- Amazon.co.jp ・本 (506ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560099018
作品紹介・あらすじ
ポポカテペトルとイスタクシワトル。二つの火山を臨むメキシコ、クワウナワクの町で、元英国領事ジェフリー・ファーミンは、最愛の妻イヴォンヌに捨てられ、酒浸りの日々を送っている。一九三八年十一月の「死者の日」の朝、イヴォンヌが突然彼のもとに舞い戻ってくる。ぎこちなく再会した二人は、領事の腹違いの弟ヒューを伴って闘牛見物に出かけることに。しかし領事は心の底で妻を許すことができず、ますます酒に溺れていき、ドン・キホーテさながらに、破滅へと向かって衝動的に突き進んでいく。ガルシア=マルケス、大江健三郎ら世界の作家たちが愛読する二十世紀文学の傑作、待望の新訳。
感想・レビュー・書評
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感想を一言で表すならヴィヴィッド! アル中の英国領事ファーミンの悪夢の如く幻想と二つの火山の下でのメキシコの風土が響き交錯し破滅へと向かう、この絶望感溢れるイメージに生命力を与えるミラクル。それにメキシコの歴史や社会主義イデオロギーを、航海の冒険譚を、故郷喪失の物語を、報われぬ愛情物語を織り込むのだからハンパない密度だ。読み難いと評判高い本書だが、叙情があるし構造もしっかりしているので文体に慣れさえすれば(酒好きならば)ファーミンの酩酊に寄り添うことができるはず。息をのむほどの鮮烈な光景が絶望的に開ける。
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酔っ払い作家が唯一書き上げた酔っ払いが主人公の小説…だそうです。
ほんとに最初から最後まで飲んでます。
なんとなく、これは男性が読んだ方が面白いのではないでしょうか。酔い潰れつつも別れた妻が帰ってくるよ、みたいなストーリーは願望めいたものを感じます。
名作らしいですが、わたしはもう読みかえすことはないだろう…と思いました。 -
[ 内容 ]
ポポカテペトルとイスタクシワトル。
二つの火山を臨むメキシコ、クワウナワクの町で、元英国領事ジェフリー・ファーミンは、最愛の妻イヴォンヌに捨てられ、酒浸りの日々を送っている。
一九三八年十一月の「死者の日」の朝、イヴォンヌが突然彼のもとに舞い戻ってくる。
ぎこちなく再会した二人は、領事の腹違いの弟ヒューを伴って闘牛見物に出かけることに。
しかし領事は心の底で妻を許すことができず、ますます酒に溺れていき、ドン・キホーテさながらに、破滅へと向かって衝動的に突き進んでいく。
ガルシア=マルケス、大江健三郎ら世界の作家たちが愛読する二十世紀文学の傑作、待望の新訳。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
4.1/222
『1938年11月の〈死者の日〉。故郷から遠く離れたメキシコの地で、酒に溺れていく元英国領事の悲喜劇的な一日を、美しくも破滅的な迫真の筆致で描く。二十世紀の傑作、待望の新訳。』(「白水社」サイトより▽)
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b206461.html
冒頭
『二つの山脈が共和国を横切るように大きく南北に走り、その間にいくつもの渓谷と高原を形作っている。二つの火山にはさまれた渓谷の一つを見下ろす位置に、海抜六千フィートの町クアウナワクがある。』
原書名:『Under the Volcano』
著者 : マルカム・ラウリー (Malcolm Lowry)
監修:斎藤 兆史
訳者:渡辺 暁, 山崎 暁子
出版社 : 白水社
単行本 : 506ページ
メモ:
・20世紀の小説ベスト100(Modern Library )「100 Best Novels - Modern Library」
・20世紀の100冊(Le Monde)「Le Monde's 100 Books of the Century」
・英語で書かれた小説ベスト100(The Guardian)「the 100 best novels written in english」
・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」
・オールタイムベスト100英語小説(Time Magazine)「Time Magazine's All-Time 100 Novels」 -
三人称多視点で皆が呑んだくれているから意識や記憶、風景描写さえ信じられなくなる。話し半分に読み進めるとわからないのにやめられない。お勧めはしないがまた読みたい。
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「火山の下」マルカム・カウリー
今日から「火山の下」を読み始めました。
時代&場所背景は1938年のメキシコ・クエルナバカ…変な名前の地名ですが、実在します。クエルナバカは本文中では旧名のクワウナワクになっています。ここのイギリス領事と別居中の妻…らを中心に「死者の日」と言われる(確か)11月始めの一日を細かに描いていきます…って、読み始めだから、それしかよくわからない(笑)。
20世紀って一日モノ?好きだね(笑)。
(2010 08/03)
ロードジムの後継者
「火山の下」第1章読み終わり。主人公?の領事はその昔第一次世界大戦時に捕虜のドイツ兵を船の炉にぶち込んだ…とかいう噂があって、それがロードジムになぞらえられています。こっちの主人公はあんまり良心の呵責を感じてない…と語り手(第三者)は言っていますが…どうでしょうかねぇ。酒びたりになっている理由の一つにはなっているとは思うのですが…
(2010 08/04)
「火山の下」は第2章。第1章の一年前の死者の日。領事ジェフェリーと帰ってきた(元)妻イヴォンヌ…「火山」がだんだん具体的描写で出てきます。
(2010 08/05)
それにしても、美しい。すべてをぬぐい去ってしまうような破壊的なものを秘めているが、この美しさは否定しようがない。まさに地上の楽園そのものだ。(p14)
火山のこと?
第3章では今度は領事ジェフェリーの視点で。ジェフェリーの「超自我」的なものが「」付きで句読点なしで散乱していくのをたびたび見る。無意識ではなくて超自我というのも珍しい・・・かな?
