日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 (PHP文庫)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569761459

作品紹介・あらすじ

『日本史の謎は「地形」で解ける』第2弾。前作同様、ミステリーの謎解きの快感と、固定概念がひっくり返る知的興奮が味わえる一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  日本史の謎は「地形」で解けるシリーズの4冊目を読みました。これでこのシリーズは全部読んだことになります。さすが4冊目になると他と重複している図が出てきます。
    たぶん書いていて同じ話がまた出てきてしまうのだと思います。
     そう言えば、「逆説の日本史」の井沢元彦氏の本も何度も同じ話が出てきますが、自説が確固たる信念に基づいているからこそなのだろうと思います。
     なぜ日本は欧米列強の植民地にならなかったのか?となぜ江戸は世界最大に都市になれたのか?は面白かったです。

    • hei5さん
      「いいね!」ありがとうございました。
      この本、面白そうで、primeUnlimitedになってたので、ダウンロードしました。
      これから読みま...
      「いいね!」ありがとうございました。
      この本、面白そうで、primeUnlimitedになってたので、ダウンロードしました。
      これから読みます。
      どうもありがとうございます。
      2024/01/07
  • 歴史の色々な謎に対して、地形を切り口になぜそのようになったかを解明していく。

    雑学、うんちくを得るのにも盛りだくさんの本。
    ただし、この本は雑学、うんちくを盛り込んだだけの本ではない。
    作者の視点の鋭さ、豊富な知識の組み合わせによる立体的な考察に面白さがある。

    解明する謎は、通常皆が当たり前と思っていることで、でも、実は不思議なことだよね?と思うことを扱っている。

    たとえば「横浜はなぜ近代国家の表玄関になれたか」など、横浜=大きいが当然の感覚になっているが、そもそも開港前の横浜村は100人の住民の弱小村で、開港ともに人口が増え大きな都市になった。これはどのようになったか?というようなテーマ設定だ。

    テーマ設定だけでもトリビア的知識が次々にでてきて、「へぇ」を何度もつぶやくことに。

    そのテーマに関して地形を切り口に解明をするのだが、色々な専門家の知人の発言などから、筆者がひらめきを得るところが名探偵のようで、わくわくする。

    筆者の竹村さんが好奇心を持ち、楽しみながら謎を解いていることが伝わってきて、仲の良い友達の楽しい話を聞いているような感覚で、引き込まれる。

  • 2014.5

  • 久々に目から鱗続出の記念すべき本に出会いました。今年の立春に出会った本で幸先良いと嬉しいですね。

    この本は日本史の謎といわれている部分に、日本の当時の地形(当時のというのがミソ!)がどうであったかかを踏まえたうえで、竹村氏の考えを解説しています。

    薩英戦争でなぜ英軍が陸戦で苦労をきわめたのか、また鎖国を開かせて植民地化を狙っていた欧州列強がなぜあきらめたか等、興味を持ちました。

    水道の発達が当初は平均寿命を短くしていた事実、それを高めることができたのは塩素消毒を用いたこと、初めて知りました。

    また長篠の戦で有名な鉄砲三段撃ちを、毛利水軍との戦いで使って効果がなかった事実は、驚きでした。やはりあの戦法は、馬防策があったから有効だったのですね。

    さらには、江戸時代前には、当時の日本の中心の関西から中部にかけては禿山が広がっていたこと、江戸初期の長期にわたる治水工事のおかげで関東平野が使える土地になったこと等、興味ある事実が満載でした。

    番外編の、ピラミッドの謎(有名な三大ピラミッドとその他の100個のピラミッドが造られた目的の違い)も良かったですね。この本の著者の竹村さんには、続編を更に出版してほしいです。

    以下は気になったポイントです。

    ・社会の下部構造とは、単なる土木建造物ではなく、安全・食糧・エネルギー・交流という4個の機能で構成される、その上部構造に文化があり、上部・下部構造をあわせて文明がある(p6)

