経済成長がなければ私たちは (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582765137

作品紹介・あらすじ

本書では、経済の問題だけではなく、戦争と平和、安全保障、日本国憲法、環境危機、民主主義などが、多岐にわたって論じられている。だとするとなぜ、『経済成長がなければ…』なのか?それは、経済発展を目指すことこそが現実的であり、それ以外は理想論にすぎないという考え方にこそ、本書で扱った多くの問題の核心があるからである。

感想・レビュー・書評

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  • 「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」C.ダグラス・スミス 平凡社ライブラリー

    2000年発行、2004年文庫に収録された本書であるが、ここに書かれていることは、現代でも充分に通用する、どころか現代こそ大切な指摘が多々ある気がする。

    一章目において、著者は「タイタニック現実主義」について言及している。

    現実主義的な経済学者が「タイタニック」に、全速力と命令しようとしている。「スピードを落とすな」と。これがタイタニックの論理、「タイタニック現実主義」です。なぜそれが論理的で現実主義的に聞こえるのか。とても不思議なことです。

    ついこの前も、日本各地でこのような声が聞こえた。「(TPPという)バスに乗り遅れるな」。

    著者は言います。「『白鯨』の船長エイハブは自分の狂気を自覚していて、一等航海士にそれをこう説明する。「私の使っている方法と、やり方は総べて正常で合理的で論理的である。目的だけが狂っている」」

    思うに、目的を決定するのは、経済的智識や科学的思考ではない。ましてや、政治家や財界とのパイプでもない。豊かな教養に裏打ちされた「普通の感覚」なのではないか。つまり、私たちの直感を信じればいい。そうすれば、タイタニックは沈まなかったし、TPPでも歴史の批判に耐えうる決定をなすことができる、のではないか。

