- Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582760019
作品紹介・あらすじ
夢にも固有の歴史があった。夢を独自なうつつとして信じた「古代人」の文化と精神の構造のなかに、「忘れていた今」を想い起こす独創的な精神史。
感想・レビュー・書評
-
すごく面白かった。民俗学や平安以前の文学に興味がある人なら好きだと思う。注も必見。
第二章、第三章は、記紀神話や寺社縁起を引用して、古代の夢が地の豊穣や女人信仰を基盤とするものだという指摘は、話が広がって趣旨が分からなくなりがちだったので、ゆっくり咀嚼しながら読んだ。夢を買う章、夢あわせの章は知らないエピソードばかりで興味深かった。「今日の精神分析療法と並行関係」と論じているとはいえ、夢が神のお告げだと強く信じている点が、やっぱり違うな〜。
多分関係ないけど、CLAMPの漫画って夢が重要なファクターになることが多いなとふと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書では「夢」をみられる人、それを信じられる人を古代人と定義されている。ここでいう夢は、将来のdream として夢ではなく、「正夢」「夢のお告げ」としての夢、寝てから見る夢である。また、現代、寝てから見る夢は深層心理の現れとか、実は本音とか言われるが、当時の夢は「神のお告げ」であり、それを得るために体を清め、禊をし、専用の部屋でお告げを待っていた。言霊とか、息=魂とか、こういう身体感覚をもうちょっと意識してみようと思いました。
-
明快にさくっと物語と夢のあり方がわかる。こんなふうに書ける人ってすばらしいと思った。蜻蛉日記と更級日記の関係が源氏物語と浜松中納言物語、これはわかりやすい。そして、夢によって物語が展開する図式は、古代物語の固有のあり方であるとの指摘も良い。その上で源氏物語とは違って、浜松は読者を置いていってしまうような「無雑作」な表現方法があるとのこと。
-
夢のお告げが、国の規模から個人の規模になり、やがて、なくなってしまう。夢のお告げは、ただ見るのではなく、祈願して授かるものだ、というのが、現代とはまったく違う感覚だったんだなあ。ゆめ=いめ(寝目)、実際に見るものであった、という語源。
-
ずっと読め読めと言われていてようやっと読みました。
古代人の「夢」に対する態度は、現代人のそれとずいぶん違うよね、という学術書ですが。古事記の解説も多くて楽しいです。
古代人がひとつの現実として、夢を「見る」こと。夢が現実を牽引し、現実は夢を模倣して再度意味づけられてゆく――夢と現実の入り込んだ関係。
「こもり」のプロセスと夢見と「根の国」流離の互換性。
神話と宗教。
夢の問題から立ち上がる古代人の「魂」の思想。
共同体的概念が解体し、「魂」が個人的なものになった精神史的ターニングポイント、など。夢を主軸に置いた古代人の精神史。 -
スサノオから大国主への系譜、日向、高天の原
アマテラスからホノニニギ、神武天皇への系譜、日隅、出雲、根の国、黄泉の国、 -
古代人は夢をどのように捉えていたのか。古代人は夢をかなり現実的なものとして捉えていたようだ。古代においては夢は天下国家を左右し、その後は個人の人生を左右した。そんな夢の精神史を扱った本。