蛇行する月

著者 :
  • 双葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575238358

感想・レビュー・書評

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  • あなたにとって『しあわせ』とはなんでしょうか?

    …とかなり唐突ですね。そして、自分で書いておいて恐縮ですが、これは簡単なようで、とても難しい質問だと思います。

    では、あなたはどんな時に『しあわせ』を感じるでしょうか?

    臨時収入が入った、ボーナスが予想より多かった、そして宝くじが当たった、といった金銭面での思わぬ出来事は、その瞬間に『しあわせ』を感じない人はいないでしょう。また、ずっと欲しかったものを手にした、行きたかった夢の地に旅行に来れた、そして、思いがけず人に褒められたといった瞬間にも、これまた『しあわせ』を感じると思います。

    しかし、そもそも『しあわせ』とはなんなのか?と突き詰めていくとこの答えはどんどん難しくなります。例えば『火の気はちいさなテレビのそばに、電気ストーブがひとつあるきり』、『歩くたびに畳が嫌な沈み方をする』、そして『ストーブにあたることができたのは、ほんの小一時間。そのあとは「電気代がもったいないから」といってみんな布団に入ってしまう』という暮らしぶりを目にした時、あなたは、そこに『しあわせ』を感じることができるでしょうか?

    ここに、そんな『しあわせ』とは何かを考える物語があります。それは、六人の女性の視点を通して、一人の女性の『しあわせ』を見る物語。そして『順子の「しあわせ」は自分の求めるものとはまったく違うかたちをしていた』と『しあわせ』という言葉の意味するものを考える物語です。

    『ビールを注いでいる清美の膝に、客の手が伸びてくる』、『もうだめだ』と気持ち悪さが限界に近づく寸前でビールを注ぎ終えたのは『割烹ホテルかぐら』の営業社員の戸田清美。『社長の息子』で『営業部長兼任の専務』から『いいか戸田ぁ、女の営業なんてのはなぁ、昼間は女房で夜は娼婦、そういうもんだ』と言われ『客の手を払』えず我慢の日々を送る清美。『客との喧嘩で温泉旅館をクビになった』フロントなど『よそじゃ働けない、ひと癖もふた癖もある馬鹿揃い』で『仲がいいのは体の関係がある者たちばかり』というその職場。『戸田さん、こっちにも頼むよ』、『はぁい、ただいま』と『立ち上がろうとする膝に「ありがとう」代わりの手が伸び』る今に『腹の中で盛大なため息を吐』く清美。『参加者二十人の、中規模の忘年会』で『海原中学校職員室の幹事が選んだコースはひとり五千円の飲み放題』、しかし『調理場には二万四千円の予算が報告される』という客単価。そして、不満がでがちなのを『そこんところをうまく丸めるのがお前らの仕事だろう』と専務に言われ『「お詫び」として』酌にまわり『客に請われれば二次会もつきあ』うものの『帰り際は露骨にホテルに誘われ』るという清美。最後の客を見送りタイムカードを押す清美は『最近はひと晩眠っても、疲れが取れな』い、『目覚めるたびに沈み込みそうな怠さが全身に広がる』と落ち込みます。『手取り七万円、うち三万は食費として家に、一万は車のローン、もう一万はガソリン代と保険料』という支出もあり『財布の中はいつもさびしい』と感じる清美。そんな清美は一通の封筒を取り出します。『毎日読み返す』というその手紙は高校生だったときに知り合った田嶋勇からのものでした。『清美、俺には「いつかこの会社を辞めてやる」という野心がある』から始まるその手紙。最後にお勧めの本が記されているものの『ここ数週間は、本を読む気になれない日々が続いている』という状況。『家に戻り、便箋を広げた』清美は田嶋に返事を書こうとします。その時『茶の間の電話が鳴』りました。『遅くにすみません、須賀といいます』というその電話は『高校二年生から卒業まで同じクラスだった』須賀順子からのものでした。『卒業してからは連絡を取り合っていなかった』という二人。『清美、あのね、あたしこれから東京に行くの』と唐突に話し出す順子。『仕方ないの。むこうには奥さんがいるから』、『和菓子屋の職人さんなの。毎日小豆を練っている四十過ぎのおっさん。逃げたいって泣くの。だからもう、ここにはいられないんだ』と続ける順子。一方的な電話は『じゃあ、お金もうないから』という一言で切れました。順子と図書部員をしていた高校時代を思い出す清美。一方で『尻撫でられたくらいで逃げるんじゃねぇよ…』という辛い日々は続きます。そんな中で『いやだ』という思いが込み上げる清美は『もう、辞めよう』と心を固め、ついに『今日で、辞めたいんですけど』と専務に告げます。そして、そんな清美が新しい人生に一歩を踏み出すそれからが描かれていきます…という短編〈1984 清美〉。これから始まる物語で中心人物となる須賀順子の今をさりげなく見せながら、主人公の戸田清美が彼女の『しあわせ』に向けた一歩を踏み出す様が上手く描かれた好編でした。

