武田勝頼:試される戦国大名の「器量」 (中世から近世へ)

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (378ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582477320

感想・レビュー・書評

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  • 最近多い、信玄の負の遺産を受け継いだ面にもスポットをあてた、武田勝頼の領国支配について記述してある。

  • 平山優氏の「武田氏滅亡」も読むと、より理解が深まります。
    勝頼のみが無能とかそのような問題ではなく、信玄からの後継者教育・周知の不足、先見性の無さが悲劇を招いた要因の一つかと思われます。
    長篠合戦からの内政外交についての対応苦慮が手に取るようにわかります。
    戦国時代についての考証は常に新しい情報が必要ですね。
    世間で周知の事実と違う部分も数多くあります。

  • [評価]
    ★★★★★ 星5つ

    [感想]
    一般的に暗君と考えられている武田勝頼。その誕生から死ぬまでを解説している。
    勝頼は「義信事件」で義信が廃嫡されるまでは、一門衆としての立場で武田家を支える武将であったということがわかる。ある程度の領域の統治を任されていたようだ。
    しかし、義信事件で信玄の後継者となった勝頼ではあるが、武将としては信玄から軍団を任され、それなりに功績をあげていたようだが、大名としての仕事はほとんど任されることがなかったようだ。結果的にこの措置が勝頼が大名となった際にデメリットとなっている。
    しかし、戦国大名としては特に致命的な部分があったわけではないが、周辺諸国との外交に失敗し、甲斐、信濃、上野、駿府と様々な場所の国人衆が参加していた高天神城の戦いに対し、後詰めを行わなかったことが勝頼政権にとっては致命傷となったことがよく分かる。
    北条に対しは、かなり優勢だったことは驚いたな。

  • 山梨に引っ越したので、読んでみた。信玄と違い亡国の君主として有名で、長篠で無茶な戦いをして以後凋落、それくらいの認識だったが、印象が変わった。長篠以降も勢力を保ち、遠江は失ったが、上野を手中にし、越後では日本海側まで一部有するなど、信玄に劣らぬ最大版図を得ていた。単なる凡将ではないのだが、上野と引き換えに北条と敵対し東海道で徳川と挟撃され、高天神城を失ったことで一気に家臣の信頼を失い、信長の侵攻を招く。原典を示して歴史書として説得力のある説明がされつつも、読み物としても面白かった。勝頼は戦術に優れ、戦略で負けたというところか。後から見れば、北条とはなんとしても同盟を維持しておくべきだった。次回の信長の野望は勝頼でやってみよう。

  • 東2法経図・開架 289.1A/Ta59m//K

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著者プロフィール

慶應義塾大学文学部非常勤講師

「2021年 『戦国遺文 真田氏編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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