ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学 (PHPサイエンス・ワールド新書)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569796550

作品紹介・あらすじ

「ファーブル昆虫記」にも出てくる、庭先によくいる小さくて丸くなるダンゴムシ。このダンゴムシにも「心」があると考え、行動実験を試みた若い研究者がいた。迷路実験、行き止まり実験、水包囲実験など、未知の状況と課題を与え、ついにダンゴムシから「常識」では考えられない突飛な行動を引き出すことに成功した。大脳がないダンゴムシにも心があり、道具を使う知能もあることを示唆するユニークな実験を紹介し、「心‐脳」問題に一石を投ずる。

感想・レビュー・書評

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  • 「心」というものを定義しないと始まらない議論です。考えている事が心なのか、だとしたら心というのは脳の機能の一つなのか。大脳が無いダンゴムシには心は無いというのが結論になるではないか。
    昔、犬や猫には感情はないという説が有力だった時代が有ります。その説を説いた人はきっと犬にも猫にも触れたこと無かったんだと思います。もちろん牛にもうさぎにもイルカにも馬にも心はあるでしょう。ではネズミは?亀は?オオサンショウウオは?カエルは?
    そう考えていくと「心」というぼんやりとした概念では解明できない事である事が分かります。
    それをこの筆者は実験を基にダンゴムシに心があると定義しました。本能だけで動いているのであれば成立しない、同じ条件を繰り返した時に発生するルーチン以外の行動は、心と言われるものが無い限り発生しないというものでした。
    分かりやすい説明が難しいのですが、同じ条件の障害が延々続く時にそれを回避するために新たな行動をし始めるというのです。それはなんらか現状を改善しようとする「心」が無い限り成立しないであろうという事なのです。
    正直それが心なのかと少々強引かなあと思いましたが、筆者がしっかり釘を刺してくれてます。それは「擬人化するな」という事でした。そりゃそうですよね心がもし森羅万象すべてに心があるとしたらば、そのもの固有の在り方の心があるわけですから。人間の尺度ではないですよね。

  • 生物は自然界から受ける多くの刺激に対して、様々な行動の選択肢がある中で適切な一つの行動を選んでいる。それ以外の行動は「隠れた活動部位」が抑制しており、これが「心の実体」であるという。誰もが一度は庭先などで見かけたことがあるダンゴムシ。ダンゴムシには大脳がないので「心」を持たないと長く考えられてきた。しかし未知な状況と課題を与えてやると、普段は「心」によって抑制されている突飛な行動をとった。このダンゴムシの「心」の現れを見出したユニークな実験について紹介した本。

    研究の着眼点にとても感動しました。

  • 人間以外の生物、個体に「心があるか」を論じるならば、「心とは何か」を定義することが重要である。本著は、その重要なポイントが冗長で曖昧なまま、心とは言葉だなどと回り道をした挙句、石の劣化速度の差を示して、石にも心があると言ってしまっている。本著の一番の問題点、という気がする。

    個体の挙動差は、何かしら外乱による要因もあるから、その個体差に「意思」を見出し、あるいは擬人化し、心があると断言するのは、宗教的で危険だ。ダンゴムシの動き方の違いに対し、意味深長なパターンというが、個体の多様性の範囲で、それが無くワンパターンならば、絶滅してしまう。単に、個体が異なるから、動き方が異なるのだ。この時点で、心があるか否かは明言できないのではなかろうか。

    心とは何か。例えば、人間にあってAIには無いもの。以前、AIを定義する本を読んだが、やはり学者それぞれで表現が異なっていた。私自身は、言語による思考、感情や意思、こうした脳を含む身体に対して持続的に作用する状態の事だと考える。持続性がない作用は、反射であり、心は介さない。言葉に表せない悲しみというものもある。

    では、ダンゴムシに持続的な身体への内的作用があったか。ダンゴムシにあるのは、遺伝子にインプットされた本能行動と外乱への対処的措置の多様性故の個体差である。外乱に対する多様な反応に自律性を見出すには、拙速ではないか。ダンゴムシが球体を解除する時間差は、心理学ではなく、生物学の分野で解明すべきである。「そろそろ丸まるのやめるかー」「私は早めに丸まり解除します!」なんて言っておらず、刺激を受けた時間やエネルギー差、距離、個体の栄養状態の差など、分析が足りな過ぎ。

