こんなに面白かった! 「ニッポンの伝統芸能」 (PHP文庫)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569676647

感想・レビュー・書評

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  • 日本の伝統文化の見方が良くわかりました。歌舞伎が好きですから嬉しかった。

  • 歌舞伎や茶の湯など、日本の伝統芸能の基本的知識をわかりやすく解説した本。

    日本人ならば、日本の伝統芸能をある程度知っておく必要があります。しかし、伝統芸能と一口に言っても、歌舞伎や茶の湯、能、俳句など、さまざまな分野があります。本書は、代表的な伝統芸能5つの基本的知識をわかりやすく説明しています。

    日本の伝統を知る最初の一冊として、本書はオススメできます。

  • 『COOL!AKJ48~アメリカ・韓国・日本を知る48冊~』
    <閲覧係より>
    「伝統芸能!」って聞くとちょっと“古くさい”“型苦しい”といったイメージを持っているあなたにおススメです。自国の文化を語れないのは、何かと不便では??本書では、伝統芸能のうち世界的にも評価が高い、「茶の湯」「歌舞伎」「能」「俳句」「禅」を取り上げています。この本を読んだら、日本人の「自信」と「ほこり」が涌いてくるはずです。
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    所在番号:文庫||361.5||サイ
    資料番号:20098380
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  • 日本文化のなかでも完成度が高く、世界的にも評価の高い
    「茶の湯」「歌舞伎」「能」「俳句」「禅」を取りあげて解説

    グローバリズムが世界を覆いつくそうとしている時代にこそ、
    ローカリズムのほうが価値を持つ時代になった

    日本人は日本に目を向け、その価値を認識するべき
    そこに自分の立つべきアイデンティティが見えてくる

    ・型のうえにこそ、個性はうまれる
    型は個性を殺すものと思われがちであるが、
    教養のないところに個性は育たない

    生来の気質は、教養を自分の見に染み込ませることによって個性へと変わる
    感性や感情それ自体も教養であり、文化である
    学習プログラムとして身につけるためには型から学ぶのが効果的である

    日本のさまざまな「○○道」には、知識としてもているかどうか、
    ひとつの芸ができるかどうかだけではなく、より深い意味がある

    生き方の中核となるものをやり続けることで、人間が磨かれる
    その日々の鍛錬を「道」と呼ぶ

    ただ「道」のマイナス面としては、対象が抽象的になり、
    なんでも「心の修養」や「禅」に結び付けてしまい、
    本来の術や技・芸の部分が軽視されるおそれがある
    精神主義におちいってしまってはいけない

    ■茶の湯
    「もてなし」を作法や型に仕上げ、人生の道を見いだす文化は世界的にもめずらしい

    ・戦乱の世の武将が、なぜ茶道を?
    お茶は人と人を結びつけ、穏やかで静かなときをすごすためのもの
    武将とは対極にあるように思われるが?

    お茶は利休によって「わび茶」へと集成されたが、
    その根底には死を意識した世界観・人生観があるため

    本来は娯楽・嗜好品のお茶が、
    死を背景にした厳粛な空間を演出するものへと昇華された

    お茶は一対一の関係が基本になり、
    欧米のホームパーティとは大きく違う

    静寂に包まれた空間で、主人と客が一対一で向かい合い、
    一杯のお茶を丁寧に飲み、花を愛で器を愛でる

    静かなひとときをともに味わうことに、
    日本的な人間関係の理想型が凝縮されている

    ・茶の湯とは、"対人関係の芸術化"である
    人と人とが向き合ったとき、何が生まれるのか、
    その関係性はどうあるべきかを追求して型にまとめられた

    利休が作った茶室「待庵(たいあん)」はわずか二畳しかない
    狭さを徹底することで、逆に無限性を追及したい考え

    庭に咲き乱れる朝顔は、すべてつんでしまい、一輪だけ茶室に生けた
    こうした"凝縮"が茶の湯のキーワードである

    岩一面にある花には、いまひとつありがたみがない
    茶室の一輪だからこそ、その命の美しさが凝縮される

    生けられた花は、もっとも生命力のみなぎる瞬間を切り取ったものであり、
    同時にまもなく確実に死ぬ運命にある
    その生と死の瞬間的な交叉が美しさを生む

    このような場だからこそ、武将同士が会うのにふさわしい
    茶室での一瞬に人生をかけて出会うのである

    別々の生を受け、別々の死をまっとうする人と人とが、クロスする瞬間
    その貴重な瞬間を楽しみ、味わうことに茶の湯の価値がある

    茶を飲むという日常的な行為を、非日常に演出された空間で
    行なうところはおもしろさといえる

    ・狭い茶室の無限の楽しみ
    利休は人との交わりを淡く、しかし深く演出することをめざした
    生命の有限性に向き合う一方で、狭い茶室のなかで
    さまざまな無限を味わう楽しみを見いだした

    掛け軸に文章があれば、その意味・由来を通じて
    古典文学への教養が開かれていく

    焼き物の目利きをおぼえ、花の生け方に詳しくなり、
    庭の作られかたにも目が向くようになる

    さまざまな分野の教養に接し、意識する機会が得られる
    教養があるからこそ、人をもてなせるが、
    逆に「わかる人にはわかる」が、「わからない人にはわからない」世界でもある

    教養がなければ、より深いレベルでの人づきあいができなくなる

    ■禅
    かつて禅は国際的にも日本文化の象徴だった
    鈴木大拙が英語の著書で禅を広く紹介した功績が大きい

    国内でも禅は生活に溶け込んだものだったが、
    現在ではどれだけの人が座禅を組めるだろうか?

