刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

  • 原書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784562054657

作品紹介・あらすじ

死刑囚や終身刑の囚人が収容される重警備刑務所。そこで不定期に開かれる9名の読書クラブで英国人女性教授が選んだ課題書は『ジキル博士とハイド氏』に『ロリータ』『マクベス』。はたして古典文学は彼らに何をもたらすのか?

感想・レビュー・書評

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  • アメリカの大学で文学を教える女性教授が男性刑務所の囚人を相手に読書クラブを開いた3年間の記録。

    文学は人を救う、とか、囚人にも文学を理解する感性がある、というおちになりそうなテーマだが、冒頭で著者はそういった期待をまず否定する。自身も複雑な環境で育ち、囚人たちに興味を持つ著者は、さまざまな経験をしている彼らがこの本を読んだらどんな感想を持つのだろう、という純粋な興味で読書クラブを運営しているように思える。

    取り上げられている課題本は全部で10冊。どれも犯罪者や人間の闇を描いたもので、私がきちんと読んでいるものはあまりなかったが、読書クラブの描写の中で部分的なストーリーが明かされるため、読んでいて意味が分からない、ということはなかった。

    犯罪を犯した彼らなら主人公の複雑な感情を興味深く読むのではないか、という目論見とは裏腹に、囚人たちの感想は著者が思っているより単純明快だ。特に最初の5冊ほどは著者がねらい過ぎたのか、ストーリー自体にあまり興味も持ってもらえない。さらに刑務所内では読書クラブに熱心に参加していた囚人たちも、釈放されて塀の外で会った時には読書よりもっとわかりやすい娯楽に夢中になっている。

    この本は、文学研究者としての著者の挫折の記録でもあるのかもしれない。
    最後に、塀の外に出た囚人たちが自分から離れていくのは「私が差し出せるものは文学しかないからだ。」という著者の言葉には自虐と無念さがただよう。
    ただし、彼女が研究者として読んできた文学が思いもかけない切り口で読まれうる、というところは、彼女にとって大きな経験になっているように思えた。

  • 10の古典文学を、女性教授が男子刑務所で、囚人たちと読む。

    学生時代、刑務所の見学に行ったことがある(だからそのゼミに入ったのだ)。
    その際、女性はスカートスーツではなく、パンツスーツで来るように、と注意があった。
    だから本書を読み始めた時、少し心配になった。
    果たして文学、しかも古典文学に興味を示す受刑者なんている?
    女性教授に会いたいだけでは?
    無論、それは偏見に決まっている。
    けれども、その偏見を理解した上で、受刑者を知りたいと思った。
    そして文学が受刑者たちに影響を与えるのか、本が、どれだけの力を持つものなのか確認したかった。

    第3章、103頁で「学びにはエロチックな側面がある」と著者は述べる。
    先生、師に恋をする。
    それが憧れと混同したものだとしても、それは自然なことだ。
    好きな人と同じものに興味を持てば、その興味の先も好きになる。
    相手によく見て欲しくて頑張ったことは、いつしか自分を支える力になる。
    そうして「恋」が世界を広げるのなら、こんなに素晴らしいことはない。

    108〜109頁の、「読書は生きていることをより強く実感させてくれる」という受刑者の言葉は、心にしみた。
    しかし一方で、132頁の「ほとんどの受刑者にとって読書は単なる暇つぶし」で、「ハイにもなれないつまらないもの」、そして塀の外に出てしまえば、現実の様々な刺激に飲まれ、本のような刺激など刺激にすらなら図、読まなくなってしまう。
    本の力は、弱い。

    著者はそれでも、自分が誰かに差し出せるのは文学だけだと語った。
    私はそれにこう返したい。
    救われることもきっとあるはずだ。
    文学は決して無力ではない。
    もしかしたら、著者の読書プログラムは、遠いある日、元受刑者を支える言葉を残すかもしれない。
    即効性はないけれど、言葉は、力になるのだ、と。

  •  アメリカのメリーランドの刑務所で、受刑者の更生プログラムの一環として2013~15年に行われた古典文学読書会の記録。著者は地元の大学教授だが英国人。受刑者たちは基本的に文学作品を作品それ自体として理解できず、自己の人生体験に引き付けて恣意的に解釈するため、文学的に実のある成果は出てこない(ナボコフ『ロリータ』を巡って、受刑者たちが小児性愛者による児童虐待の物語として倫理的に猛然と反発するあたりに端的に露呈している)。これは著者のある種の「センス」の欠如にも起因し(いきなりよりにもよってコンラッドの『闇の奥』を課題書とする鈍感さに呆れる)、研究者としてはともかく教師としてはあまりよろしくないと推察した。よってこれは教育実践としては挫折と敗北の記録なのだが、むしろ受刑者たちの姿や刑務所の実態の描写にアメリカ社会の病理と、しかし一方で日本にはない「正義と道理」が(細々とではあるが)現われている点に本書の醍醐味がある(そもそも政府の緊縮政策のために打ち切られた高等教育の更生プログラムを大学教授がボランティアで自主的に穴埋めしているというのが本邦ではまずありえないだろう)。

  • 作者の文学教授が自分の嫉妬深さや浅はかさについても赤裸々に語っており、出来る限り読み物としての脚色を排除しようとしているのが好印象。出てくる本は古典的作品が多いが、受刑者たちの感想を聞くと、いかに私たちは学者の評価を鵜呑みにしてきたのか…と反省させられる。

