資本主義の正体 マルクスで読み解くグローバル経済の歴史

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569818719

作品紹介・あらすじ

いま欧米でマルクス再評価が進んでいる。マルクスの「グローバリスト」「ラディカルな自由主義者」としての側面に光を当てる瞠目の書!

感想・レビュー・書評

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  • ☆3(付箋14枚/P270→割合5.19%)
    私の勤めるコールセンターでも遂に上司がピケティの名前を口にするように(笑)。本人読んでないし、知ってるだけ偉い(←上から)と思うのですが、個人的にはいつも周辺事情を解説した本ばかり読んで本作に当たることが少ない。
    ピケティについても、概略はネットでまとめられていたりすると(資本蓄積が生む富の方が技術発展で生まれる富より大きい。あれ、でもこの理論が正しいとすると、年金が積み立て方式じゃなくて賦課方式なのは現実にそぐわないことになるなぁ)ますますピケティの本を読みたくなくなる。
    それで、周辺の研究発展自体を扱った本を読むのだけれど、この本は面白く読めました。
    共産主義、社会主義は失敗に終わったと思うが、では資本主義とは何なのか?経済と社会の形がどうあると良いのか?という問題に答えはまだ出ていない。そういう好奇心にはよく応えてくれる本でした。

    ***以下抜き書き**
    ・日本の製造業がアジアに負けた最大の原因は、資本効率である。電気製品の製造を請け負うEMS(受託生産サービス)では技術開発がほとんど必要ないので、労働生産性が極大化される。他方、シリコンバレーのファブレス(工場なし)企業は 製造部門をもたないので労働集約的だが、海外の製造部門をあわせた資本/労働比率は高く、利潤の大部分は本社が得る。

    ・多くの人がマルクスの著作といえば『共産党宣言』ぐらいしか読まないで、階級闘争をあおった社会主義の諸悪の根源だと思っている。たとえばメアリー・ガブリエルの書いたマルクスの伝記は彼の政治活動にほとんどを費やし、「弁証法的唯物論」にもとづいて「社会主義」の大義に人生を捧げた思想家として彼を描いている。しかし彼は社会主義という言葉を(否定的な意味以外では)使ったことがなく、生産手段の国有化も主張したことがない。
    マルクスは「資本主義」という言葉も使ったことがない。資本主義は、20世紀初めにゾンバルトが初めて使った言葉である。

    ・ 労働力の所有者は、みずからの労働が対象化されている商品を販売することはできず、みずからの生きた身体のうちに存在している労働力そのものを商品として売りに出さなければならない。自分の労働力とは異なるものを商品として販売しようとすれば、その人は原材料や労働の道具など、生産手段を所有していなければならないのは当然である。

    ・アジアでは土地と労働力が水のように豊富だったので、主要な産業は労働力を浪費する農業だったが、18世紀のイギリスでは労働力が稀少だったので、労働節約的な技術が発達した。この最大の原因は、賃金が高かったことだ。
    このような高賃金はなぜ可能になったのだろうか。ロバート・アレンのあげる第一の原因は、人口の減少である。ヨーロッパに猛 威をふるった黒死病(ペスト)の影響は近世まで残り、イギリスの人口が増加に転じたのは16世紀後半だった。
    しかし労働人口が減っても、労働需要が増えないと賃金は上がらない。その原因として彼があげるのは毛織物である。今ではマイナーな産業だが、近世までは衣類は最大の市場をもつ工業製品であり、中世までは毛織物が最大の衣類だった。そして中世のイギリスは毛皮を輸出し、毛織物を輸入していた。
    黒死病で労働者が激減したので、労働集約的な牧畜業では採算がとれなくなり、毛足の長い毛から毛糸をつくる産業が出てきた。これも競争的な産業だったが、イギリスは高い関税をかけて自国の毛織物産業を守った。この結果、国内の毛糸の価格が上がり、それをつくる労働者の賃金が上がった 、というのがアレンの説明である。

    ・アジアでは16世紀から18世紀にかけて、勤勉革命がおこった。これを杉原薫は「アジアの奇跡」と呼んだ。それは成長をもたらし、雇用を増やし、スキルを蓄積した点で、「ヨーロッパの奇跡」と同じだった。違いは、西洋では労働節約型の技術が発達したのに対して、アジアでは労働集約型の技術が発達したことだ。

