- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784575238792
作品紹介・あらすじ
盲目で、耳が聞こえず、口も利けない少女が青森の弘前にいるという。
明治二十年、教育係として招かれた去場安は、その少女、介良れんに出会った――。
大きな苦難を背負った少女と、人間の可能性を信じて彼女の教育に献身する女教師が、奇跡を起こす。
『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞を受賞した著者による感動作!
感想・レビュー・書評
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舞台は津軽。明治時代の封建的な家族制度が色濃く残る名家。
見えない、聞こえない、話せないという 介良れん の過酷な三重苦人生。
雪深い北国の暗い蔵の中で始まり、最後は激しい津軽三味線の音色で終わる。
読んでいる側の体感に迫ってくるような演出。
れんの教師として東京からやって来る アメリカ帰りの 去場安。
彼女自身も弱視という障害を持つ。
そしてもう一人、れんの成長に大きくかかわった少女、狼野キワ。
鮮烈な印象を残して、物語の緊張感を高める。
人間は、環境と教育を整えられてこそ「人」になると頭ではわかっている。
でも、絶望のような境遇に光を当てるための教育はあまりにも壮絶で、
読んでいて心が痛くなった。
人は自由であるべきだということをアメリカで学んだ安。
れんの教育にあたっては、彼女を自由にするために、
ひたすられんを信じ続け、忍耐し、考え続ける。
マハさんの本には、安のような 志が強く
自分で道を切り拓いていく女性がよく出てきて、いつも励まされる。
もっとも、私には無理だなぁといつも思うのだけど。
英語のタイトルは “The Miracle Worker”
ということは、「奇跡の人」は、れん ではなく 安 ということなのかな?
それにしても、原田マハさん、お茶目ですね。
ヘレン・ケラーとアン・サリバンの名前の捩り。
では、狼野キワっていう名前は?
狼野って、野に放たれた狼少女のこと???
キワさんは、狼少女的存在ではないと思うけれど。
どなたかご存知でしたら、教えていただけませんか。 -
原田マハさんの作品を初めて読みました。ヘレン・ケラーの名前は知ってるけどどんな人物かは全くわからない無知な人間ですが、読み終わって想ったことは
たげ感動すて涙も鼻水も出っぱなすで、一気さ読んでまったよ。こうなったっきゃ原田マハさんの他の作品もっと読まねばまいね。
いやーおもしろかったー!-
タバスコさん、こんにちは。
「奇跡の人」いいですよね。私も大感動でした。
安、れん、そしてキワ。
それぞれの努力と忍耐と愛の力に、...タバスコさん、こんにちは。
「奇跡の人」いいですよね。私も大感動でした。
安、れん、そしてキワ。
それぞれの努力と忍耐と愛の力に、私も鼻水出ました。
タバスコさんのレビューを読んで、あの感動が蘇ってきて
つい コメントしちゃいました。
原田マハさんは、私も今年になってから読み始めました。
どの作品も素晴らしいと思います。
2021/12/07 -
yyさん、コメントありがとうございます。
れんに人としていきる術を伝えた安の努力はまさしく「愛」そのものでしたね。
私は津軽三味線が好きで...yyさん、コメントありがとうございます。
れんに人としていきる術を伝えた安の努力はまさしく「愛」そのものでしたね。
私は津軽三味線が好きで20代の頃に初めて目の前で聞いて、小さな部屋に音が鳴り、なぜか涙が止まらなくて奏者に心配されたこともありました(笑)だから、最後の演出はとても感動しました。
素敵な本と出会えました。
2021/12/08
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幼い頃読んで、感銘を受けた伝記を
(もう一度、読み返したいなぁ)
と、常に思ってはいるのだが。
いつもなんとなく後回し。
つい、どんどん増えてく積読本ばかりを手にとる私に、
原田さんがとても良い機会をくれた。
大好きだったヘレンケラーの伝記。
人物や背景などは変えているが
(設定は日本。しかもわが故郷青森に♪)
他は何も変わらない。
ただ、
それまで闇の中を生きてきた三重苦の<れん>を指導し、
未来へ続く長い道程を
輝く光で照らした<あん先生>との物語は、原田さんの2人に対する愛が満ち溢れており、
言葉、という世界と繋がるツールの他に…
あたたかい光がもうひとつ。
今、ふと思ったのだが、
物語を読んでいた私が
この目で捉えていたのは
活字が並んだただの白い紙面。
そして心が捉えているのは
魂を揺さぶる
津軽三味線の力強い音色と
透き通る歌声。
そして
共に涙を浮かべ、嬉しそうに微笑んでいる
彼女らの表情。
目に見える事だけが全てじゃないのかな?
