従属国家論 日米戦後史の欺瞞(ぎまん) (PHP新書)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569825397

作品紹介・あらすじ

稀代の思想家が、「戦後」の始まりに何があったのか、「戦後」はどのように生み落されたのかを日米間の非対称な構造から探る。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった❗

  • こういった優秀な時事評論は後世まで残すべき内容と熟慮が刻み込められていると思います。
    この著作により、嗚呼当時の世評や「雰囲気」(別名;ふわっとした空気)
    そいうものを時代を超えて常識のこやしにしたいものです。

  • 大崎Lib

  • 1952.4.28のサンフランシスコ講和条約で日本が占領体制から独立したことになっているが、実はアメリカの戦略によって、完全な主権を持つことができなかったという事実が、その後の日本の様々な問題の根源になっている ことを力説している.憲法9条の「国権の発動たる戦争と・・・永久にこれを放棄する」の部分の英語の原文を普通に訳せば、「国民の主権的権利としての戦争を永久に放棄する」となる由.主権を放棄していることになる.意図的な誤訳だ.
    このような事実が次々に出てくる.勉強が必要だ.

  • 日本は敗戦によりアメリカに支配された。それが現在まで続いている事がよく理解できた。しかし、そこからの脱出は難しい事も分かった。

  • 戦後の日本を踏まえて、アメリカの従属国家であるということを説いた一冊。

    自分がこれまで考えてきた、いわゆる右よりとも左よりとも違うバランスの取れた意見で、特にアメリカが日本を箱の外から覗いている状態という表現は、腑に落ちた。

  • ●は引用。→は感想。一部のみ。

    ●人は常に「歴史」と「社会」の中にいます。それを超えて外に出ることはできません。その外に出て歴史や社会を眺める「神」や「理性」といったものは日本にはなかった。あるのは、今ここで与えられたそこで、歴史という「状況」であり、社会の「状況」なのです。そこで、この「状況」をうまく解釈し、それに適応することこそが、いわば道徳的価値だと見なされたのです。それを外から見る、という「超越的視点」はなかった。与えられた情況こそがすべてであり、それにうまく適応することが求められたのです。基本的な価値は、歴史的・社会的状況によって与えられ、われわれがすべきことは、その状況を受け止めて、それに適応することであった。それが生活上の規範を形作ってきたのです。だから、江戸時代にあっては、身分社会や封建的構造が歴史的・社会的に与えられたものであり、それに適応することが道徳的であった。次に明治になると、文明開化、欧化することが歴史的・社会的状況になり、昭和になると、軍国主義化が歴史的状況になった。そして、戦後になると、民主主義、平和主義、経済成長が日本の置かれた歴史的・社会的状況になり、それに適応することが規範になっていったのです。 →地震、火山噴火、津波、台風など人智の及ばない自然環境下で形成されたものだろう。

  • 本書の内容は、著者がこれまでに他の著作で既に書いているることの域を出ていない。が、戦後日本の国のありよう、「戦後レジーム」=「日米の間の非対称的な二重構造」が「無意識の自発的従属」を生み出していること、すなわち、戦後日本は、アメリカが決めた枠組みの中で、自主的・主体的にやっているつもりで、実は無自覚にアメリカの価値観に従ってしまっていること、を改めて認識することができた。
     戦後教育を受けて育った身として、西洋的な合理的・普遍的価値観に魅力を感じつつ、年を経る毎に「日本的なもの」、「日本的精神」を強く意識するようにもなってきたように思う。戦前の国のありようが良かったとは思わないが、日本人として受け継いでいくべき大切な価値観はあるんだろうな。本書の主題からは離れるが、それは要は"私"と"公"のバランスをしっかりとるということなんだろう。今、気持ちの上で"私"のウエートが大きくなりすぎている。これも言い方を間違えると全体主義になってしまうのだけれど…。