    六つの短編から構成され、連作短編の形式を取るこの作品。一編目の〈1984 清美〉から六編目の〈2009 直子〉まで各短編にはその短編の主人公となる女性が一人ずつ登場し、その女性視点で物語が進んでいきます。桜木紫乃さんと言えば連作短編にはとても定評があります。「家族じまい」では認知症になった母親を取り巻く家族に順番に視点を移動させ、「星々たち」では三世代の親子を第三者視点にこだわって描ききり、そして「ホテルローヤル」では、時間軸を遡るという意欲的な試みをされるなど連作短編への並々ならぬ意欲が伝わってきます。そしてこの作品では『1話目に登場した人物が2話目の主人公になって…という形ではなく、中心に1人の人物を捉え、その視点で螺旋を描くように、年代を追って物語が進むという』構成を意図したと語る桜木さん。その意図通り各話には視点が移動する主人公となる女性が登場しますが、六話共通で登場するのは視点の移動しない須賀順子という女性です。そんな順子と各話の主人公の繋がりは高校時代にまで遡ります。その高校時代の時代感が分かるようなこんな表現も登場します。『一期生が持ち込んでそのままになったラジカセからは、いつも寺尾聰かチャゲ&飛鳥、稲垣潤一の曲が流れていた』というこの表現。まさしく〈1984 清美〉という時代が短編タイトルだけでなくその内容からも鮮やかに浮かび上がります。そして、物語は一編ずつ時代を下っていきます。1984、1990、1993、2000、2005、2009と規則性のない年へとジャンプしながら進んでいく物語の中で当然ながらに主人公たちは年を重ねていきます。そして、同じ制服を着て、同じ教室で学んだ高校時代を過ごした友人たちが、それぞれの人生を精一杯生きている様が語られていきます。また、前の時代の短編の中で起こった事象が後の時代の短編でどうなったかがさりげなく示されるなど伏線とその回収が小気味よく行われてもいきます。この辺り、もう職人技としか思えない巧みさで、連作短編を読むなら桜木さん!という思いを再認識しました。

    そんな連作短編の妙を満喫できるこの作品で、中心主題となってくるのが、この作品の中心人物となる須賀順子が語る『わたし今、すごくしあわせ』という言葉の先に見るものだと思います。順子は六編ともに登場する人物ですが、一方で彼女に視点が移動することはありません。そんな順子と色々な形で再開を果たす各話の主人公たち。そんな主人公たちは順子の暮らしを見て『どこを探せば、「しあわせ」なんていう寝言が飛びだすのか』と首を傾げます。自分の父親より歳上の既婚男性と東京に逃げ、隠れるように暮らす順子。その暮らしの描写は『数箇所ベニヤ板で補修されたドア』、『擦れてそそけた畳に薄い座布団』、そして実母が訪れても『電気代がもったいない』とそそくさと布団に入るという表現など、貧困のどん底に暮らす順子の生活が、もうこれでもかというくらいに描かれていきます。また、順子そのものにも『うなずく顔は皺とシミだらけ』、『そげ落ちた頬に縦の皺が何本もできた』、そして『同じ年とは思えないほど老いた姿』というようにその見た目が辛辣なまでに描写され、それをマイナス感情で捉える主人公たちの姿が描かれていきます。さらには、東京でひっそりと暮らす順子を襲う更なる不幸が短編を経るごとに次々と明らかになり、その全容を知る読者の感情の中に蓄積されていきます。

    さて、あなたにとって『しあわせ』とはなんでしょうか?

