武士道 (PHP文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569664279

作品紹介・あらすじ

かつての日本には、わが国固有の伝統精神があった。その一つが武士道である。それは、新渡戸稲造が1899年に英文で『武士道』を発表し、世界的な大反響を巻き起こしたことでもわかる。本書はその現代語訳である。発刊当時の明治期と同様、現代の私たちは急速な国際化の中で、日本人のアイデンティティを見失いつつある。「日本人とはなにか」を問い、倫理観・道徳観を見直すことができる格好の書である。

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    直近で読んだ「燃えよ剣」を読んでいる際に、著者である司馬遼太郎氏が、読者に何を伝えたかったのかが、明確に分からなかった。それを理解したく、「燃えよ剣」を読みながら、同じ時代に書かれた思想書で心惹かれる書籍を探していた。そこで本屋で見つけたのが本書、新渡戸稲造氏の「武士道」だ。本屋で立ち読みをしていると、著者である新渡戸稲造氏は、この本を書くことになったきっかけとして、本書序文で語っていた。

    ドイツに留学していた際、ベルギーの法学者エミール・ド・ラブレー氏から「日本の学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか?」と聞かれて、ありませんと答えると、「宗教教育がない!それではあなたがたはどのようにして道徳教育を授けるのですか?」との疑問を投げかけられたときに新渡戸氏は、愕然とし、すぐに答えられなかったのだという。

    なぜなら新渡戸氏が、子どもの頃に学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校では習わなかった。そのあとで冷静に分析してみると、道徳教育を学んだのは、幼少の頃の家庭教育であり、武士道であったことに気づいたのだという。また本書を記すことになった直接の理由は、新渡戸氏の妻(アメリカ人)から、なぜ日本人は、思想や道徳的習慣が行き渡っているのかと何度も質問を受けたからだという。

    この序文を読んだときに思ったのが、確かに日本は宗教の自由が憲法で定められているため、宗教教育は一切行わない。代わりに僕が小学生だったときには、道徳という授業があった。あるにはあったが、その後の自分の人生観において影響が大きかったかと問われれば、うーん、と歯切れの悪い言葉しか返せない。そのとき、ふっと思った。

    日本では、何十年も前から、自己啓発書がずっと売れ続けている。それは多分根本となる道徳観であったり、揺るぎない倫理観を日本人は教育されていないからなんだろうと。だから逆境にあったときや、進むべき方向性に悩んだときに、自己啓発書に頼りたくなるんだろうなぁと。僕も昔そうであったと深く納得できた。新渡戸稲造氏が西洋人に対して、日本には確かに宗教教育はないが、人としての倫理観や思想として武士道があると伝えたかったのであろう。そういう熱い想いで書かれた本には、無条件で惹かれてしまう自分がいる。なので、積読本を後回しにしてでも読みたくなってしまった。

    【新渡戸稲造って、どんな人?】
    1862年9月1日、陸奥国岩手郡(現在の岩手県盛岡市)の、盛岡藩新渡戸十次郎の三男として誕生した稲造。作人館(現在の盛岡市立仁王小学校)を卒業して間もなく、東京に住んでいる叔父から、東京で勉強させてはどうかと言われ、上京。13歳になった稲造は、この頃から農学の勉強を真剣に学ぶことを決意し、札幌農学校(現在の北海道大学)の二期生として入学する。

    創立時に副校長として1年間の契約で赴任したウィリアム・クラーク博士(「少年よ大志を抱け」の名言が有名)はすでに帰国していたため、直接の接点は持てなかった。クラーク博士は一期生に対して聖書を教え、一期生ほぼ全員がキリスト教に入信していたため、一期生たちの伝道によって、二期生も入信する人が多くいた。稲造は、入学前からキリスト教に興味があり、英語版聖書まで自ら持ち込んでいたので、すぐにクラーク博士が残していった「イエスを信ずるものの誓約」に署名する。そして後日、同期の内村鑑三、宮部金吾、廣井勇とともに洗礼を受け、「パウロ」というクリスチャン・ネームをもらい、熱心なキリスト教信者へとなっていった。

    札幌農学校卒業後、東京大学に入学。入学試験の際、面接官から大学に入って何を勉強したいのかと質問され、「農政学と英文学をやりたい」と答えた。さらに面接官から、英文学をやってどうするのか訊かれ、こう答えた「太平洋の橋になりたいです。西洋の文化を日本に伝え、日本の文化を西洋に伝える媒酌人(ばいしゃくにん)の役を務めたいのです」当時、稲造20歳。この頃から国際人としてはっきりした意志を持つようになる。