    ・スペインの繁栄はあまり長く続かなかった。その原因は彼らの支配があまりにも収奪的で、持続できなかったためだ。スペイン人の支配した土地はすべて国有になり、南米から多くの銀が流入したため、スペイン王室は豊かになり、絶対王政が確立して議会の力は弱まった。植民地では産業が発達せず、大地主に富と権力が集中して政治が腐敗した 。
    これに対してイギリス人の入植した北米には幸か不幸か銀のような資源はなく、土地はやせており、移民はトウモロコシやタバコを栽培しなければならなかった。土地は彼ら個人のものになり、その所有権を守る法律ができ、議会ができた。この結果として特定の貴族や地主に資本が集中するが、フェルナン・ブローデルもいうように、この資産格差を所有権で守って資本を蓄積することが資本主義の起源だった。人々が平等に働いて平等に受け取る社会では、資本主義は生まれない。

    ・たとえば100人の労働者でやっていた作業が、揚水ポンプを使うと10人でできるようになったとすると、節約できる90人の人件費より揚水ポンプのコストが安ければ、投資収益が上がる。最初の五年で投資を回収したとすれ ば、その後は運転すればするほどコストは下がる。
    問題は、ポンプに誰が投資するかである。労働者は自分の雇用を奪う技術には投資しないので、外部の投資家がファイナンスするしかない。しかしその資金が調達できなければこのプロジェクトは成立しないので、最初に必要なのは資本である。つまり技術革新が可能になるためには、巨額のしほんとそれを使ってリスクをとる投資家が必要なのだ。

    ・フローで見るとイギリスの成長率は低いが、ストックで見ると大きい。2005年の日本の対外資産はGDPの100パーセントだが、イギリスは400パーセントである。負債も415パーセントあるが、バランスシートの規模は日本の四倍である。イギリスの経常収支も赤字だが、問題は経常収支の帳尻ではなく、利用できる 資産の規模である。四倍借金して四倍投資する社会の方が豊かなのだ。

    ・日本が、非西洋圏では唯一、自力で近代化した原因は、アジアでは唯一、民主政治の伝統を持っていたからだ。もちろんこれは西洋のデモクラシーとは起源も性格も違うが、日本と中国の距離よりイギリスとの距離のほうがずっと近い。これを丸山眞男は日本型デモクラシーと呼んだ。
    「政事が上級者への奉仕の献上事を意味する、ということは、政事がいわば下から上への方向で定義されている、ということでもあります。これは西洋や中国の場合と、ちょうど正反対と言えます。ガヴァメントとか、ルーラーというコトバは当然のことながら、上から下への方向性をもった表現です。ところが、日本では『政事』はまつる=現状す る事柄として臣のレベルにあり、臣の卿が行う献上事を君が『きこしめす』=受け取る、という関係にあります。

    ・歴史の教科書に出てくる「五公五民」というのは間違いで、徴税の基準となる石高は1700年頃に凍結され、再測量には農民が百姓一揆で抵抗したので、検地はほとんど行われなくなった。このため実効税率は下がり、幕末には二割以下だったと推定される。

    ・2000年に柄谷行人のつくった「NAM」というアソシエーションも、3年たらずで自壊した。この種の運動がお遊びの域を出ないのは、資本の意味を理解していないからだ。蓄積できない地域通貨を使った協同組合には資本蓄積のインセンティブが欠けており、持続可能な経済システムにはならない。

    ・日本が「ものづくり」で輝く日 は、二度と来ない。主要な市場が国内にないのだから、国内でつくる必然性がない。日本の製造業が世界を制覇したのは、複雑な部品のコーディネーションを長期的関係で行なう江戸時代型システムが偶然、自動車や電機などの2.5次産業に適していたためだが、その後ビジネスの中心はサービス業に移ったのに、日本メーカーは変われなかった。
    この原因として、グローバル化が進んでいない、規制が多いなどの原因がよくあげられるが、特に遅れているのは労働市場である。

    ・G(グローバル)型産業はオリンピックのようなもので、世界中でルールは一つだ。トヨタやパナソニックの生産性は、世界的に見ても高い。問題はL(ローカル)型である。この分野の労働生産性(付加価値/労働時間)は先進国の 平均よりかなり低い。これは日本人が怠け者だからではなく、古い産業から労働人口が動けないからだ。これを上げることが、日本経済の究極の問題である。