    以下、なるほどな、と思ったところはあまりにも多いのであるが、時間の許す限り書き写してみたい。

    ●20世紀ほど暴力によって殺された人間の数の多かった100年間は、人類の歴史にはありません。(略)ハワイ大学のランメルの「政府による死」という著書の中では、国家によって殺された人の数はこの100年間で、203,319,000、つまり2億人にのぼる。もちろんこの数字は大げさかもしれない。でも、大げさだから半分にするとしても、あまり結論は変わらない。(略)もう一つ驚くことがあります。それは国家は誰を殺しているかということです。(略)殺されているのは、外国人よりも自国民のほうが圧倒的に多いのです。ランメルによれば、先の国家によって殺された2億人のうち、129,547,000、約1億3000万人が自国民だそうです。(p47-p48)
    ●今の日本のいわゆる「現実主義」の政治家が、軍事力を持たなければ安全保障はできない、軍事力を持っていたほうが社会の安全を守られるといっているけれども、ではその根拠はどこにあるのか?証拠は?と聞きたいのです。頭の中の話ではなく、歴史の記録にある証拠はどこにあるか、ということを聞きたい。その証拠を見せて欲しい。日本の歴史で考えて見ましょう。日本政府はいつ一番軍事力を持っていたのか。軍事的にもっとも強かった時代は何年から何年までか、そして暴力によって殺された日本国民の数が一番多かったのはいつか。まったく同じ時代です。そういうことを考えるのが、現実主義ではないだろうか。今度は大丈夫だ、という根拠はどこにあるのか。その文脈で考えれば、日本国憲法第九条はロマン主義ではなく、ひじょうに現実主義的な提案だったと私は思います。(p53-p54)
    ●貧富の差というのは、経済発展によって解消するものではない。貧富の差は正義の問題だと思います。(略)「正義」というのは、政治の用語です。貧富の差は経済活動で直るものではない。貧富の差を直そうと思えば、政治活動、つまり議論して政策を決め、それをなくすように社会や経済の構造を変えなければならない。(p128-p129)
    ●競争社会を支えている基本的な感情は恐怖だと思います。暗黙のうちに存在する恐怖です。一生懸命働き続けなければ、貧乏になるかもしれない、ホームレスになるかもしれないという恐怖。あるいは病気になったら医者に行かねばならないが、でもその支払いができないかもしれないという恐怖です。(略)そういう恐怖があるのは、社会のセーフティネットが弱いからだと思います。(略)ほんとうの意味での安全保障(セーフティネット)のできた社会であるならば、その恐怖は減るはずです。その恐怖が減れば、健全なゼロ成長の社会は可能になるのではないか。(略)そういう社会を求める過程を、私は暫定的に「対抗発展(カウンター・デヴェロップメント)」と呼んで見たいと思います。(略)すなわち一つには、対抗発展は「減らす発展」です。エネルギー消費を減らすこと。それぞれ個人が経済活動に使っている時間を減らすこと。値段のついたものを減らすこと。そして対抗発展の二つ目の目標は、経済以外のものを発展させることです。(略)経済用語で言い換えると、交換価値の高いものを減らして、使用価値の高いものを増やす過程、ということになります。(p138-p141)
    ●20世紀、特に20世紀の後半には、第二章、第三章で紹介したような政治経済論が世界的な覇権をつかんで「常識」になりました。「正統な暴力」を独占する国家をつくって、安全と秩序を守ってもらう。そしてその国家を単位としながら、産業革命から始まった経済システムを世界の隅々まで広げる。この過程は1945年までは「帝国主義」と呼ばれ、1946年あたりから「経済発展」と呼ばれ、最近では「グローバリゼーション」と呼ばれている。(略)けれどもこのものの考え方はそのうち変わると思います。それは歴史の記録を見ればすぐ分かることです。覇権を握った「常識」はこれまでも変わってきた。だから経済発展の常識も暴力国家の常識も変わる。これから変わるというより、もう変わり始めているのです。(略)自動的に人間の意識が変わるとは思いません。もっと単純なことで、覇権をつかんだタイタニック現実主義にどんな力があろうとも、人間にはもう一つの、本来の常識が備わっている。そう信じたからこそ、そのような言い方をしたのです。誰もが、タイタニックの外にある現実を見て分かるだけの力を持っている。幻想の中に居ても、その身に危機が迫れば、本来の現実主義に戻る能力を持っていると思うのです。(略)前に話したように、その変化が遅すぎて、大きな災難とともに訪れるのか、それとも積極的、意図的な改革によってなされ、それを回避できるのか、間に合うか間に合わないか、が重要です。ただ、仮に間に合ったとしても、人間が危機を意識し、産業資本主義、世界経済システムを変えることに成功したとしても、それは何かユートピアになるとか、地球を楽園にするというような、そういう甘い話ではない。それにはもう遅いのです。何年か前にある学生から聞いた言葉を借りると「放射能つきユートピア」しか成り立たないのです。災難はもう進んでいるわけですから、バラ色のユートピアの可能性は20世紀で潰れてしまった。しかし、この途中まで破壊された人間の文化、途中まで破壊された自然界にも、この破壊さえ止まれば希望は残っています。その希望は、文化と自然の両方が持つ大きな回復力にあります。(p223-p228)


    「誰もが、タイタニックの外にある現実を見て分かるだけの力を持っている」
    私は去年の今頃、ソウル市の片隅にあるノリャンジンという受験生の寮が犇(ひしめ)いている処を歩いた。そこにあるのは、たった一畳か二畳の部屋のなかで何年も資格を取るために10枚27000w(1900円)の食券で何とか食いつないでいる年取った学生たちの姿だった。そんな部屋にさえすむことができない学生もたくさん居ると聞いている。若者の就職率、非正規率、ともに日本を追い越している韓国は、未来の日本の雇用状況だとも言える。外から見ると、韓国の酷さが良く分かるが、日本の現実に浸っていると、日本の酷さには気がつかない。

    でも、それはいつかきっと、みんなが分かる日が来る。既に今年、国民的体験で「現実的未来」は「放射能つき破滅」か「放射能つきユートピア」しかありえない、と分かり始めたように。

