土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569643182

作品紹介・あらすじ

東京、大阪、京都…。11の土地の真実。土地の下部構造に着目し、その壮大な謎を解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の「日本史の謎は地形で解ける」を先に読んでしまっていたので、
    同じ内容が含まれていました。
    というかこちらが先に出た、ってことなんですね。(同じタイトルじゃなかったので見落としていました)

  • この本に書かれている内容の着眼点は大変に面白いものではあると思うが、仮説の実証が曖昧であるように思える。江戸城の正門が半蔵門だという仮説は良いとしても、そこから忠臣蔵に繋げるのこじつけだと思ったし、その上で徳川氏が吉良氏に怨恨があったというのは言い過ぎだと思う。
    ついでに言えば、著者はIT革命を嫌っているようだけど、インターネットによるコミュニケーションだけがIT革命ではないと私は思う。それよりも鉄道や流通などで見えないインフラとしての役割の方が大きいのではないだろうか。
    それに今までは鉄道や高速道路という物理的な交流軸に縛られていた発展がインターネットにより、物理的に縛られない発展が望めるようになり、地域格差の是正にもなると思う。
    とにかく、各章の着眼点は良いと思うがもっと詳細に検証してほしかった。

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  • 2005年6月27日、初、並、帯付
    2017年4月5日、松阪BF

  • 一年ほど前(2014.1)に読んだ本で印象に残った本です。昨年(2014)後半にこの本の著者である竹村氏が、集大成である三部作目を出版しましたが、この本はその大元になった一部作目の単行本版です。

    この本の興味深い点は、日本の歴史について、その当時の地理にも着目して説きなおすというもので、歴史の好きな私にとっては新たな気づきを与えてくれました。

    この本では、東京・北海道・鎌倉・新潟・京都および滋賀・奈良・大阪・神戸・広島・福岡など、日本史において首都がおかれた都市、重要であった都市が網羅されています。

    また、特別篇である、やらざるを得なかった遷都(首都移転)において、どのような時に日本において首都が移転されたかについて述べています。日本も幕末頃に一度やったように、京都に遷都(京都から見れば戻る)ことになるのでしょうか。今後も竹村氏の執筆を楽しみにしたいです。

    以下は気になったポイントです。

    ・下部構造の社会資本を規定しているのが、日本の気象と地形である(p2)

    ・日本では地球全体を見る一定の基準はなく、それぞれの地域の象徴や権力者を中心におき、それを正立させる方向から地図は作成されていた(p26)

    ・尾根道は上から石が落ちてくることもなく一番安全、これが甲州街道(新宿通り)である。その安全な甲州街道と江戸城を結ぶ門が半蔵門であり、これが江戸城正門である(p29)

    ・赤穂浪士は警戒が厳しい麹町に16名もの多数の浪士集団が潜んでいた、これは江戸幕府自身が積極的に匿ったと理解すべき(p41、43)

    ・旧吉良邸はすぐ近くが北町奉行所であり、同心が多くいた。吉良邸が江戸の中心部から川向うの本所へ移動させられたので可能となった(p47)

    ・矢作川において優位な位置を占めていたのは吉良家(吉良家から分家したのが今川家)、劣位であったのは徳川家であったが、徳川が天下をとってしまった。忠臣蔵の底を流れるのは徳川家100年の復習のエネルギーであった(p59,65)

    ・石狩川を直線化したのは、流速を速めてその流速の力で川底を洗堀させること、そして石狩平野の地下水を下げるのが狙い(p74)

    ・源頼朝は蛭ケ小島に流されたが、これは島という名がついた地名であり、伊豆諸島ではない(p87)

    ・鎌倉の穏やかに見える遠浅の浜は、軍事上、鉄壁の要塞である。これが鎌倉を難攻不落にしていた。しかし欠陥があり、それは土地の狭さと、京都からの遠さであった(p90)

    ・鴨長明の方丈記において、疾病で4.2万人の死者がでたとされている。20万規模の都市で考えるとただ事でない。平安京の衛生状態は劣悪であった。祇園祭は、もともとは疫病払いから始まった(p96)

    ・頼朝は、安全・水・食糧・エネルギー・清潔を与えてくれる鎌倉に閉じこもった(p97)

    ・140年前の幕末、日本は封建社会から国民国家へ大転換した。流血革命がなかったのは、権力と権威の分離にあった(p99)

    ・徳川幕府は武家諸法度にて城修繕などを細かく規制したが、治水工事は一切しなかった。各地大名は、領土拡張から領土を守る治水の戦いとなった(p104)

