦畑でつかまえて」の邦題で知られています)



    余りにも有名だけれども実は読んでいなかった小説、の一つでした。面白かったです。

    ホールデン・コールフィールドという男子高校生。純情だし愛にあふれてもいるのだけれど、かつて弟が早世した悲しい過去がある。夢見がちで文章を書くのが好きで、成績は悪い。学校では控え目に言って劣等生、問題児。17歳の初冬、なんだか色んなことがどんどん上手くいかずに、上手くできずに、プライドが満たされず、淋しくて詰まらなくて、でもそこそこ知性があって知識があって親のお蔭で小銭には不自由しなくて都会だから遊び場所があって、手を伸ばせばそのあたりに「幸せ」とか「充実」がいくらでもありそうだし、「幸せなふり」をすることは簡単なんだけど、「ありそう」で「ふり」なだけで、実は無いんだなぁ...と、いう暗闇を手探りで彷徨って四方八方の壁にぶつかり、こけつまろびつ傷だらけ、どんどん現実社会に適応できなくなってしまう...というようなお話でした。

    印象としては、「宗教」とか「父親家長」とかそういう19世紀的な権威が無くなってしまった、けっこう発達した資本主義社会で、ちょいとした高等教育を受けてしまった若者なら、誰でも陥りかねない精神状態みたいなものを、物凄く活き活きと剥き出しにドラマチックに描いている感じ。17歳の奔放でお馬鹿でやがて哀しき一人称。これは、古びない小説です。連想しちゃったのは太宰治さんとかでした。人間失格。晩年。



    うろ覚えで段取りを書いておくと、

    コールフィールド君の高校生活。全寮制の男子校。
    10代の男子特有の下劣でマッチョでお馬鹿で傲慢さや残酷さが幅を利かせる小社会(このあたりのげんなり感、ため息が出るくらい生々しく描かれています)で、主人公はどうしても学業もスポーツも劣等で、落ちこぼれて放校が決まってしまいます。
    そこで、退学を待たずして勝手に遁走、ニューヨークに。お金持ちの両親はニューヨークにいるんですね。つまり、スコールフィールドくんもニューヨークは勝手知ったる街。
    実家の敷居も高いもんだから、お金があることだし、背伸びしてホテルに泊まります。でも退屈で詰まらなくて孤独で、ナイトクラブに行ったり、女の子と遊ぼうとするのだけれども、上手く行かないし、愉快ぢゃない...そして、優しいかつての先生の家に転がり込んだ挙句に、どうやら最後には実家に戻って、今でいうと心療内科に押し込まれちゃうようです...と、いうおはなし。

    #

    マッチョ優先で考えれば、要するに主人公は弱くて不器用なんです。そしてそんなスコールフィールド君は、競争で生きて行かねばならない、自由で素晴らしいはずのこの世界の中で、昨日とか明日にぼくたちもそうであったかもしれないし、そうなるかも知れない姿なだけです。あるいは僕たちのココロの、5%か60%高は常にスコールフィールド君で、ただそれをうまく必死に隠して生きているだけなのかもしれません。周りにも、何より自分にも。

    #

    主人公に妹がいて、確かフィービーという名前だったと思うのですが、この子に思い向かった時の、コールフィールド君の剥き出しにもろくてとめどもない愛情が、目が覚めるように痛くて、小説としてものすごく奇跡な美しさだったなあ、と覚えてます。

    村上春樹さんが、翻訳したくなるのもむべなるかな。村上春樹さんの根っこの一部が、ここにありました。なるほど。

  • 今月の猫町課題図書。永遠の青春小説にして、永遠のブッククラブ課題図書なので、70回以上開催されている東京月曜会がいままで『ライ麦畑』を読んでいなかったというのはちょっとした驚きだ(「ナイン・ストーリーズ」は比較的若い回で読んでいる)。

    初めて "the Catcher in the Rye" を読んだのは、たぶん大学生になった頃で、当然、野崎訳。当時の印象はそれほど強いものではなく、「思春期をこじらせた少年が家出する話」くらいの記憶しかなかった(しかも、読み返してみると、結局、家出はしていなかった…)。

    2003年にこの村上春樹訳が出たときはちょっとした話題になったものだが、その時は特に興味は持たずに、春樹訳は今回初読。しかし、今読み返すと、この"the Catcher in the Rye" がべらぼうに面白いのだ。青春期(Adolescence)を描いた小説は、青春期の真っ只中にいる時に読んでもその面白さは判らずに、むしろ年をとってからの方が主人公の語りや行動を客観視できるようだ。微妙な細部や登場人物の対称性も興味深い。思いの他、面白い小説だったので、原書を含めて関連書籍も何冊か読んでみるつもり。

  • 村上訳の効果なのかわからないが、するする読めた。しかし、正直なところ何かを読み取るまではいかなかった。内容がつまらないのではなく、これは自分の解釈力が足りないからだと思う。それと、なぜか原文で読んでみたくなった。主人公のホールデン=サリンジャーみたいなものだし、彼の名前の声を聴いてみたいのだ。おそらくその後は野崎訳を読んで、再び村上訳に戻ってきたい。

  • 私はホールデン君とまさに同い年。例え時代も場所も違っても、同じように世界を見ていて、その何でもかんでも嫌になっちゃうその気持ち、凄く分かるなーと思いました。16歳をここまでリアルに大人になってかけたサリンジャーは凄い。たぶん周波数が同じなのは今だけ。10年後、20年後読めばまた違う感想になるんだろうな。

  • 自己との対話を重ねて、
    他とのコミュニケーションを深度化する話。
    それはホールデンの前をどんどんと通り過ぎる人たちのように
    希薄な希望でしかないけれど、
    自分と向かい合えば向かい合うほど
    自分のより深い部分へと落ちて行こうとすればするほど、
    本来のコミュニケーションが成立しているように感じる。
    言葉の可能性を信じていいような希望が湧いてくる。
    純粋にそう信じて崖から落ちそうになるのを
    きっと誰かつかまえてくれると思える。

  • 世の中欺瞞だらけで、どうしようもないことばかりに見えてしまう
    主人公の未熟さと、それでも自分が汚らわしいと思うものには、決して迎合しない主人公の誇り高さには共感を持ちました。

    当時のアメリカを知っていればもっと感じるものもあったのかも。

    あんまりこの手の小説は好きじゃないけど、途中でやめずに最後まで読んでよかった。後半に救いがちゃんとあって安心した。

    流石の村上訳。

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キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)の作品紹介

J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。

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