お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗 (PHP新書)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569612560

作品紹介・あらすじ

釈迦もキリストも、葬儀に格別な意義を持たせてはならない、と戒めた。しかし、なぜ日本人は、お葬式に宗教的こだわりを持つようになったのか。戒名、末期の水、年忌法要、墓の問題…。本書では、習俗であるお葬式が、神道、仏教、儒教の影響を受け、いかに儀式化されてきたかを解説。特に、現代の「葬式仏教」は江戸時代以降の慣習であり、本来の仏教思想とは無縁であることを指摘。これからの葬儀がいかにあるべきかを問い直す。死を迎える側も、弔う側も、今から読んで考えたい「本当のお葬式の話」。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、ひろさちやさん、どちらかというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    ひろさちや(1936年(昭和11年)7月27日 - 2022年(令和4年)4月7日 )は、日本の宗教評論家。本名・増原 良彦(ますはら よしひこ)。自称「仏教原理主義者」。多数の一般向けの解説書を執筆。

    ひろさちやさん、先頃亡くなったとのことで、著作を手にしました。
    東京都内の自宅にて肝臓がんのため2022年4月7日(木)に、85歳にて亡くなられています。

    で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)

    釈迦もキリストも、葬儀に格別な意義を持たせてはならない、と戒めた。しかし、なぜ日本人は、お葬式に宗教的こだわりを持つようになったのか。戒名、末期の水、年忌法要、墓の問題…。本書では、習俗であるお葬式が、神道、仏教、儒教の影響を受け、いかに儀式化されてきたかを解説。特に、現代の「葬式仏教」は江戸時代以降の慣習であり、本来の仏教思想とは無縁であることを指摘。これからの葬儀がいかにあるべきかを問い直す。死を迎える側も、弔う側も、今から読んで考えたい「本当のお葬式の話」。

  • (20107/2読了)「葬式とは宗教ではなく、習俗である。」ということで、いまの葬式仏教の歴史的起源など、もろもろ。葬式には3親等以内の親族以外は出るべきじゃないとか、香典返しという習慣はなくなったほうが良いとか、今の風潮とは逆を行く主張が光る。

  • お正月には、このように神様が家に帰ってきて、家族が神様と一緒に集まって共同で食事をします
    たたりにしても霊魂にしても、わたしはないとは言いません。なぜなら、仏教の正しい考え方は空なんですから。すべては空です。空腹ということは、あると思う人にはあるし、ないと思う人にはないということです
    インド洋は、人間は死んだあと、輪廻転生するんだというのが当時の常識でした

  • 葬式だけでなく、宗教について俗説についても説明を書いている本である。地元の役につくことなら厄年ができたという話はみながしっているのであろうか。
     宗教や生活について卒論を書くときには知っていてもいいことが多く書かれている。

  • お葬式は宗教か、習俗か? 通夜と告別式の違いは? なぜ火葬をするのか……。葬儀はいかにあるべきかを比較宗教学的に考えてみる。
    お葬式とは、本来、宗教ではなく習俗である。すなわち、成人式や結婚式と同じ儀式にすぎない。しかし、日本人の多くが、そこに格別な宗教的意義があると誤解している。戒名、お焼香、北枕、火葬、年忌法要、お墓の問題……。本書では、葬儀にまつわる習俗と宗教を腑分けし、神道、仏教、儒教との関わりを解説している。
     まず、釈迦やキリストが葬儀に格別な意義をもたせてはならないと戒めた言葉を紹介し、宗教と習俗の違いを明確にする。ではなぜ、「葬式仏教」と呼ばれるようになったのか。それは、江戸時代以降、キリシタン弾圧を目的とした檀家制度により、葬式は僧侶がとり行うようになったからである。
     その他、お通夜、末期の水、お骨上げなどの意味についても易しく解説。著者は本来の仏教思想に基づいた、弔いの心、偲ぶ心があれば、しきたりにこだわる必要はない、と説く。
     死を迎える側も、弔う側も今から読んで考えたい「本当のお葬式の話」。

  • [ 内容 ]
    釈迦もキリストも、葬儀に格別な意義を持たせてはならない、と戒めた。
    しかし、なぜ日本人は、お葬式に宗教的こだわりを持つようになったのか。
    戒名、末期の水、年忌法要、墓の問題…。
    本書では、習俗であるお葬式が、神道、仏教、儒教の影響を受け、いかに儀式化されてきたかを解説。
    特に、現代の「葬式仏教」は江戸時代以降の慣習であり、本来の仏教思想とは無縁であることを指摘。
    これからの葬儀がいかにあるべきかを問い直す。
    死を迎える側も、弔う側も、今から読んで考えたい「本当のお葬式の話」。

    [ 目次 ]
    第1章 なぜ日本人は「お葬式」にこだわるのか
    第2章 仏教における葬式の起源
    第3章 お葬式のかたちと作法
    第4章 宗教の世俗化とお葬式
    第5章 供養の本質、お墓の問題
    第6章 仏教にみる理想の死に方
    第7章 お葬式はどうあるべきか

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    [ 参考となる書評 ]

  • いかに葬式がやる方でなく、催す方に有利な行事かということがよくわかる。葬儀とは一体誰のために行うのか。お経とはなぜ読まれるのか。バカ高い戒名とは必要あるのか。
    経済的な観点からでなく、宗教的観点から書かれているのでお金をケチって宗教を否定するようなことにはならない。
    ただ結構前に読んだので内容をほとんど忘れてしまった・・・

