チャイコフスキーがなぜか好き 熱狂とノスタルジーのロシア音楽 (PHP新書)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569803333

作品紹介・あらすじ

チャイコフスキーを筆頭に、ムソルグスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、そしてショスタコーヴィチ-19世紀後半から20世紀にかけて、ロシアの作曲家たちはクラシック音楽の世界で絶対的な地位を占めている。なぜかくも私たちの心を揺さぶるのか?論理を重視したドイツの古典音楽とは対極的に、艱難の歴史と血に染まる現実を前に、ロシア音楽は、幸福を希求する激しくも哀しい感情から生み出されたのである。近年のドストエフスキー・ブームの火つけ役が、死ぬまで聴いていたい"聖なるロシアの旋律"に迫る。

感想・レビュー・書評

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  •  数年前、急遽、チャイコフスキイの弦楽セレナードで舞台に乗ることになった。1カ月で合奏から脱落しない程度に難しい譜面をさらわなければならず、文字通り気が狂ったように練習した。自分のパートをさらうのはきつかったが、合奏練習に行くとそれは喜びに変わった。冒頭のノスタルジーをかきたてられる旋律、見たこともないのに「ロシアの大地」などという言葉が頭に浮かぶ。他方、第1楽章主部のテーマの何たる典雅。あるいは通俗に堕ちそうで堕ちないワルツ。エレジーのセンティメント。そして快活でも優雅なフィナーレの最後に戻ってくる冒頭の旋律の感動。チャイコフスキイとの蜜月を過ごしたのである。
     でもチャイコフスキイはなぜか好きではない。では嫌いかというとそういうわけでもない。交響曲も弾いたことがあるが、弾いて楽しく、聴いてすばらしい作曲家だと思う。でも、これから死ぬまで全くチャイコフスキイを聴かなくとも平気。

     だから『チャイコフスキーがなぜか好き』と言われたって別に読む気はしないのだが、著者が亀山郁夫なら、手に取ってみるし、20世紀までのロシア音楽全般に言及されているのなら、「ロシア音楽はなぜか好き」だから、読んでみる。
     最初のほうで、われわれがロシア音楽に漠然と感ずる何かを、しっかりと言語にしてしまうあたり、さすが亀山郁夫。それは副題にある通り、熱狂とノスタルジーである。そして時として風刺やアイロニーが含まれる。チャイコフスキイはアイロニーを欠くが、ムソルグスキイにはそれがある。そのことを20世紀に継承したのが、プロコフィエフとショスタコーヴィチである。だから評者はショスタコーヴィチに愛するが、プロコフィエフは美しいと思いつつ、距離を感ずるのかと納得する。そしてチャイコフスキイもしかり。
     著者が音楽評論家の友人にチャイコフスキイの音楽がなぜ胸に届かないかと聞いた、その返事というのも面白い。作曲家なんてみんなナルシシストだけど、音楽への愛が自己愛を上回る瞬間が必ずある、しかしチャイコは音楽よりも自分のほうが大好きだったんだろう、というのである。

     さらにもうひとつの大局観は、正統ロシア的で異教的なモスクワと、西欧的であるがゆえに異端のザンクト・ペテルブルクの対比である。そうしたいくつかの軸を示しながら列挙されるロシアの作曲家たちの解説はとても見通しがいい。チャイコフスキイまでの音楽は「熱狂とノスタルジーのロシア音楽」と題された章で語られ、スクリャービンからショスタコーヴィチまで、すなわち革命とテロルの時期は「暴力とノスタルジーのロシア音楽」と題されている。
     「雪解け」以降のロシア音楽の章では、デニーソフ、グバイドゥーリナ、シュニトケ、ペルト、カンチェリ、シリヴェストロフ、ティシチェンコが取り上げられているが、熱狂—ノスタルジー、有機的—無機的、キリスト教的—異教的、キャベツタイプ—たまねぎタイプなどといったいくつかの二稿対立でその特徴が分類されているところが面白いし、なるほどと思う。

     この章を読みながら、無性に聴きたくなって、最近ご無沙汰のシュニトケやシリヴェストロフなどのCDをとりだしてきたのだが、しかし、それでもチャイコフスキイを無性に聴きたくはならず、ただ、弦楽セレナードだけ聴き直してみた。美しい。

  • ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012の会場で手にして、
    待ち時間の間に読み終えた…途中で著者本人の
    講演も聴いて…それまで、やや退屈にも感じていた本書が
    俄然面白くなったんです!

