ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569699912

作品紹介・あらすじ

世界は不平等と不正と混沌に満ちているが、「賢明な政府」が指導すれば、世界は今よりもよくなるのだろうか? ハイエクが半世紀以上前に論破していた。「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」のである。▼本書では、市場経済を全面的に信頼したハイエクの思想の今日的意義を明らかにする。一九三〇年代、ほとんど一人で社会主義・ケインズ主義に挑戦したハイエクは、サッチャー、レーガン政権が成功したことで、経済学だけではなく、世界のあり方をも変えた。また彼の思想は、現在の脳科学、法体系、知的財産権、インターネットを理解する鍵を、私たちに与えてくれるのだ。現実がハイエクに追いつくには二〇世紀末までかかった。半世紀を経て、彼の思想は、新しい社会秩序のあり方を考える羅針盤として、いま不動の位置を占める。 

感想・レビュー・書評

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  • いつもブログを読んで勉強させてもらってる池田信夫氏の新著。

    ハイエクといえば、一般的にはケインズに対置される存在の人物として理解されているのではないかと思います。
    政府支出による有効需要創出を唱えたケインズに対して、サッチャーやレーガンによる「小さな政府」を志向した新自由主義思想の後ろ盾となったハイエク、というイメージがあるのではないかと。
    そういうイメージで捉えると、昨今評判の悪い「市場原理主義者」の教祖みたいに思われてしまいそうですが、ハイエクの思想は決してそんな単純なものではない。

    ハイエクの思想のうち、自分が最も共感するのは、人間の不完全性を認めた上で、理論で社会をコントロールしようとするあらゆる計画主義を否定している、という点です。
    最適な経済を計画的に実現しようとする社会主義、国家が社会をあるべき姿に導くために個人を統御しようとするパターナリズム、これらは社会には「目指すべき目的」が存在することを前提としているわけですが、複雑な集合体である社会全体の「目的」を一意に決定することはナンセンスである。
    それよりも、個人の「自由」な経済活動が最大限に発揮される状況を理想とすべきである、と。
    そのことは「市場に委ねればあらゆることがうまくゆく」というような市場原理主義とは一線を画し、「自由」であること自体を重要視し、個人の自由度を最大化するルール作りを目指すもの、なのです。

    …というのは自分の浅薄な理解に基づく要約ですが、池田氏の解説の語り口も相俟ってハイエクの思想はとても鮮やかさを感じさせるものなので読んでいて心地いい。
    一方で、その深遠さを新書一冊読んだだけで真に理解できるものとも到底思えないのですが、その思想の一端に触れることで現在の社会・経済においてリアルタイムで起こっていることを見定めるためのスコープを持つためのヒントは得られたような気がします。

  • 私はずっと池田信夫という人をリバタリアンだと思い込んでいたが、そうでは無かった。

    ハイエクの思想を、リバタリアニズムと表現するにはずっと保守的だし、保守というには自由すぎるということで、自由主義と名付けている。

    規制されたケインズ主義への反抗であって、すべてを自由にせよと言っているわけではなく、淘汰という自然摂理が自律的に作用するからこそ、頬っておいても問題はない、だからリフレ派はおかしいというロジックに成っている。

    このミッシングリンクを除外してインターネット上で話しが進んでいくため、リバタリアニズム全開なのかと疑ってしまいましたが、実際はそうではなく、自由を求めるというよりは、経済活動は民意に任せた方がより良い方向に進むであろうと言う結論を持っていると思える。

    彼は経済学マニアではなく、哲学を一通り取り入れて解説している。事に、ハイエクはドイツ人であるので、カントから続くヘーゲルの理論を用いて論述している。

    また、共産主義からの脱却が出来たのは、レーガノミクスやサッチャー時代からであり、ほんの30年程度の出来事であって、資本帝国主義社会の異常発達がなされたと思ってもいいかもしれない。

    彼の文章には時折断定的な物言いが見られるが、それは間違いであると言ってもいいかもしれない。その失敗・成功というのは今の段階からの歴史的視点であって、500年後からみたら間違いかもしれない。

    そして、知識人からしたら正解かもしれないが、非知識人からしたらどうでもいいことかもしれない。

    最後に、ジョブズと会ったことも無いのに否定するのは頂けないなと思いながら、現在の光の道の話しに繋がる、無線帯域の適正分配の件、インターネット万能論が展開されるが、ここを読むと2年前から何も変わっていないことが垣間見える。

    最後の最後にこう書いてあるのが、面白かった。

    「ここでもインターネットという魔物は地上に呼び出され、またたく間に世界を支配してしまったので、好むと好まざるとにかかわらず、後戻りは不可能である。」

    ハイエクの自由秩序という考え方が恣意的にインターネットに取り込まれたことではないだろうが、インターネット=魔物という構図が、それだけ不確かだが、驚異的な成長力を人々は恐怖しているのかもしれない。

    過去からSFで語られている通り、いずれ知の集合体であるインターネットは自我を持ち始め、我々に変わる新しい生命体になるかもしれない。つまり、我々が取ってきた自由秩序とは新しい生命を生み出すための行為なのかもしれない。

    2度目の積読であったが、この書籍は時間を開けて数回読まないと真意を測ることは出来ない、少なくとも私はそう思った。

  • ハイエクの入門書というよりは、ハイエクを通して著者の主張するところを述べるという色が強いように思います。著者のブログを合わせて読んでいると理解が深まるかと思います。そういう意味で、きちんとハイエクを知りたければ、実際の著作に当るべきかもしれません。ただ、ハイエク自身の著作を読んでみたいなと思わせる内容にはなっています。

