キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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制作 : J.D. Salinger  村上 春樹 
  • 白水社 (2006年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560090008

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キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)の感想・レビュー・書評

  • 大人になんてなりたくない。

    そう思っていても、いつの間にか大人になってしまっていて、大人のような振る舞いをしている自分がいる。その姿を子供の目線でみたら、とんでもなく滑稽なものに見えるのだろう。

    だけど、その子供の目線のまま大人として生きていると、今度は大人からの奇異の目にさらされてしまう。

    世の中とは不思議なものだ。

    そんな大人になりきれず、どこか子供のままのホールデンという一見、変わりものが皮肉って世の中を風刺する作品。つまり、わたしたちの代弁者をになってくれている人物がホールデンといことになる。この作品でしか味わえない独特の後読感がクセになる。

    今回、野崎孝訳と村上春樹訳を同時に読んでみた。それぞれに訳に異なる部分はあるのだけど、さほど気になるほどのものではない。村上春樹訳のほうが後からの出版されたものなので、現代風の言い回しなので読みやすいことは確かだと思う。

  • サリンジャー版「人間失格」ですね。

    自分は特別で周りはどうかしてる、っていう感覚ってやっぱりあるものです。だから、このホールデンくんもさして特別でも、変でもない。でもそんなことって当時はわからないものです。

    読んでて苛立つし、恥ずかしいし、懐かしいし、分からんでもないから、
    結局惹きつけられていました。

  • この作品を読んだのは初めて。
    なので原作との違い、野崎訳との違いについては分からない。
    ただ感じたのは「ずいぶんと春樹用語が散りばめられているなぁ」
    ということくらい。
    それがいいか悪いかは分からないが、読みやすいのは確かだ。

    さて、訳については置いておいて、内容の話。
    非常に面白かった。
    ホールデンの痛いほどの葛藤が、自分と重なってくる。
    まず、重要なのは一人称だという事。
    一人称の小説には、「客観的視点」など必要ではない。
    だからこそいくらでも断定が、偏見ができる。
    別に、読者全員にホールデンになれ、と言っているわけじゃない。
    だから、「ホールデンのこの行為は許せない」
    「この主張には納得できない」というのが当たり前。
    それは、作品に対する批判には全くなり得ない。
    主人公の理屈を支持し、無条件で助けてしまうような、
    という「機械仕掛けの神」がいるなら反発はあるかもしれないが、
    この作品にはそんなものはない。
    ホールデンは、受け入れられない。
    彼の周りの社会は、現実の社会と同じように、
    ホールデンの生など、取るに足らぬものとして見向きもしない。

    ホールデンは「反社会的」であると言われる事が多いらしい。
    この作品自体が、そういうものだと思われているとも。
    しかし僕はそうは思わない。
    ホールデンは「無条件に社会や大人全てに反発」なんてしていない。
    「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」
    と妹のフィービーに言われると、彼はそれを激しく否定する。
    「そうじゃない。そういうんじゃないんだ。絶対にちがう」
    彼はただ、まだ本当に好きなものだと胸を張って言える事を、
    この世界の中から見つけ出せていないだけだ。
    抱けど彼はそれが、きっと見つけ出せるはずだと信じている。
    そういう意味で彼は、社会の肯定者だ。
    何も考えずに「社会は辛く厳しくみじめなものだ。仕方ない」と、
    嘆いてばかりいながら日々を暮らしている人間よりもずっと。
    彼が受け入れられないのは、インチキくさいものだ。
    もしも彼の言動を持って、「反社会的だ!」と思う人がいるなら、
    その人の方こそ「社会は全部インチキくさい」と、
    心のどこかで思っているんじゃないだろうか?