  • 安保法案が論点になっているこのタイミングで読みべき本。日本人の大半が憲法も主権も国防も理解していない、勉強不足だと認識させられる。

    国民主権とは何なのか、民主主義はどうあるべきか考えなければならない。

  • アメリカという外の軍事力によって日本の安全を確保した上で、内においてはいっさい武力行使を放棄するという平和国家なのです。このことそのものが矛盾であり、欺瞞なのです。

    普遍 universal uni 単一 vertere 方向づける ひとつのものへと方向づける

    戦後がはじまったのは 1952/4/28 サンフランシスコと講和条約

    単純に侵略戦争の一語で片付けられるような戦争ではなかった。
    すでに戦争がおわって何十年もたって、それを歴史のそとから傍観してあまりに簡単に断罪すべきではないでしょう。まずは当時の人々がどのような意識をもっていたのか。その一点こそが重要ではないでしょうか

    日本国憲法 占領下主権を持たない時に作られた

    共和国は市民が武装して国を守る
    アメリカに自国の防衛を委ねている日本は、主権国家にならない

    技術的法的な手続き論も必要ですが、本当に重要なのは「だれが国を守るか」という原則論にこそあるのではないでしょうか

    半主権国家の平和で民主的な60年

    岸信介首相 新安保条約 日本は米軍に基地を提供する代わりに米軍は日本および極東の安全保障の責務を負うという、相互の責務を明確にしたもの。より双務的で、多少は対等に近づいた安保改定がなぜかくも国民的反対にあわなければならないのか、たしかに心外であったかもしれません

    ポツダム宣言 トルーマン、チャーチル、蒋介石の連盟だが、事実上トルーマンが一人で作る
    日本の戦争遂行能力が破砕されるまでは、連合国は、日本国の諸地点を占領する。日本から軍事的勢力がなくなるまで、日本国の中の諸地点を占領する。日本国を占領するとは書いていない

    無条件降伏するのは軍隊 uncontional surrender of Japanese armed forces

    天皇及び日本政府の統治権はGHQ最高司令官によって
    従属する、外務省訳 制限される subject toの訳

    アメリカに従属していながら、しかし日本の国内では、何か、主体的に物事を決めているかのように装っている。(戦後レジームの二重構造)

    われわれが、いかにも主体的に物事を決定したと自ら考えている、そのこと自体を疑ってみたいのです。問題はアメリカでなく、われわれの側にある。われわれが自明だと思っていることそのもにおおきな落とし穴がある
    それを生み出すのは、日米間の非対称な二重構造

    無意識で自発的な自己検閲を生み出すことこそが、占領政策の重要な意味でした

    1950/7 外務省がはじめて侵略戦争という言葉をはじめて使った。ここでは侵略戦争も無条件降伏ももはや当然のこととなっている 1945がら1952年までの間に、戦争解釈が大きく変わっているのです。自存自衛の戦争から侵略戦争に変わった

    war guild information program

    この戦争を日本軍国主義による世界秩序への挑戦とする侵略戦争観が、反省に基づくあらたな再生へと向かう日本にとっても実は好都合だったのかもしれない

    朝日新聞こそが、戦後日本の公式的価値を代表した。戦後日本の公式価値とは、あの戦争を日本のアジア侵略によってはじまった侵略戦争とみなし、敗戦を連合国による日本の軍国主義からの解放とみる。そして占領政策をへて、日本は民主国家、平和国家へと再生したという歴史観

    日米安保体制は、もともと、どうみても力の差がありすぎる。軍事力をもたない国(行使できない国)と軍事大国との同盟というのは奇妙なものです。だから本当のいみでも同盟にならない。同盟ごっこになってしまう

    勝ち負けは力の問題であり、時の運であり、状況の問題である。敗北は分かっていても戦わなくてはならぬときはあり、戦うべき時に戦うこと、それ自体に義がある。その義をすてることは卑怯者のすることであり、卑怯者として生き残ることは義について死ぬことより恥ずべきことだ、という観念が日本には伝統的にあります。

    諦念と覚悟という道徳

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著者プロフィール

経済学者、京都大学大学院教授

「2011年 『大澤真幸THINKING「O」第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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