    しかし、東京大学の授業に失望し、1年で退学。アメリカに自ら費用を出して留学を試みる。留学先のジョンズ・ホプキンス大学で学んでいる際、農業を経済学と結び付けて考える必要を感じ、新たな学問を創設しようとした。しかしその後、ドイツに留学に行った際、農政学が既に創設され、学ばれていたことを知る。ドイツでは農政学、農業経済学、統計などを研究し、更なる知識を身につけていく。

    留学の際、稲造は新たな学問だけではなく、生涯でなくてはならないかけがえのない人と出会う。アメリカ留学中、日本について興味を持っているという女性を紹介される。彼女の名前はメアリー・エルキントン。女性の地位向上のために熱心な活動をしていたメアリーと、日本の女子教育の向上について考えていた稲造は、同じような目的を持った者同士、次第に惹かれるようになった。しかし、結婚に至るまでにはさまざまな障害が待ち受けていた。

    ある日、メアリーから稲造宛てにプロポーズをするラブレターが届く。現代なら手放しで喜びたいところだが、稲造の心の中は「大変なことになった」という焦りが芽生えた。それもそのはず。当時の日本は西洋文化に対して知識も乏しく、メアリーが日本に嫁いできても周囲から受け入れられない恐れがあり、偏見を持って見られながら生活をしなければならない苦労が待っていることが予想されたからだ。また、メアリーと同じく白人の、黄色人種に対する偏見も相当なものだった。まだまだ発展途上のアジア人に、白人の上流階級の娘を嫁に出すわけにはいかないと、家族や周囲の人々から猛反対された。それまで稲造に優しく接していた周囲の西洋人も冷ややかな目で見るようになり、稲造は西洋人に対する偏見と敵意を強く抱くようになってしまった。

    しかし、ここで自らの生涯をかけて成し遂げたい、「太平洋の架け橋になりたい」という目標を思い出す。互いの人種的偏見を乗り越えるためにも、メアリーと国際結婚をして両国間の溝を埋める必要があると考えたのだ。そうしてメアリーのプロポーズを承諾し、結婚をする。すると今まで断固反対をしていたメアリーの兄弟たちが理解してくれるようになり、徐々に周囲の人々も稲造とメアリーの結婚を認めるようになっていった。

    メアリーを連れて帰国後、教授として札幌農学校に赴任するものの、夫婦共に体調を崩し、農学校を休職してカリフォルニア州で療養生活を送ることになる。この療養中に、稲造は「武士道」を英文で書きあげた。この著書の中で稲造は日本人古来の精神、武士道がこれまで日本人の倫理や道徳、文化などを支えてきたということを稲造の視点で分かりやすくまとめ、アメリカ人に日本を理解してもらえるような主旨で記されている。

    しかし、それだけではなく、日米の異文化間に板挟みにされた自らの苦悶と、両国間にある価値観の確執をどう融合させていけばいいのかという課題についての内容でもあった。当時は日露戦争があり、日本が勝利したことで日本人に対する関心が高まっていた。そのこともあり、「武士道」はドイツ語やフランス語など各国の言語に翻訳され、ベストセラ―になった。

    第一次世界大戦後、国際連盟が創設され、稲造は事務局次長として北欧のオーランド紛争の解決や、ユネスコの前身の国際知的協力委員会の創設などに励んだ。しかし、日米関係は平和になるどころかどんどん険悪さを増していく。晩年、稲造は日本の満州政策についてのアメリカの誤解を解いて、対日感情を和らげるため渡米。「日本人最初の国際人として、日米間を協調する役目は自分にしかできない」という信念を持ちながら、日本の立場を理解してもらえるようアメリカで100回以上もの講演を行った。

    しかし、アメリカの世論はすでに日本に対して厳しく、稲造の講演によって覆る期待はできなかった。帰国した稲造に、更なる追い打ちがかかる。稲造が事務局次長を務め、評判を上げた国際連盟を日本が簡単に脱退してしまう。自らの努力が報われなかったとしても、稲造は途中で諦めることはしない。体調不良でも、カナダで開催された太平洋会議に日本の団長として出席。その場で国際平和を訴えた。しかし、日本のため、アメリカのために架け橋となって身を粉にして平和を訴えてきた稲造は、無念にもビクトリア市で病床に臥し、1933年10月15日、71歳でこの世を去った。

