奇跡の人 The Miracle Worker (双葉文庫)

著者 :
  • 双葉社
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感想 : 350
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575520712

感想・レビュー・書評

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  • これはこれは、、大感動小説でした。
    ヘレンケラーについての知識が乏しい私でしたが、とても読みやすくしっかり心打たれましたので、予備知識がない方も安心して手に取ってみてください。
    さて、小説に限らず映画や漫画等の作品において、何かを失ったもしくは持っていない登場人物を描く場合、それを持っていることを当たり前に思っている価値観への何かしらの提唱を感じることが多いのですが、この本は違います。
    よくある、例えば登場人物が今まで当たり前にできていたことへ突然感謝を思う描写とか、そういったものがほとんどなく、個人的にはそこがこの小説の1番好きなところです。
    あるから良い、ないから悪いみたいな一方的な主張はあくまで1つの価値観というだけであって、一般化されると気分が良くないですからね。
    扱っているテーマはシビアなものですが、原田マハさんらしい文章で、すっと心に入ってくる素敵な小説でした。

  • 原田マハさんの長編小説。

    ◆あらすじ
    見えない、聞こえない、話せないの三重苦である計良れんと専属教師として仕えた去場安の愛と情熱の師弟物語。和製版ヘレンケラー。

    ◆感想
    あとがきの解説にもある通り、「奇跡の人」と言えば、普通想像するのはヘレンケラー本人だと思うが、この物語を読んでその視点が大きく変わる。この物語での主人公は、紛れもなく、れんの専属教師として仕えた去場安である。
    自身も視力が弱いというハンデを抱えながら、わずか9歳にして親元を離れ、女子留学生としてアメリカに渡った安。アメリカ政府高等書記官アーノルド・ホイットニー家に預けられ、約13年間最高級の教育を受けた安から見て、初対面のれんが置かれた状況はあまりにもむごく、"けものの子"の表現はけして誇張等ではない率直な感想だったのだと思う。
    れんの成長を妨げる環境、困難、刺客が立ちはだかるなか、綴り遊びや探しもの遊び、触手話を用いて、ものの名前、言葉、意味を根気強く学習させてゆく姿には、れんの両親以上の愛と情熱が伝わってくる。
    原作で有名なウォーターの場面で安とれんの二人三脚の物語は幕を閉じる。読者としてはこの先が読みたいのに!と歯痒さを残される終わり方。いつか続編が読めることに期待。

  • 安の情熱に胸を打たれました。
    三重苦を抱える6歳の令嬢れん、蔵に閉じ込められ居ないものとされ、本能のまま獣のように生きている。安はれんの教育係りとなる。れんの可能性を信じ、一歩一歩着実に根気よく、安は人間らしさを身に付けさせてゆく。
    安自身も弱視というハンディを抱えていた。娘の将来を案じた父親は安、わずか9歳のとき岩倉使節団の留学生として渡米させ、最高の教育を受けさせた。この父親の裁量の大きさには感服する。
    れんに輝く可能性をみた安は、れんを支えることを使命とし、決して諦めなかった。それは、障害や、女性に対して差別がある時代背景、留学先で日本の女性として差別を受けてきて、決して諦めてはいけないのだという揺るぎない意思が養われてきたのだろう。かわいい子には旅をさせろとの言葉が身に沁みる。教育とは、子育てとはと、考えさせられる大切なことが沢山詰まっていた。甘やかすのでなく、愛情を持って厳しくする。子供の自由を広げ、自分らしく生きれるよう導く。自分を守るのは自分しかいない。自分の足で立つ、自分の手で探る、自分の心の目で見、心の耳で聞く。中々出来なかった自分としては思い出しながら胸が痛んだが。
    ものには名前があること、指で綴った手文字、言葉は何のために存在するのか。忍耐強く教える安。恐れてはだめ、逃げてはだめ。絶対に。
    好きな表現は、「れんの小さな手のひらを自分の頬に当てた。そして、大きく二回、うんうんとうなずいた。」手と頬が触れる感触、人の温かみが伝わってきそうだった。
    人それぞれの伸びる道、得意分野を持つことの大事さを教えられたようだった。
    小学生のとき、母に勧められ初めて読んだ伝記がヘレンケラーでした。こういう形で読めて良かった。

  • 「奇跡の人」 原田マハ(著)

    2018年 1/14 第1刷 (株)双葉社
    2020年 4/21第16刷

    先日行われた第12回wakayama読書部にて
    「涙が止まらなくて困った…」とご紹介されているのを聞いてその場でポチり。

    素晴らしい作品でした!