  • 資本主義社会の問題点を浮き彫りにしている本。

    20年前に書かれたとは思えないほど今の状況を言い当てている。


    発展という言葉は産業国の価値観を押し付け、搾取を見えなくするために戦略的に用いられた言葉。

    競争やばかすか働くことではなく、相互扶助によるセイフティーネットを作ってた社会を見直す。

    経済成長ではなく、本来の豊かさを求める「進歩」の探求へ。

  • タイトルに「経済成長」という単語が出てますが、経済以外のトピックもかなり豊富に盛り込まれてます。現在の社会通念として「当たり前のこと」と捉えられていることへの反論、あるいは問題提起をしている本であると言えます。

    書かれたのは2004年ですが、この時点で既に議論の的になっていた憲法第9条の解釈の論考が第二章にあります。自衛権とはそもそも何なのかというところについても考えさせられましたが、「アメリカの核の傘に入っている以上、間接的に軍事力を行使している日本は本当の意味で平和主義を試したことは一度もない」という論旨は首肯できます。要は自分が直接手を下したか、アメリカに加担したかということですね。この辺は小泉さんの時代に露見した政府の論理の矛盾かと。

    第三章は「発展」について。戦後のアメリカが経済活動のために「他国を発展させる」という国策を導入し、それにあたってDevelopという単語に新たな役割を与えた、というくだりは言語学をやってた身としてはとても面白かった。

    また、この章では貧困を4種類に区分して論じてます。そのうち、「伝統的貧困」という分類は途上国の農村にピッタリ当てはまると感じました。詳述しませんが「外から見ると貧乏に見えるが中の人はそう思っていない」というところがポイント。「なぜ、この人たちはこんなに不便な生活を送っているのに困っているように見えないんだろう」という疑問への答えになります。
    さらに「根源的独占による貧困」というものが、「持てる者と持たざる者」による格差を生み出す根源なのだということも、この章で整理できます。

    第四章は「成長しないことのメリット」について論じられており、著者の大きな首長の一つである「南北問題において変わるべきは北の国々である」(144ページ)という主張が出てきます。また、巷で話題になっている「持続可能な発展」の対抗軸として「対抗発展(Counter-Development)という語を定義しています。対抗発展とは「エネルギー消費を減らす発展」「経済活動に使う時間を減らす発展」「経済以外の価値、人間の活動、文化などを発展させること」とされています。昨今「働き方改革」が叫ばれていますが、その嚆矢の一つとも言える考え方かと思います。

    この章の中でもう一つ、納得できたのが「過剰成長の国々は快楽を感じるツールが多いが、一方でそれに頼らずに楽しくなる能力が鈍化する」という論。自力で快楽を得る能力は、途上国よりも先進国のほうが確かに低いと感じます。不便の中にある豊かさをもう一度見つめ直す必要はあると思います。

    第五章は民主主義の矛盾と限界。選挙により成立する民主主義がそもそも民主主義ではない、というところが議論の軸。真の民主主義として、古代ギリシャやローマで採用されていた「くじ引き」が紹介されています。今の1億規模の人口を抱える国では難しいと思いますが、くじ引きによる政治の代表者の選出のメリットはよく理解できました。

    第六章は原発について。反原発運動は「間に合うか間に合わないか」の二択である、としています。残念ながら、2011年の事故は「間に合わなかった」ために起きました。そして、政府は再び、以前と同じ轍を踏もうとしています。

    この本のすべてに同意する必要はないでしょうし、反駁したい部分もあると思いますが、常識だと思っていたこと、あるいは常識と言われているのに違和感を感じることについて考えてみたいならば、該当する章だけでも読んでみる価値はあるでしょう。

  • 経済発展は思想として覇権をとった「イデオロギー」
    経済発展とは自動詞ではなく他動詞で、第三世界を「発展させる」というアメリカの国策から始まった。
    戦後、アメリカは投資する場所を探していた。そこで南の「未開発」の国を投資しがいのある、投資すれば利益がでる経済制度に作りなおしていった。

    かつてからあった搾取的な強制労働を見えなくした。森林の中ですべて完結しているような自給自足の文化があった場合、こう考えた。その森林をなくせばいい。その代わりは、コーヒーやゴムのプランテーションだ。そうして元の住民たちは生きるためにプランテーションの労働者になるしかなくなった。