    僕がすごく印象的だったのは、
    ホールデンが作品中で最初から最後まで求めていたもの、
    それが「話を聞いてくれる人」であったことだ。
    そして、両親をふくめ、まともな大人とされる人々には、
    それを求める事ができなかった、ということ。
    ホールデンは大人たちから、「言うことを聞かない子ども」だと、
    思われているのだろう。
    だけど自分で思考停止して「話を聞かない」人間になったのは、
    大人たちの方ではないか?
    「ライ麦畑で崖から落ちる子どもをキャッチする人になりたい」
    と言ったホールデンは、「話を聞く人」になりたかったのだろう。

    僕がなりたいものもおそらくは、それに近いのかもしれない。

  • 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ジェローム・デビッド・サリンジャー。1951年発表の小説。アメリカ。村上春樹さん訳。白水社。
    (「ライ麦畑でつかまえて」の邦題で知られています)



    余りにも有名だけれども実は読んでいなかった小説、の一つでした。面白かったです。

    ホールデン・コールフィールドという男子高校生。純情だし愛にあふれてもいるのだけれど、かつて弟が早世した悲しい過去がある。夢見がちで文章を書くのが好きで、成績は悪い。学校では控え目に言って劣等生、問題児。17歳の初冬、なんだか色んなことがどんどん上手くいかずに、上手くできずに、プライドが満たされず、淋しくて詰まらなくて、でもそこそこ知性があって知識があって親のお蔭で小銭には不自由しなくて都会だから遊び場所があって、手を伸ばせばそのあたりに「幸せ」とか「充実」がいくらでもありそうだし、「幸せなふり」をすることは簡単なんだけど、「ありそう」で「ふり」なだけで、実は無いんだなぁ...と、いう暗闇を手探りで彷徨って四方八方の壁にぶつかり、こけつまろびつ傷だらけ、どんどん現実社会に適応できなくなってしまう...というようなお話でした。

    印象としては、「宗教」とか「父親家長」とかそういう19世紀的な権威が無くなってしまった、けっこう発達した資本主義社会で、ちょいとした高等教育を受けてしまった若者なら、誰でも陥りかねない精神状態みたいなものを、物凄く活き活きと剥き出しにドラマチックに描いている感じ。17歳の奔放でお馬鹿でやがて哀しき一人称。これは、古びない小説です。連想しちゃったのは太宰治さんとかでした。人間失格。晩年。



    うろ覚えで段取りを書いておくと、

    コールフィールド君の高校生活。全寮制の男子校。
    10代の男子特有の下劣でマッチョでお馬鹿で傲慢さや残酷さが幅を利かせる小社会(このあたりのげんなり感、ため息が出るくらい生々しく描かれています)で、主人公はどうしても学業もスポーツも劣等で、落ちこぼれて放校が決まってしまいます。
    そこで、退学を待たずして勝手に遁走、ニューヨークに。お金持ちの両親はニューヨークにいるんですね。つまり、スコールフィールドくんもニューヨークは勝手知ったる街。
    実家の敷居も高いもんだから、お金があることだし、背伸びしてホテルに泊まります。でも退屈で詰まらなくて孤独で、ナイトクラブに行ったり、女の子と遊ぼうとするのだけれども、上手く行かないし、愉快ぢゃない...そして、優しいかつての先生の家に転がり込んだ挙句に、どうやら最後には実家に戻って、今でいうと心療内科に押し込まれちゃうようです...と、いうおはなし。

    #

    マッチョ優先で考えれば、要するに主人公は弱くて不器用なんです。そしてそんなスコールフィールド君は、競争で生きて行かねばならない、自由で素晴らしいはずのこの世界の中で、昨日とか明日にぼくたちもそうであったかもしれないし、そうなるかも知れない姿なだけです。あるいは僕たちのココロの、5%か60%高は常にスコールフィールド君で、ただそれをうまく必死に隠して生きているだけなのかもしれません。周りにも、何より自分にも。

    #

    主人公に妹がいて、確かフィービーという名前だったと思うのですが、この子に思い向かった時の、コールフィールド君の剥き出しにもろくてとめどもない愛情が、目が覚めるように痛くて、小説としてものすごく奇跡な美しさだったなあ、と覚えてます。