    奇跡とは信じて慈しんで戦って
    初めて手にすることが出来る。

    ぼくらにもその可能性がある。

    でも覚悟はあるの?

    去場安先生はいつでも暖かく見守ってくれてる。

    世界中の奇跡の人に敬意を表します。

    ☆25個あげたい。

  • 伝記『奇跡の人』を日本版の小説にしたものです。
    舞台は明治29年の青森県弘前市と金木町です。

    サリバン先生は、去場安(さりばあん)。
    ヘレンケラーは、介良れん(けられん)。という名前になっています。

    アメリカの留学から帰った25歳で弱視の安が、伊藤博文に依頼されて、青森県の弘前市の介良貞彦の家の一人娘のれんの家庭教師となって、三重苦(見えない、聞こえない、しゃべれない)のれん、6歳の教育にあたります。
    安の教育は急速に成果をみせますが、時にれんを邪魔もの扱いし、毒殺されそうになるなどのミステリータッチな部分もあり、読ませます。

    そして、やはり一番良かったのは青森の金木町の別邸で、会った、狼野キワ(おいのきわ)10歳との出会い。やはり盲目の旅回りの芸人ですが、のちに人間国宝とされる津軽三味線の名手です。
    キワという友だちができたことによって、れんの成長が急速に進み、ローマ字の手話を理解するようになります。
    やはり、人を成長させるのは人なのですね。
    れんにとってキワの存在がどれだけ大きなものだったか。でも、キワは自分の身分をおもい去っていってしまいます。

    そして、もう一人の主役は、安です。
    「私は神に誓って「闘い続ける」と決めたのだ。私の運命の少女、れんとともに」
    「自分の夢は、祈りは、ただひとつ。れんの能力を開花させること。ただそれだけだった」
    時にれんのために、血まみれになりながら、情熱を持ち続けます。

    読んでいる私も、二人のやりとりを読むにつれ、れんが可愛くてしかたなく見えてきました。
    れんの母のきわも「先生、この子はほんとうに人形ではなく、人間になれるでしょうね」と安に尋ねますが、れんは立派でした。れんは「奇跡の人」になりました。

    そして、昭和30年、れんとキワの再開シーン。

    れんは、元気でいると。あなたにずっと会いたかったと。
    たったひと言。伝えたいのだと。
    ありがとうキワ。
    大好きよ。

  • 奇跡の人と言えばヘレンケラー。
    原田マハが書いたら舞台は津軽。
    ヘレンケラーは介良れん(けら れん)、サリバン先生は去場安(さりば あん)というネーミングはふざけたダシャレのようで引いたが、話はすごい。
    何より素晴らしいのは、もう一人の人物、盲目の三味線弾き門付け芸人の少女キワを登場させ、れんと出会わせたことだ。ふたりが遊びながら言葉を覚えていく日々が美しくて泣けてしまう。

    なぜ舞台が津軽なのか?
    ボサマと呼ばれる門付け芸人や盲目のイタコが存在した土地だからだそうだ。盲目の女性が自立して生きていくすべがある土地柄。それを受け入れる津軽の土地柄に惹かれる。
    そこにヘレン・ケラーを持ってきた原田マハさんの深い想いに感動した。

  • アメリカ留学帰りの女性「去場安」と盲目で耳も聞こえない少女「介良れん」の物語です。
    他の方の感想にもある通り、日本版ヘレンケラーという感じの内容でした。