    経済発展はこれからの話ではない。今が立派に「発展された」世界である。発展した国も発展途上国もすべて、発展という過程がつくった世界と考えるべき。経済発展が「スラム」を「高層ビル」へと変身させる過程というのは錯覚である。経済発展によって「高層ビルとスラムの世界」をつくったというのが歴史的事実。

    みんなが金持ちになることはできない。社会の全ての人が同時にお金を持つようになったらそれは単なるインフレである。金持ちになるには、他の多くのひとがお金をもってなくお金が欲しいという状況になるならないといけない。他人をお金で支配することが金持ちの本質。

    貧困は再生産される。技術発展によって新しいニーズが作られ、そこから新しい種類の貧困が生まれる。人が想像したことない、欲しいとも思ったこともないモノが生産されると、世界は、この新製品を買わなければちゃんとした生活ができない、という社会そのものに作りなおしてきた。いつのまにか「あればいいもの」から「なにと困るもの」に変わっていき、買えない人が惨め、貧乏ということになる。いまでいるところのスマホだ。

    貧困を生産し、搾取しやすい形に作り替えたのが経済発展の正体。すなわち経済発展は貧富の差をなくすことではなく、貧困を利益がとれるかたちに作りなおす「貧困の合理化」である。

    資本主義の経済制度は反民主的である。経済的な決定の多くは公で決めるのではなく、専門家が議論して、どれが正しいかということを「客観的な科学」によって決め、それを実現する。本来、選択であるはずのことを「やむをえないこと」に切り替えてしまうような力がある。
    たとえば、飛行場を作る。作るか作らないかは、そこに住んでいる人の生き方にかかわってくる。当然つくらないという選択肢もある。
    だが、飛行場を作ることは、進歩である。とにかく作らなければ次に進まない。欲しくないけど作らざるを得ないと考えはじめる。そういう力が経済の論理にはある。
    民主的な経済とは、経済成長を自然破壊をしてまで続けるのか、あるいは経済成長を止め自然を守るのかは、選択できること。



    日本国憲法には「国は交戦権を認めない」とある。
    しかし日本は自衛隊を持っている。つまり、これは自衛権は交戦権ではないと国は意味している。
    では交戦権とはなにか。自衛権ではないのなら自動的に交戦権は「侵略権」という説が導かれる。
    ところが侵略権は、国際法上どの国にも存在しない。ということは自衛権をもつ日本は他の国との違いがない。

    後方支援をする自衛隊は非戦闘員であり、日本は交戦国にならないと、たびたび国は説明する。なぜなら法律がそう言っているから。または交戦地から離れた場所でした活動しないから。
    しかし公海上には、日本の法律が当てはまらない。日本がどういっても、国際法のなかでどうなるかが重要。国際法によれば、武装化された貨物船が軍需物資を運んでいたら、敵国が攻撃できる権利がある。

    もしも自衛隊が軍事行動をしなければならない羽目になったとき、日本政府はどうするか。法律上、自衛以外の軍事行動は許されていない。しかし、いちいち自衛かどうかを判断し、それに反していたら逮捕するのか。いや国が送り出しておいて逮捕はできない。法律の義務を免除するしかない。でも政府が免除するのだったら、免除する政府の権利はどこにあるのか。その権利をなんと呼ぶのか。「交戦権」の復活です。

  • 常識とは何か?

    経済成長こそが我々を豊かにするというように常識となっていることに対して、何故だろうと考えてみることは非常に有効だ。

    著者が語るように本書には特に新しい知識は与えてくれないかもしれないが、読者に"常識"に委ねず自ら考えるという気付きを与えてくれる。

    論理も明確で、翻訳もこなれていて読みやすい。

  • タイトル以上に、多岐にわたる問題について取り上げています。
    大変考えさせられた本で、今の日本には特に必要なのではないでしょうか。

    経済成長がなければ幸せになれない、豊かになれないということはない。
    でも、そのためには価値観の転換が必要。3・11はある意味、私たちの価値観を改めて問い直す機会にもなったのだと思いますが、いつの間にか、問題点がすり替えられ、2年近くたった今、「経済成長」という言葉が踊っている。
    だからこそ、今の時期、この本を一人でも多くの人に読んで欲しいと思います。

