- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569603094
感想・レビュー・書評
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タイトルと目次から期待して手に取ったのだけども、苦痛になるくらい読みにくい本だった。
僕のオツムではなかなかついていけない内容だった (l´Д`)。
けども、時折ひびく言葉や解説に宝物を感じた部分もあり、読んでみて、まぁ良かったかな。
身体とはなにか、ますます分からなくなってきた。
もうすこし、メルロ・ポンティの話をてんかいしてくれると思ったのだけども、そうもいかず、なかなか喰えぬ内容だった。
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【内容(中央公論新社より)】
ピアシング、拒食・過食、あるいは性。本来なら、ひとを癒し快くする行為が、身体への攻撃として現象している今。わたしたちは、なにか身体に深く浸透しているはずの「智恵」と「想像力」を失いつつあるのではないか。医療システムを通してしか関与できない非人称の身体と、フィットネスなどによって完璧に支配されるプライヴェイトな身体。引き裂かれた身体の状況をさまざまな角度から論じながら、他者との関わりにおいてこそはじめて存在する「身体」の本質について考える。
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【著者略歴 (amazonより)】
鷲田/清一
1949年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、同研究科長・文学部長等をへて、現在、大阪大学理事・副学長。専攻は臨床哲学。著書に『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など、多数
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【目次】
第1章 パニック・ボディ―身体がアブない。
第2章 からだの経験―身体はいつもアブない。第3章 からだの幸福(間奏1)―身体には想像力がある。
第4章 生の交換、死の交換―もはやだれのものでもない身体は、もう少しアブない。
第5章 からだのコモンセンス(間奏2)―身体には智恵がある。
第6章 「ゆるみ」と「すきま」―ひたすら(わたし)であろうとする身体が、いちばんアブない。
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高校の時の読書課題。大学の講義のような内容でぶっちゃけムズイ。でも僕は高校の時に読んだ。
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自分の身体はどの部分までが自分なのか。自分は身体を所有しているのか、それとも身体そのものが自分の存在なのか。興味深い問いかけがなされていると思うのですが、なんとなくとりとめがないなあと思いました。その分気軽に読めていいかも。<BR>
ボードレールの「Any where out of the world」を引いて「自分は自分という檻の中からは逃れられない」という一節が印象に残りました。ここが好き。 -
受験現代文によく出てきて、ちょっとはまったけどそれっきり。。