    ・社会主義は壮大な実験だったが、その結果が示したのは、資本主義がなくなっても人間の欲望はなくならないということだ。特に無制限の国家権力を個人が握ると、二度と手放すことはない。国家は死滅しないのだ。この意味で資本主義は法の支配によるアカウンタビリティと不可分である。
    しかし向こう100年を考えると、法人税率はゼロに近づき、所得税もタックス・ヘイブンを使える大富豪ほど税率の低くなる逆進的な税になるだろう。イギリス海軍が海賊から発祥したように、資本主義は海賊的なシステムである。それを土地で囲い込む近代 国家に限界があるのだ。

  • タイトルはミスリーディング
    マルクスを中心とした経済学の歴史を描いた本
    信憑性は不明、でも面白い。

    150ページまで読んだ → 最後まで読んだ。

    結局、現在の問題に対しての解決策は提示してない。
    まあ、そんなに簡単に解決策があるわけもないので、提示しない方が、まともという気もする。

  • マルクスの『資本論』や『経済学批判要綱』を、現代のグローバル資本主義に対する優れた分析として読みなおし、修正を加えるとともに、マルクスの提出したアソシエーションはグローバル資本主義に対峙するための有効な処方箋とはならないとしてこれを退け、将来の世界経済および日本社会について考察を展開している本です。

    著者自身が「はじめに」で「本書の理論的コアになるのは第一章の後半の企業理論(不完備契約理論)だ」と語っています。ここで著者は、労働者が窮乏化するというマルクスの予想が外れたと断じ、オリバー・ハートの指摘に従って、資本家と労働者の間の権力の配分メカニズムに資本主義のもっとも大きな問題が存するという主張を展開します。

    第2章以降は、現代の経済史に関する研究を参照しながら、本源的蓄積論を含むマルクスの議論の誤りを明らかにしています。ここでは、ヨーロッパでは労働節約的なイノベーションが起こったのに対して、日本を含むアジアでは労働力が余っているために産業が成長せず「貧困の罠」に陥ったとして、いわゆる日本型経営論で評価されていた「勤勉革命」の否定的側面について考察しています。これは、グローバル経済が進展する中で現在の日本が陥っている問題にもつながっていることが明らかにされます。

    その他、ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を批判の俎上に載せながら、キリスト教によって法の支配という普遍主義的な秩序がヨーロッパにもたらされたことが、資本主義の成立に影響を与えたと論じられています。

    たいへん興味深く示唆的な内容を含んでいますが、マルクス解釈や経済史についての詳細な議論は省略されています。著者自身も、「まえがき」でそのことを述べており、読者がみずから参考文献に当たって検討することを求めているようなので、本書を足がかりにして勉強を進めてみてもよいかもしれません。

  • とりあえず読了。
    しかし、興味深いところもあれば、よくわからないままに読み飛ばしたところもあり。
    時間あけてもう一回読んだ方がいいのかな?
    BlogやTwitterでは、ずいぶん前から知ってた池田信夫さんだけど、本を読んだのは初めてでした。

  • 資本主義が何なのか、マルクスの思想を中心に様々な研究者や思想家の成果を紹介しつつ解説。
    内容はいつもブログで主張していることがまとまって本になった感じ。資本主義とは、近代国家とは、マルクスが実際に主張していたことは、帝国主義とは、日本経済の停滞の原因は、そんなことに触れてます。巻末の注がいいリーディングリスト。

  • 池田信夫さんが、マルクスについて書いた本。
    マルクスを援用して池田さんが言いたいことを主張している本と言ってもいいかもしれない。
    自分は正しくて他はどうかと言い切れる姿勢は、ある種の物書きに資質だと思う。嫌いではないし、どちらかというと好きだ。

    これだけ突如『二十一世紀の資本』という著作とともにピケティが世に踊り出たときに、池田さんもマルクスとは、タイミングとして時流に乗っただけのように見えるが、実際には書き上げるのに6年もかかったのだという。従来の池田さんの主張が繰り返されているように思えるが、逆にこの本を構想している過程であふれてきた思考をブログなどで公開していたのかもしれない。