    なるほどと思ったことはたくさんあるのですが、特にこの二つをあげておきたい。
    ・「南北問題」変わるべきは「南」ではなく、「北」
    ・人々が誰も政治に興味を持てるよう、選挙はくじで行おう。

  • 衆院選の前に読んでみれば…
    特に自民党支持者の方々へ。

    読破する寛容さがあればの話ですが。

  • この本を閉じたあと、
    自身が綱渡り的に支持してきた常識が、
    使い物になっていない、それも私が産まれた時点で、既に、と
    あらためて喪失感に追い込まれた。

    改めて自身で思考せねばならぬ。
    検証と、代案創出を続けねばならぬ。
    周りの人との対話を後回しにしている余裕はない。
    行動を起こし、続けなければならぬ。

    悲壮感は要らない。
    先ずは視点をもう少し遠くにする。
    問題は必ず起こるという事、
    そして、その解決を後回しにしない事。
    出来れば、あの人もこの人も明るく生きて行く選択を、と欲張ってみること。

    退く事、手放す事、逃げる事を戦術として持っておく事。
    同じくらい、
    問いただす事、拒否する事、待つことを戦術として持っておく事。

    制限時間は生きている間。
    欲張る事が可能なら、バトンタッチして、
    結果を得るまで続ける事。
    さらに可能なら、それを文化として展開させる事。
    変化と経過と共にガタピシくる事もあるだろう。
    その時、優雅に解決させる人達がいる事を想像しながら、今できる事をする。

  • この長いタイトル。
    最近、私が疑問に思っていたこと、そのまんまです。
    「人生=お金」だと言われる中で、生きづらさを感じていました。
    お金があればどうにでもなることと、お金があってもどうにもならないこと。その両方があることをわかっていても、私は後者を大事にできる人間でありたいなあ。(たとえば愛とかさぁ!)

    そして、この本に書かれてある「豊かさ」の定義には、totally agree!
    お金を得ることではなく、新たな価値観を得ることが、これからの人生を生きやすくすると思います。


    個人的には、第3章が1番おもしろかったです。
    言語は時代と共に変化してゆく…
    developが元々は自動詞しかなく、トルーマンの経済政策により他動詞が生まれたなんて…他動詞「発展させる」に、歴史の裏が見えてビックリです。
    外大生にはこの章だけでも読んでほしいな★

  • 私の原点になった本です。
    どっち向いて歩けばいいかがわかった。
    絶対ぐらついたらこの本を読む。
    もう30回ぐらい読んでるかもしれない。

    …ですが今更色々レビューとかしません。
    とりあえず読んでください、と。

    彼が読んでほしいと思ってる人は、


    ・過労でくたびれた、あるいは労働現場の自由のなさに不満を感じている(サラリーマンやOLを含む)労働者。
    ・自分の畑の工場化が嫌になった農民。
    ・「経済」(具体的にこれからの就職)という要素が自分の教育の自由の障害物になっていると感じている学生。
    ・広告産業が自分を馬鹿にしているのではないかと感じている消費者(特に主婦)。
    ・戦争体験を覚えていて、今の日本政府の再軍備への突進にショックを感じている老人。
    ・戦争を体験したことはないが、これからも経験したくないと思っている若者。
    ・南北問題は「南」の問題というより、どちらかというと「北」の問題であるということに気がついた人。
    ・世界の自然界が死滅しつつあるだけではなく、私たちがそれを殺しているという事実に気がついて悲しんでいる人。
    ・なんとなく危機感をかんじているものの、それが何なのか漠然とはっきり分からないという人。


    …だと書いています。
    私はまさにタイトルのとおり、経済成長の神話、お金を持てば幸せというのは幻想では、というところにはじめて視点を置いた。そのきっかけがこの本。
    後、南北問題は私たちの社会が根本原因なのでは?という、以後ずっと抱き続ける問題意識を与えてくれた本。

    彼は新しい常識を、新しい現実主義を打ちたてようてしてる。






    もっともっともっともっと読まれてほしい。
    私は他人に薦めるなら絶対この本を薦めている。
    本当に、一番大切な本です。

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