- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569561455
感想・レビュー・書評
-
○三分の侠気、一点の素心
・友人とは三分の侠気をもって交わり、人間としては純粋な心を失わずに生きるべきだ。
○四つの戒め
・利益は先に飛びつくな。
・善行は、人に遅れをとるな。
・報酬は、限度を超えてむさぼるな。
・修養は、できる限りの努力を怠るな。
○独善と知ったかぶり
・利益欲は必ずしも有害ではない。人間の精神をダメにするのは、むしろ独善である。
・愛欲は必ずしも障害とはならない。修養のさまたげとなるのは、むしろ知ったかぶりである。
○相手によって
・小人に対しては、厳しい態度で臨むことはやさしい。難しいのは、憎しみの感情を持たないことだ。
・君子に対しては、へりくだった態度を取ることはやさしい。難しいのは、過不足のない礼をもって接することだ。
○忘れてよいこと悪いこと
・人に施した恩恵は忘れてしまったほうがよい。だが、人にかけた迷惑は忘れてはならない。
・人から受けた恩義は忘れてしまってはならない。だが、人から受けた怨みは忘れてしまったほうがよい。
○古人に学ぶ際には
・書物を読んで聖賢の教えに親しむには、まず気持ちを清浄にしてかからなければならない。さもないと、せっかく古人の立派な行動やことばにふれても、私利を追求する参考にしたり、欠点をとりつくろう口実にするのが落ちだ。
○水清ければ魚すまず
・汚い土には作物が育つが、済みきった水には魚もすまない。汚いものもあえて受け入れる度量を持ってこそ君子といえる。一人よがりの清潔は避けるべきだ。
○最高の人格
・最高に完成された文章は、少しも奇をてらったところがない。ただ、言わんとすることを過不足なく表現しているだけだ。
・最高に完成された人格を、少しも変わったところがない。ただ自然のままに生きているだけだ。
○反省のできる人、できない人
・自分を反省する人にとっては、体験することの全てが自分を向上させる栄養剤となる。人に責任を転嫁する人にとっては、思ったり考えたりすることがそっくり自分を傷つける凶器となる。
・前者は善に向かう道を開き、後者は悪に走るきっかけをふやす。その違いは天と地よりも甚だしい。
○善行の成果、悪事の報い
・善行を積んでも、目に見えて成果の表れないときがある。だが、そんなときでも、草むらにかくれている瓜のように、人目につかぬところで実を結んでいるはずだ。
・悪事をはたらいても、それで得たものを失わずにすもことがある。だが、そんな場合でも、庭先につもった春の雪のように、いつのまにか跡形もなく消えてなくなるものだ。
○冷たい心の持ち主
・どんなに深い恩を受けても報いようとはしないくせに、ささやかな怨みにはすぐに反応する。他人の悪事は単なるうわさでも信じるくせに、善行は明白な針術でも信じようとしない。
・こんな人間は、きわめて冷たい心の持ち主だ。こうならないように、くれぐれも自戒しなければならない。
○不即不離
・世俗と同調してもいけないし、といって、離れすぎてもいけない。これが世渡りのコツである。
・人から嫌われてもいけないし、といって、喜ばせることばかり考えてもいけない。これが事業を経営するコツである。
○他と比較する
・思い通りにならないときは、自分より条件の悪い人のことを考えよ。そうすれば、自然に不満が消えるだろう。
・怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ。そうすれば、またやる気が沸いてくるだろう。
○責任追及
・人の責任を追及するときには、過失を指摘しながら、同時に、過失のなかった部分を評価してやる。そうすれば、相手も不満を抱かない。
・自分を反省するときには、成功の中からもあえて過失を探し出すような厳しい態度が望まれる。そうすれば、人間的にも一段と成長しよう。
○広いものを狭くしている
・歳月はもともと長いものだ。ところが、忙しい人間は、それを自分から短くしている。
・天地はもともと広いものだ。ところが、志の低い人間は、それを自分から狭くしている。
