オリエンタリズム下 (平凡社ライブラリー)

  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (474ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582760125

感想・レビュー・書評

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  • 下巻に入るとサイードのオリエンタリズムへの批判精神はますますヒートアップする。なるほど、彼の一方向的な考察に避難の声があがるのもわかる。それでも私はその感情の迸りにドキドキハラハラしながら大いに魅せられた。自分の立ち位置を定めずにぼやかす日和見的な論説に信頼の価値などあるまい。返り血を浴びる覚悟で上梓したであろうことは後のサイードの言動に十分過ぎるほど示されている。ここでなされたオリエンタリズムの考察は社会のあらゆるシステムに潜む歪みでもある。差別蔓延る現社会においても十分に適応しうる指南書ともいえよう。

  •  キーワードは知識と権力、そして表象といったところか。オリエンタリズムとは、西洋によるオリエントを見つめるときの思考の様式(オリエントを表し(表象)、説明する(言説)構造的な文化)を指す。その内容とは、例えば、オリエントは自分で自分を代表することができず誰かに代表してもらわなければならぬ(もの言わぬ他者であり、よって西洋がその役を担おう!)であったり、横たわるヌードの女性のような性的な魅力を放つ存在、あるいは幼稚で野蛮という複数の偏見が織り込まれている。しかし、この偏見・神話を指摘することが本書の目的ではない。オリエンタリズムがいかにして偏見・神話から「実体的な」存在であるオリエントを作りだし、それを抑圧していくか、これがとりあえずの主題と私は捉えた。オリエンタリズムは、古くはルネサンス期まで溯る歴史的背景があり、そこから「西洋」と「東洋(オリエント)」という心象地理が作られ、18世紀末の「文献学」、20世紀の「実証科学」から栄養を受け、確固たる学問分野の一つとなるに至る。この過程には(オリエントに関する)知識が(オリエントを抑圧する)権力を生み、その権力がさらなる知識を生むという円環がある。この円環に包囲されたオリエントは西洋の虚構から、支配される実体的な存在となる。この段階においてオリエンタリズムは「真理」となり、オリエントと、オリエンタリストと、西洋のオリエンタリズム「消費者」の三方向にわたって規律=訓練を課す。しかし、ここにおける「真理」を文字通りのそれではない。サイードはニーチェの述べた「真理」という意味でそれを用いている。
     (そしてこちらが核となる主題であると私は思っているが)、オリエンタリズムがオリエントを(西洋に都合のいい、馴化されたオリエントへと)「オリエント化」する過程のなかに潜む「表象」という問題について、サイードは鋭い指摘をしている。それは、あらゆる表象というものが、表象であるがゆえに、その事物を表象しようとする言語や文化・制度・政治的環境の作用を受け、それらにはめ込まれているのではないか、ということである。つまり「表象とは、それが表象であればこそ、「真理」以外の実に多くの事柄に結びあわされ、からみあわされ、埋め込まれ、織り込まれているのであり、「真理」とはそれ自体、一つの表象」(下巻p165)ではないのかということになる。よって、オリエンタリズムがオリエントの誤った表象であるというよりは、表象とはそうゆうものであり、それが特定の歴史的・知的・経済的背景のなかで、在る傾向に従って、ある目的のために作用しているということ。そして「知識」とは、オリエンタリズムを例にとれば、表象の備わる属性によって分配され、再分配される。この部分は、オーウェル『1984』と通じるものがあるように思われる。(「真理は、権力によってつくられる」、オールドスピークからニュースピークへの言語の切り替え)
     この著作は、オリエンタリズムの歴史・経済学に終始しているため、読み途中から感じていたある物足りなさは著者の認める通りである。しかし逆に、我々が、その物足りなさへの探求が読者に委ねられたと思うのなら、それはある意味著者の狙いどおりであろう。「文明と野蛮」という自分の関心にばっちりあてはまるものだったし、なにより刺激的な作品だった。

  •  オリエンタリズムとは、思考や知識の一形態であり、学問の一部門をなしているものです。西洋が東洋、特にアラブを他者化し、オリエンタル(東洋人)でないゆえに、オリエントを最も知りえるという文法を用いて「オリエント」という地域はヨーロッパの人々に解説されてきた。しかし、その解説は古くはルネッサンス期に始まり、西洋の文献学や分類学といった影響を受け、人種差別主義的でさえあります。それにもかかわらず、その解説は権威を得、現に今日の繁栄を誇っていることにサイードは危機感を覚えています。

    こうした差別主義的なオリエンタリズムが勝利を得ている要因に、近東における現代文化の潮流がヨーロッパおよびアメリカをモデルに動いており、経済的、政治的、社会的なこうした流れを強化する力が近東の内外に存在することを挙げ、問題が構造化されていることも指摘しています。

    読むのに非常に時間がかかると思いますが、読んだあとの読了感はたまりません。

  • 著者による「オリエンタリズム再考」と翻訳監修者(杉田英明)の「解説」がよくまとまっていてわかりやすい。これを最初に読むのはいいかも。この書での「オリエンタリズム」という見方・概念は、この書と共に生まれたわけで、やはりまだ不分明で明確でないところがあるし、もともとサイードの文体があまり直截でないので、とてもわかりやすいとは言えない。さまざまな受容と批判を経ての「再考」と解説を先に読んで、概略をあたまに入れてから読んだ方が理解しやすいのではないかと思った。

  • 2005/01/04読了

  • 啓蒙批判2

  • とりあえず読んだ。理解の程はいざ知らず。

  • 西洋における東洋に対する言説を「オリエントに対するヨーロッパの支配の様式」と示し、それまでの西洋における東洋研究、東洋学を鋭く批判した著名な大作。ただ非常に長く、全体を通して何を言っていたのかあまり覚えてない。(私の理解力が足りないだけであろうが...) 監修あとがきにおいて、サイードのオリエンタリズムは現代日本においても顕著に見られる現象であることが指摘されている。1978年に発表された著作であるにも関わらず、現在マスメディアや書籍で当たり前のようにサイードの指摘した言説があることに違和感を覚える。

  • 渡邊太先生 おすすめ
    17【専門】220-I

    ★ブックリストのコメント
    西洋諸国による植民地支配はなぜ正当化されたのか? 異文化の他者に一面的なイメージを押しつけることの問題を批判的に考える。

  • 要約すると、「自分の枡で他人を計るな、ボケ!」ということだろうか。

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著者プロフィール

エドワード・ワディ・サイード
(إدوارد سعيد, Edward Wadie Said)
1935年11月1日 - 2003年9月25日
エルサレム生まれのパレスティナ人で、アメリカの文芸批評家。エルサレム、カイロで幼少時を過ごし、15歳の時にアメリカに渡る。プリンストン大学を卒業後ハーバード大学に学び、コロンビア大学の英文学・比較文学教授を務めた。サイードはまた、パレスティナ民族会議のメンバーとしてアメリカにおけるスポークスマンを務め、パレスティナやイスラム問題についての提言や著作活動など重要な役割を担った。『オリエンタリズム』(平凡社)、『知識人とは何か』(平凡社)、『世界・テキスト・批評家』(法政大学出版局)、『文化と帝国主義』(全2巻、みすず書房)などの主著が邦訳されている。

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