- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569669144
作品紹介・あらすじ
日本人が作り上げた最大の組織である"日本軍"。その成功と失敗の分水嶺はどこにあるのか?-本書は、「建制なき軍隊は『烏合の衆』」「軍隊の中心は『中佐・少佐』であった」「『エリート参謀』の功罪」「山本五十六は名将だったか」など、"戦う組織"の知られざる実像と、その勝敗を分けた制度上の問題点を検証する。日本人が新たな組織をおこし、リーダーシップを発揮するうえで教訓となる好著。
感想・レビュー・書評
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歴史で日本がアメリカに戦争を挑んだのは無謀であると習いました、確かに国力の差からすればそうだったのかも知れませんが、そうだとしたら日清戦争や日露戦争に勝利したことは説明できるのでしょうか。
日本や世界の経済について解説された日下氏の本をもう20年近く読み続けていますが、本書は5年ほど前に単行本で出された本が文庫化されたものです。改めて読み返してみると、日本が負けてしまった理由は、経済力の差以外にもあるように思いました。日下氏の説明している日本軍の教訓は、そのまま企業が負けないため教訓としても活かせるのではと思いました。
戦時中の国債は紙くずになったと祖母から聞かされてきましたが、銀行の持っていた国債だけは例外である(p205)という事実には驚かされました。
また社会人の私にとっては、戦略と戦術の定義(戦略とは、「ある目的に照らし合わせ、その戦術を選択するか」ということ、戦術とは、「ある局面における戦い方」を指す、政治上の要請によって戦略が決まる(p98))は、戦略を考える仕事をしている私にはためになりました。
以下は気になったポイントです。
・日本陸軍は、平時には20個師団、兵員数20万の規模であったが、最終的には194師団、547万人にまで急膨張した(p7)
・日本軍を捕虜にして、その建制を崩さなかった典型は旧ソ連、なので日本軍捕虜はよく働いた、中国も同様(p22)・アメリカ軍は収容所をくつり、戦争捕虜を一緒にして、将校とわかった人だけを別の部屋にわけて収容した、建制の枠が崩れたので秩序は乱れた。(p23)
・憲兵として水兵たち取り締まっていたのが海兵隊であり、彼らが軍刀をもっているのは「水兵が命令を守らなければ切る」ため(p31)
・一度確立した建制や人事を崩すと、軍隊は弱くなる、これは間違いのない事実で、これは日本軍の独混(いくつかの師団から連隊2つを抽出して、それに砲兵中隊や機関銃中隊等を加えたもの)は戦闘力がない、但し例外として、周辺の条件が変化したときは臨機応変の必要がある(p33、57)
・師団長は中将、連隊長は大佐、ところが師団参謀は少佐クラス、師団では、少佐が書いた命令書を中将が取り上げて、大佐に命令しているのが建前(p38)
・ソ連が崩れる直前まで、35~45歳までの軍隊では少佐、中佐クラスの人達がソ連国家やソ連軍の行末を最も心配していた、これは企業にも当てはまる(p40)
・エリート参謀は、極端な精神主義に頼っていることが多く、兵力の逐次投入、情報軽視、兵站軽視といった過ちを犯して、多くの兵隊を無駄な死に追いやった(p68)
・特に陸軍大学での試験の答案は、教官好みの勇ましい文章を書く学生の成績が高く評価された、優秀な人とは、「架空の世界を文章で創り上げる名人」であった(p70)
・学校の試験で好成績を収めるコツの半分は、出題者の意図を読むことで、残り半分は、生徒がその意図に沿った答案を書く気持ちになって、体裁よく(字を綺麗に)仕上げる能力、誤字脱字無し、起承転結をつける等である(p97)
・戦略とは、「ある目的に照らし合わせ、その戦術を選択するか」ということ、戦術とは、「ある局面における戦い方」を指す、政治上の要請によって戦略が決まる(p98)
・日本海軍が艦隊決戦に拘ったように、陸軍では、歩兵による突撃を旨とする、白兵主義に拘った(p100)
・アメリカは、昭和17年11月30日のルンガ沖夜戦を指揮した田中少将を高く評価したが、日本海軍は更迭して二度と海上勤務につかせなかった(p118)
・ミッドウェー海戦の悲劇をもたらすことになった「運命の5分間」は、つくり話、雷爆転換はなかったとされている(p122)
・一般的に美談は気をつける必要がある、美談が存在するのは、作戦や命令に無理があったから(p122)
・硫黄島の戦いでは、アメリカ軍の戦死者は5885人で、戦傷者1.72万人であり、死傷者では日本軍を上回っている、アメリカ第4海兵師団は全兵力の半分の9千人以上が死傷したので、ハワイに引き上げて再起不能となった(p129)
・ナポレオンが軍を進めたときに、政治的に処理すべき問題が生じたので、大佐の上に将軍というポストを作った、大佐は軍事作戦の指揮官であり、将軍は戦略を決める人間である(p156)
・戦争中に国民が購入した国債は未償還となり紙くず化したが、日本政府は銀行が持っていた国債だけは償還した、その原資となったのが「見返り資金:国民が支払った食物などの配給代金」である、当時のお金で100億円、これにより戦後60年にわたって日本の銀行が勢力を奮った(p205)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<処分済>
「普段なァなァのくせして、キレると0か100かしかなくなるので、玉砕やら神風やら、日本人は一旦怒らせたら怖い。という神話が諸外国では生きているので、もっと強気で攻めろ」
ということが著者の主張だと思います。
(私としては、いそろくがどーしたとか、ヒデキがこーしたとか、戦闘機の性能の如何とか、そんなことは別にどうでもいいので読み流してしまった)
その辺に関しては、私も割とそう思う。
日本人の美徳は愛しているけれど、ちょっと100を出してみる頃じゃないかなそろそろ。