    ・1854.3に日米和親条約を交わしてから、安政伊賀・安政東海・安政江戸の3大地震がおき、欧米人を恐怖のどん底に落とした(p32)

    ・下関戦争において、長州軍の本隊は、蛤御門の変で京都に釘付け、非正規軍の奇兵隊を中心に、4カ国連合軍と戦った(p35)

    ・日本列島の70%の山と、10%の湿地帯が、欧米列国が得意な騎馬軍団の登場を許さなかった(p39)

    ・蒸気機関車は、旧大名たちの邸を迂回して、海を走るしかなかった(p50)

    ・日本で平野といえば、縄文時代には海だった場所、それが沖積平野となった(p52)

    ・大名の領地はうまく河川流域で分けられていたので、領地を開発しても隣国と衝突することはなかった、これが安定した地方権力となった(p54)

    ・蒸気機関車を見た人は驚いた、東京と横浜をたった1時間で結んだ、それまで地域を分ける多摩川、鶴見川を1分もかからずに越えた、河川の境界としての機能を消し去った(p57)

    ・大正10(水道の塩素殺菌)年に年間33万人に増加した乳児の死亡数は、一転して減少して今に至る・それと平均寿命の延びは一致、水道は明治20年から開始(p65、67)

    ・水道の塩素殺菌には液体塩素が必要だが、その技術は日本陸軍からの要請で大正7年に開発、シベリア出兵が終わったのでその製造プラントは無駄になった、それを細菌学の権威である後藤新平がその技術を転用できた(p71、77)

    ・鷹狩りは自軍の威容を見せつける目的も兼ねていたが、他陣営も文句を言えず、また面子も保てた、1590年以降の家康の鷹狩りは、地形調査も兼ねている(p82)

    ・銚子沖で激しく流れる黒潮を横断するのはきわめて危険、房総半島で船を下りて陸路で東北に向かう、家康は関宿という関東の弱点を発見してそれの対応をした、さらに利根川の東遷が日本一の関東平野を誕生させた(p89、90、93)

    ・世界に不思議がられている日本人の単身赴任は、近代化の中で誕生したものではなく、400年もの年季の入った日本人の生活習慣(p100)

    ・江戸の大名は純粋な消費者であったので、経費を捻出するために、自藩の農産物・海産物をもってきて貨幣に変えた、東京で消費生活をする学生とその親は現代版の参勤交代(p102,106)

    ・徳川幕府の天領だった主な流域として、雄物川・利根川・天竜川・木曽川・紀ノ川・吉野川・筑後川流域がある(p123)

    ・日本文明はエネルギー観点から絶体絶命であったが、これを救ったのが黒船文明であった(p128)

    ・日本史が大きく転換するときは、いつも森林消滅という事態がある、8世紀末の奈良盆地の森林消滅による京都への遷都、17世紀の西日本一帯の森林消失による江戸幕府(p138)

    ・新たに指定された、開港した場所(函館・横浜・神戸・長崎)に共通しているのは、大きな川がない、なので港が土砂で埋まらない(p146)

    ・開国当事、横浜が100軒程度の寒村であった理由は、水がなかったから、川崎村のニケ領用水から水をもらっていた(p152)

    ・石狩川のショートカットにより、川底の泥炭層が削られて石狩川の水位が下がる、取り残された三日月湖は石狩川より高い位置に残される(p172)

    ・総大将が死ねば、次の総大将を決める一族内部の跡目相続に備える必要がある、他国との戦いよりも跡目相続のほうがはるかに切実で緊急を要する戦いである(p207)

    ・長篠の戦で差が出たのは、兵卒でなく、幹部重臣の戦死者数、織田軍ゼロに対して武田軍は20名以上(p210)

    ・毛利水軍に対して、信長水軍は長篠の戦で成功した鉄砲三段撃ちで臨んだが、毛利水軍に通用しなかった、逆に焙烙という焼夷弾で焼かれた(p216)

