- Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569702889
作品紹介・あらすじ
平安朝をうつす日記『小右記』を綴った藤原実資。かの藤原道長のライバルと言われた実資には、"千歳まで生きてほしい"との願いをこめて、千古と名づけた娘がいた。王朝貴族として幾多の縁談に翻弄される姫君、藤原千古の運命とは…。
感想・レビュー・書評
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平安時代にかぐや姫と呼ばれた貴族の娘がいたという。
こまかい記録の残っているお姫様のことを書いた珍しい本。
父の藤原実資は、小野宮右大臣という号があり、紫式部と交流もあった人物。
「小右記」という詳細な日記をつけていた。
一部欠けているそうなのが惜しいが、遅くできた末娘・千古を溺愛したという。 -
藤原道長のライバルであった藤原実資の娘、千古(ちふる)。家柄もよく、申し分ない結婚をしてしかるべき姫であったが、そう簡単にことは運ばなかった。実資の日記『小右記』から平安時代の姫君たちの真の姿に迫る。現代の話なら、スキャンダラスで生臭くなりそうなところ、王朝の話となると何だか学術的な感じになってしまうのはちょっと不思議。まあ、あまりわかりやすくちゃおもしろみがないよ、というところだろうか?
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☆気になったこと
・「裳着」が延期されるのは、どういった理由があったのか。
年齢的に、妊娠出産はまだ無理だろうと思うのですが。どうなのでしょうか。
・「栄花物語」は必ずしも史実を忠実に反映していないです。
婉子女王が花山帝の女御となったのは一番最後だったと記憶しております。
・「女房仕え」
私の考えでは未亡人になったなら、女房になって人中にでたほうが、人生にハリがあるんじゃないかと思います。新しい恋もあるかもしれないですし。
道長という人は、政敵の「女」を引き取って面倒見る(←)ことによって恨みを買うことを防ぐ、そういう考えでいたフシがあるので。
未婚の方を女房仕えに出すかについては話は別です。親御さんが悩む気持ちはわかります。
☆☆☆普通の感想
現在「小右記」現代語訳は途中までしか出ていないので、興味深く読ませていただきました。
1、実資と言う人は本当に有能な人だと思います。ですが、こと「女」とか「自分の娘」ということになると、なんとなくうまくいかなくなるのは不思議なものです。
例えば財産を全部「千古」にあたえず、多少は養子の皆さん(それぞれ自分の資産をお持ちであったかもしれないですが)にも配っておいて、自分が亡くなったあとも娘をよろしく、って頼んだ方がいいような気がします。
2、「千古」母さんは、婉子女王の女房で源頼定の乳母子ということなので、本当はおそらく相応の御家柄の出身だったのだと私は思っています。実資が正式な妻にしようと思えばできたんではないかと私は考えています。
なぜしなかったのかはわかりませんが。
しかし、これも「千古」姫の人生に微妙に影響を与えているというのは、私も作者の方と同意見です。
1、2、は優秀な人が陥りがちな「周囲を信じられないことからくる失敗」ということで、現代人である我々も自戒していくべき点かなと思います。
3、為光の娘さん達は、皆さん美人であったそうですが、それゆえに不幸になっているっぽいのがもののあわれを誘います。ご当人たちはどう思われていたかはわかりませんが。
4、藤原経任という方、勉強不足でこの本で初めて知りました。WIKIで見ると結構出世してらっしゃる、藤原長家(正二位・権大納言)と同じくらい出世しておられます。こちらに縁づけた方がよかったのではないかというのは後知恵ですかね(笑)。 -
『小右記』でしられる実資の末娘はかぐや姫と呼ばれていたそう。当時の貴族の娘の結婚事情がよくわかり興味深かった。
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治安三年(1023)の六月、世に「かぐや姫」と呼ばれる姫君が13歳のころ、初めての縁談が持ち上がるが・・・
ここに語られているのはおとぎ話の『かぐや姫』ではなく、王朝時代にそう呼ばれていた『藤原千古』という姫君。王朝時代研究の第一級の資料として利用されている「小右記」を綴った『藤原実資』の娘である。
小難しい話は置いておいて、昔も今も、年老いてできた子を溺愛することや、女性が行き遅れると大変だと言うのは変わらないらしい。特にこの時代、高貴な生まれであっても、後ろ盾がなくては女房勤めに身を落とすようになったりと、気の毒な立場になったりする。
かぐや姫の婚活も中々上手くいかなかったらしい。せっかくの良縁には逃げられるは、横やりは入るは・・・で、行き遅れに差し掛かるころにそこそこの相手と結婚はしたものの、二七、八の若さで亡くなってしまったらしい。なんだか悲哀を感じさせられた。 -
かぐや姫は架空の人物ではなかった!!『小右記』で有名な藤原実資の娘は王朝時代、"かぐや姫"と呼ばれていたそうだ。その中で愛娘の縁談について綴られている。平安時代の女性の成長が分かる貴重な資料であるとともに、いつの時代も変わらない、娘の幸せを求めてやまない父親の記録でもあるのだ。