    村上春樹さんが、翻訳したくなるのもむべなるかな。村上春樹さんの根っこの一部が、ここにありました。なるほど。

  • 正直に言うと評価に戸惑っている。期待に反して胸が熱くなるような場面も言葉もこれといってあまりなかったからだ。でもこれが実際の高校生くらいの捻くれた少年の考えや行動をかなり等身大に描き出していることは分かる。特に思春期の情動的で刹那的な心の動きをよく表現していると思う。成熟した大人がこれを読めば、「ああ、あの頃は自分も多感だったなあ」としんみり思うのだろうか。僕はまだそういった懐かしさは感じなかった。僕がまだ精神的に主人公とあまり変わらないからだろう。おそらくこういった物語は、その只中にある人よりもその時期を過ぎた人の方が大きく感動できるのだと思う。

    周囲の世界に感じている不満の種類が彼と僕とでは少し違うような気もした。彼は世界はインチキ野郎に溢れていて自分は正しいと思っているようだが、僕は世界は正しさで溢れていて自分だけがインチキ野郎に思える。(まぁ紙一重で表裏一体の同じものと言えるのかもしれないが。)そんなわけで、彼の感じ方は僕にとってかなり新鮮ではあった。悩みの種は同じなのに思考の方向が全然違う感じがした。

    とはいえ、最後の土砂降りのメリーゴーランドのシーンはやはり印象的だった。かなりグッときた。虚勢を張っていても本当は寂しいんだよな。それで心を交わしている人に「本当にどこにも行かないでいてくれる?」なんて言われたらどうしようもなく嬉しくなっちゃうよな。誰かに本心から自分の存在を求められることがこの世の最上の喜びなんだとはっきり分かる。そして、この妹との一悶着から彼は、気に入らない世界を拒否しているだけではいけないのだということを体感しただろう。どこかで世界と折り合いをつけなければ現実には生きていけない。でもこの本が言いたいのは迎合して大人になれということではなく、インチキを許さない気持ちをいつまでも忘れるなということなのだと思う。2016/06/03

  • 今月の猫町課題図書。永遠の青春小説にして、永遠のブッククラブ課題図書なので、70回以上開催されている東京月曜会がいままで『ライ麦畑』を読んでいなかったというのはちょっとした驚きだ(「ナイン・ストーリーズ」は比較的若い回で読んでいる)。

    初めて "the Catcher in the Rye" を読んだのは、たぶん大学生になった頃で、当然、野崎訳。当時の印象はそれほど強いものではなく、「思春期をこじらせた少年が家出する話」くらいの記憶しかなかった(しかも、読み返してみると、結局、家出はしていなかった…)。

    2003年にこの村上春樹訳が出たときはちょっとした話題になったものだが、その時は特に興味は持たずに、春樹訳は今回初読。しかし、今読み返すと、この"the Catcher in the Rye" がべらぼうに面白いのだ。青春期(Adolescence)を描いた小説は、青春期の真っ只中にいる時に読んでもその面白さは判らずに、むしろ年をとってからの方が主人公の語りや行動を客観視できるようだ。微妙な細部や登場人物の対称性も興味深い。思いの他、面白い小説だったので、原書を含めて関連書籍も何冊か読んでみるつもり。

  • 村上訳の効果なのかわからないが、するする読めた。しかし、正直なところ何かを読み取るまではいかなかった。内容がつまらないのではなく、これは自分の解釈力が足りないからだと思う。それと、なぜか原文で読んでみたくなった。主人公のホールデン=サリンジャーみたいなものだし、彼の名前の声を聴いてみたいのだ。おそらくその後は野崎訳を読んで、再び村上訳に戻ってきたい。

  • 私はホールデン君とまさに同い年。例え時代も場所も違っても、同じように世界を見ていて、その何でもかんでも嫌になっちゃうその気持ち、凄く分かるなーと思いました。16歳をここまでリアルに大人になってかけたサリンジャーは凄い。たぶん周波数が同じなのは今だけ。10年後、20年後読めばまた違う感想になるんだろうな。