(2010 08/06)
p116の()内はイヴォンヌと別れた直後のジェフェリーの行動がわかるだけでなく、この小説の標題「火山の下」という意味、またこの小説がダンテの「神曲」の地獄篇を意識して書かれたということが、伝わってくるところ。()を閉じて、現在の会話に戻るところはなんだか長いトンネルを読者も抜けてきたような感じで、そしてうまく繋がってなかなか巧みであります。
第4章は今度はジェフェリーの腹違いの弟ヒューの視点から。メキシコはこの時代(1938年)石油国有化を宣言し、施設所有者であった英米と対立関係にあった(その後大戦が始まるとそれどころではなくなるのだが)・・・ということがヒューの話からわかる。
(2010 08/07)
この庭が好きですか?
あなたのものですね?
子供たちが荒らさないようにご注意ください! (p169)
第5章、ジェフェリーの庭の隣?の看板。この文句がなんだかだんだん強迫じみて変化し、領事の心の中にしみわたっていく。・・・でも、「庭」を地球とか社会とかいろいろに変えれば、現在の世の中にも通用しそう。
そいえば、第4章でヒューにさんざんカナダ・ブリティッシュ・コロンビアの悪口言わせているところがあったけど、この小説自体はまさしくカナダのそこで書かれたものなのなのだけれども。
(2010 08/09)
「火山の下」は第5章まで終了。酒びたりになるということは、自分の精神錯乱の様子を精密に観察できる…ということでしょうか?この領事の場合…
はい。
(2010 08/10)
侵略者が、侵略されようとしている者たちを侮辱する貶めの言葉というものは、常に置き換え可能なのだ!(p308)
スペイン人がインディオを、インディオがスペイン人を「ペラード」という侮辱語で呼ぶというところから。この内容自体は半信半疑から2/3信1/3疑くらいに感じて読んでいたのだけれど、半ば唐突に現れるこの文章(そもそも、この小説内の文章で唐突に現れない文章などあっただろうか?)、ジェフェリー達に置き換えてみると「酔っ払い」とか「落伍者」とかいうことになるのかな。ジェフェリーだけでなく、イヴォンヌ、ヒュー・・・それからラリュエルも・・・ひょっとして、読者も?
(2010 08/19)
酔っ払いの文学
えーっと、コツコツコソコソ読んでる「火山の下」ですが、今日はまた領事の視点に戻り、どうやら酔いが回ってきたようです。なんだか、今まで飲んできた酒瓶やグラスなどをかき集めてきては割る…という夢?を見てたりします。こういう途方もない酔っ払いといえば、やっぱり(酔っ払ってなかったかも?)こちらも一日を拡大表現した「ユリシーズ」。というわけで、やってなかった、やらなきゃならない?二作品比較…
列車来そうなので、結論だけ書くと、「火山の下」は酔っ払いが精神研ぎ澄まして書く文学、「ユリシーズ」は酔っ払いのフリして書く文学。ということ…かなあ。どっちもどんどんあふれてくるんだけどね。
(2010 08/23)
同じコマの繰り返し
さっきまで、「火山の下」読んでました。いよいよ470ページ、終わりも近くなってきました。第12章では領事が「なんだか繰り返しの短編映画を見ているようだ」と感じています。読者としても、雄大なる長編小説というより、短編や詩のコラージュではないか、という感じ。それに対し、夜空の円環が表現されている前章。この二つは小説内の軸としてある…でも?、領事は「地獄」を選んだ…
この小説の一番のバックボーンはダンテなんだけど、「神曲」読んでないからなあ…
(2010 08/25)
上昇と落下(「火山の下」読了)
今日一日に起こった出来事は、すべて自分がままよとつかんだ冷酷な一束の草、自分が落ちるときに一緒に崩れ落ち、いまなお頭上に降りかかってくる石のようなものだったのだ。(p476)
この小説は第1章以外は全て「一日」の拡大描写だったので、この文章は作品全体を貫く基本といってもいいかもしれない。ということは、この小説全体が「冷酷な草」であり、「振りかかってくる石」なのか?
ずいぶん厚い石だなあ・・・
と、それはともかく最後に2つの視点からみてみましょう、か。
1ジェフェリーとイヴォンヌ
第11章ではイヴォンヌが天上の天体に運ばれ、最終章ではジェフェリーが火山の頂きに着いたものの結局落下していく・・・という対照的な死の描写をしているわけなのだが、これ、じゃイヴォンヌが正しくてジェフェリーは正しくない・・・という単純なことで片付くわけではないだろう。じゃ、いったい「何」を?
2ジェフェリーとヒュー
ヒューに関しては特にこの後どうなったとかの記述はないのだけれど、なんとなくスペインの戦線かそれともスペインに向かう船上で命を落とす・・・のではないか、と想像してしまう。上(絶対者)からみると、政治的理想に頼ろうとしているヒューも、酒場という地獄?に賭けようとしているジェフェリーも、大同小異、両者とも児戯に等しいということにでもなるのかな? 1のイヴォンヌも含めて。ま、それが「人間存在」というヤツですかい・・・
(2010 08/27) -
メキシコで領事官をやってる旦那の元に1年ぶりに出奔した妻がもどってくる。「せっかくあなたの元に戻ってきたんたから」「酒ばかりのんでないで」
ならねえ。「はいそうですか、良かったです。めでたいですね、仲良くします」とはならねえ。ならねえんだ!むしろなったら気味悪いだろ、心死んでるだろ。なのに何故周りは「うまくおさまったわね」モードで収めようとするのか。そうだよ、そこを酒にぶつけてないで、奥さん張り倒さなきゃ。
もうね、暑いからね、感想はこんな感じでやりこすわ。 -
2012/2/22購入