なんて、
どこかの星で誰かが言っていた様な…(^^; -
【奇跡の人】の紹介文に書かれていたのは
<盲目で、耳が聞こえず、口も利けない少女が青森の弘前にいるという。
明治二十年、教育係として招かれた去場安は、その少女、介良れんに出会った――。
大きな苦難を背負った少女と、人間の可能性を信じて彼女の教育に献身する女教師が、奇跡を起こす。>
ヘレン・ケラーを思い起こさせる紹介文。
三重苦の娘の名は介良れん(けられん)
教師の名は去場安(さりばあん)
ヘレンン・ケラー、アン・サリバン…
ここから名前は来ているんだろうなぁ…と想像する。
ヘレン・ケラーの伝記は子どもの頃、夢中になって読んだ記憶がある。
【奇跡の人】を読みながら、ヘレンン・ケラーを想起させられるけれど、それでも胸がつまるほどの思いが…
【奇跡の人】には狼野キワという盲目の女性が登場する。
狼野キワを通し、この時代に生きることが難しかったであろうことを思い知らされた。
もう一つ、考えさせられたのが「重要無形文化財」のこと。
「人間国宝」と言われる方がピンとくる。
生まれた時からこの制度が存在しているので、何ら疑問に思ったことはなかったが…
本の中には
<戦後、この国の何もかもが欧米化されていくのを懸念した一部の国会議員や有識者のあいだで、日本特有の伝統文化を守り続けるという観点から、日本各地に伝承される「かたちなき」芸術も保護するべきではないかという議論が高まった>
最近、日本ってすごい国だ!と感じることが度々ある。
今更ながら、だけど(笑)
日本の伝統芸能に、もっともっと触れたくなった。 -
冒頭───
その町のいっさいの色を奪って、雪が降っていた。
一両きりのディーゼルカーの箱から降り立った場所は、駅のホームに違いなかっただろう。けれど、革靴の底が踏んだのは、コンクリートではなく、経験したこともない深い雪だった。ホームはすっかり雪に覆い尽くされて、周囲には雪の壁ができている。小さな駅舎にたどり着くまでのわずか数メートルの間、柴田雅晴は、何度も転びそうになって足を踏ん張るはめになった。
「だめだなあ、柴田さん。長靴を履いてきたほうがいいって、あれほど言ったじゃないですか。格好をつけて、革靴で来るんだもの。霞が関への通勤とは、わけが違うんですよ」
慣れた足取りで一足先に金木駅舎に入った小野村寿夫は、得意そうに足踏みをし、ゴム長靴のかかとをきゅっきゅっといわせた。柴田は、参った参った、と苦笑しながら、英国製のウールのコートに降り積もった雪をはたいて落とした。
──────
ヘレン・ケラーの伝記は、おそらく日本中の多くの子供が読んだことのある物語だろう。
僕も子供の頃、間違いなく読んだはずだ。
だけれど、それほど深くは内容を覚えていない。
眼が見えず、耳が聞こえず、口がきけない三重苦の少女をサリバン先生がどんな方法で立ち直らせたのか、その細かなところの記憶がない。
読み終えた後は感動したような気もするが、それも定かではない。
この作品は、それを日本風に置き換えて、小説として完成させたものだ。
少女の家庭教師としてやって来たアメリカ帰りの去場安(サリバン)。
三重苦を背負った少女、介良れん(ヘレン・ケラー)。
この二人の闘いの物語だ。
これを読んで、あらためて“奇跡の人”の素晴らしさを思い起こすことができた。
けものの子として扱われていた少女を、必死の思いでまともな未来のある人間に育てようとする安先生。
そこには、幾度も挫折しそうになりながらも決してくじけることのない安の断固とした固い決意と意志があった。
“彼女だって人間なのだから”という信念のもとに。
安の固い信念が、れんに人間らしい心を植え付け、変化をもたらしていく。
人としての習慣を身に付け、表現する方法を覚え、言葉という概念を理解し、一歩ずつ成長していくれん。
苦難の壁に何度も跳ね返されながら、そこに至るまでひたすら立ち向かう安とれんの姿に、読みながら、何度も何度も涙が零れた。
そんなれんに初めての友だちができる。
盲目の旅芸人一団で三味線を弾く少女キワ。
その唯一の友だちとの出会い、そして別れ。
出会えたときはどれほどうれしく、別れるときはどんなに切なかったことだろう。
ここでも涙があふれ出た。
最後の最後まで、一文字たりとも疎かに読むのを許されないような、そんな緊張感にあふれた感動作。
原田マハさんの素晴らしさをあらためて感じることのできる傑作です。
かつて「ヘレン・ケラー物語」を読んだことのある人も、読んでいない人も、人間であるならこの作品は心に響いてくるはず。
今年一番のお薦め作品です。
それにしても、時代も環境も劇的に変わってしまい難しいのだろうが、今この時代にサリバン先生のような本当の情熱を持った教師がたくさんいれば、世の中も良い方向に変わっていくのだろうな、とふと思った。 -