  • 自己との対話を重ねて、
    他とのコミュニケーションを深度化する話。
    それはホールデンの前をどんどんと通り過ぎる人たちのように
    希薄な希望でしかないけれど、
    自分と向かい合えば向かい合うほど
    自分のより深い部分へと落ちて行こうとすればするほど、
    本来のコミュニケーションが成立しているように感じる。
    言葉の可能性を信じていいような希望が湧いてくる。
    純粋にそう信じて崖から落ちそうになるのを
    きっと誰かつかまえてくれると思える。

  • 世の中欺瞞だらけで、どうしようもないことばかりに見えてしまう
    主人公の未熟さと、それでも自分が汚らわしいと思うものには、決して迎合しない主人公の誇り高さには共感を持ちました。

    当時のアメリカを知っていればもっと感じるものもあったのかも。

    あんまりこの手の小説は好きじゃないけど、途中でやめずに最後まで読んでよかった。後半に救いがちゃんとあって安心した。

    流石の村上訳。

  •  就職先は決まったが、配属先は決まらず。

     未来が決まっているようで、実は決まっていない。

     これからどうなるのだろう。どうなりたいのだろう。

     「社会人」になるまで1ヵ月を切った今、このタイミングで読んで良かったと思いました。


     「未熟なるもののしるしとは、
     
      大義のために高貴なる死を求めることだ。
      
      その一方で、成熟したもののしるしとは、
       
      大義のために生きることを求めることだ。」

     
     先生がホールデンに語ったこの言葉は、
     
     なんとなく鬱々とした気分の今の私にも、響いたみたいです。

  • 【経緯】
    ぺりこさん推薦

    【書き出し】
    こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に何をしていたかとか、その手のデイヴィット・カッパフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。

    【感想】
    読み終わったあと、身近に嫌だと思うひとものことについて、この文体口調で言いそうになっちまったよ。まったくの話。
    うーん、村上節!

    少年の思春期のバイブルになりうるのかな。と、女のわたしは想像しながら読みました。よ。

    世間に馴染めずに、なお自身を貫く主人公という観点では、カミュの異邦人を思った。
    でも本著では妹のフィービーとアントリーニ先生が救いですね。

    なんていうか‥
    じぶんを取り巻いているものにほとほと嫌になってしまうんだろうけど、それ思ってるの君だけじゃないから、今やれることに向き合いやーって。

    それだけなんだけどね。
    悩める少年少女に差し出したい本やね。

    【共感】
    ●嫌になっちゃうよねあるある●
    ・病人病人している老人に滅入る
    ・良いこといってもらってても温度差があると入ってこない
    ・心無い落書きひとつで気が滅入る
    ・気分が最低なときに妄想で現実逃避

    【引用】
    未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。P319

  • 罵詈雑言のオンパレード!
    J・D・サリンジャーの名作(?)『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye)の、村上春樹による新訳です。
    64年の野崎孝訳に比べればぐっと読み易く、村上春樹のいつもの作品のような文章ですw
    ただし野崎訳では、例えば作中の人名について括弧で説明があったりしますが、この村上訳はそれが無いので説明足らずでもあります。
    つまりこの村上訳と野崎訳は、それぞれ一長一短あり、どちらが良いか?ということもないでしょう。
    まぁ読み易さなら、こちらの村上訳でしょうね。
    そして村上春樹の作品の原点がここにあります。
    つまり、ヘンテコなキャラばかりで、やたら人の欠点を強調するwww
    主役のホールデン少年(16歳)の一人称による語りという形式ですが、名前を挙げた人全員をボロクソにこき下ろしています。
    この作品が世界中の若者たちに巨大な影響を与えたというのが不思議ですが、20代の若者なら共感するんでしょうか?
    とはいえ決して悪い作品でもありません。

