ときどき旅に出るカフェ

著者 :
  • 双葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575240290

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、旅に何を求めますか?

    ただただ繰り返される地味な日常、代わり映えのしない退屈な日常を送っていると、旅という言葉に憧れを感じる時があります。旅に何を求めるのか、それは人によって様々です。どうしてそんな場所に行くのだろう?と思うような旅の目的地を選ばれる人がいるのも、旅に求めるものが人それぞれだからです。しかし、多くの人にとって、旅に非日常を求めるというのは共通した思いではないでしょうか?繰り返される日常にないものを旅に求めるという人の想い。そんな中には、その場所にしかないものを求める想いが凝縮されていくはずです。自然、建物、絵、祭、人、動物…と、その対象は様々です。しかし、人が生物である以上、その生物的欲求の頂点に立つものは食だと思います。世界各地には、一生かけても食べることなく、飲むことなく終わるものが山のように存在しています。どんなに頑張ったってその全てを制覇することなど誰にもできません。また一方で、人には自分の興味というものがあり、機会があったとしても興味がないという理由によって出会うことなく終わるものも沢山あります。しかし、もしかしたらそんな中にこそ、あなたの心を虜にするような食べ物・飲み物が存在する可能性だってあるかも知れません。『その味を知ったことで世界は広がる』と、さらにその先に続く喜びが待っているかも知れません。

    この作品は『海外には簡単に行けなくても、世界が広いと知るための場所』を舞台にした物語。そんな場所からまだ見ぬ世界へ向けて心を飛翔させていく様を見る物語。それは、『ときどき旅に出るカフェ』の中に世界への入り口を感じる物語です。

    『この世でいちばん好きな場所は自宅のソファだ』と、そんなソファに座り『三十七歳、独身、一人住まい、子供もいないし、恋人もいない。取り立てて美人というわけではない』と自分のことを考えるのは主人公の奈良瑛子。『部署の独身女性の中では、いちばん上の年齢になって』しまった職場のことを思い『幸福感には、いつも憂鬱のベールがかかっている』と感じている瑛子。そんなある日、『奈良さん、今日ランチどうしますか?』と後輩の中村あずさに声をかけられます。不吉な予感がした通り、『もうすぐ結婚するんです』と切り出した あずさは『彼がお店を始めるんです』と、カレー専門店の計画を話します。『飲食店を始めることはけっして簡単なことではない』と思うものの『大変だろうけど、頑張ってね』と祝福の言葉をかける瑛子は、一方で『自分だけが川の中洲に取り残されているみたいだ』と思います。そんな瑛子は六年前に退職した後輩に同じような話をされたことを思い出します。『短い髪と小さな顔、ちょっと前歯が目立つリスみたいな顔を』をした彼女。『自分のお店がやりたいんです。カフェとか』と話す彼女に『やめた方がいいんじゃないの?』、『新規開業した七割以上が二年以内につぶれる』と話す瑛子に『彼女の笑顔』は凍りつきました。『彼女が会社を辞めてしまった後も…あんなことを言わなければよかった』と後悔している瑛子。そして週末、『足を延ばして』少し離れたスーパーまで行こうと散歩に出た瑛子は『パン屋かカフェか。白い一軒家』に『カフェ・ルーズ』という木の看板がかかっているお店を見つけました。『いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ』と案内されてカウンターに座る瑛子。メニューを見ると『ミント水、ざくろ水、クワス、ハーブレモネード、杏ネクター』と見たことのない飲み物に戸惑います。そんな瑛子に『前歯の大きい、リスみたいな顔』の店員が声をかけてきました。その店員の名は『葛井円(くずい まどか)』、彼女はかつてのあの後輩でした。『よかったらこれ、飲んでみませんか?』、『アルムドゥドラーって言うんです』と出された飲み物を飲んで『ジンジャーエールに似ている…薬草のような不思議な匂い…癖はなくて飲みやすい』と感じた瑛子。その飲み物を『オーストリアの炭酸飲料』と紹介する円は、『カフェ・ルーズ』のことを、旅に出るように『名前も知らなかった、外国の飲み物と出会える』、そんな『旅に出られるカフェ』がコンセプトの店だと説明します。そして、そのお店に通うようになった瑛子は後輩の あずさの彼が出店しようとしているカレー専門店について円に話をしました。その立地を知る円は『少し、気になることがあるんです』と瑛子に語ります。そんな円が語る気になることとは…と展開する最初の短編〈苺のスープ〉。瑛子の生活になくてはならない存在となっていく『カフェ・ルーズ』、そのお店のコンセプトに読者をも魅了させてくれる好編でした。