    もともと本人は、あまりチャイコフスキーがお好きではないらしく…
    副題の「熱狂とノスタルジーのロシア音楽」に思い入れがあったのです。
    新書のタイトルは、版元の意向で、よりキャッチーなものへと
    替えられることが多く、多くは内容にそぐわないタイトルになっている…

    もしかしたら、本書も、よくあるそんな一冊であるのかもしれません。
    ただ、著者本人がロシア音楽が大好きであるのは疑いようもなく、
    そんな熱気は、本書からも伝わってきます。音楽が生まれた背景…
    それが抱える歴史を概観するには格好の書でもあるでしょう。

    講演の中でカミングアウトされていたのですが、
    浅田彰氏は、本書について、YouTubeを聴いて書いていることを
    正直に綴っているのが良い…などというようなコメントをしたらしく…
    本人は、シニカルな評かもしれませんが…とも云っていたけれど…

    専門外のボクには、星の数ほどあるYouTubeの情報から
    これぞ!と思うものをピックアップできることこそ、
    慧眼であるんだろうな…って感じたんです…
    なにしろクラシック音楽の解説書は、レア音源を扱うものが多すぎて…

    良さそうだから聴いてみよう…なんて思っても、
    その機会にめぐりあえずにいることが多く、ジレンマを感じてました。
    本書は、お薦めの曲は、比較的お手軽に接することができ…
    まさに、入門書として、良心的なつくりになっているんです。

    自分へのおみやげに手にしてきた、本書とCDを振り返りながら
    GWの熱狂とノスタルジーにひたる…この頃…
    ま、これだけ楽しませてもらえば、いいんじゃあないかな…?
    ★は、ひとつおまけして…ということで…

  • ロシアの作曲家を概観。

    グリンカは、ロシア音楽の西欧化の役割を果たした。ロシアの内容を西洋の形式によって、ロシア文化と西欧文化を融合した。バラキレフが音頭を取り、1860年代に登場した五人組は、より民族的な色彩の強い音楽創造をめざした。五人組は、国家のアイデンティティを強調するため、ロシア中世の歴史と、ロシアの文化が本質的に帯びている当方的な性格に注目した。彼らが共同戦線を張ることができた背景には、同時代の革命運動であるナロードニキ運動に共感を寄せていたことがある。その運動が1870年代に入ると、急激にラディカル化して、五人組は独自の道を歩み始めた。

    ボロディンはグルジア皇太子の非嫡出子として生まれた。作曲の世界に足を踏み入れたのは、30代半ばのこと。日曜作曲家を自称して、専門の化学に従事する傍らに作曲に励んだ。職務で多忙をきわめたため、「イーゴリ公」は完成に至らなかった。ポロヴェッツ人の踊りは補筆され、リムスキー=コルサコフが編曲。第三幕全体は、グラズノーフが再構成した。

  • 「好き」なものの背景を知ることができたのが良かった。音楽に限らず美術でも文学でも創り出されるには歴史や政治情勢や文化、信仰などの背景があり、私はそういった背景から生まれる曲想に惹かれているのかも。
    また、自分の馴染みのない新しい音楽に触れられたのも良かった。現代ロシア音楽は、あまり馴染みがなく、今回本を読んだことで聴く機会につながった。ただ、聴いてみても良さがよくわからなかったりもした。
    美術でも、古典作品に比べると現代美術作品は良さがよくわからなかったりするので、馴染みがないことにより、受け入れキャパシティが狭いのかもしれない。

  • 19世紀から20世紀にかけて、ロシアにはチャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ラフマニノフといった偉大な作曲家が何人もいます。彼らが作曲した壮大な近代ロシア音楽の背景には、当時の戦争をはじめとして数多くの歴史が刻まれています。
    (生命工学科 B4)