     「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」

    この言葉に出会えただけでも、本書を読む価値があります。
    幼い妹が、主役を救った天使ですね(^O^)
    彼女の存在は、読者にとっても救いでしょうw

  • 海外文学は、どうしても文章が読みにくくて、最後までなかなか読み切れない。
    でも、これは村上春樹さんの力もあってすらすら読めました。
    思春期の本だな、って思う。

  • いっしょうけんめいひねくれてる。

  • 小説の内容よりも、与えた影響のほうが圧倒的に有名という、稀有な小説。

    1日で一気に読んだから若干理解が甘いと思うし、時代的な背景知識なんかも全然ないので、こういう小説のレビューを書くのはいささか緊張する。冗談抜きで。



    読んだほとんどの人が、ホールデンに自分を重ねるのではないかなと思う。それがこの小説の素晴らしいところだと思う。

    ホールデンは明らかに間違っているし、同時に明らかに正しい。
    つまり、自分にとってのあるべき世界(正しい世界と言ってもいいかもしれない)と、実際に目にする世界の違いに対して、やり場のない憤りを覚えるということであったり、それに拒絶を示してしまうということだ。ホールデンは世の中のほとんど全てのことを拒絶する歪んだ人間だけれど、素の性格はとても純粋だ。

    自分というものをある程度殺して、世の中のシステムにあてはまっていくことが大人になるということだとしたら、99%の人はどこかで敗北して、大人の側につく。本当の意味でまっすぐ生きていける聖人のような人はほとんどいないだろうし、世の中に適応せずに、世を疎んじて生きていく人もほとんどいない。結局のところ、みんなライ麦畑の端っこの崖から落ちていく。

    ホールデンは「I'd just be the catcher in the rye and all.」というくらいだから、成長につれて純粋さというものが色あせていくことに対して、不条理さを感じていると思うし、もしかしたら恐怖感のようなものを覚えているのだと思う。自分を歪めて世の中に適合したら、自分が自分でなくなってしまうのではないか?という感じ。
    しかし同時に、彼は社会の中でしか生きていけないことも自覚していて、だからこそファック・ユーという文字に過剰に反応する。


    この小説の中では「君」、とホールデンに問いかけられることの多い読み手だけれど、読みながら、自分の身の回りの“まともでないこと”が想起されるし、“自分なりのまともさ”を貫くホールデンに共感もする。昔はそうやって世間知らずだったなとか、あるいは自分は行動できる勇気はなかったなとか(サリーみたいにね)。
    特に序盤なんかは、ホールデンに「もっと上手く生きろよ」と思うと同時に、自分が「インチキ野郎」と糾弾されているような気持ちすらしてくる。

    でも、最後のシーンでは、ホールデンが、フィービーには「まとも(もちろん社会的に見て、だ)」であることを要求し、自分も無鉄砲な計画を取りやめる。
    彼も大人になっていくということなのだと思う。


    思春期の誰にでもある心の葛藤がすごく鮮やかに描かれた小説。

  • やれやれ本当に予想を裏切られたよ。真剣な話。
    「ライ麦畑でつかまえて」ってタイトルからして、それはそれは爽快な青春小説だと思ってたんだけどね。
    君だってなんの前知識も持ってなかったらそう思ってたんじゃないかな。
    うん、ほんとうにげえげえ吐いちゃうほど裏切られた気分だよ。
    私は車輪の下を読むのに、百年ぐらいかかったけどね、この本は一日で読めちゃったんだ。ほんとのところ。うそじゃないよ。



    すいません。春樹語を駆使してレビューしようと思ったけど無理でしたww
    まずこの本はほんとにちゃんとサリンジャー言いたいことをそのまま翻訳してあるのだろうかって疑問。
    だって「やれやれ」とかさ、いっぱい出てくるし、まんま村上春樹やん!って感じなんだもん。
    まあそれは原文読んでみないとわかんないよね。