    ・家康が行った利根川の治水事業は、関東平野を洪水から守るのではなく、関東の湿地の水を抜いて湿地を乾かす、乾田化して広大な肥沃な土地を造るのが原点であった(p114)

    ・4番目に開通した北陸自動車道開通の意味が凄いのは、太平洋側と日本海側の圏域が直接結びついたこと。それ以降、1987-以来、一人当たり製造業粗付加価値額が全国一位となった(p129,130)

    ・高速道路軸に乗っている市町村は人口が増加している(p133)

    ・中世から近世にかけての千年間、交流軸(東海道、中仙道、甲州街道)から外れていた土地が奈良である、淀川という交流軸が形成されると奈良盆地は袋小路の土地となったから(p150)

    ・大阪商人にとって、5・10日は、信用を交換する決済日となっている。相手と顔を合わせて、ほとんど冗談だけの雑談をする(p160)

    ・関ヶ原で勝った徳川家康が31人目の征夷大将軍となった、そして260年後の1867年に、45人目の慶喜が京都二条城で大政奉還をして消滅した(p216)

    ・現在の岡山平野、広島平野、防府平野は、江戸時代以降に干潟を埋めた人口平野であり、戦国時代には存在していなかった、中国地方は、山と海の国(p220)

    ・関ヶ原の戦いの裏で、もう一つの戦いが静かに繰り広げられていた。それは、農耕する徳川家康と、山や海を駆け巡る毛利輝元の、日本文明分け目の最後の対峙であった(p224)

    ・日本列島の日本人は南方系と、大陸系が入り混じって形成された。大陸から日本列島への入り口は福岡であった(p238)

    ・日本文明の自壊の可能性は二度あった、その二度とも遷都(政治・行政の中枢機構と文化を担う人々の移転)により危機を脱した(p243)

    ・1回目:794年の桓武天皇による京都への遷都、2回目:1603年の徳川家康による江戸幕府の開府、鎌倉時代は幕府は鎌倉でも文化の担い手は京都、南北朝や室町も同様、もう一回あるとすれば、邪馬台国から奈良盆地への遷都であるが邪馬台国の所在地が確定できていないので対象外(p244)

    ・大阪で40万人、京都でも40万人いたので、関西圏では年間800万本の立木が必要で、関西の山地は荒廃せざるを得なかった。徳川家康が利根川の江戸を選択したのは、森林が保全されていた場所を選んだことにある(p254)

    ・遷都した理由は、森林伐採、土壌流出、山荒廃により、遷都せざるを得なかったから遷都をした(p256)

    2015年1月1日作成

  • 筆者は歴史の専門家ではないので、一次文献などからではなく、当時の地形から考察をおこなっている。

    地形以外の裏付けに乏しく「に違いない」といった主観的な主張が散見されるところが惜しい。

    結局、文献だけでもダメ、地形だけてダメということになるのでしょうか。

  • 地形などから、歴史の流れの「必然」をあぶりだす。

    歴史を自分の頭の中で立体的に再構築できる本。

  • 140111 中央図書館
    建設省の元官僚が、地形、水文、インフラ、交通要衝の視点から、日本各地(東京半蔵門、石狩、新潟、京都滋賀大阪奈良、広島、福岡)が歴史でどのように繁栄してきたかをエッセイにまとめた本。
    江戸城の半蔵門が当時は主門であったのでは、などのようにどこに根拠が?と思うものもあるが、小難しい歴史学から離れた新鮮な視点が楽しめた。

    新潟の沖積平野では、胸まで泥につかって田植えをしていた。
    石狩川の蛇行を付け替えることで、流速改善で河床洗掘をすすめ地下水位を下げることが、札幌の発展を助けた。
    福岡は大都市としては珍しく大きな川がないのは異例。しかしアジア的な交通要衝としての特色により、他の国内大都市と同じような経済規模を維持できた。

    などの小話。

  • 地形、気象、インフラの観点から文明の謎を解いていく感じが新鮮で、本の読み解きにのめり込んでいってしまう。

  • 請求記号: 210.04||T
    資料ID: 10508093
    配架場所: 工大君に薦める

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著者プロフィール

日本水フォーラム代表理事。博士(工学)。
1945年生まれ、神奈川県出身。昭和45年東北大学工学部土木工学科修士修了。同年建設省入省、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。2001退職。一貫して河川、水資源、環境問題に従事。人事院研修所客員教授。
著書に『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫3部作)、『土地の文明』『幸運な文明』(以上、PHP研究所)、『日本文明の謎を解く』(清流出版)、『水力発電が日本を救う』(東洋経済新報社)など多数がある。

「2021年 『“地形と気象”で解く! 日本の都市 誕生の謎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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