    10の短編が連作短編の形式を取るこの作品。書名にカフェとある通り、瑛子の元同僚がオーナーとして経営する小さなカフェが舞台となって、そこを訪れる人たちの人間模様が綴られていきます。近藤史恵さんというとフレンチ・レストラン『ビストロ・パ・マル』を舞台に絶品のフランス料理の数々が登場し、そこにプチ・ミステリーが繰り広げられる「タルト・タタンの夢」が有名です。この作品では、コンセプトとしては似たような部分があるものの、舞台がカフェということもあって、もっと気取らない軽やかな舞台の上で物語が展開していきます。そんな物語の最大の魅力はカフェで出されるスイーツの数々です。そんな中からこのカフェのコンセプトにも近いと思われる二つをご紹介します。まずは『ツップフクーヘン』です。『ロシア風チーズケーキ』とも言われるそのスイーツの名前を『ドイツ語なの?ロシア語じゃなくて』と聞き返す瑛子。『これ、ドイツのケーキなんです。ベルリン近辺でよく食べられている』と紹介する円に『だって、ロシア風って』と驚く瑛子に、『ナポリタンはイタリアにはないし、天津丼だって日本で作られた料理です』と例を挙げる円。『ロシアという名前がつけられていたからと言って、ロシアからきたとは限らないのだ』と納得し、そのスイーツの魅力の虜になっていきます。次は、同じくオーストリア名物として有名なザッハトルテについてこんな記述が登場します。ライバル店でザッハトルテに生クリームを添えないことを『ウィーンでは濃厚なこのザッハトルテにまだまだ生クリームを山盛り添えて食べる…日本人にはくどすぎると思うので、うちではザッハトルテのみ』にしていると答えるライバル店の店長。一方で『カフェ・ルーズ』でザッハトルテを注文した瑛子は『山盛りの生クリームが添えてあ』るのに気づきます。『どうぞ、生クリームと一緒に召し上がって』と円に言われ『生クリームが、ザッハトルテの濃厚さを和らげている』ことに気づく瑛子。『ザッハトルテはこうやって食べるものなのだと、一口食べただけでわかった』という瑛子の素直な感想が描かれるこのシーン。私もザッハトルテは大好きですがウィーンで食べた生クリーム山盛りのザッハトルテと日本で食べる生クリーム無しのものを比べた時、本物感の違いはそこにあったのか、ととても納得すると共に、生クリーム山盛りのザッハトルテをまた食べてみたくなりました!

    そんな風に世界各地のスイーツが提供される『カフェ・ルーズ』は円の一貫したコンセプトに基づいて運営されています。それが、瑛子が思わず口にした『なんか旅に出てるみたい』という感覚の先にあるものでした。オーストリアに行ったことのない瑛子は、『アルムドゥドラーを飲みながらオーストリアのことを考え』ます。『一生行くことがないかもしれない国の飲み物がここにある』、という目の前の異国の飲み物。そんな飲み物と出会ったことで『椅子だけがふわりと浮かび上がったような気持ちになる。空飛ぶ絨毯のように椅子だけが飛んで旅に出る』という気持ちになったという瑛子。『名前も存在も知らなかった、外国の飲み物と出会える』という『カフェ・ルーズ』は、オーナーの円が『毎月一日から八日』に店を休み、その間に旅をして『買ってきたものや見つけたおいしいものをカフェで出す』というコンセプトで成り立っていました。『わたしもしょっちゅう旅に出て休みにするし、その代わりお客さんもここで旅を感じる』と語る円。それこそがこの作品の書名にもなる『旅に出られるカフェ』というコンセプトでした。私たちは旅に出る時、何を目的とするでしょうか?その場所にしかない景色・建物を見る、その場所にしかいない人たちと出会う、そして、その場所にしかない食べ物と出会う。それらが旅の醍醐味です。一方で私たちの誰もが世界各地を訪れる機会を得られるわけではありません。時間もお金も、そして機会も限られる中で私たちが一生のうちに訪れられる場所は限られています。そんな中で、本来出会えることのなかったはずの食べ物や飲み物と出会うことで、ふと心を、ふと気持ちをそんな国へと飛翔させることができる、それこそがこの『カフェ・ルーズ』というカフェの魅力でした。私もリアル世界でこのようなコンセプトのお店に行ってみたい、なかなかに自由に旅に行けない今の時代だからこそ、そんな風に感じるとともに、この作品に出会えたことでまだ見ぬ世界に心が飛翔した気持ちになりました。