    【本書概要】
    かつての日本には、わが国固有の伝統精神があった。その一つが武士道である。それは、新渡戸稲造が1899年に英文で「武士道」を発表し、世界的な大反響を巻き起こしたことでもわかる。本書はその現代語訳である。発行当時の明治期と同様、現代の私たちは急速な国際化の中で、日本人のアイデンティティを失いつつある。「日本人とはなにか」を問い、倫理観・道徳観を見直すことができる格好の書である。

    【感想】
    まさか、この本が〃きっかけ〃となり日露戦争を終結に持っていけたとは、まったく知らなかった。その逸話が以下である。

    アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトが本書を読み感銘を受け、自分で何十冊も買い込み家族や友人たちに配った話は有名である。また日露戦争においてルーズベルトは、表向きには中立を保ったものの、実際にはさまざまな形で日本を支援した。具体的には、日本側の形勢が有利になったとみるや、日露戦争を終結させるため仲介の労をとり、ポーツマス近郊にある海軍造船所を講和条約交渉の場として提供した。すでに国力の限界まで来ていた日本は、アメリカの仲介によって救われたのである。

    ルーズベルト大統領は、この和平仲介の功績により、1906年にノーベル平和賞を授与された。実はこれがアメリカ人として最初のノーベル賞であった。本書は西洋人にとって、日本と日本人を理解するための格好の教科書となったが、こうして日露戦争終結にも貢献している。そう考えれば、たかだか一冊の本が、世界に与えた影響があまりに大きく驚愕してしまった。

    この思想書から僕がもっとも感銘を受けた言葉が以下である。それは、中国の思想家、王陽明が生み出した言葉の「知行合一(ちこうごういつ)」という言葉だ。

    恥ずかしながら僕は本書でこの言葉を初めて聞いた。ただ言葉の意味は何も難しくなく、「知識と行動を一致させる」ということだ。また前段に説明として本書で、武士道は知識を重んじるものではない。重んずるのは行動であるといっている。また梅田梅園は、「知識というものは、これを学ぶものが心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる」と諭してくれる。普段からこの事を常に意識して出来ているかと問われれば、まだまだ不完全なところがある。新渡戸氏も「知行合一」を実践出来ていない人間が多いことから、派生した諺(ことわざ)を本書に書いていた。「論語読みの論語知らず」と。

    いま自分が新しい知識や知恵をインプットする機会は、まさしく今行っている読書からがもっとも多い。そこで得た知識(知恵)を自ら試し、その行為や考え方を自分のものにし、無意識レベルでも出来るまで、習慣化することが最も大切だ。ということまでは、今までの読書経験からようやく体得出来てきた。

    ただ最近新たに気づいたことがある。それは、一冊の本から得られる知識や知恵をそもそもインプットする量が少ないんじゃないかということだ。実はこの本もたかだか220ページ程の分量であるが、参考文献として引用している哲学者や思想家の人数が半端なく多い。インプット量をもっと増やすためには?と思考した際に、過去得た知識から融合出来そうな知識を見つけた。

    それは、アインシュタインの名言である。「6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない」だ。

    この言葉って、つくづく真理をついているなぁと思う。小難しいことを、小難しい言葉を並べて説明するのは、実は知識さえあれば誰でも出来る。だが逆に小難しいことを、簡単な言葉に置き換えて説明するのは、真の意味でそのことを理解していないと、実は出来ない。そうなので、真の意味で理解していないと、自分の脳や心に刻みこめないんだろう。そして脳や心に深く刻みこめていない知識は、すぐに忘れてしまうんだと思った。であれば、どうすれば本から得た知識を、より深く脳に刻み込めるんだろう?という疑問が浮かび上がってくる。

    そこで過去に読んだ「人間の建設」の、小林秀雄氏の言葉がより深く染みわたる。それは、「その人が分からないと、文章を読んでいてもつまらない。逆にその人が分かると、つまらない文章でも面白くなる」だ。実はその後に小林秀雄氏は、その人を理解するために著者の伝記をよく読むと言っていた。その言葉に触発されてから、伝記を読むまでに至っていないが、本で読む以外に著者のことをより深く知るために、webで著者のことを時間をかけて調べるようになった。その著者のことを調べれば調べるほど、著者のことに興味関心を持てるし、なんなら好意を抱いていく。僕がよく読書とコミュニケーションは似ていると書くが、その思いは最近より強くなっている。

