オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)
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この作品からのみんなの引用
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文化とはすべて、生のままの現実に矯正を加え、これを捉えどころのない対象から一定の知識へと変化させるものである。これは我々が忘れてはならぬ事実である。問題は、こうした変換が生じること自体にあるのではない。これまで扱ったことのない未知の物体の攻撃を受けたとき、人間精神がそれに抵抗するのは至極当然のことである。だからこそ、文化はつねに異文化に対して完全な変形を加え、それをあるがままの姿としてではなく、受け手にとってあるべき姿に変えてから受けとろうとしてきたのである。
― 158ページ -
オリエントに関する知識の体系において、オリエントとは、単なる場所であるというよりも、むしろ一つの場(トポス)であり、引用句の集合、特徴点の集積である。そしてそれは、引用句やテクストの断章、オリエントに関する他の著者からの引用、過去に思い描かれたイメージの断片、または、これらすべてのもののアマルガムを起源としているように思われる。
― 405ページ
みんなの感想・レビュー・書評
本書は西洋の知識人であるサイードが、我々西洋(オクシデンタル)の人間が東洋(オリエンタル)というものをどのように解釈してきたのか、その「言説」を巡った本である。西洋至上主義に対する批判という面ではドゥルーズを、言説・解釈に対する考察という面ではフーコーを想起させる。 注意としては、ここで論点になる「オリエンタリズム」というのはあくまで「西洋に対比される東方諸国」であって、具体的にはエジプトや... 続きを読む »
いま、序文を読んでいるところ。
東洋人である自分が、西洋人が論じるオリエンタル論を読むことにどういう意味があるのか、気持ち定まらぬまま読み進める。
テクスチュアル=文献至上主義?あるがままを見ない。
理解できるように理解する。帝国主義の影響。イギリスとフランスの違い。単一・均一なオリエンタル。ディズニーランド的な。追体験
タイでファランが少女を囲ったりするのもオリエンタリズムの残滓?
紹介されている、いろんな文献を自分であたってみないと分からないことが多い。
それでも、エッセンスみたいなとこは感じとれたような。
単純に西洋の、東洋に対する偏見、を批判してるわけではない。
それがどのように生まれたのかという過程を丁寧に書いている。ここの部分の妥当性は自分には判断できないけれど、多分こういうことをしようと初めて試みたのがサイードだったんじゃないかと想像。
ナポレオンのエジプト遠征とスエズ運河の与えたインパクトの大きさは印象に残った。
科学を記述することと、私的な言辞を書き連ねることのどちらかに偏ってしまうという問題(P402)はオリエンタリズムに限らず、どの分野にも存在する問題なのではないだろうか?
行き帰りの電車の中でたらたら読んでたら1ヶ月近くもかかってしまった。 一見、客観的で議論の余地のなさそうなオリエント(東洋)に対する認識が、実は西洋に都合の良い恣意的な解釈でしかなくて。 個人個人のの人間性が消去されて、オリエントという大くくりの塊の単位でとらえられて、オリエントは、西洋と比較される存在、西洋に取り込まれる存在といった形で、西洋との関係の中でしか認識されない。 しかも、そ... 続きを読む »
●構成 序章 第1章 オリエンタリズムの領域 第2章 オリエンタリズムの構成と再構成 -- 西洋諸国にとって、近東、中東、東南アジア、東アジアなど、「オリエント」として概括できる広大な地域はどのような存在であったのであろうか。 本書はオリエントに対する、西洋のまなざしを「オリエンタリズム」と定め、これが一体なんであるのか、またオリエントがいかに西洋により形作られたのかを、イスラムと... 続きを読む »
西洋から見た東洋=オリエントに対する先入観について。昔読んだ本ではあるが、ここに語られていることは、様々なことに応用可能であるため常に肝に銘じておく必要がある。
近代西欧に潜む「遅れた東洋」観=オリエンタリズムを喝破した歴史的名著。文明論を学ぶうえで必須。
イスラームへの西洋の視線は、古くはルネッサンス期に始まるほど古い歴史を持つものであり、そうした歴史的背景に加えて、オリエントを他者化するといった構造的な文化、慣習が受け継がれて現在の視線が存在するのである、というのが上巻を読む限りのサイードの主張です。手法は言説分析で、知識社会学、構築主義に通じるものがあり、これらの分野に興味がある政治学、社会学を学ぶ学生の必読書といえるでしょう。また、オリエンタリズムには、知識と権力が非常に深く関係しているのですが、こうしたサイードの分析は、私たちが所与のものだと受け入れている対象を分析するときの参考になると思います。
オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋のスタイルなのである。
東洋のものは神のもの
西洋のものは神のもの
北の地も南の地も
神の手にさすらっている。
むずっ
むずかしかった
私の理解するところ、ヨーロッパから見た東洋が「オリンタリズム」であって東洋すべてを現すものではないが、あたかも「オリエンタリズム」が正しいかのような振る舞いを行ってきたのではということか。
もうとにかく、いかに西洋(人)が東洋(人)という虚像を長い間作り上げ、そしてそのイメージが西洋の帝国主義的侵略の正統化に一役買っていた、ということを延々と述べている。んだと思う。なんというか、執念すら感じる。
気になるのは「じゃあ虚像で飾り立てられた東洋」の「実像」はどうなのか?ということである。しかしおそらくこういう問いに対してはたぶんこう答えられるだろう。「「東洋」に「実像」などというものはない。「東洋」の「実像」として西洋人が認識した瞬間、それは「虚像」となるのだ」と。
でもそうだとしたら、学問の仕事は「虚像である」ということを暴き続けることだけになってしまうんじゃないだろうか。そこにはあまり学問としての生産性を感じないのだが…。さてこの仕事がその後どのように展開していくのか。人文学史のなかでのこの本の位置づけがむしろ気になってしまった。
読書中
学生時代からの目標であり、今年こそ達成すべき目標にようやく手をつけました。
この次は、言語学講義かな。。
人間の理性がいかに他者に対して鈍感で非道かを示唆する本。
「西洋の中の東洋」というイメージは強烈だ。
文系学生必読の名著と呼ばれて久しい一冊です。 内容については、植民地主義・帝国主義下における西洋(オクシデント)の知識人たちによる東洋(オリエント)の人々への偏見を論じたものだと私は理解しています。 通学電車に揺られながら少しずつ読み進め、上巻だけでも読破するのに約2ヶ月かかりました。 しかしながら、あまりにも学問的で難解な書物のため、内容を理解するのにかなり苦労しました・・・ 初学者には、複数のメンバーで輪読しながら理解を深めることをお勧めします。
The book introduced by an anthropologist, which triggered my interest in academia. It is well-knowen argument by Edward Said, which is now almost prerequisite to go through it to enter academia in so-called soft science. It is about the unbalanced structure of knowledge and power between "West" and "East".
西欧におけるオリエント表象に潜む政治性を暴き出した、記念碑的書物。憧憬と同時に支配の対象でもあり続ける、西欧の外部に存在する「他者」としての「オリエント」像。

『だまされない議論力』吉岡友治 の巻末の読書案内に出ていたもの。そのうち読む予定。-「文化的偏見の構造を分析した現代の古典。ただし後半は繰り返しが多いので前半を読むだけでよい」