    そんな物語は、カフェのように気軽にさっぱりとした物語が展開するのかと思いましたが、後半の短編に行くに従って内容がどんどん重くなっていきます。この作品の主人公は、『カフェ・ルーズ』を訪れる奈良瑛子です。しかし、後半の短編にいくにしたがって瑛子の存在が薄くなっていきます。一貫した瑛子視点の物語にも関わらず、瑛子の影が薄らぎ、葛井円という女性に隠されたミステリーに迫っていく後半の短編。そこには、『新庄さんは、どんなことをしてもあんたを潰したいみたいだよ』と『カフェ・ルーズ』を叩き潰そうとするまさかの人物が蠢く物語が隠されていました。前半のただただ軽やかな展開が、後半に深まるミステリーの中に重々しさを感じさせる物語。近藤史恵さんらしい影を感じさせるその展開も含めて、色んな要素を盛り沢山に魅せてくれたとても上手く構成された作品だと思いました。

    『ここは入り口なのだ。海外には簡単に行けなくても、世界が広いと知るための場所』と『ときどき旅に出るカフェ』をコンセプトに営業を続ける『カフェ・ルーズ』。そんなお店はオーナーの葛井円が世界を旅して、彼女がそこで出会った世界各地の食べ物・飲み物と出会える場所でもありました。私たちが一生の内に訪れることのできる場所には限りがあります。本来出会えなかったはずの食べ物・飲み物と出会い、『そこから世界が広がっていると感じ』ることのできる、そんな瞬間が味わえる『カフェ・ルーズ』。近藤さんの魅力あふれる食の描写と、後味爽やかに解決されていくプチ・ミステリーの数々、そして、軽やかさだけでなく上手く練られたストーリー構成の妙にすっかり魅了された、そんな作品でした。

    • ダイちゃんさん
      さてさてさん、いつも“いいね”頂き、ありがとうございます。「カフェ・ルーズ」素敵なお店ですね。海外旅行した頃を思い出しました。癒されるレビュ...
      さてさてさん、いつも“いいね”頂き、ありがとうございます。「カフェ・ルーズ」素敵なお店ですね。海外旅行した頃を思い出しました。癒されるレビューです。ありがとうございました。
      2021/11/18
    • さてさてさん
      ダイちゃんさん、こんにちは!
      こちらこそいつもありがとうございます。
      この作品、書名がたまらなく雰囲気感に溢れていますし、登場する料理の...
      ダイちゃんさん、こんにちは!
      こちらこそいつもありがとうございます。
      この作品、書名がたまらなく雰囲気感に溢れていますし、登場する料理の数々含めて、海外を旅してふらっと立ち寄ったレストランで地元の美味しいものを見つけた!あの感じが味わえますね。とても良い作品に出会えました。
      コメントありがとうございます!
      2021/11/18
    • ダイちゃんさん
      返信コメントして頂き、ありがとうございました。
      返信コメントして頂き、ありがとうございました。
      2021/11/18
  •  平凡な毎日を過ごし、この先も平凡な人生だろうと諦めの境地で独身生活を送るアラフォー女性の瑛子が主人公。けれど、偶然見つけた小さなカフェでのひとときによって、見えていた人生の色彩が変わっていく。
     そんな瑛子とカフェ店主の円の関わりを描く連作短篇集。
             ◇
     奈良瑛子。37歳のOLだ。
     瑛子にはとりたてて言うほどの趣味もなく、恋人もいない。結婚を含め将来への希望もさしてない。このままの人生だろうと自分でも受け入れる気でいる。
     だから少し無理して買った1LDKのマンションと会社を、ただ往復するだけの毎日だ。

     だがある日、自宅近くに小さなカフェを見つけたことで、それまでモノクロのようだった瑛子の日々に変化が訪れる。
     全10話からなる連作短編集。

         * * * * *

     主人公の瑛子は少々地味キャラで当初は魅力に乏しかったけれど、相手役となる円が実に魅力的でした。
     パワフルで目配りができ、料理上手。判断も的確だし思い切りがいい。リスのような愛らしい外見もステキです。
     まさに魅力満載で、円こそが主人公にふさわしいと思うほど。

     さらに円の城とも言えるカフェ・ルーズがまたいい。
     月始めの8日間が休業日という変わった営業形態だけれど、その間を利用して旅に出た先で円が気に入った料理やスイーツがカフェ・ルーズのお薦めとなります。
     そのがどれもが実に美味しそうだし、円の接客も含めた店の雰囲気が寛ぎのひとときを味わえそうで想像力を掻き立てられます。