感動。
どこまでもれんの可能性を信じて全身全霊でれんに向き合う安先生。そして一進一退だが確実にその可能性を開花させていくれん。成長のきっかけとなったキワとの出会いと別れ、そして再会。
人間はどんな状況になっても、どんなに障害があっても素晴らしい人生を送る権利がある。一人ひとりの可能性を信じて関わり見届けること。その大切さを学んだ。
今まで読んだ芸術作品を基にした内容とはまた趣が違う。原田マハの新たな魅力を感じた一冊となった。ありがとう。 -
ヘレンケラー日本版。
けものの子として生きるしかなかった三重苦のれんを安はどのようにして救ったか。三味線の人間国宝になったキワとの関係とは。
目も見えない、耳も聞こえない、ゆえに話すこともできない介良れんと、先生役として可能性を信じ続けた去場安先生の話。
ほんと言葉そのままに壮絶だった。ひとつひとつ学んでいくれんの姿に涙できる安がすごい。どうして他人のために頑張れるのか。使命感ってどうやったら生まれてくるのか。 -
旧幕臣の娘である去場安は、岩倉使節団の留学生として渡米した。帰国後、日本にも女子教育を広めたいと理想に燃える安のもとに、伊藤博文から手紙が届く。「盲目で、耳が聞こえず、口も利けない少女」が青森県弘前の名家にいるという。明治二十年、教育係として招かれた安はその少女、介良れんに出会った。使用人たちに「けものの子」のように扱われ、暗い蔵に閉じ込められていたが、れんは強烈な光を放っていた。彼女に眠っている才能をなんとしても開花させたい。使命感に駆られた安は「最初の授業」を行う。ふたりの長い闘いが始まった―。
「BOOKデータベース」より
日本版ヘレンケラー.
展開は分かっている、けれど、一つひとつに込められた気持ちは、普遍のものであると思う.
困難に向き合う心に、感動する. -
明治時代の津軽を舞台にした日本版のヘレン・ケラー。
ストーリーは知っていても、夢中になりました。
れんを持て余していた介良家の両親が、安先生との暮らしで変わっていくれんを見て、直ぐに自分たちのところに戻そうとする度に、親として仕方がないとはいえ、歯がゆい思いを感じました。
安先生同様に、まだ早い!と奥歯を噛み締めてしまった次第です。
見えず聞こえず、その結果話せない。
私の想像を絶する世界です。
それに打ち勝ったれん、れんを信じ、身体でぶつかって行った安先生が素晴らしかった。
二人を支えた女中のハルが良かった。辞めさせられてしまうシーンは、その理不尽さに胸が詰まりました。 -
原田マハ版「ヘレン=ケラー」。
目が見えず、耳が聞こえず、口がきけない、三重苦の少女と、教育係としてやってきた先生との交流と云うかむしろ、闘いの日々を描いています。
名前がもう、去場安(さりば あん)に、介良(けら)れん、ですから。
安が、当時ではとても珍しい帰国子女ということ、女子教育が全く理解されない日本社会での困惑と失望、彼女自身も弱視ということ。
同じく盲目の旅芸人「ボサマ」で、天才的な三味線を弾く少女。
れんの家族や女中の関係性。
などなど、物語には日本ならではの奥行きがあります。
東北の遅い春の風景が、行ったことないけど感じられるようでした。
子ども相手に日々イライラしてしまう自分を顧みて、もっと人としての可能性を信じて諦めず向き合わないとね...と思った次第であります。
熱いコメントありがとうございます。
この作品には、私も心から感動しました。
読後、しばらく放心状態みたい...
熱いコメントありがとうございます。
この作品には、私も心から感動しました。
読後、しばらく放心状態みたいな感じでした。
東北に縁のある方なら、なおさらでしょうね。
原田マハさんの作品には、昨年初めて出会ったのですが、
ほとんど中毒状態でした。
おそらく30冊くらい、図書館で借りて、次々 夢中で読んだかな?
「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」「たゆたえども沈まず」等々
美術系の長編には、どれも心を大きく揺さぶられました。
「ジヴェルニーの食卓」「美しき愚か者たちのタブロー「異邦人(いりびと)」も好きです。
ゆっくり楽しんでくださいね。
shokomamaさんのレビュー、楽しみにしています。
私の読書はコロナが始まってからで、大したことないのです。
コロナ前に読んでいたのは、村上春樹と恩田陸と東...
私の読書はコロナが始まってからで、大したことないのです。
コロナ前に読んでいたのは、村上春樹と恩田陸と東野圭吾くらいですから。
これからもよろしくお願いしま~す☆彡