霖雨(りんう) (PHP文芸文庫)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569762562

作品紹介・あらすじ

辛いことがあっても諦めてはいけない――豊後日田の儒学者・広瀬淡窓と弟・久兵衛が、困難に立ち向かっていくさまが胸に迫る長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史小説作家の中で特に好きな作家。そして知人の紹介もあり、手に取ってみた。

    この作品は、肥後日田で私塾・咸宜園を立ち上げた広瀬淡窓(たんそう)と、家業を継いだ弟・久兵衛が、江戸幕府西国塩谷郡代からの難題かつ理不尽な要求・要望を自分たちの進むべき道として受け入れ、邁進していく彼らの人生に広島から来た二人の塾生が絡み話は進んでいく。

    時の西国塩谷郡代は、淡窓を家臣にすることで、咸宜園の興隆を自分の手柄とするため、何かにつけて、干渉した。また、久兵衛には呉崎での開拓工事を強引進めさせる。

    この干拓工事の際、辞退を進める淡窓に対し、久兵衛が放った言葉が頭に残る。
    「私が断ったからといって、郡代様は干拓をお諦めになるような方ではございません。他の者が押しつけられるだけでございます。難儀する人が出るくらいなら、わたしが引き受けた方がよいかと存じます。」
    皆が辞退する命令を、皆のために行動する強さに人間らしさが感じられず、自分の人生を客観視しているように思え、返って寂しく、久兵衛の孤独感が感じられてならなかった。

    本作での二人は、久兵衛の言動が陰で、淡窓の言動は陽のように感じる。ただ、陽と言っても、明らかな陽ではなく、静かな陽である。

    例えば、淡窓の陽と感じたのは、国本と六弊を呈したことである。
    また、咸宜園の淡窓元に、入塾した臼井桂一郎と元兄嫁・千世だったが、臼井は、のちに咸宜園を去り、大塩中斉の塾・洗心洞に入る。そこで、自分の意思を示せない臼井は大塩の乱に加わることになり、幕府から追われる身となるが、淡窓の元に逃げてくる。そんな臼井を淡窓は「炎では飢えに苦しむひとびとを救うことはできぬ。却って劫火に苛まれるだけだ。求められるべきは炎を鎮め、田畑を潤し、実りをもたらす慈雨ではないか」という信念で助けようとする。
    自分が慈雨になることで、府内藩の仕法を行うこれらの言動においても、久兵衛とは異なる穏やかながら陽の姿勢が感じられる。

    そして、陰と陽に感じる彼らの言動は、まさに父の言葉「止んだ雨はまた降り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。 この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」 に通じている。

    幕末の乱れた時代に生き、自分たちに降り続く雨を将来の恵みの雨として生きる彼らの姿にこの時代の厳しさが伝わってくる。

    私塾として私が知っているのは、吉田松蔭の松下村塾、緒方洪庵の適塾、大塩平八路の洗心洞塾くらい。私の記憶している私塾には恥ずかしながら咸宜園はなかったが、この時代の人々の意欲的かつ成長したいと願う若者たちの生き様を伺え、歴史も勉強できるお勧めの作品である。

  • 雨になぞらえて困難を書いておりましたが、なんか無理矢理困難さをアピールしていた感じでそんなに困難に見舞われてないように思いました。
    何故に塾が流行ったのかを中心にしてくれれば本望だったなぁと勝手に感じました。

  • 面白かった!
    どこまでが史実でどこからがフィクションなのかわからない物語(笑)

    天領の肥後日田で、私塾咸宜園を主宰する広瀬淡窓と家業を継いだ弟・久兵衛の物語です。
    二人に対して、塩谷郡代からの執拗な嫌がらせが続きます。
    さらに、大塩平八郎の乱が絡む中、権力の横暴に耐え、清廉とした生き方を貫く兄弟の物語です。

    あとがきにはその子孫の大田県知事の広瀬氏と葉室さんの対談が掲載されています。
    ググってみると、咸宜園で教えていたことは、小説で描かれている内容がそのままだったりします。
    さらに塩谷郡代も実在の人物。

    そんな設定の中、ここがフィクションと思われますが、臼井佳一郎とその義姉・千世の咸宜園入門により、いろいろ波乱が起きていきます。そして、佳一郎が大坂で大塩平八郎の洗心洞に入門し、大塩平八郎の乱に関わってしまう展開に...

    最後がちょっと肩すかし?でスッキリしないところが残念。

    理不尽なことばかりが降りかかる二人ですが、あきらめることなく、凛として生きることの大切さを伝える物語でした。

    お勧め!

  • じわじわと 素晴らしさが感じられる
    葉室さん 最高 素晴らしい

  • 時代小説は自分では手に取らないジャンル、人から貸してもらったので読んでみた

    豊後日田(現在の大分県?)で、
    私塾咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓と、家業を継いだ弟の久兵衛が
    様々な困難を乗り越えていく様を淡々と描く
    タイトルや各章に「雨」が含まれていて、その雨の表現が秀逸

    響いた本文中の文言
    *********
    「生きるのに値打ちがあるのだ、と教えてくれるのが学問ではありますまいか。
    おのれが生きることが無駄ではないと知れば、おのずから楽しめるというものです」

    鋭きも鈍きもともに捨てがたし、錐と槌とに使いわけなば
    頭の鋭い秀才も、一見鈍く見える努力型も、ひとは皆、使い道しだいであり、
    それぞれの持ち味を尊重すべき