     この初期設定がうまいと思いました。

     ストーリーはミステリー調で少しも退屈させないし、何より円のクレバーさが引き立つ展開になっているのがいい。

     そして、次第に瑛子がしっかりしたステキな女性に変貌していく様子がさり気なく描かれるのもまた、うまいと思いました。

     ただ、最終話のエピローグ部分。必要かなあと疑問に思います。明るいフィナーレを用意したかったのかもしれないけれど、円がはしゃぎすぎに感じられて、個人的にはそれまでの物語にそぐわない気がしました。

     でも、いい作品だったと思います。

  • 見たことも聞いたこともない、色んな国のスイーツや飲み物の名前が出てきて、検索しながら楽しく読み終えた。

    ちょっとした謎解きや、ラストのへえ!って話まで、色んな要素あり。

  • 美味しそうで軽くて明るいミステリーです♪
    37歳 独身 極く平凡な一人住まいの奈良瑛子は取り立ててお金持ちでも美人でもモテるでもない社員生活を送っている。6年前に 今では名前さえ思い出せない後輩の退社相談に言下に彼女のカフェ希望を否定した時の彼女の悲しげな表情を時折思い出すことがある。
    ある日ふと立ち寄った小さなカフェ、そこは あの彼女が数年前に開業したという一人で切り盛りする店だった。
    毎月初めの8日間は休みで、その間に国内外を旅して出逢った気に入りメニューを自分の店で作って出している。気まぐれに寄った店はまるで自分まで旅に出た気持ちにさせてくれるので、いつしか瑛子の心の拠り所となる。描かれているメニューは様々な国のスイーツを初め如何にも珍しく美味しそうだけど、それに纏わる10編の話もとても興味深い連なりです。そうして少しミステリアスな後輩さんに関するミステリーは最終話で遂に明らかになるけれど、なーるほど そう来ますか!!
    ごちそうさまでした。

  • 取り上げられているスイーツが、絶妙にストーリーに絡んでいて面白かった!
    非日常に連れて行ってくれて、アットホームだけどお客さんに干渉し過ぎない。
    こんなカフェがあったら、常連になってしまうだろうな。

  • こんなカフェが近くにあったらいいなーと思いながら読みました。
    カフェを経営する円の強さとしなやかさが素敵。毎話、ちょっとした謎解きもあり、お話しとしても面白く読めました。

  • カフェ・ルーズは毎月一日から八日が休み。営業は九日から月末まで。店主はその間旅に出る。そして買ってきたものや見つけたおいしいものをカフェで出す。オーストリアの炭酸飲料だとかハンガリーのロシア風チーズケーキとかだ。もちろん毎月海外という訳ではない。国内の時もあれば、新メニューを試作している時もある。

    そんなカフェが近くにできたら、ちょっとうれしい気がする。自分は行ったことがなくても、口にするものから旅を感じることができるから。おまけに中二階の窓からは、住宅街の中なのに、樹々の緑や沈む夕陽を見ることができる。三十七歳で1LDKのマンションに独り住まいの瑛子にとって、そのカフェは、気の向いた時ちょっと寄るのが楽しみな場所になっている。おまけに店主の円はかつて会社にいた年下の同僚だった。

    そんな設定で、ミステリ雑誌に連載していたものを全部で十篇、まとめて一冊に仕上げたのが本作。全篇すべてに菓子や飲み物がからんでくる点で、同じ著者の『タルト・タタンの夢』シリーズの姉妹版ともいえるコージー・ミステリ。ただ、三船シェフ以外にも個性の異なる三人のスタッフが登場するビストロ・バ・マルと比べ、オーナー兼パティシエの円が一人で営むカフェ・ルーズ。話が小ぢんまりとしてしまうのは否めない。

    ワトソン役というか狂言回し役を務めるのが奈良瑛子。勤務する会社では一番年長の独身女性で、休日はお気に入りのソファに寝そべって本を読んだりDVDを見たりするのが趣味といったタイプ。結婚については特に気にはしていない。うるさい両親とは距離を置いている、気楽な独身生活だ。たまたま立ち寄ったカフェで、会社の同僚の噂話をしたりしているうちに、円が何かに気づくというミステリ仕立て。そう。ホームズはパティシエなのだ。

    だから、結婚が決まった同僚の退職話だとか、昔の親友の夫の浮気疑惑といった、独身女性ならではの話題が中心なのだが、中には娘の中国土産の月餅が消えてしまった事件だとか、同じマンションに住む中学生の父親の再婚話といったドメスティック・ミステリの要素も強い。中でもいちばんドメスティックな要素が際立つのは、円の育った一家に纏わる遺産相続争いだろう。それに、円が介護していた祖母の死が絡んで、事件は不穏な空気を漂わせる。