    人間関係において、自分に対して興味関心を持って欲しければ、まず自分から相手に好感を持つというのは、基本中の基本の考えだ。読書においても考え方は同じで、著者のことを好きになってしまうのが、実は本の知識を深く脳や心に刻み込むのに、最も効率の良いやり方だと思えるようになってきた。

    また僕が、本書からかなり感銘を受けた言葉がある。それは、柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)の言葉で、宗矩が弟子の徳川家光に言った言葉だ。それは「私が教えられるのはここまで。これより先は禅の教えに譲らねばならない」だ。この本は当初西洋人に向けて書かれた本なので、禅とは何かを非常に分かりやすく、説明してくれている。以下だ。

    禅とはディアーナ(Dhyana サンスクリット語)の日本語訳であり、「言語による表現範囲を超えた思想の領域へ、瞑想をもって到達しようとする人間の努力を意味する」とある。またその後に具体的方法として、補足説明もしてくれている。その方法は座禅と瞑想であり、その目的は私の理解するかぎりでいえば、あらゆる現象の根底にある原理について、究極においては「絶対」そのものを悟り、その絶対と自分を調和させることである。

    まだまだ勉強途中であるが、朧げに感じてきたのは、仏教における真髄(ある意味悟り)とは、自分と他人の境界線をなくすことなんじゃないかなと思っている。以前「私訳 歎異抄」で書いた、自分自身で牛・豚・鳥を殺傷していなくとも、それを食べることによって、その動物を屠ってくれている人(他人)が、自分と繋がりがある人として存在している。その方に対して感謝以外の言葉が出てこない。

    もしかすると、私はベジタリアンだからという方もいるかもしれないが、実は植物も立派に生きているし、なんなら植物同士でコミュニケーションをとっていることも、最近明らかになってきた。植物も懸命に生きようとしている。そう考えると、人間が生きていくために、生き物を殺傷せずに生きていくことなど、出来るわけがない。そのことを分かっていれば、人間は生まれてきたその瞬間から、既に業を抱えて生まれてきている。植物を含めて、他の生物と関わりなく生きていくことなど出来ないし、人間(他人)に至っては、言うに及ばずだ。

    それを本当に理解して腑に落ちたので、他人だけでなく自然とも繋がっているイメージが何となく持ててきた。この考えをベースに持てたからこそ、最近読んだ岡潔氏の「春宵十話」で書いてあった、「人を先にして、自分を後にせよ」という言葉がより深く納得できたかもしれない。さっきの生物を屠る話ではないが、どこでどの人のお世話になっているかなんて、分かるわけがない。そう、自分の知らないところで、色々な人に助けてもらいながら生きている、というか、生かされているのが深く理解できる。

    それが理解できれば、どんな時でも人を優先し自分を後にすることは、ある種当然と思えてくる。岡潔氏のこの言葉に出会うまでは、電車のホームで並んでいた時に自分の前に割り込まれると、心の中で少し負の感情が現れていた。だがこの言葉と出会えてからは、そもそも他人を優先すると決めているので、割り込まれても何も思わなくなった。少しずつではあるが、自分が人間として成長出来ている感覚が持ててきた。やはり名著に触れることによって、いつもより深く思考できることにより、自分の頭の中を整理できるところが好きだ。

    【雑感】
    次は、4ヶ月以上も積読になってしまっていた加納朋子氏の「カーテンコール」を読みます。この本は、岩田徹氏の一万円選書で、鉄板と紹介されていた本です。岩田氏が鉄板と紹介している本なので間違いないとは思うが、なにせ最近僕が読んでいる本と、まるで系統が違う本だ。なのでずっと読まずに後回しにしてしまっていた。この積読解消タイミングで読まないと、次いつ読むか分からないので今回で読みます。

    • shukawabestさん
      おはようございます。
      「カーテンコール」にいいね、してくれた理由が分かりました。
      このレビューの思考、思想の道筋、読み応えがありました。
      おはようございます。
      「カーテンコール」にいいね、してくれた理由が分かりました。
      このレビューの思考、思想の道筋、読み応えがありました。
      2023/08/01
    • ユウダイさん
      shukawabestさん、おはようございます。
      結構長文で書いた感想にも関わらず、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。コメントで書い...
      shukawabestさん、おはようございます。
      結構長文で書いた感想にも関わらず、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。コメントで書いてくださった様に、最近思想書を好んで読んでいるのは、自分の考えを普段よりより深くまで導いてくれるところが好きで読んでいます。今後とも宜しくお願いします。
      2023/08/01
  • 無駄な余談に走ることがなく、武士道という漠然としたものをキーワードに分けて定義付け。そして、ビックリするほど理路整然として客観的な見解!不安げにあたりを見回す読者に対してスマートにエスコートしてくれるジェントルマンに見えてきてしまった。