    ひとは生まれながらにして徳を備えているわけではない、と淡窓は考えた
    様々に欠けたところがあるのを埋めるように、目指すものに向かって
    努力を怠りなく続けることができて、初めて人は進化を発揮できる
    その努力を粘り強く見守ることが、ひとを教えるというだ

    「止んだ雨はまた降り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。
    この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、
    ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」
    *********

    やまない雨はない
    代官の横暴、飢饉の時代、大塩平八郎の乱
    ただじっと耐えるだけでなく、学び、教え、行動を続けた広瀬兄弟は
    自らの足で雨が降らない土地へと進むことが出来る人だと思った

    広瀬兄弟が陽の立ち位置なら、臼井桂一郎と元兄嫁・千世は陰の立ち位置だろう
    物事の責任転嫁----桂一郎
    依存--千世
    読んでいる最中は少し嫌悪感も感じてしまいましたが
    読後、考えてみると生きずらい時代においては大方の人がこの二人のような
    かたちで生活していたような気もしてきました
     他人様の短所は、自分の短所
    短所はあるものだと認識しつつ、長所をのばして
    雨が止むのをボケ~と待つのではなく、晴れてる場所に一歩でも進める
    知識と行動力を日々研鑽していきたいと思う

  • 豊後日田で、咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓と、家業を継いだ弟の久兵衛。
    淡窓と久兵衛へ、お上の執拗な嫌がらせが続きます。
    大塩平八郎の乱など、時代の大きな流れの中で、権力の横暴に耐え、それでも自らの生き方を貫こうとする広瀬兄弟。
    理不尽なことが身に降りかかろうとも、けっして諦めることなく、凛として生きることの大切さを訴えた歴史長編です。

    鋭きも鈍きもともに捨てがたし 錐と槌とに使いわけなば
    頭の鋭い秀才も、一見鈍く見える努力型の者も、ひとは皆、使い道しだいであり、それぞれの持ち味を尊重すべきだというのが淡窓の考えだった。 ー 69ページ

    「ひとが生きていくとは、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはないぞ。止まぬ雨はない。いつの日か雨は止んで、晴れた空が見えるものだ」 ー 109ページ

  • 強くて優しいお話でした

  • 私塾 咸宜園を開いた広瀬兄弟の歴史小説。葉室麟は「乾山晩秋」に次いで2冊目。

    「ひととして大切に思うものを大事にするという当たり前のことこそが、国の根本」の一文が残った。
    何かを成し遂げたいとき、焦らずに真心をもって、当たり前のことをしっかりやっていくことが大切なんだと諭された。

    葉室麟は、綴る言葉が美しく洗練されているから好き。
    「久闊を叙する」なんて知らなかったし、天候の描写が日本的で素晴らしかった。

  • 道うことを休めよ他郷 苦辛多しと
    同袍友有り 自ずから相親しむ
    柴扉暁に出ずれば 霜雪の如し
    君は川流を汲め 我は薪を拾わん

    ぼんやり覚えていた漢詩と
    歴史上の一人物として
    なんとなく知っていた広瀬淡窓さんが
    ようやく姿かたちを
    私の中でとらえることができたような
    そんな一冊になりました

    歴史の教科書に
    ゴシック体で書かれた事柄や人が
    動き始める
    時代小説を読む
    楽しみの一つですね

  • モヤモヤしてた気持ちをすっきりさせる読書として、ストイックに自分を鍛える登場人物が出てくる小説を読むってのがある。ダラダラしてたりウジウジしてたりする自分に対してカツを入れる処方薬みたいなもんなんだけど。
    典型的なのはスペンサーシリーズ。ミステリー要素とかアクションも素晴らしいが、それらは全てカツ本(?)を引き立てる要素にすぎないというと言い過ぎか…

    葉室麟の小説も、読後自分がすっきりしてるのが分かる。スペンサーシリーズとはまた違ったすっきりの仕方。スペンサーシリーズのそれよりももっと日本人にマッチしたストイックさと言えばいいか。無理なく心地よさが沁みてくる感じ。

    本作もそういう葉室小説の要素はたっぷり詰まっていて、読めばすっきり心が洗われる。毎日のしんどさ苦労を頑張ってしのぎ、積み重ねることでじっくりじわじわと前に進む。雨の日を耐えて日々精進すれば、晴れの日が来る。そういう心意気を読んですっきりしないわけがない。

    ただ、重要な登場人物である佳一郎・千世ってのが戴けない。彼らがいるから物語に波乱万丈さが加わることは十分わかっていても、どうもすっきりしない二人なので、こいつらさえいなければもっと清涼感あるのになぁ…とか思ってしまうのである。

    ここまで言うたら、これはもう読者の勝手すぎるおせっかいになってしまうんだけども

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著者プロフィール

1951年、北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て、2005年、「乾山晩愁」で歴史文学賞を受賞しデビュー。07年『銀漢の賦』で松本清張賞を受賞し絶賛を浴びる。09年『いのちなりけり』と『秋月記』で、10年『花や散るらん』で、11年『恋しぐれ』で、それぞれ直木賞候補となり、12年『蜩ノ記』で直木賞を受賞。著書は他に『実朝の首』『橘花抄』『川あかり』『散り椿』『さわらびの譜』『風花帖』『峠しぐれ』『春雷』『蒼天見ゆ』『天翔ける』『青嵐の坂』など。2017年12月、惜しまれつつ逝去。

「2023年 『神剣 人斬り彦斎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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