- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569655611
作品紹介・あらすじ
「現代思想」は死んでません。フーコー、デリダからロールズ、ローティ、ネグリ&ハートまで「現代思想」の新しい見取図を徹底ガイド。
感想・レビュー・書評
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ドラッカーとアドルノって、同じフランクフルト大で、つながらないの?と調べてる途上で出てきた本
【要約】
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【ノート】
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自分には難しかった。俯瞰図表もあるが結局複雑だった。
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北田先生による自由概念の分節化はなるほど感ありました。あと、カルスタの章の「コード化/脱コード化」の話とサバルタンの話は、普通に実務的にジャーナリストだったら必読だなぁと思いました。ぼくはジャーナリストではないですが。
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読書案内は非常に参考になる。
あとは、ざっくりしすぎていてなんともいえない。 -
「ルーマンの社会システム論は、「人間 Mensch」を特殊な社会システムを継起させるコミュニケーションの担い手としての「人格 Person」としてだけ考慮し、コミュニケーションの主体として問題にすることはない」
振り返って見てみれば、昭和の時代というのはこの「人間」というものを極めて単純化させたモデルが中心となっていた時代なのだなと思う。それは何もルーマンにかぎらず、いわゆる「ポスト」ではない近代西洋合理主義と見做されるものはたいていどの分野においてもそうなのである(言うまでもないことだけど)。
その弊害として生まれてきたものに対して、やっぱりこのモデルは間違えていると考えたのがポスト的思想であり、また宗教的にも人間の全体性だとか大地といった、集合的なものに注目が強く集まるようになってきた。
ただ、ルーマンのように人間を単純化したモデルやそこから生み出される弊害というのは、観察対象としてみれば面白いのも確か。ポスト以降の思想って、人間を包括しようとしているあまりに、抽象的になりすぎたりして有効性を失っているなと感じることも多い。言うなれば、発展性に乏しい。ポスト的な思想が別の発展性を所持しているといえば、まあそれでも良いのだけど。
もともと僕はルーマンだとか心理学の行動主義だとか、あるいは哲学におけるヘーゲルだとか、そういったものを苦手に思ってきたけれど、それを絶対の真理のように受け取らず、あくまで一種の思考実験であることを強調して受け止めれば、これほど面白いものもないのではないかなと今更ながら感じるのだ。
こう考えている人は何も僕だけではなく、これまた数多くの先人がいるわけであるが、それはそれだけポスト思想が現代に浸透しているのであり、その反動として起きていることの証左であるように思う。
ということで、過去の哲学やら社会学的な理論は、古くて使えないのではなく、まだまだ有効価値があるよというお話。 -
PART 1 を読んだ。分かりやすかった。続きはまた今度。
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近代思想の全体をかじった上で、現代思想も覗いてみたいがちょっとコンテクストがわからない、という人にオススメの本。
現代思想は先行研究の量も何もそれ以前の思想よりは少ないわけだし、その枠組みも評価もまだ定まっていないので、入門とはいえど各著者の講義のようなものである。すなわち著者の視角というのが比較的大きい。(要するに偏ってるということ、まぁ出してるのがPHPだしry
だから、この本を手掛かりに色々なものを読んで自分なりの現代思想解釈を築いて欲しい。入口としては非常に平易だし、推薦書籍なども載っているのでとても親切な本である。 -
なぜか、我が国では思想に「流行」がある。実存主義が流行したかと思えば、そんなことがなかったかのように構造主義がアカデミズムを席巻し、時が経てば、次はポスト構造主義・・・といった具合に。
なぜだろう。思想は流行するようなものではないはずなのに。
この書の帯にはこう書いてある。
「『現代思想』は死んでません」
アカデミズムの流行にとんと疎い私はこの煽り文句に驚く。ああ、そうなんだ。「現代思想は死んだ」と思われているのか・・・と。
私なんぞは、未だにボードリヤールの思想を方法論として政策化できないものかと考えているくらいなのに・・・そうか、「ボードリヤールなんて古臭いよ、そんなものやってて何になるの?」といった扱いを受けるのかな?
ま、それでもいいや。人は人だ。
さて、同書についてはコンパクトに「現代思想」が系譜だててまとめられている。参考書代わりに通読した。 -
興味深い著者の名前がズラリ!!