    マルクスの思想は、社会主義国でなされた社会的実験は全く違う。『資本論』という代表的著作のタイトルからもわかる通り、資本主義について根源的に思考を深めたものだ。マルクスの主にユートピア的思想が現実世界に与えた結果とは別に、その思索の跡には資本の力が世界を覆いつくそうとする現代においても深く考慮すべき内容が多い。「私的所有」の反対は国有ではなく、労働者による株式所有による所有権の移行を目指したものだ。そこには管理ではなく、自由が原理となる。著者も、「彼の予言したとおりグローバル資本主義は拡大を続け、その恐るべき破壊力で非ヨーロッパ社会を呑みこんでいる。それがなぜこれほど大きなエネルギーをもつのかを、資本による支配構造から解明した点で、彼は現代の経済学よりもはるかに進んでいた」とベタ褒める。新古典派の連中よりも「資本主義のゆくえを考える上でも、マルクスの歴史的な手法のほうが有効だ。二十一世紀の今も、マルクスは未来的である」

    著者の主張では、多くの人の理解とは逆に、マルクスが分配に反対をしたこともなく、グローバル化に反対したこともないという。逆に「国家が平等を実現しようとする温情主義を否定し、グローバル資本主義が伝統的社会を破壊するダイナミズムを賞賛したのだ」とする。

    ここで池田はマルクスをグローバル資本主義が帰結として必然的に出てくることを示した社会思想家として再提示する。その上で、再発見した「マルクス」を中心にして、ウォーラースティーンの<帝国>やフーコーの自律的監視社会を援用して、産業革命の構造や資本による支配という統治メカニズムの移行について説明する(マルクスの次はフーコーに行くんじゃないか?)。

    後半以降の西洋とアジアの対比、イギリスと日本の対比を労働集約的と資本集約的という特性に求めているのは単純で拙速にすぎる印象を受けたが、集団としてのモティベーションが大きな影響を受けるのだという考えについては正しそうな気がする。何よりもどこでもなくイギリスが「産業革命」を成し遂げることとなったことのある種の説明ではある。

    最後に、「必要なのは、グローバル資本主義を無条件に賛美することでもなければ「反グローバリズム」を叫ぶことでもなく、資本主義と国家の新しい関係を考えることだろう」ということで締める。ここまで来て「必要なのは、... 考えることだろう」とするのは正しいにせよ、突き放した言い方だ。ここに政治家でも実業家でもない、評論家/アジテータとしてのポジショニングを見るべきか。

    過去に池田さんのブログを読んでいたこともあり、内容は比較的頭に入ってきた。マルクスにどの程度まで忠実なのかは判断できる知識を持ち合わせていないのだが、徹底して根源的に考えることができていたからこそ、その時代に応じて様々に取り上げられるのだと言うことはできるだろう。偉大な思想家だと思う。

    ---
    マルクスを「共産主義」と切り離して一流の社会思想家として読もうとするのは池田さんだけではない。柄谷行人も『マルクス可能性の中心』という彼の転機ともなった著作で、源流である価値形態論に注目して論じている。また代表作『探求III』でも、マルクスが重視する交換の中に「命がけの飛躍」を見た(本書の中で池田さんは柄谷のNAM運動を「お遊び」とコケにしているけれども)。佐藤優も『いま生きる資本論』や『私のマルクス』、『国家と神とマルクス』、『はじめてのマルクス』(共著)、『甦る怪物 - 私のマルクス』などマルクス関連の多数の著作を書いているが、この3人はどこか似ている。お互いにそのことを言下に否定しそうなところまで。

  • 資本主義ってある意味暴力ですよね。これからの日本の課題は、G型産業からL型産業へのスムーズな移行。地方には仕事がないので、若者は都会へ流入するが、都会の中でもコンビニや居酒屋のようなL型労働に従事せざるを得ない。人口は減るけれども、減るからこそ地方自治体がやるべきことは多くなっていきますね。

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著者プロフィール

1953年生まれ。東京大学経済学部卒業後、日本放送協会(NHK)に入局。報道番組「クローズアップ現代」などを手掛ける。NHK退職後、博士(学術)取得。経済産業研究所上席研究員などをへて現在、アゴラ研究所代表取締役所長。著書に『イノベーションとは何か』(東洋経済新報社)、『「空気」の構造』(白水社)、『「日本史」の終わり』(與那覇潤氏との共著、PHP研究所)、『戦後リベラルの終焉』(PHP研究所)他。

「2022年 『長い江戸時代のおわり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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