- Amazon.co.jp ・本 (477ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582763805
作品紹介・あらすじ
「日本文化」「フランス文化」といった「国民文化」は、どのようにして生まれたのだろうか?本書は、「文明」「文化」のもつイデオロギー性を暴き、「国民文化」が、近代国家が創出した「新しい伝統」にほかならないことを明らかにした「文化の政治学」である。
感想・レビュー・書評
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全然難しかったのでまた何度でも読み直したい
文化相対主義が文化の分断を強化する側面を持っているって指摘が鋭い
坂口安吾が読みたくなった詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
西川長夫 「 国境の越え方 」
サイード「オリエンタリズム」、フランス革命、福沢諭吉や陸羯南、坂口安吾「日本文化私観」などをテキストとして
文化の概念の中に国民国家(ナショナリズム)という国境を見出し、文化を私文化として再定義することで、文化の国境を乗り越えようと試みた本
読むのに かなりの根気と一定の読書量が必要だが、文化の本来あるべき姿や世界の捉え方が変わる良書
この本の命題「国家と国境が存在するかぎり、隣国問題が存在する〜民族や国民は 国家のイデオロギーが作り出した幻影にすぎない」
文化に対する考察は刺激的
*日本にはさまざまな文化があるが〈日本文化〉は存在しない
*創造者たちは自己表現の究極を目指したのであって、日本文化をつくろうとしたわけではない〜自分文化をつくろうとしたのだ
「国際化とは、英語をしゃべることではなく〜身近な外国人労働者をいかに受け入れ、いかに接することにかかっている」
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いわゆる国民国家論を扱う。日本人論の項目を目当てにして読んだ。単行本は1992年刊。
【簡易目次】
1 世界地図のイデオロギー 012
2 好きな国・嫌いな国 024
3 サイード『オリエンタリズム』再読 068
4 欧化と回帰 126
5 起源 161
6 フランスとドイツ 184
7 日本での受容 222
8 国民国家と私文化 272
9 二つの『日本文化私観』 305
10 グローバリゼーション・多文化主義・アイデンティティ 364
【目次】
目次 [005-009]
I 日常のなかの世界感覚
1 世界地図のイデオロギー 012
2 好きな国・嫌いな国――心理的な世界地図 024
時代の流れ 031
日本人の人種的距離――アジアの問題を中心に 036
日本人の自己同一性 049
II ヨーロッパのオリエント観
3 サイード『オリエンタリズム』再読 068
湾岸戦争とオリエンタリズム 068
『地獄篇』のムハンマド 073
オリエント巡礼と巡礼者たち 081
マルクスのインド論――文明論の陥穽 097
二項対立の限界とそれを超える可能性 112
III 日本における文化受容のパターン
4 欧化と回帰 126
欧化と回帰のサイクル 126
受容における二重構造 135
IV 文明と文化――その起源と変容
5 起源――ヨーロッパ的価値としての文明と文化 161
文明 161
文化 171
6 フランスとドイツ――対抗概念としての文明と文化 184
歴史的条件 184
フランス革命の役割 193
人類学者の観点 205
補論――整理のためのノート 216
7 日本での受容――翻訳語としての文明と文化 222
文明開化ノ解 222
岩倉使節団と福沢諭吉――文明論から脱亜論へ 233
文明から文化へ――陸羯南の文化概念 249
大正文化と戦後文化 263
V 文化の国境を越えるために
8 国民国家と私文化――日本文化は存在するか? 272
国民文化への疑い 274
〈民族〉概念の揺らぎ 281
文化相対主義の役割と限界 295
9 二つの『日本文化私観』――ブルーノ・タウトと坂口安吾 305
対立的な二つの文化観 305
文化価値と生活価値 312
俗悪の闊達自在 326
文化の国境を越える 342
VI 補論―― 一九九〇年代をふり返って
10 グローバリゼーション・多文化主義・アイデンティティ――「私文化」にかんする考察を深めるために 364
グローバリゼーションとは何か 365
多文化主義の可能性 395
アイデンティティの政治性 409
参考文献 [437-448]
あとがき(一九九一年一一月九日 西川長夫) [449-452]
平凡社ライブラリー版あとがき(二〇〇〇年一二月一三日 西川長夫) [453-460]
解説 「国民国家」論の功と罪――ポスト国民国家の時代に『国境の越え方』を再読する(二〇〇一年一月 上野千鶴子) [461-477]
1. ポスト国民国家の時代に
2. 「国民国家」パラダイムの効果
3. 「文明」と「文化」の脱構築
4. 「国民国家」論の流行
5. 脱国家の思想
6. 難民の思想 -
オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。
「著者である西川長夫氏とは、私が在籍していた立命館大学大学院で講義などでお世話になったが、西川氏が退官されてからほとんど接点がなかった。去年亡くなられたということをニュースで知ったので、今回西川氏の本を読むことにした。
この本で個人的に注目したいのは、最初に好きな国・嫌いな国のアンケート結果について取り上げられていることである。今までこのようなアンケートについて興味がなかったので注目してこなかったが、西川氏の議論を通して、今後アンケートがあれば注目したいと思う。
次に文明と文化の違いについて、改めて奥が深いと感じた。これらの違いについて今後の研究の課題としたい。私の研究に関することでは、テロの原因となっているかどうかといった点にも注目したい。 」 -
当たり前だと思っていた世界のあり方がそれほど自明のものではないと初めて気付かせてくれた本。
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多文化主義は、アイデンティティ論を、同質=同化の基軸から差異=多様性の基軸に移動させる決定的な役割を果たしている。
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*注意* 比較文化論を知らない者のレビューです
ブルーノ・タウト/坂口安吾両氏の『日本文化私観』を扱った章が非常に読み応えがあった。
初稿が20年近く前のものであるのに、今でも通用するというのは純粋に驚き。
私自身が翻訳者であるので、文化と文明の訳語および意味の遷移については非常に興味深く読むことができた。
参考文献が多数記載されているので、一読後、そこから芋づる式に興味を広げていく事ができるとおもう。 -
なんだかよくわからないところもいっぱいあるけれど、国境の越え方として「私文化」を重視しているということはよくわかった。それがいいのかどうかは、よくわからない。みんな坂口安吾みたいになった世界、というのもそれはそれで大丈夫か?という気もしないでもない。まあでも、今よりはマシなのかなって気もする。あとキムリッカの評価が低い。ちょっとなんかびっくりした。
関係ないがついでに歴研729号「戦後歴史学と国民国家論」も読んだ。筆者は歴史学への批判も痛烈である。これまでの歴史学が国民国家を再生産する役割を果してきたが、国民国家の相対化とともにこれまでの歴史学も消えるだろう、と述べている。
そう言われるとそんな気もするけど、なんか違和感もある。僕は現在、日本史という枠組のなかでひとつの地域を素材に歴史研究をしているわけだが、日本史という枠組がたとえなくなったとしても、やることは変わらないと思う。多くの研究してる人が、そうなんじゃないだろうか。国民国家がなくなったからといって、みんな移民の研究をはじめるわけでもないだろう。その意味で、国民国家が消えるときになくなるのは「日本史」という枠組だけなのかもしれない。
ただそもそも、僕には「国民国家が消えるとき」というのが来る気が今のところあまりしないのもまた事実である。まあ僕の言うことはたいがい当たらないので、僕がこう思うということは、もう国民国家の消滅も近いのかもしれないが。 -
私は特に「補論」が好きです。
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結構てきとう。