    ・成熟社会を達成した日本において、変革者になれるのは、保守的な強者の大企業ではなく、弱者のベンチャーである。新しい工夫をして未知の世界に挑戦できる(p219)

    ・中国人や韓国人と異なる日本人の性向は、何でも「縮める」こと(p226)

    ・多くの帝国は、荷物を馬車や牛車に乗せて大陸を疾走していたが、日本人だけが荷物を自分で背負い歩き続けた(p232)

    ・細工していないものは「不細工」、詰め込まないものは「詰まらない奴」と侮蔑した(p235)

    ・日本将棋は道具の改良が、日本将棋のルールの進化に繋がった(p250)

    ・熱帯では、昼は死んだように静まり返り、夜になると生気が溢れてくる、太陽は苦しみと死の象徴で、月と星は安らぎと生気の象徴である(p267)

    ・一神教の神の条件は、「いつまでも変化しない「永遠」」、「限りのない広さの「無限」」、「けして過ちを犯さない「絶対」の神」(p278)

    ・移動する民族は、放棄する・捨てる民族、必要最小限のものを持って移動する(p292)

    ・ナイル川沿いにある100基のピラミッド群はすべて、ナイル川西岸にある。これにより、ピラミッド群周辺に砂が体積して、連続した盛土の堤防となった(p330)

    ・葦に囲まれた巨大なデルタでの方向を見失わないための灯台が、巨大なキザのピラミッド建設の意味、それが3つあるのは、どの時間においてもどこかの面が太陽の光を受けるため、ピカピカの大理石を敷き詰めたのもそのため(p344)

    2014年2月8日作成

  • 歴史を地形から読み解くアプローチ。
    平城京→平安京→江戸と都が遷移した理由、産業革命以前の経済1、2位の超大国中国・インドが欧米に屈する中植民地にならなかった日本、見渡す限り砂漠しかない地で一神教が生まれ、絶えず自然が移ろう多神教の日本など。
    高校の歴史では事象と人物しか学ばず、なんとなくモヤっとしていた事がスッキリしました。
    著者の私見であって学術的な根拠はありませんが、新たな視点を示すそんな1冊です。

  • 日本の歴史を学校では教えてくれない視点で解説してくれているのが面白い。

  • めちゃ面白かった。こういうの好き。

    当たり前だと思っていた日本での日常は、当然だけど昔の人たちの苦労や犠牲のうえに成り立っていて、世界一のインフラを作った経緯も奇跡的だし、この人がいなかったら今頃は...と思わずにはいられません。
    それにしても徳川家康ってすごく洞察力があって、戦略を立てるのがうまかったんだなと感心しきりでした。家康の鷹狩は「地形調査」って、カッコ良すぎる。
    他のシリーズも読みたいです。

  • 前著もそうだけど、なかなか面白い発想・着眼ではあると思う。ただ根拠としてちょっと弱いところもままあるのが残念。

  • 地形というか、地理という科目の存在意義を理解出来る。地理と歴史が同じ「社会」という科目に入っているのには理由がある

  • 地形から歴史を読むアプローチが新しくて面白い。歴史とその時代の文化に精通してこそ生まれる発想に感心。時間軸を長く持ち海面変化を考慮した考察には当たり前を疑う姿勢の大事さに気付かされた。
    ピラミッドは堤防を築くためだった話は面白かった。

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著者プロフィール

日本水フォーラム代表理事。博士(工学)。
1945年生まれ、神奈川県出身。昭和45年東北大学工学部土木工学科修士修了。同年建設省入省、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。2001退職。一貫して河川、水資源、環境問題に従事。人事院研修所客員教授。
著書に『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫3部作)、『土地の文明』『幸運な文明』(以上、PHP研究所)、『日本文明の謎を解く』(清流出版)、『水力発電が日本を救う』(東洋経済新報社)など多数がある。

「2021年 『“地形と気象”で解く! 日本の都市 誕生の謎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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