    安が困難にぶつかる度に、どうして周りは理解してくれないの!?と私まで怒りが込み上げてくるほど感情移入してしまいました。

    この物語を読み終わって感じたのは、自分の感情や意思を伝えられないれんを見ていると、今まで当たり前だと思っていた目が見えること、耳が聞こえる私は、とても幸運なんだいうことです。

    物語のラストにも感動しましたが、同時に健康に生んでくれた母にも感謝の気持ちでいっぱいになりました。原田マハさんの作品は、読んだ後に考えさせられる内容が多いように思います。また他の作品も読んでみたいです。

  • 【感想】
    「日本版ヘレンケラー」という感じの小説。

    今まで色んなイイ小説を読んできた手前、この本を「今まで読んだ本の中で〇番目」と断定することはできないが、少なくとも今まで読んだ本の中で、「読んでる途中に一番泣いた本」であることは間違いない。
    安の使命感とれんの成長、その2人が試行錯誤しながらも奏でる物語は、読んでいて何回涙したことか・・・
    ただ、自分のページを繰るスピードが上がってしまったのもあるが・・・ストーリーが終盤はちょっぴり駆け足気味で、れんと安の成長や触れ合いについて、もう少し長く詳しく書いてほしかったなぁと読んでいて思った。

    まぁ、総合的に評価すると、300ページの本にしてはかなり綺麗にまとめられており、全体的に完成度が高くて奥が深いイイ1冊だった。
    なにより、最初から最後まで物語自体の濃度が高く、色んな展開があってハラハラしつつ、最後はしっかりハッピーエンドで締結できていたね。
    本当に読んでいて何度も涙ぐんだし、心が温かくなりました。

    最後に、、、この本のタイトルでもある「奇跡の人」という一つの言葉について。
    物語を読んでいく中で、キワ・れん、そして安という3人の主要人物が出てきて、「奇跡の人とは、一体だれを指しているんだろうか?」と思いましたが、なんてことはありません。3人とも奇跡の人なんですね。

    温かい気持ち、優しい気持ちになりたい人に、オススメの1冊です。


    【あらすじ】
    旧幕臣の娘である去場安は、岩倉使節団の留学生として渡米した。
    帰国後、日本にも女子教育を広めたいと理想に燃える安のもとに、伊藤博文から手紙が届く。
    「盲目で、耳が聞こえず、口も利けない少女」が青森県弘前の名家にいるという。
    明治二十年、教育係として招かれた安はその少女、介良れんに出会った。
    使用人たちに「けものの子」のように扱われ、暗い蔵に閉じ込められていたが、れんは強烈な光を放っていた。

    彼女に眠っている才能をなんとしても開花させたい。
    使命感に駆られた安は「最初の授業」を行う。ふたりの長い闘いが始まった―。


    【引用】
    ヘレンケラー
    「その顔を、いつも太陽のほうに向けていなさい。あなたは、影を見る必要などない人なのだから。」


    p20
    このさきあの音を失うとしたら、それは僕らの国のもっとも佳き芸術の一つを失うことになる。
    けれど、残念なことに、あの音は、確実に失われていく音なんだ。
    あの人には、後継者がいない。あの人のように、あんな音を出せる人は、日本どころか世界中もうどこにもいない。
    あの人が生み出す音を、つまりあの人こそ、僕は、この国初の「生きた人間の文化財」にしてやりたい。


    p29
    小野原は、しばらく黙ってキワを見つめていた。
    どうにかキワの心に降り積もった雪を解かしたいと願うように。
    やがて、思いのこもった声で、小野村は言った。
    「あなたの三味線を私に紹介してくださった人物が、、、もう一度聴きたいとおっしゃっても?」
    その一言に、キワが顔を上げた。
    「・・・あのお方だか?あのお方は・・・生きておいでだか?」
    小野村は、もう一度うなずいた。そして、ごく短く答えたのだった。
    「ええ、生きておいでです。・・・あの『奇跡の人』は」


    p190
    吉右衛門と、れんとの、一期一会。
    失敗に終われば、介良男爵や辰彦の怒りを買い、れんは、このさき一生を北の蔵から脱することなく終えてしまうかもしれない。
    危険極まりない出会いの演出。が、安は、れんが生まれ持つ運の強さに賭けた。