  • ― 目次 ―

    まえがき

    第1章 なぜ日本人は「お葬式」にこだわるのか
     ・お葬式とは宗教ではなく習俗
     ・死ぬのは肉体か霊魂か
     ・死は「ケガレ」と考えた古代日本人
     (中略)

    第2章 仏教における葬式の起源
     ・仏教とお葬式の関係
     ・日本の習俗とその葬式
     ・仲間同士の葬式を敷衍化した僧たち
     ・戒名と引導
     ・江戸幕府のもとで役所と化した寺
     ・仏教が悪乗りしてできた年忌法要
     ・日本人が作ったごった煮の死後の世界
     ・中陰と年忌法要
     ・先祖供養とたたり
     ・お正月はご先祖さまの里帰り
     ・お盆はホトケ様の里帰り
     ・仏壇と儒教の関係

    第3章 お葬式のかたちと作法
     ・死化粧は肉体の処理
     ・死者の渇きを癒す末期の水
     ・帰宅した遺体−なぜ「北枕」にするのか
     ・死者の目をくらます搬送
     ・神棚と仏壇を使い分ける日本人
     ・死者と聖者の世界はすべてが逆
     ・棺と柩の違い
     ・虚礼と化した香典
     ・火葬が一般化したのは戦後
     ・仏滅や友引は迷信
     (中略)
     ・各宗教に共通する数珠

    第4章 宗教の世俗化とお葬式
     ・葬儀社はなんでもやってくれる
     ・葬儀社とお坊さん
     ・魂の処理と魄の処理
     ・流行する脅しの宗教
     ・霊に頼らない生き方
     ・インチキ宗教の見分け方
     ・現代における戒名の意味
     ・戒名の値段
     ・お布施はこだわりを捨てる行

    第5章 供養の本質、お墓の問題
     ・ヒンドゥー教徒はお墓を作らない
     ・東西のお墓の違い
     (中略)
     ・霊魂はお浄土に
     ・法要に終わりをつけよ
     ・葬式仏教はなくなる
     ・参ることと偲ぶこと
     ・イスラム教に学ぶ精神性
     ・お寺が受けた農地改革のダメージ
     ・たたりと鎮めが供養の本質
     ・自然葬がいちばん自然
     ・夫の家のお墓に入りたくない妻の言い分
     ・仏壇が二つになると不幸になる?
     ・無限に膨らむ無縁仏

    第6章 仏教にみる理想の死に方
     ・釈迦は霊魂をどう考えていたか
     ・日本仏教が考える死後の世界
     ・マルクスも霊魂を否定していない
     ・なにも考えないことが大事
     ・死に方の理想を持たないのが大事
     ・死者が幸福になる条件
     ・仏教は死者を忘れることを教える

    第7章 お葬式はどうあるべきか
     ・お葬式の三つの役割
     ・「心の整理」がお坊さんの仕事
     ・お葬式と告別式は分ける
     ・告別式はやりたい人が勝手にやればいい
     ・通夜とお葬式は親族だけで
     ・告別式はイベントとしてやればいい
     ・毎日を生前葬にする
     ・老死は連続的にお浄土に至るプロセス
     ・仏教者としてのわたしの役割
     ・お坊さんのあり方
     ・ほんとうの苦しさを理解する
     ・献灯献花も不要
     ・習俗は娑婆世界のもの
     ・キリスト教のお葬式
     ・仏教は自覚の宗教
     ・思いわずらうな

    謝辞(含参考文献)

    索引

    ――――――――――――――――――――――

     宗教(特に仏教)の評論で知られる著者による「お葬式」論。この世に生きている以上、誰もがいつかは何らかの形で関わりをもつことになる「お葬式」。本書では、その日本の「お葬式」の由来・現状・問題点などが紹介されている。問題点の指摘に関しては、安直な現状批判に陥ることなく、ありがちな類書とは一線を画している。ただし、注意ぶかく読まないと、著者の意図を誤解してしまうんじゃないかと思うところが結構あった。「ひろさちや節」を賞賛する人も批難する人も、ちょっと注意が必要かと思う。

     ちなみに、「まえがき」に出てくる、釈尊とアーナンダとのやりとりは、僧侶が葬式に携わることは釈尊によって「禁止されている」という主張の根拠として持ち出されることが多い。しかし、現在では、(このやりとりが歴史的真実であったとしても、)釈尊のセリフはアーナンダに向けられたものであって、僧侶全体に向けられたものではなかったのではないかとの指摘(by グレゴリー・ショーペン)もなされている。なので、釈尊が葬式を「重視しなかった」というひろ氏の主張の方がより正しいと思う。(もちろん、どこまで重視しなかったのかを知ることはできないが・・・。)

     しかし、読後にあらためて感じさせられたのはこの問題の根深さ。pp. 140−142で指摘された、お寺が陥っている「悪循環」は、当事者以外にはあまり認識されていないかもしれないが、現代の日本仏教にとっての切実な問題である。また、pp. 110-112で指摘されている「お布施」の原点も、省みられることがほとんどないかもしれないが、日本仏教にとどまらず、仏教にとって根本的な問題だと思う。「お葬式」の問題にとどまらず、日本の仏教について知りたい、考えてみたい人にとっても格好の一冊。

  • いつかは必要になる知識、知っておいて早すぎることはないよ

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著者プロフィール

1936年大阪生まれ。
東京大学文学部インド哲学科卒業、同大学院博士課程を修了。
気象大学校教授を経て、宗教評論家として活躍。
「まんだらの会」会長、大正大学客員教授。
著書に、『仏教の歴史』(春秋社)、『釈 とイエス』(新潮社)
『自分が変わる』(世界文化社)、『宗教激突』(ビジネス社)など多数。

「2004年 『釈迦物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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