    とにかく、幼少期に残虐な殺し方をしてしまった虫たちに今更感情移入して、申し訳ない気持ちになるので、やめて欲しい。

  • 科学の進歩は「無駄」や「失敗」「勘違い」から発生することも間々あるわけで。従って、本書のような一見「無意味」と思える(思考)実験も何かの役に立つのでしょうか?
    残念ながら、私には本書にその萌芽さえ感じ取ることはできませんでしたが、ダンゴムシに罪はない。
    まず、根本的な話、本書の核である仮説の正しさの検証がされていない。「ダンゴムシにも心がある」という前提で実験を重ねているため、筆者の考える「未知の状況下での予想外の行動」が本当に彼らにとって「予想外で突拍子もない」行動なのか、まさにダンゴムシのみが知る世界で、断定されたダンゴムシも驚いているに違いない。⇒彼らに心があれば、そんな風に考えたとしてもおかしくないでしょう。例えば、人間の利き腕や利き目があるように、ダンゴムシが左右どちらかに曲がる行為は、後天的な個体差だとは考えられないのでしょうか?
    また、「動物の行動が発現する理由として、安易に知能や知性を持ち出すことは危険です」(P168)といいながら、ダンゴムシの交替性転向は生得的例外だと筆者が結論付けるに足る説明が不十分。(さらに言えば、南半球でも同じことが起こるのか、その他の違う実験環境での再現性なども検証せず無視できるのか?)
    閑話休題。
    本書「はじめに」で「もし「石の心」で立ち止まりそうになった方は、どうか本書を投げ出さず踏みとどまって、先へ進んでください。きっと何かがストンと腑に落ちると思います」石だけにストーンですか!?なんちゃって。

    PR:「ファーブル昆虫記」にも出てくる、庭先によくいる小さくて丸くなるダンゴムシ。このダンゴムシにも「心」があると考え、行動実験を試みた若い研究者がいた。迷路実験、行き止まり実験、水包囲実験など、未知の状況と課題を与え、ついにダンゴムシから「常識」では考えられない突飛な行動を引き出すことに成功した。大脳がないダンゴムシにも心があり、道具を使う知能もあることを示唆するユニークな実験を紹介し、「心‐脳」問題に一石を投ずる。

  • ダンゴムシに心を奪われた筆者による意外な切り口での「心の科学」。発達した脳がなくても自ら行動を選択できることが様々な実験で示されています。読み終わるころにはダンゴムシに心があることを確信していることでしょう。
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  •  なんか、突拍子もない感じがして、やめちゃった。

  • 『「道具」として使われた可能性がある』~『知能―道具の使用による問題解決―が見出されました。この事実は』のように、可能性と言っていたものが、追加の根拠や説明もなく後に事実として扱われるといった論理展開の飛躍が、議論の核心部分で見られる。
    実験自体は入念な配慮のもとに実施されているようなので、残念。
    また、一連の実験結果の解釈は著者が定義するような「心」の概念を使わなくても可能ではないかと思える。

  •  震災の年に出版され、新聞でも紹介されていたので気になっていたが、そのままにしてしまっていた本である。科学にとって最も扱いにくい「心」を正面から扱った斬新な研究である。しかし、その実験は至って平凡なものであり、地道な観察を積み重ねたものである。
     筆者のいう「心」とは、自分の中にある内なる自分であり、それがダンゴムシならば、表面的には見られない「内なるダンゴムシ」のことを言う。不断は隠れていて見えないが、いざという時にふと表面に出てくる。これを実験で浮き彫りにするために、通常では考えられない特殊な状況を作り出し、その時にどのような行動をするのかを丁寧に観察する。その状況が本能のルールでは対処できないものであるのが大切なのである。
     たとえばダンゴムシは水が苦手であり、水没すると死に至るものでありながら、周囲を溝状の水で囲んだ入れ物に置くと、しばらく逡巡したあとその水を泳いで渡るものが出てくる。これは本能のなせる業ではないというのだ。予想外の行動に出た時、観察者はそれを細かく観察し、それを心の存在と結び付けていく。
     筆者はこの論法で石やジュラルミンにも心があると説明している。想定外の現象を詳しく観察すれば無生物と思われるものにさえ、心の存在を見いだせるのである。ここまで来ると観察者と対象との関係に還元できるのではないかとさえ思えてしまう。
     身近な小動物から心の存在を探ったところが大変ユニークであり、新たな展開がありそうな学問であると思った。

  •  ダンゴムシは交代生転向という杓子定規な行動特性をもっているが、極めて特殊な状況、例えば閉ループ状態の環境などの「未知の環境」に置かれると奇想天外な行動を取る。その点に着目して、ダンゴムシにも心があるのかもという検証を行なっているのがこの本の内容です。

     実験の結果について、色々と疑問のある点はあるものの、ダンゴムシという生き物の行動特性をアプローチとして心の科学に迫った非常に有意な検証であると思います。

     川でカモを眺めていると、対岸に行くのを躊躇していたり、渓流下りのような遊びをしていたり非常に人間的な行動を見かけます。彼らにはなんとなく心があるように思います。犬や猫にも心があるように見えます。彼らと高度な信頼関係が結ばれている人をよく見かけるからです。

    一方で、ダンゴムシやムカデやバッタなんかには心があるものなのでしょうか。彼らを観察していても、彼らとコミュニケーションや信頼関係を結べることは無さそうです。彼らには大脳がありませんが、ダンゴムシの実験ですくなくとも自律的に行動を選択している可能性はあるようです。

     私が「わたくし」と認識しているものは本当に大脳なのでしょうか。それとも心(わたくし)と大脳は別の器官なのでしょうか。

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著者プロフィール

信州大学繊維学部助教

「2015年 『オオグソクムシの謎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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