  • ドストエフスキーの小説の新訳が有名な亀山先生ですが、わたしは先生の翻訳したドストエフスキーをまだ読んだことがありません。そのかわり、『磔のロシア』などロシアの文化史の研究書を何冊か読み、たいへん強い印象を受けました。
    本書は亀山先生のロシア音楽への熱い思いが溢れていて、巻末のロストロポーヴィッチ(チェロ奏者)、ゲルギエフ(指揮者)との対談も含め、たいへん興味深く読むことができました。ただ、音楽を切り口にしたロシア文化論である本書を、入門書的な本のタイトルから内容を想像して読み始めると、戸惑うかもしれません。著者はチャイコフスキーそのものよりも、副題「熱狂とノスタルジーのロシア音楽」の方に力点を置いて熱弁をふるっていますので…。
    個人的には、20世紀の音楽に様々な刺激を与えたロシア音楽の系譜を改めて聴きなおしていきたい、という思いを強く持ちました。

  • チャイコフスキーは53歳でこの世を去っている。私と同じ年齢だ。これまで自分がなし得た事と1840年生まれのチャイコフスキーがなし得た事のあまりの違いに愕然とする。
    本書は表題と中身の印象が少し違っている。著者の亀山氏が「チャイコフスキーがなぜか好き」なのであって、チャイコフスキーに深く入り込んだ解説書ではないのだ。
    つまりロシア文学者としてロシア音楽が好きでチャイコフスキーも好き、そんな著者が好きなロシア音楽についての深い洞察とご自分の人生の懐古とロシア音楽への愛情を書き連ねたのが本書。
    したがってチャイコフスキーに詳しくなれるわけではありません。
    「ぼくたちがロシア音楽に聴き取っているのは、まさしく、人間の感情を足場にした<魂の全体性>なのだ。(中略)ロシアの作曲家は、人間の存在をまるごと包み取る巨大なタペストリーのごとき音楽、人間に固有な様々な魂の表現を描きとる音楽を生み出してきたのだった。」
    本書で私はむしろムソログスキー、リムスキーコルサコフ、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコービッチについて少し学んだ。
    他にも知らないロシアの作曲家に詳しく記載されているが、知らないだけに読んでもピンと来ない。
    ソビエト連邦という国に翻弄された芸術家達の苦悩が、この深く表現力のある音楽を生み出したのかと思うと複雑な気持ちになる。

  •  ロシア音楽の単純で複雑なところ。良く分析されている。正教と西欧の板挟みならず、異端(分離派)との葛藤。しかし19世紀末のロシア人音楽家はかようにして生き残ったのだ。

  • Network audioの音のすばらしさから最近音楽づいています。音楽づいているといっても、ただ訳もわからず聞いて興奮しているだけですが・・・

    今回は訳もわからず聞いている中でもなぜか惹かれる傾向があると気づいたロシア音楽をテーマにした入門書。まぁタイトルは実に軽くふられていますが、内容は素人にはゴッツイです。音楽という芸術も歴史と宗教の影響を強く受けていて、その背景を把握することがより深く感動することにつながっているという主張です。その仮説と主張が正しいかどうかは僕にはわかりませんが、その熱い思いや、何を言っているかわからないけど、こういうのめりこんでいる感じが刺激的で楽しい(「超半音階技法」とか「微分音音楽探求者」ってどんなSFって感じ)。まさに未知の世界。

    ドストエフスキーとチャイコフスキーが交流があったというのも驚き。

    読みながらCDを聞いてみると楽しさ倍増。知らない作曲家が多いのですが、あらたな発見があって楽しい!

  • チャイコフスキーは好きですし、著者にも若いころは翻訳でお世話になったけれど・・。
    ちょっと音楽的におかしいところが多いです・・。
    私でなくていいから(笑)だれか専門家にチェックしてもらったほうがいいかも!音楽をあまり知らない人が丸呑みしたら、それからまた違う歴史に変わるんだろうな~。まあ、歴史って改ざんされて伝わるものというのは周知の事実ですが。

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著者プロフィール

名古屋外国語大学 学長。ロシア文学・文化論。著書に『甦るフレーブニコフ』、『磔のロシア—スターリンと芸術家たち』(大佛次郎賞)、『ドストエフスキー 父殺しの文学』『熱狂とユーフォリア』『謎とき『悪霊』』『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』ほか。翻訳では、ドストエフスキーの五大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)ほか、プラトーノフ『土台穴』など。なお、2015年には自身初となる小説『新カラマーゾフの兄弟』を刊行した。

「2023年 『愛、もしくは別れの夜に』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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