    ・結跏趺坐(けっかふざ)
    足を両方のふとももの上に乗せ、足の裏を天井に向ける形
    慣れると非常に安定感のある姿勢になる

    心身をリラックスさせ、ひとつの場所に静かに身体をとどめることが目的

    道元は「只管打坐」を説いた
    ただひたすら座れ、「人間の至らぬ頭であれこれ考えるな」というもの

    人間は考えれば考えるほど自意識が強くなり、おごりたかぶった気持ちになりやすい
    そういった頭でっかちな部分をそぎ落とすために、"身体に帰れ"と説いている
    身体をゆっくりと落ち着け、静かに呼吸して、心をしずめていけというもの

    『仏道をならふといふは自己をならふなり。自己をならふといふは自己を忘るるなり』
    仏道とは仏様を研究することではなく、自分を習うことである
    自分と向き合い、宇宙の中で自分の存在を確認するわけだが、
    それは同時に自分を忘れることでもある

    要は自意識を捨て去ったところにうまれるスペースが大事だということ
    自分はこんな人間なんだ、という意識を乗り越えたところに新たな意識が現れる
    それが瞑想である

    ・自意識を黙らせ、無意識の声を聞く
    人は他人にどう見られているかが気になって仕方がないものである
    こういう意識と対極になるのが禅である

    自分自身がここにあるために他者は必要ないという立場
    ただ黙って壁に向かって座る

    自分自身に「こうすべき」「こうするのがよい」というでしゃばりな意識を黙らせれば、
    身体の知恵が働きだす

    スポーツに応用すると、ひとつひとつの意識を向けすぎず、
    何かひとつのことだけをこころに留めること

    それができてば身体が無意識に動き、
    本来持っている非常に優れた判断力・潜在力が発揮される

    動物がいちいち考えずにサッと行動に移すことと同じで、
    禅もこの境地に達することをめざしている

    ・禅の技化
    ある一点に集中し、落ち着き、覚醒した状態自体を瞑想という方法によって
    技化しようというのが、禅の考えである

    座禅の形になれば、不安定な心や不機嫌な状態だったとしても、
    忘れて静かな心持ちに入ることができるようにする

    これが技化されてくれば、ふだんの生活の中でも実現できる
    心のわずらわしさから、いつでもフッと抜け出すことができるようになる

    科学的にも、座禅を経験している人は、刺激に対して脳波が反応しても、
    すぐに静かな状態に戻る傾向が強いことがわかっている

    心を落ち着けるという、心の技術ではあるが、
    身体を通してコントロールしているという意味では、身体的技術といえる

    しかし現在は禅的な境地、静かな心持ちを瞬時に作り出す技を
    日本人は急速に失いつつある

    ・公案(こうあん)の役割
    「パンと手を叩いたときに、音が鳴るのは右の手か?左の手か?」
    などの答えのないような問いのこと

    簡単に言うと「頭でっかちに考えるな」ということを教えるためのもの
    両手であるとか、右効きなら右手であるとか、そういった答えが求められているのではない

    ふだんの自分の思考にはない、もっと違う次元に飛ぶことが要求されている
    ふつうに考えてはわからない問題を前にして、「思い込みを捨てる」ことが重要

    禅は心を静めて集中することが基本であり、
    その際に邪魔になる頭でっかちな意識を乗り越えるために公案がある

    ・禅的教育の復活を
    自分自身をつねに静かな心持ちに誘導できる技術を身につけること

    日本の禅文化の基本は、教養を身体でみにつけるということ
    自分自身であれ、何か別の対象であれ、注意深く見通している自分というものを持つことが重要

    "おりん"が瞑想には最適
    チーンと鳴らすと、しばらく響きが残る
    その響きが空間を満たし、自分自身を浸すようになると、禅マインドに入りやすくなる

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00168316

  • 伝統芸能を日本人が、忘れているト著者は言う。
    特に「禅」の考え方、呼吸法、立ち振る舞いなど…
    理解できる部分多々…

  • 購入して、今手元にはあります。1度本屋さんで見た時悩んだ…でも、やっぱり読んでみようと購入。伝統芸能を理解する一助にしたいです。

    パラッと読んだんです。ただ、何かと比較して読まないと、鵜呑みにしていいのかはわかりませんでした。

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著者プロフィール

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。教育学、身体論、コミュニケーション論を専門とする。2001年刊行の『声に出して読みたい日本語』が、シリーズ260万部のベストセラーとなる。その他著書に、『質問力』『段取り力』『コメント力』『齋藤孝の速読塾』『齋藤孝の企画塾』『やる気も成績も必ず上がる家庭勉強法』『恥をかかないスピーチ力』『思考を鍛えるメモ力』『超速読力』『頭がよくなる! 要約力』『新聞力』『こども「学問のすすめ」』『定義』等がある。

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