    加えて日本だけでなく、海外の学者や聖書の言葉まで引用しており、武士道への理解を深めて貰おうとする工夫の仕方が素直に凄かった。次々と繰り出されるもんだから注釈を見るのに忙しかったし、相当な読書量やなと脱帽。さすが国連事務局次長!
    (天皇を「天上の神の代理人」と表していたのには時代を感じた)

    個人的にささったのは「名誉」の章。(英語版では“honour”)`
    間違った解釈かもしれないけど、ここでいう名誉は今の汚らしいニュアンスの名誉とは違う気がした。筆者曰く名誉はこの世の中において「最高の善」で「若者が追求しなければならない目標」との事。名を成すまでは帰還せず、そして勝ち取った名誉は年が経つにつれて大きく成長する。
    若者の純粋で崇高な志がいずれ彼らの夢、名誉に辿り着くのかと心にストンと落ちた。
    一方でこの志に「野心」が混じると今の汚らしいニュアンスになってしまうのかな、とも。

    厳めしい章もあったけど最終章の結びも含めて武士道は情緒に溢れ、繊細な部分も併せ持っていた。そろそろチャンバラのようなイメージは切り捨てておきたい。

  • この本は、「武士道を体系化した思想書」です。
    武士道を西洋文化、キリスト教等と比較しながら、丁寧に考察している本であり「日本人の元!」が、ここにあるように思いました。
    ぜひぜひ読んでみて下さい。

  • ー武士道ーそれは、日本人に宿る魂そのものであること
    ー武士道ーそれは、学びであるということ
    ー武士道ーそれは、絶やしてはならないということ
    ー武士道ーそれは、奉仕すること
    ー武士道ーそれは、何かを守ること

    本書をバイブルにしている方は多いのではないでしょうか。
    私もその一人です。
    あえて内容に触れることはしません。
    何故ならみな一人ひとり、宿っている”武士道”の形は違うのだから。


  • 新渡戸稲造さんが日本人の伝統的精神について、外国人向けに書かれた本作。聞きなれない言葉が多く、わたしには少し読みにくい箇所がいくつかありましたが。。。
    平成生まれのわたしでも共感できるところがいくつかありましたが、時代劇などを見ていても感じることですが、本当に同じ日本人なの?と思う箇所もたくさんあり。。。
    今の資本主義経済やグローバル化が浸透しきった世の中にあって、武士道精神は馴染まない部分が多いですが、日本人の伝統的な精神であるこの武士道について、日本人として決して忘れてはならず、自分の子供たちにも伝えていきたいなと思いました。

  • 私は、「礼」の章がとても好きです。
    非常におかしいと思えることも、相手を思ってのこと。
    贈り物を渡す時の欧米と日本の台詞の違いは、改めて理解できた気がします。
    今の日本、そして日本人のどれほどの人達が良きにしろ悪しきにしろ、武士道の心を持っているのでしょう。
    私は嫌いではありません。

  • 日本人の考え、古くからの道徳心を、新渡戸稲造がわかりやすく外国人のために書かれた英語の本を、日本語訳された本だったから読みやすかった

  • この本は日清・日露戦争中、日本の武士道精神を西洋に紹介することで、日本の国際的地位向上を図ることが狙いで、いわば「広報」的な目的を持って書かれた本。
    世界で日本といえば「サムライ」という言葉が出てきますが、この本によるものだったのですね。
    なんならこの本によってルーズベルトが日本びいきになり、日露戦争の調停役になったというのだから胸熱。『武士道』の「その功績、三軍の将に匹敵する」と後書き解説にも書いてあります。そんな本をすっかり平和な時代の日本で読んでいる、というのも感慨深い。。。

    ちなみに岡倉天心の『茶の本』も同じ時期に日本の文化や精神性を広めるために書かれている本です。日本が近代化を進め世界と対等になるために、自国の文化を発信する。海外の技術や文化をなんでもかんでも取り入れていただけではなかったんですね。