・四季の風情はもともとのどかなものだ。ところが、あくせくした人間は、それさえもうるさがっている。
○思い立ったらそのときに
・やめようと思ったら、思い立ったそのときにやめるべきだ。いずれ適当な機会に、などと考えていたら、いつまでたってもやめることができない。
○自由自在の境地
・名誉や利益を追い求めるのは人に任せるが、といってそれを毛嫌いするわけではない。欲がなく自分に忠実に生きているが、といってそんな自分を自慢するわけではない。
・これこそ仏家でいう俗世界の価値観に一切とらわれない自由自在の境地なのである。
○切り上げ時を心得る
・宴会の賑わいも最高潮にさしかかったころ、やおら席を立って引き上げる人を見ていると、絶壁の上をスタスタ歩いていくような見事さを感じる。
・すでに世もふけたというのに、まだふらふら外をほっつき歩いている人を見ると、欲望の世界にどっぷりつかっている俗物のあさましさを笑わずにはいられない。
○修行には段階がある
・不動心を確立できないあいだは、世俗のちまたに足を踏み入れてはならない。心の乱れを誘うものは見ないようにつとめ、心を済みきった状態に保つべだ。
・不動心を確立したならば、今度は進んで俗世界と交わるがよい。何を見ても心の乱れを招かないようにつとめながら、まろやかな人間味を身につけるべきだ。
○物に使われない
・月や風、花や柳がなかったら自然は成り立たない。欲望や嗜好がなかったら心は成り立たない。
・ただし肝心なのは、物を使っても物に使われない、しっかりとした自分を確立しておくことだ。そうすれば、嗜好や欲求もこの人生に欠かせないものとなり、その中にこそ理想の境地を見出すことができよう。
○減らすことを考える
・この人生では、なにごとにつけ、減らすことを考えれば、それだけ俗世界から抜け出すことができる。
・例えば、交際を減らせば、もめごとから免れる。口数を減らせば非難を受けることが少なくなる。分別を減らせば心の疲れが軽くなる。知恵を減らせば本性を全うできる。
・減らすことを考えず、増やすことばかり考えている者は、全くこの人生をがんじがらめにしているようなものだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
平易な翻訳で分り易く大変良かった。
-
雑誌で誰かが推薦していたので読んでみました。
儒教、道教、仏教の3つの教えを融合したところが特徴的。
孫子、老子、孔子、釈迦などの様々な考えをイイトコどりな感じ。
思想や人との接し方など現代でも通用することがたくさん記載されています。 -
菜根譚について知りたくて読書。
昨年春に読んだどなたかの著書にお勧め本として紹介されていたので興味を持ち読書。
仏教、儒教、道教の考え方をまとめたものとのこと。日本では江戸時代初期に伝わり戦前まで広く読み継がれてきたものと解説者の説明。
今、一般的な日本人の価値観へ多く影響していると感じる。勤勉、まじめなどのいわゆる日本人的な部分は江戸時代の中期に石田梅岩の石門心学で確立したものだと堺屋太一氏の著書で紹介されたいたのを思い出す。
行き過ぎた欲を戒め、清貧を旨とし、お金を稼ぐことを卑しいことを考える日本人の良くも悪くも考え方は、菜根譚などの影響も受けているのかもしれない。そして、武士道とされる価値観は、仏教、儒教、道教と日本古来の自然崇拝などの考え方のいい部分が融合し発展したものだといわれる。
天地と融合し、自然に生きる事を説いた老子から影響を受けた道教、老荘思想。現代日本が見直すべき日本らしさはここにあるような気が最近する。
少し脱線して、道教の教えを稽古するため武術として武当派があるが、基本は、柔よく剛を制すらしい。柔よく剛を制すといえば柔道のイメージがあるが、発端は、天地と一体となり、自然に生きる武当派武術の考え方であり、円を描きながら、相手の力を利用する柔の拳である太極拳はこの一派らしい。まさに『北斗の拳』のトキの拳のモデルであろう。
精読で再読する予定。
読書時間:約1時間 -
4569561454 255p 1993・6・29 1版17刷