    この答えは人それぞれです。その答えは人の数だけあり、どれが正解なんて決めることはできません。また、他人を見て、その見えているものからその人が『しあわせ』なのかどうかの判断もできません。一方で人は”妬み”という感情を持っています。他人が自分より『しあわせ』であることを”妬む”感情です。それは反転して、他人より『しあわせ』になりたいという感情へと繋がっていきます。そして、そこに『しあわせ』を比較するという本来あり得ない概念が生まれてもしまいます。この作品の主人公たちは、久しぶりに再開した順子の姿を、そして生活を垣間見て”憐み”の感情を抱きます。そこには、順子に比べれば、こんな悲惨な日々でもまだ自分の方が『しあわせ』だと思いたい感情へと繋がります。しかし、それにも関わらず、自分の人生を『しあわせ』だと心から語る順子に戸惑う主人公たち。答えのない『しあわせ』の解を順子の胸中に見やるこの物語を読んで、改めて自分にとっての『しあわせ』とはなんだろうと考える機会をいただいたように思いました。

    『視点となる人物は1話ごとに変わり、最後までいったときに中心にいた人物が浮かびあがってくるようなお話を書いてみたかった』とおっしゃる桜木さん。そんな桜木さんの意図した通りこの作品では、中心となる須賀順子の25年の人生を彼女の友人や母親視点で垣間見ることができました。そして、『順子、しあわせなんだね』、『もちろん』と答える順子の生き様を通して『しあわせ』とは何かを考える一つの機会を得ることができました。

    「蛇行する月」という印象的な書名のこの作品。『窓の向こうには湿原が広がっていた。季節になると丹頂鶴もやってくるし、キタキツネの親子連れもグラウンドを横切ってゆく』という北国の自然のゆったりとした描写の中に、静かに地上を照らす月が顔を覗かせる、澄んだ空気感が魅力の素晴らしい作品でした。

  • 幸せとは何か、と順子を取り巻く友人たちが自分を顧み確かめる。周りを振り回し、略奪までして人を傷つける。場によっては話題にするのも躊躇われる順子。
    なのに「友達」関係でいられるのは、生きる力が強い魅力ある人物なのだと思う。順子のその後の生き様は極端だが、一般的には不幸ととられがちな材料まで、生きる糧とし、自分は「幸せだ」と言い切る。幸せを感じる力が強い(それが人にとって必要なのだろう)。そんな順子に友人たちは焦り、羨望を抱く。
    女友達特有の、言葉には出さない正直な本音の部分、残酷さや醜くさ、負の胸の内の描写が鋭く、体当たりでぶつかってくる感じ。
    弥生の章。弥生は婿養子の夫に無邪気に本音でぶつかってゆけなかった、と顧みる。
    また、順子の母静江の章では、過去にわだかまりがあった母娘だが、年月が過ぎると「東京見物に行こうか」って、ああ・・そうなるんだ。人生のやるせなさ。時は解決してくれるんだ、と。
    それぞれが、悔恨の思いを抱え生きてゆく。それも味なのだなぁ。
    川は、あちこちぶつかり、くねくね曲がって澱みながら
    ひたむきに河口へ向かう。みんな海へと向かう。
    なんて綺麗なタイトルなのだろう。釧路湿原が見てみたい。力強さをもらった小説だった。
    ラスト、順子、幸せなんだねー。
    言葉は自分に向かい、泣けた。

  • 道立湿原高校を卒業した図書部の仲間たち。
    その中の一人、順子は親ほどの歳の男性と駆け落ちをし、釧路を出ていく。
    順子を取り巻く六人の女性たちの目線から綴った連作短編集。
    生きることに必死で過去も未来も考える暇もない順子。
    捨てた故郷には帰れるはずもなく。
    それでも彼女は「幸せ」だと言い切る。
    そんな彼女がいったいどう彼らに映っているのか。
    そして自分の幸せはどこにあるのか。

    桜木さん、最新作。いや~、よかった。まさに新境地。
    「ホテルローヤル」で自身のトラウマである過去を昇華しきったのか、この作品には性愛がほとんど描かれていない。
    彼女の作品特有の女のどろどろした部分を極力抑えて、逆に女同士の絆の強さが前面に出ている。

    六人の女性それぞれが過去に囚われて生きている。
    その中でもがきながらも自分の幸せを探していく。
    幸せに規範なんてない。他人と比べても詮無いこと。
    彼女たちの真摯な姿に心を打たれる。
    そんな中、一人だけ自分の幸せを疑うことなく「今」をがむしゃらに生きる順子。
    みずからは語ることのない順子だが、六人の女性を通して対比的に順子を描く構成は見事。

    「ホテルローヤル」でがっかりした人、多分いるんじゃないだろうか。
    それだけが桜木さんじゃありません。
    本書も是非ご一読を!