    近所に、カフェ・ルーズと同じコンセプトで、同じメニューを提供する大手のチェーン店がカフェを開いたり、そこを首にされた青年が円のことを好きになり、店で使ってくれと言い出したり、独身のアラサー女子が、中心の話だから恋愛風味も忘れてはいない。ただし、その恋愛模様は、最後にとんでもないどんでん返しが待っている。この最後の新たな展開で、それまでの円の見せる笑顔の意味がちがった意味を持ってくる。女性のちょっとした仕種が意味するものの多義性にはまごつかされた。

    それにしても、いつものことながらどこでこれだけのリサーチをしてくるのやら。フィアンセを連れて店にやってきた男がエスニック・カレー店を開くと言いながら、店の前に置いたプランターに植わっている大葉月橘を知らなかったという理由で結婚詐欺を疑ったり、高級な月餅の中には家鴨の卵黄が入っていることから、月餅の消えた理由を推測したり、円の繰り出すペダントリーはなかなかのものである。

    使える旅行期間が一週間くらいだから、中国や東南アジアのお菓子や飲み物が中心になっているが、オーストリアやハンガリー、ベルリンといったちょっとシブい都市が扱われているのも興味深い。アルムドゥドラーというハーブで香りづけされたオーストリアの炭酸飲料だとか、ちぎったココア生地を上にのせて焼いたロシア風ツップフクーヘンがロシアではなくベルリン近辺で食べられているお菓子だとか。相変わらず読んでいるだけでよだれが出そうになる。

    しかも、肝心な点はその菓子の持つ特徴、形や製法、名称などがミステリの謎ときに重要な意味を持って使われているというところだ。単なる蘊蓄話やペダントリーに終わっていない。なるほど、大した謎ではない。人が死ぬわけでもなければ、凶器の一つも登場するわけではない。ただ、人がそこにいる限り、悪意が凝集すれば、すんでのところで事件が起きても不思議はない。騙したり、蔑んだり、嫉んだり、人の悪意というのは程度の差こそあれ、どこにでも転がっている。

    小柄でいつも笑顔を浮かべている円だが、彼女にも過去があった。日本という国に根強く残る差別意識にどう対峙するか。かつて同僚だった時にはあまりしゃべらず、人との付き合いも避けていた円。それが店を開いてからは、どことなく自信にあふれ、生き生きして見える。人は愛し、愛されることで強くなれる。その強いメッセージ性が全篇の最後に立ち現れるのがまぶしい。爽やかな中にほのかに胸がキュンとなる幕切れに乾杯!出来たら続編が読みたいものだ。

  • 主人公の奈良瑛子が暮らすマンションの近くに、かつての同僚だった葛井円の経営するカフェ・ルーズがあった‥そこは、諸外国を円自身が旅して美味しいと感じたものを提供するカフェだった‥瑛子はすっかりカフェ・ルーズが気に入り、足繁く通うようになる‥。様々な人間模様が、美味しいお料理やドリンク、デザートと一緒に出てきて‥ストーリー的には重くてもワクワクするような‥そんな気持ちで読みきりました!ラストにはびっくりしました(笑)。今、旅することができなくても、旅した気分になれる‥あぁ〜ウチの近所にもカフェ・ルーズがほしいです♪

  • 「うち、そういうコンセプトのカフェなんです。旅に出られるカフェ。私もしょっちゅう旅に出て休みにするし、その代わりお客さんもここで旅を感じる」
    ときどき旅に出るカフェというタイトルに惹かれて手に取った本。近藤史恵さんの本を読むのは初めてだったけど、美味しそうな料理に軽いミステリーが合わさって、とても良い雰囲気の小説だった。短編になっているからとても読みやすかったし、続編でたら、また読みたいなぁ…。

  • 「パ・マル」シリーズで、すでに料理の描写にやられてしまっている感じだが、今回はヨーロッパを中心にその地域独特のスイーツをテーマにした「日常の謎」ものの短編集。題材にされたスイーツは、あまり知られてないものが多いけど、やっぱり描写がとても巧くて、どれも食べてみたくなる。
    後半に連れて、人間関係などにも触れているので、シリーズ化するのかな…

著者プロフィール

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。1993年『凍える島』で「鮎川哲也賞」を受賞し、デビュー。2008年『サクリファイス』で、「大藪春彦賞」を受賞。「ビストロ・パ・マル」シリーズをはじめ、『おはようおかえり』『たまごの旅人』『夜の向こうの蛹たち』『ときどき旅に出るカフェ』『スーツケースの半分は』『岩窟姫』『三つの名を持つ犬』『ホテル・カイザリン』等、多数発表する。

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