- Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569761305
作品紹介・あらすじ
俺、冷蔵庫。子どものいない家庭で使われている。俺の主人(!?)の夫婦が、天才少年ヴァイオリニストを預かることになるんだが……。
感想・レビュー・書評
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帯の「まさか、冷蔵庫の話で泣くなんて」という文言に惹かれて購入。冷蔵庫視点のおはなしで、伊作家の人たちがみーんなどんどんどんどん壊れていく…。最後の方の、伊作さんが書く掌編小説の数々。やりたいことは分かるんだけど、なんかやり過ぎて間延びしている印象。掌編小説部分、読むのが辛かった…。でもそこを飛ばすと、殆ど本編がなくなってしまうので頑張って読んだかんじ。
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物に情がわく事が多い。くたびれた家電品にスイッチを入れる時はお願いしますよーと撫でるし、家族を待つ夜にはシューシュー湯気吐く加湿器が話し相手だったり…
このお話は逆に冷蔵庫が人に対して感情を持っている。
才能という言葉に翻弄され、老朽でもなく外的要因でもないのにどんどん壊れていく夫婦と甥っ子。
それをキッチンで冷え冷え冷や冷やで見ている冷蔵庫。
動けず語れずの彼が取った行動とは…
しかし、なんと、人は弱く浅はかな生きものなのか。
しっかりと任務を全うする物と果たしてどちらが幸せなのだろう。
それでも…人はこと切れさえしなければ必ず再生、新生できる。
そう信じたい。
私のように車に名前つけて呼んでるような人はラストに涙ポロリです^^; -
この著者は、精神を病んだ方を扱った作品が多いのでしょうか?冒頭の方で、「どこかで読んだ!?」と思ったら、「かわいい」に執着しすぎる女子の本を読んでました!同じ著者の本って、意外と分かるものなのですね。
この本は、才能を取り巻く物語。芸術分野に限らず、誰もが、一度は、そして特に仕事面ではだと思いますが、才能や知能の限界を感じて、そして苦しむ事ってあると思います。
売れっ子ではないが、一応、生活はできるレベルの作家の夫。イラストレーターとして独り立ちしたいが、ほぼ開店休業の妻。そして、ひと夏のゲストととしてやってきた絶対音感の甥。夫は自分に才能があるか悩み(彼が3人の中で元も一般的?)、妻は自分に才能がないのを悩み、甥はその絶対音感ゆえに演奏家としては不十分なことを悟り、方向性に悩みながら同居を始める。
まず、異常をきたしたのは妻。その様子を、自分ではなにもできずもどかしく冷蔵庫が見守る話。
冷蔵庫自体が、日本では規格外のサイズゆえにゆがんで置かれているところが、色々と暗示していて切ない。
でも、妻のえっちゃんが追い詰められていく様子とか、前の「かわいい地獄」?だったけかな?と重なって、ちょっと怖くて気持ち悪い。私、この小川洋子的な分野はちょっと苦手だな。 -
マンションの一室で、ほぼ全ての物語が進行して行く。なので凄く舞台の芝居っぽい。終盤における登場人物達の壊れ方が怖い。ジワジワ静かに進行していて。であるが故に、穏やかなエンディングがじわっと沁みる。
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主人公が冷蔵庫という、吾輩は猫であるのような視点。
冷蔵庫から見たとある夫婦が壊れてゆく様が描かれている。
壊れてゆくというか、壊れたものを取り繕っていたが、いよいよ間に合わず溢れ出すといった感じだろうか。
しかし、そこはヒキタクニオ氏。
オチはとても、爽やか。
微かな希望の光が見える。 -
冷蔵庫の一人称小説としてではなく、ひとつの家庭崩壊の小説として読むと、冷蔵庫の故障はただの偶然でしかない。それを偶然とはしたくないという、もしかしたら意味はあるのかもしれないという、そういうことを書きたいのかなと読めました。
神様はどこにもいない。けれど神様みたいな偶然はなくもないのかもしれない。あると思いたい。思いたいじゃないですか。フィクションとはそういうものじゃないですか。 -
冷蔵庫が一人称で語るという発想はおもしろいにゃん、登場人物の誰の感情も真意がわからないと言う意味では、イライラしたにゃん。実質普通にはわからない(理解できない)世界を描いているという意味では、的を得ているともいえるにゃん
途中でネタバレにゃんが、冷蔵庫が何かやってくれるのは、期待通りでよかったにゃん。ただ語る冷蔵庫じゃつまらんにゃん
凡猫には、理解できにゃんが、ある種の天才というのは、自分の才能の限界を知ると、子供であっても死ぬ気になるほど、思いつめるものにゃん?
イジメや親の期待をストレスに感じてなら理解できるにゃんが、最初から才能の欠片ももっていなかったにやんには、才能が無くなったことを悲観することもなかったにゃんで、よくわからなかったにゃん。ただ、にやんには才能が無くてよかったにゃんと思ったにゃん。 -
冷蔵庫の視点から、ある家族と才能について考察する物語。冷蔵庫が意識を持つにいたった経緯が書かれていますが、そんなことはどうでもよくなってしまうほど、家族それぞれ(作家の伊作さんと妻の悦ちゃん、そして伊作さんの甥である光君)の様子に引き込まれていきます。読み終わって感じたのは、冷蔵庫は小説における読者だということ。冷蔵庫はお話の一部ですが、お話に出てくる人たちに干渉することはできません。もどかしい思いを抱える読者の視点で伊作さんの書く掌編小説を読み、この読者(=冷蔵庫)はこれをどう思うのだろう、と想像し、そして同じようにハラハラしながら、結末を迎えるしかありません。読者はお話の外に置かれていながら、お話の中で読者と同じ立ち位置を占める冷蔵庫に共感しつつ、お話を最後まで読むことになるのです。小説というものの本質を見たような気がしました。
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まさか冷蔵庫の話で泣くなんて( p_q)
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吾輩は冷蔵庫である。というお話。
確かに我が家の冷蔵庫も、居住空間を見渡す位置にいるわ。家族の話題を書くのには、いい対象。構図の上手さとストーリー展開に、引き込まれました。