    熱病に冒され、失いかけた命を奇跡的に取り留めた。
    その後、「三重苦」に苛まれながらも、それに屈することなく、のびのびとした魂を持つ子として成長した。
    そして、はるか東京から自分をここまで引きつけた、強力な磁力。
    この少女はただものではない。将来、世の中をあっと驚かせるような天賦の才を持ち合わせている。
    人間としての魅力も。そして強運も。


    p236
    なんて強い子なのだろうか。
    夜ならば、やがて朝がくる。小鳥のさえずりも聞こえてくる。
    けれど、あの子は永遠に続く闇の中を、真夜中よりも深い無音の世界を、たったひとり、手探りで、ここまで歩んできたのだ。

    いかなる境遇をも乗り越えるまっすぐな魂と、ひたすらに生き抜く強さとを、あの子は持って生まれてきた。
    なんのために?ーー知るために。
    この世界を生きる限り、闇を照らす光があることを知る権利が、あの子にはある。
    人として生まれてきた限り、人に愛される資格が、あの子にもある。
    そして、いつかきっと、人を愛する気持ちが、あの子にも芽生えるはずなのだ。


    p294
    介良れん、このとき7歳。
    「女ボサマ」狼野キワ、このとき10歳。
    運命的な出会いの瞬間は、こうして訪れたのだった。

  • 誰でもが知っているであろうヘレン・ケラー伝の物語を、あえて日本に置き換えて小説化した著者の意気込みを評価するとともに、その作品の出来栄えにも敬意を表せざるを得ない。
    それだけで感動の物語を、そのままでは小説にした意味はない。
    著者は、舞台を青森に設定し、津軽弁を巧みに織り交ぜる。後に重要無形文化財として賞される、ボサマにして盲目の少女キワと恐山のイタコを介在させることによって、独自の物語に昇華した類稀な感動作となった。
    そして何よりも、三重苦の少女を尊厳ある人間へと導こうとする教師安の、絶望的な状況をものともせずどんな困難にも怯まない行動力に圧倒される。崇高な信念と怯まない意志力に魅せられながら、読者はたちまち最終頁に至ってしまうだろう。
    奇跡の人とは、奇跡をもたらした人=安を指すのだと述べている解説者の説に、確かに同意できる作品である。

    • kaze229さん
      全く、同感です。原田マハさんの新刊情報にはいつもワクワクさせられてしまいます。
      全く、同感です。原田マハさんの新刊情報にはいつもワクワクさせられてしまいます。
      2018/04/03
  • 「奇跡の人」というタイトルでなぜ気付かなかったのか。登場する去場安(さりばあん)と介良れん(けられん)の名前を見て、変わった名前〜なんてぼーっと読んでいた私。
    途中でやっと気付く!あれか!

    本家そのままのお話のようだけど、舞台が津軽で本家と同時代昭和20年代戦後という設定でちょっと捻って語られていく。
    この時代に暗黙の了解であった「家」としての立場「女性」としての立場。うっすら昭和を生きた私にも分かる。でもそこから「個」を尊重する今の時代になってる。すごいよね。きっと沢山の人達の尽力があったんだろうなあ。そりゃ時代だって令和にもなるわ。

    これは単純に面白かったー!とは能天気に言えない...。深いなあ...。色々考えさせられるなあ...。
    それでもこのテーマで、色々な問題を絡めることの出来るマハさんすごっ。

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。森美術館設立準備室勤務、MoMAへの派遣を経て独立。フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍する。2005年『カフーを待ちわびて』で、「日本ラブストーリー大賞」を受賞し、小説家デビュー。12年『楽園のカンヴァス』で、「山本周五郎賞」を受賞。17年『リーチ先生』で、「新田次郎文学賞」を受賞する。その他著書に、『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『常設展示室』『リボルバー』『黒い絵』等がある。

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