    ※全然読み込んでないと思うし、的を射たレビューはできません。

    直感したことを書きます。
    とりあえず主人公は典型的な中二病患者ですね。ほんとに、誰もかれもインチキ野郎だと思っているし、全てのことが胡散臭いと思ってるし、邪気眼みたいな行動(銃で撃たれた自分を想像)もしてるし、絵にかいたような中二病。
    どの国にもどの時代にもこういう少年期は存在するんだなあと思った。
    この作品はかなり有名だし、ものすごい多くの人が分析しているんだろうけど、
    ホールデンくんがその光景を見たら「世界の果てまでめげちゃう」か「頭のひだが消えちゃうくらい滅入る」んだろうなーなんて。

    ドロップアウトしたホールデンくんの転落の数日間は、痛々しいけど、俗物の嫌いっぷりが気持ちいいくらいだった。

    フィービーについては、ほんとはフィービーなんてもう存在しないんじゃないかと思ってしまったw
    私の勘違いかもしれないけど、フィービーがホールデンくん以外と話しているシーンがないし、やけに大人びた口調だし、ホールデンくんが「好きなもの」として挙げたのが死んだ弟と、フィービーといる時間だったから。

    まああくまでも私の脈絡のほとんどない妄想ですが。

    あと最後の「誰彼かまわず懐かしく思っちゃったりするからさ。」というのを読んで、ホールデンくんは
    それまでの自分とは少し決別したのかな。と思った。フィービーを諭す場面もあったしね。

    なによりその最後の文を読んで思い出したのが、よしもとばななのハネムーンにでてきたシーン。

    昔、恋人がいやそうになんかやってたこと(確か自分が脱ぎっぱなしにした服を片づけるとか)を思い出して、主人公は心が暖かくなるんだけど、あんないやそうな顔を思い出して心が暖まるなんて、自分と恋人の間には相当距離が開いちゃったんじゃないかって思うシーン。

    死んだ人とか思いだすと、たとえそれが当時は嫌だったことでも微笑ましく思えるみたいな。

    だからホールデンくんが懐かしく思っちゃったってことは、それだけ距離がうまれたってことかなーと思いました。
    十代の頃読んでれば良かったって思う人が多いみたいだけど、もしそのぐらいの時読んでたら
    私は余計にひねた子どもになってたと思う。
    ただでさえ、今モラトリアム人間真っただ中だから、共感する部分はいくつかあったけどw

    ただ許せないのは、まっとうなアントリーニ先生をゲイだと決めつけて突き放してきちゃうところだなw
    アントリーニ先生の言っていることに、サリンジャーはどう思っているんだろうと思った。
    アントリーニ先生の説教が正しいと思っているのか、一理あるのか、それともインチキくさい話なのか。
    私はアントリーニ先生はごもっともなこと言っていると思うし、べつに性的な意味でw撫でたわけじゃないと思う!
    まあ男のほとんどはゲイだって脅されてたから逃げちゃったのかもしれないけどさw
    せっかく優しくした生徒に勘違いされた先生がすげえ可哀想www

    真相はわからないけどねー。... 続きを読む

  • サリンジャーが亡くなったのを機に、その報を聞いた週末で一気に読みました。 野崎訳は読んでいたので、春樹訳で。

    野崎訳を読んだときって学生の頃だったので、 その頃とは気持ちが全然違うのは確か。 ホールデンのことを青いなと思うのは当然です。 でも、それでもどこか共感してしまうんですよね。