    最後には、一貫して計画経済やケインズ主義の大きな政府に反対したその経済哲学および思想哲学を、インターネットの自立分散の分権システムを支える思想として紹介しています。帯に書いてあるように「インターネットを予見した」というのは言い過ぎでは、とも思いますが、数多の経済思想や原理の中で、現時点ではハイエクの主張する自由主義が生き残っているとみなされている中で、重要性が増している思想家なんだなと改めて思わされました。

  • 非常にまとまりがない。

  • フリードリヒ・ハイエクは1899年生まれの経済学者で、1974年にノーベル経済学賞を受賞している(1992年に死去)。その主張のユニークさから、主流の経済学者からは無視され、知識人からは嘲笑されたという。

    といって、彼の主張は別に奇異でもなんでもない。

    その根幹は、いわゆる「新古典派」経済学に見られる理念的で純化された前提からではなく、「人間は不完全な知識のもとで、必ずしも合理的とは言えない慣習に従った行動をする」という、フツーに考えれば当たり前の事実から出発していることにある。

    つまり、計画され、規制された社会(たとえば社会主義)はうまく機能しない。野放図では話にならないが、人々の自由を尊重する分散自律型の社会生成を妨げないことがベターな(ベストではないが)解であろうと説く。

    著者は、ハイエクの出自やケインズとの対立、主張の骨格や変遷などをひもときながら、インターネット(分散自律)時代である現代、さらに未来へと進むためには、今こそハイエクに学ぶべきだという。

    そして、日本の官僚機構のムダ、知的財産権の欺瞞、電波やインターネットを行政や大企業が主導しようとすることの見当外れ、派遣など労働者施策の間違いなどを指摘する(これらはいずれも、既得の権益構造が社会を恣意的に規定しようとするものだ)。氏がいつもブログで主張している中味だ。

    こうして見るとこの本、近代経済学の概観、ハイエクを通した現代~未来の捉え方について勉強になるばかりではなく、池田氏の入門書としても好適、ということになるだろう。

  • 引用
    「合理的」な推論にもとづいて経験的事実から「帰納」されたようにみえる因果関係は、実際には「習慣にもとづいた蓋然性」の認識にすぎない。
    気をつけないとそう考えてしまいそうだし、やっている人を最近見たな。

  • ハイエクの紹介というより、現代の経済学の各学派の立ち位置を概観する本として有用。

  • サイエンス
    ビジネス

  • 要約
    第一章 帝国末期のウィーン
     1917年オーストリア帝国解体
     当時のウィーンが輩出した人
      物理学者シュレディンガー
      経済学者シュンペーター

    第四章 自律分散の思想
     知識の分業『経済学と知識』(1937)
      アダム・スミス:労働の分業=division of labour
      ハイエク:知識の分業=division of knowledge
      誰も指揮していないのに、あたかも社会全体が一つの工場のように仕組みを(労働の)分業と呼ぶ
     神経細胞の秩序『感覚秩序』(1952)
      「知覚」の問題の鍵となるのは「分類」の性質の解明である。

    第五章 合理主義への反逆
     消極的な自由
      日本の著作権法
       原則制限、例外的に許可をする
       例外を具体的としてすべて挙げる
       新しい技術(新しい例外)の登場のたびに法律改正が必要
      英米の著作権法
       例外はフェアユースという抽象表現
       具体的には判例で保護

    第八章 自由な社会のルール
     超大陸法型の日本法
      日本の法律はスパゲティコード
      法律改正は、レガシーシステムの人海戦術による改修
       法律間の重複・矛盾をきらう
       一つのことを多くの法律で補完的に規定

     部族社会の感情
      公平を好む感情(利他的)は狩猟生活の名残り
      資本主義の中核は私有財産権(利己的)
      情報を共有するインターネット(利他的)

    第九章 二十一世紀のハイエク
     ノイマン型コンピュータ・機械論的・古典力学的 vs. 自己組織化・ニューラルネット

     自主的秩序としてのインターネット
      集権的コントロール vs. 自主的秩序

     知的財産権という欺瞞
      著作権(集権的)は表現の自由を侵害
      知的財産権(集権的)は、本来の財産権ではない

     企業家精神と自由
      社会主義(計画経済)=資源配分機能が働く
      資本主義=情報機能>資源配分機能

     イノベーションに法則はない
      政府が行うべきこと
       ボトルネックを解消し参入を自由にすること
       日本の著作権保護はイノベーションを阻害
       電波の既存放送局からの開放
       ファイナンスの多様化
       労働市場の規制撤廃・人的資源の流動化

     ハイエク問題
      試行錯誤によって解くメタ進化論

    おわりに
     慣習法(自主的秩序)のイギリス
     →産業革命で他の西欧諸国に先行
     儒教の弱い日本
     →アジアでの近代化で中国・韓国に先行

  • 帝国末期のウィーン
    ハイエク対ケインズ
    社会主義との闘い
    自律分散の思想
    合理主義への反逆
    自由主義の経済政策
    自生的秩序の進化
    自由な社会のルール
    二一世紀のハイエク

    著者:池田信夫、1953京都府、経済学者、 東京大学経済学部→慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科、SBI大学院大学客員教授"

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著者プロフィール

1953年生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本放送協会(NHK)に入局。報道番組「クローズアップ現代」などを手掛ける。NHK退職後、博士(学術)取得。経済産業研究所上席研究員などをへて現在、アゴラ研究所代表取締役所長。著書に『イノベーションとは何か』(東洋経済新報社)、『「空気」の構造』(白水社)、『「日本史」の終わり』(與那覇潤氏との共著、PHP研究所)、『戦後リベラルの終焉』(PHP研究所)他。

「2022年 『長い江戸時代のおわり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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