  • 桜木紫乃さんの本は3冊目ですが、この本が一番好みです。

    北海道・湿原高校の図書部に所属していた清美・桃子・美菜絵・直子、順子の5人。
    この5人と周りの人達との関わりを描いた6編の連作短編
    卒業後に彼女達5人が歩んだ道は全く違う。
    その時々に必死で選んだ道。

    その道で良かったの?と問うたら声を揃えて返事が帰ってきそう。
    "もちろん!"って。
    ラストの2編は特に良くて涙が……

  • とても好みの本だった。
    側から見れば「これのどこが幸せ?」と思える順子という人物を通して、自分にとっての幸せや、どう生きていくかに気付きを得ていく女性達の物語。
    彼女達の抱える悩みや、心の中で感じている心情の描写が上手くて、一人ずつの章に分かれて短編になっているのも読み易くて良かった。
    女性達の凛々しさに対して、男性のダメっぷりが容赦無いなぁ。
    清美の彼氏は、「こんな彼氏だったらいない方がマシ」だわ。

  • 女が生きてりゃしょっぱい思いにも多々直面する。駆け落ちして出て行った夫との対面、みすぼらしくなった級友との再会、告白した男に「勘弁してください」と土下座される、特大白ブリーフ男との初セックス...そんな印象的なシーンが心を締め付けた。それでも女はしなやかで強い。作中の誰もが逞しさを垣間見せる。その象徴はこの作品の中心人物である順子。幸せな状況とは程遠いようなのに「幸せだ」と言い切る順子。幸も不幸も自分の思考次第。人生、蛇行しても月はずっとついてくる。うら寂しい作風なのにそんな心強さも伝わってきた。

  • やっぱり巧いと唸った。ホテルローヤルのみ未読だが、ほぼすべての著作が極めて限定された地域を舞台にし、設定も特殊ではない(逆に言うとそう代わり映えしない)のに、小説というツールを使って読み手に何かを感じさせる圧倒的な力が著者にはある。
    本作は、6人の女性を異なる時間軸の中で描いた連作短編。中心となるのは親より年上の男性と駆け落ちした順子。ただし順子の目線から描かれた物語はなく、他の女性たちの目と心情を通して順子の人生が浮かび上がってくる。
    著者の作品を読むといつも、一点の曇りもない(とまでいかなくとも、せめてそう暗いところのない)幸せなどというものはあり得ないのかという気持ちになる。ここまで辛くなくてもいいんじゃないか、と。本作も同様で、皆が悩み苦しんでいる。けれど同時に、それでも生きる女性を描くことが著者のテーマであるとも思う。例えば、人の親であれば成熟した人格を持っているべきだ、少なくともそうあろうと努力しているはずだ、という常識あるいは期待を覆す在り方をする人間を単に"悪"とは捉えず、そのように生きる者がある、とだけ描く。その視線があるからこそ私は桜木作品を読み続けているのだと思う。

  • 高校の図書部員の女の子たち四人のそれぞれの話。その彼女たちに関わる大人の女二人の話の6章が描かれている。好きになった高校の先生に告白し問題になった順子は他の女の子たちの幸せの尺度を押し測っているような、気遣うような思いを馳せながらの連作で話がまとまっていきます。
    あらためて著者の女の心の襞、心理を突く文才に感心してしまいました。きれいごとだけじゃないこの世を描きながら誰も見捨てないところが胸を打ちました。

  • 釧路の高校で同じ図書部だった清美、桃子、美菜恵、直子と、就職先の和菓子の主人と駆け落ちした順子、順子の母静江、駆け落ちされた妻弥生がそれぞれ主人公になる連作短編。

    じっとりと不幸なイメージがつきまとうストーリーですが、最後は自分で何かにケリをつけるという感じで終わっているので、それぞれの未来を応援したくなります。

    各章で駆け落ちした順子のその後が描かれていますが、貧しいながらもずっと笑顔で幸せで、最後は余命数ヶ月の命になりながらも、大切な一人息子のことを思いその幸せを願っている。

    何が幸せで何が不幸か、人それぞれということでしょう。

  • こういう流れの短編はすごく好きだし、この作品は面白かった。それぞれの幸せの形があり、他の人には見えない幸福が有るんだなと感じた。とても幸せには思えないのに。

著者プロフィール

一九六五年釧路市生まれ。
裁判所職員を経て、二〇〇二年『雪虫』で第82回オール読物新人賞受賞。
著書に『風葬』(文藝春秋)、『氷平原』(文藝春秋)、『凍原』(小学館)、『恋肌』(角川書店)がある。

「2010年 『北の作家 書下ろしアンソロジーvol.2 utage・宴』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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