    ちなみに『武士道』は「切腹」など海外から見たら独特に見える作法の元となる考え方を、海外で有名な書籍などから同じもの(あるいは対比できるもの)を引用して説明しているので、海外の人からも分かりやすかったと思います。
    切腹の様子を描写しているところはぜひ読んでみてください。「はわぁゎぁ〜(T ^ T)」となります。

  •  かつて五千円札の肖像となっていたことで有名な新渡戸稲造。そしてこの『武士道』も国際的に有名な作品ですね。少なくとも名前は結構聞きますよね。

     こちら、一言で言えば、日本人論です。もっと詳細に言えば、日本人の道徳論です。
     明治の開国以来、それまで明文化されていなかった日本人道徳論を文字に表した初めての作品であろうと思います。

     ただこれ、理解するのはなかなか簡単ではないと思います。
     まず、日本人が意識せずに持っている中国の儒教的思想を知らないといけません。本書では、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、等々が語られます。これらが大まかにどのような意味なのかを知っていないとちょっと分かりづらい。ってか、学校でやりませんよね、こんなの!

     さらに、これら日本人道徳観の具体例として多くのエピソードが語られます。市井の武士の話から、太田道灌、源義家、林子平、新井白石、などなど。人選が現代人からすとちょっとビミョーな気もしますが。
     で、この後がすごいん。これら具体的エピソードは実は西洋の中にも見られるものだ、ということで、プラトン、シェークスピア、ニーチェ、バルザック、モンテスキュー、ヘーゲル、ソクラテス、ドン・キホーテ、ディケンズ(オリバー・ツイスト)、等々の引用、リファーをしまくるのです。
     武士がこれこれするというのは、かつて林子平がなした○○のごとくであるが、西洋ではそれをバルザックが××と唱えたのと一致するものである、的な表現です。

     実を言うと、なんだ引用ばかりで結局よくわからないや、この人は自分の知識をひけらかしたいだけにしか見えないや、と感じました。

     しかしながら、解説を読んで考えが変わります。
     彼が本作を出版したのは1899年、アメリカはカリフォルニアで英語で執筆したものです。当時は明治開国から程ない時期、日清戦争を経て、西洋社会で日本と言う小さい野蛮な国があるとやっと認知されたばかりだったのだと思います。
     おそらくは偏見に満ちた物言い、心無い誹りもあったのだと思います。白人でもないし。また、本人にも日本人とは、日本とは何かというアイデンティティ・クライシス的なものも、西洋に赴くなかで持ち始めたのではないかと思います。

     そのように考えると、本作は、彼が彼自身のために書いた本ではなかろうかという気がしてきました。自分が書くことで日本人の道徳とは何かをはっきりさせたかった、と。相当の博識の持ち主であったことは疑うべくもありませんが、持てる知識を総動員して日本人の道徳観は西欧にも通じている普遍性を持つと説明したかったように思えてなりませんん。

     でも、スーパー凡人の私は通読二回目にして、やっぱり十全に理解したとはいえません。もっと西洋の話も儒教の話も勉強してから再チャレンジをしなければと思いました。
     ましてや、解説にあるルーズヴェルト大統領が読後感動して家族や友人に配りまくったというエピソードがありますが、私はこの大統領は内容は殆ど理解していないに賭けますよ笑 そんなに簡単じゃないと思います。

    ・・・

     おわりに、きっかけを。
     私は本作は以前読んで本棚に眠っていましたが、先日、戦争の本で某イギリス人作家が日本兵の暴虐を表現して、これが彼らのBushidoなのだ、と批判しており、いやいや違うでしょ、と思い、再読してみたものです。
     私自身、今回読み終わった後でも日本人の道徳心を他人に説明できる気がしませんが、ましてや外国人が本作を読んでも決して日本人を理解できないだろうなと感じました。
     であるならどうするか。私たち自身が日本人の道徳心・感じ方・考え方を私たちなりに言葉に紡いでいく必要があるのでは?と思いました。海外に住んでいるから特にそう思うかもしれませんが。
     本作はまた儒教系の本を勉強したら再読してみたいと思います。

  • 岩波版に比べると読みやすい文章になっており、自身の道徳の基礎に「武士道」があることをぼんやりと確認出来た。
    ただ、内容が思った以上に深く、かつ、発散していて、一回読んだだけでは理解しきれなかった。
    繰り返し読んで、理解を深めたい。

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著者プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

「2017年 『1分間武士道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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