    サリーとの無意味なデートにしたって、 フィービーとのお忍び会話にしたって、 アントリーニ先生の優しい言葉にしたって、 息が詰まるほどグッと来てしまうんです。

    大人になっても未成熟な僕らに、 いつまでも過ぎ去った青春を思い出させてくれる。 読み直してみて、やっぱり傑作だと思いました。

  • 読んでいるうちにとことんうらぶれた気持ちになったし、いらいらさせられた。ホールデンはだいたい何もかもが気に食わなくて300ページくらい文句を言い続けているし、自分が認めている人にはとりあってもらえないし、頭の中でだけはかっこつけてインチキなやつらをぶん殴ったりしてるみじめなやつなんだけど、いらいらの正体は読んでいる自分自身に向けられているものだと気づいた。彼の不満に全面的に共感できた時期はとりあえず過ぎていったけど、つい最近までどうしようもなく傲慢でいたせいか、そしてそれもまだ抜けきっていないせいか、本当にまいっちまったな。きっといつか喪失が訪れるんじゃなかとひやひやしたし。それにしても、真正面から忠告を与えてくれた先生が、目を覚ましたら自分の顔を撫でていたというのはずいぶんな話だよな。なぜかグッドウィルハンティングを思い出す。
    若さを描くってこういうことなんだね。過渡期に読める本はそう多くないだろうから、大切にしていきたいけど。なんとなく庄司薫の本を読みたくなった。

  • サリンジャーの本は、すぐ眠たくなっちゃって、未だに最後まで読めない。

  • サリンジャーと言えば、の「ライムギ畑」。野崎さん役の古いものを一度読み、もう読まないかなと思ってブックオフに手放したすぐに、村上訳を買った。村上春樹は好きだったり嫌いだったりする作家だが、なぜだか彼の「ライ麦畑」が読みたくなった。

    読んだ小説のストーリーはよく覚えていても、主人公の名前はすぐに忘れてしまう。しかしそれが忘れられない作品がいくつかあって、そういう作品はその作品ごと忘れられない。「車輪の下」のハンス・ギーベンラートであり、「嵐が丘」のヒースクリフ、「赤と黒」のジュリアン、「沈黙」のキチジロー。そして「ライ麦畑」のホールデン・コールフィールドである。

    ストーリーは、小説としては割とありふれたことがあるだけでプロットがどうかとかいう作品ではない。ようするに学校をやめて、ちょっといろんなことをして家に帰っただけだ。これはホールデンの、サリンジャーの「ツァラトゥストラ」ではないか。齢30にして山を下りたツァラトゥストラが、出会うものに対して新しい解釈を与えていくように、学校を飛び出したホールデンが目の前に起こる出来事に解釈を与えていく。彼としては全く新しい解釈ではなく、日常を感情を根拠として繰り返し説明しながら、自分自身で納得して進んでいく。ツァラトゥストラは新しい世界の始まりを信仰し没落を始めるが、ホールデンは変わらない世界を確信しながら、内面の安らぎを求めて自らを慰め没落していく。

    「狂人」と括ってしまえば簡単かもしれないが、私たちが狂人ではないと誰が言えるだろうか。ホールデンが何をしたか。ただ人と少し違っていただけ。そして誰でも人とは少し違う。彼は自分自身を解釈し納得して進もうとしている。彼の主観で描かれた世界は、少しいびつで、誰もが自己を喪失しており、ホールデンだけはその違和感を感じており、しかし何もすることもできずそれをする気も起きず、ただ悲しむ。彼の世界では彼は優しさに満ちており、その優しさが目的を妨げ、日常に帰結させる。そして彼は家に帰った。彼にとってのハレルヤは、「まいっちゃうよ」だ。

    誰も自身の主観からは逃れることはできない。その主観と主観の交わりが社会であり、世界であるのだろう。何を学ぶかはそれぞれだが、そのような世界でも優しくあれと、新しい福音をくれるホールデンの、サリンジャーの「ツゥアラトゥストラ」である。


    17/3/14

  • つかまえて
    じゃなくて
    つかまえたい
    だった。衝撃の誤訳。

    今の時代だったら、そして日本だったら、自分のことを卑下したり、茶化したりして安全策を講じるだろうけど、
    この主人公は、本気で自分を正当化して、本気で他人をみんなクズだと思っていて、そういう若さ特有の?勘違いが許される世界っていいなあと思った。

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キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)の作品紹介

J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)はこんな本です

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)の単行本

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