  • 人文学科教授が刑務所内で受刑者と、定期的に古典を読み込む会を行う。
    古典のみをセレクトし、またセレクトされる古典も一筋縄ではいかない本ばかり。

    この本で取り上げられる内容が、
    驚くほど受刑者達とオーバーラップする。

    これほどまでにこれらの古典を、殺人の当事者として読める人間はそういない。彼らならではの読書の観点が興味深い。

    やることがなければ、キャンディの包み紙の文字までも読み込む。だが、刑務所を出れば、読書クラブではどれだけ読書に熱心であった受刑者も、読書家ではなくなる。

    人生において少しでも意義ある時間になればという読書クラブを始めた作者の意図と、現実には釈放後には読書会での熱心なあの生徒はおらず、別人のようだと感じる作者の挫かれた意図。
    それでも自分に与えられるものは文学のみであることの静かな諦め。


    ありのままの監獄の読書クラブの在りようが書かれた本。

  • やはり刑務所での読書会を書いたノンフィクション「プリズン・ブック・クラブ」を思い出すが、印象は随分違った。
    こちらは筆者である専門の教授が半ば授業として行ったというのもあるだろうし、それ以上に、筆者の人生が色濃く出ていて、読書クラブもこの本の執筆も、自分を辿るためだったのではないかと思えるからでもある。
    思いがけず苦い結末を迎えることになるのだが、他の形のボランティアをする人達にも通じるものがあると思う。
    とは言え、このクラブが何も残さなかったということはないはずだ…と思いたい。
    受刑者達の描き方は細やかで、筆者が心を砕いて接していたのが伝わる。
    ただ、もう一番最初のところなんだけど、何でこれにしたんだろうという課題書が結構多い…難度的にも内容的にも…。
    その辺りの周囲の見えなさが、ラストに繋がっていくような気はしてしまう…。

  • 最初の方、ある意味語り手は正直すぎて、選書も自分のことしか考えていなくて、イライラが募る 自分の薄暗い空虚さを刑務所内の彼らに押し付けているようにしか見えない

    しかし刑務所の面々のキャラクターが魅力的で、3章以降は引き込まれてしまう(そして著者も選書を改め直す) しかしロリータでまたミスをしてしまう…

    メンバーたちの文学への捉え方が時々ハッとさせられることが多い 著者や自分のような頭でっかちが文体で惑わされているものの本質を切り取ってくるもの、全然違った角度で捉えているもの

    読書クラブを通じて、文学を通じて、刑務所の読書クラブメンバーが更生し改めたり、心を通わせるような感動的な内容ではない 著者は選書や進め方に失敗したり、思うように進められなくてイライラしていたりする でもそれが現実であり、そういった意味でリアルな刑務所の読書クラブが描かれている

    そして最後にこう結論づけている 刑務所に必要なのは読書クラブではなく単位の取れる大学プログラムのようなもっと実用性のあるものだと 読書クラブで熱心に本を読んでいる時はその瞬間だけのもので、出所後は過ぎ去った過去になってしまったと まるで老人が過去を振り返る形の青春映画のようだった

  • ノンフィクションはあまり読まないからいい本に出会えたと思った。私が思うままに書いたものなので文章めちゃくちゃです。

    冒頭に作者がなぜ刑務所を身近に感じているか書かれていた。受刑者は運が悪い人だ。私はただ運が良かったにすぎない。確かにそうなのかもしれないと思った。私は生まれた環境が恵まれていて親も教育的な人だったため罪を犯さずに済んでいる。もちろんあまり良くない環境で育ったとしても罪を犯さない人もいる。しかし、例えばドラッグをやる人の周りを探ればドラッグをやっている人が見つかるように、環境は行動に影響しやすい。大切なのは、刑務所にいる人は環境が悪かったせいで私と同じように生きていただけなのだということだと思った。

    読んでいてノンフィクションだなと思った。一章ごとに囚人と読む本が異なる。教授はこの本を読み、このような感情を抱いてほしいなどという期待をしている。しかし、囚人たちは話が堅っ苦しく飽きてしまったりと教授の思うようにはいかない。囚人たちは教授のようにいい人ではなかったためだと考える。また、囚人は教授ではない。囚人はそれぞれの考え方を持って生きている。期待したように人間は動かない。

    ラストでは釈放された読書クラブのメンバーと教授が会ったエピソードがある。読書に熱心だった青年は外に出て女と遊び、ソーシャルメディアに翻弄されるような人物になっていた。教授は失望していた。教授は囚人の勝手な理想をつくりそれに期待していただけかもしれないと思った。

    環境が変われば人も変わる。気が合っていた友達が環境が変化することで意見が合わず、疎遠になることもある。私は不変を望むが生きている限りそんなことは不可能だ。他人と自分を区別し、自分が作り上げたその人の理想を押し付けないようにしたいと思った。

  • 3.5

  • 著者が決して恵まれたとは言い難い子供時代を過ごしたせいか、受刑者たちとの精神的な距離のつかみ方があまり上手くなく読んでいて辛く感じた。
    マクベスはあらすじしか知らなかったので、ちゃんと読んで自分だとどこで主人公マクベスへの見方が変わるか比較してみたくなった。

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著者プロフィール

作家、精神分析医。オックスフォード大学で英文学の博士号(D.Phil)を取得。イースト・ロンドン大学の講師、インディアナ大学の比較文学科客員教授、パシフィカ・グラデュエイト・インスティチュート人文科学プログラム責任者等を歴任。メリーランド大学芸術学部人文科学科教授を務める傍らメリーランド州の刑務所や司法精神科施設へも足を運び精力的に活動。『刑務所の読書クラブ』(原書房)など、現実の犯罪にまつわるノンフィクションを複数上梓。

「2022年 『刑期なき殺人犯』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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