- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569763224
作品紹介・あらすじ
『般若心経』は、あなたの生きる指針、人生の道しるべとなる! 「空」のテキストとして『般若心経』を解釈する大胆な試みの一冊。
感想・レビュー・書評
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全ては空(ku)かなりしっくりくる内容
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一般的に、難解だと思われている『般若心経』の「空」の概念が、これ程解り易く理解できる書籍は他にはないです。
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学習研究社の単行本をよんだ後の文庫本PHP
持ち歩いて三度読み返して見て
自分流の言葉を書き込んでみたら
益々読みやすくなった
まさに単純明快だ
直線的な物理学がこのモノと意識と無限性という
部分と全体の関係に到達するのはいつのことだろうか
二次元まではゼロの世界=無限
三次元は有限の世界=時間を含む
四次元の必要があるのかな〜
ましてや11次元だって言う話にはついていけない
有限と無限が向き合うモノと意識の調和の関係
相対性時空間だけで良いではないのかな〜 -
こりゃまたすごいわ、
きのう、きょうと、連続に読む。
これを友人の葬式のときに読み、
納棺のときに、入れました。
母のときには、お坊さんを呼ばずに、
ぼくが読みます。 -
般若心経には興味があり、今まで何人かの解説本を読んでました。解説者毎に「なるほど」と思い、この短いお経には、人生の道しるべなるものが刻まれていると理解しています。
昨日本屋さんの新刊コーナーを久しぶりに見ていたときに、今まで何冊かの本を読んできた、苫米地氏が般若心経の解説本を出していて思わず手に取ってしまいました。それも、「超訳」というフレーズに惹かれました。
なんと、彼は、般若心経の一部分を「添削」しているのです、昔から伝えられてきている有名な「お経」に対して、よくもそんなことが!、と思ったのですが、近くの喫茶店で読み進めているうちに惹きこまれて読み終わってしまいました。
彼のポイントは、般若心経で伝えたいのは「空」の概念である、空とは「有も無も両方を包み込む概念、つまり、有でも無でも同じである」(p40)ということです。それが、このお経(訳されたもの)は、「空」ではなく「無」と書かれているのでその部分を修正(その逆もあります)しています。
異論はあるとは思いますが、六根、六境をあわせた「十二処」、これに、六識を合わせて「十八界」、これがすべて「空」という解説は納得しました。今後、是非これに対する反論も聞いてみたいと思いました。
以下は気になったポイントです。
・般若心経を唱えたら人生が変わったとか、唱えただけで夢がかなったなどということは絶対にない、書かれている内容を理解せずに、ただ文言だけを音で唱えても、ご利益は無い(p5)
・日蓮宗、浄土真宗では、般若心経を唱えないが、開祖である、日蓮や親鸞も元は、天台宗のお坊さん。比叡山延暦寺には木像もある。さらに、法然、栄西、道元らの、鎌倉新仏教の開祖たちもみな、比叡山で修業した天台宗の僧である(p17)
・瞑想とは、自分自身から離れて、自分自身を外側から見つめなおす作業、自分を外側から見るには、自分と周囲との関係をよく見る必要がある(p18)
・般若心経の「心」とは、マントラ、つまり「呪文」である、もともとは「般若心」と呼ばれていた、つまり、般若のマントラであった(p24)
・マントラの出典について仮説としては、シュメール文明である、一般的にはメソポタミア文明である。最後の部分は、サンスクリット語ではよくわからないが、シュメール語では意味が通る。(p34)
・シュメール語では、「とありたい、とありたい、とありたくないとありたい、からこそとありたくない、それでとあるのだ」(p35)
・マントラは、その言葉自体に力があるのではなく、それを唱える人の心に力がある(p38)
・空とは、有も無も両方を包み込む概念、有でも無でも同じだよ、というのが「空」。高い視点で、その両方を見下ろすことができる概念(p40)
・円には必ず中心がある、といっても点には面積も体積もない、つまり、点はあるとも言えるし、無いとも言える。それこそが、まさしく「空」(p50)
・上座部仏教では、「空」という言葉は使わずに、「縁起」という概念を使う(p51)
・五蘊とは、色薀(物質的な存在)、受薀(五感で感じる感覚)、想薀(感受した情報を脳が想起するもの)、行薀(こうしようと思う心の働き)、識薀(認識作用)である(p55)
・般若心経の内容をしっかりと理解して、その中身をリアルにイメージできれば、アファメーションと同じ効果が生まれて、内容が現実化する(p58)
・アファメーションで最も大事なのは、明確なゴールを設定して、そのゴールが詳細にイメージできる内容になっていること(p59)
・中国語では、協調したい内容を、語順をひっくり返して繰り返すことが多々ある(p114)
・受想行識とは、全ての心の作用を指し、受:感覚、想:感情、行:意志、識:認識(p125)
・五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)に、心の作用を加えたものが、六根(眼耳鼻舌身意)、情報入力のインターフェース(p139)
・六境(六下処)は、六根という感覚器が感知する対象と捉えるべき、「色」は目で見える物質の色、形、「声」は耳に聞こえる声、音、「香」は、鼻で感じる香り(におい)、「味」は舌で感じる味、「触」は皮膚で感じられる触覚、最後の「法」は、心で感じるものを指す、これらもすべて「空」である(p145)
・六根+六境=十二処、これに、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の、「六識」をあわせて、「十八界」と呼ぶ(p148)
・煩悩はなくさなくてよい、だた一度止めてみる、そうすると自分や世界を自由に観ることができる、これが、止観瞑想である(p161)
・生老病死、の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五取薀苦、の4つを加えて、「四苦八苦」と言う、その原因を取り払うのが、八正道という(p162)
・一切の苦しみを取り除くのは、マントラの力ではなく、止観瞑想によって、自分も含めたすべてのものが「空」であるとリアルに感じる力である(p180)
・「幸せ」とは、到達すべきゴールを設定し、それに向かうためのベストの選択をすること、これ自体が「幸せ」(p194)
・ゴールは、自分が幸せだ(うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい)と感じられるもの、あなたが行う選択は、必ず「幸せ」を感じるための選択になる(p195)
・何等かの選択的行動を取る際、必ずその役割に近づける選択をすべき、その選択をしているあなたは、すでに「幸せ」だから(p201)
2015年7月5日作成
2017年9月10日作成(再読)